《プロローグ》 憧れた黒髪を結いし女性との邂逅
──西暦2140年。イタリア西南の地中海に浮かぶシチリア。
漆黒の宇宙に浮かぶ青き星……地球。人類の文明はさらなる進化の一途を辿るかにみえた。
特に人工知能。AIが人の代わりにあらゆる分野で活躍し、或る意味創造した人間自身が研鑽を忘れ、崩れ往くより他はなかった。
しかも結局人々は地球温暖化を止める処か、自分達の栄華を極めることだけに突き進み、寧ろ荒廃は、その加速度を増してゆく。
──格差。
一部の富裕層達は、そんな地球ですら生きられる医療に縋り生き長らえている。
そういう違った意味で底辺の連中だけが、この星でしがみつく様に寄生していた。
西暦という言葉。最早ただの記号と化し、失墜という奈落の底へ転がるのを止められる者は皆無……そんな世界線のシチリアで事件は起こる。
「フハハハハハッ!! 見るが良いこの様をっ!! これが人であるこの俺一人が起こした奇跡よっ! なんと美しきことか」
シチリアの火山よりも上空へ上がった金髪の男が地上の楽園を見ながら、独り悦に浸っている。
火山の噴火すら凌ぐ超巨大爆発を起こした自身の力。核ミサイルすら届かないであろう異常なる力の発現。
恐らくこの火山は永遠に失われ、シチリア島の形そのものすら、変えてしまうことだろう。
「──クッ! な、何て馬鹿な真似を!」
そこで声高らかに笑うあの阿呆を創るきっかけになったのは己自身だ。強大な能力を得た配下を、配下のままで留めておくことが出来なかった。
自分も宙で静止しつつ、己の無力を大いに悔み、その美しき顔を憤怒の形相で歪ませる。
「こんなことをしたかった、させたかった訳では決してないっ!」
細見の剣を引き抜いて、その愚かの権化へ飛び込む女。踊り子の如く、その身を翻しながら剣を打ち込む。
その編み込まれた長い長い黒髪と、腕に巻き付く帯状の布。舞いとしてなら目を見張る程に流麗であるが、戦いには無用の長物。
この女性の本質は踊り子の方であり、恐らく剣の方は派生に過ぎぬのであろう。
緑の瞳が閃光と為りて、黒煙の空に映え渡る。だが残念なくらい軽い太刀筋、悠々と金髪の男の剣に阻まれ火花が散る。
「こんなことをさせたくなかった? 何を言っているのかまるで判らんっ! これは貴様が俺に与えし力だろうにっ!」
「グッ!?」
斬り結び、さらに軽々と弾かれてしまう女の剣。刃を伝わる痛みに柄を握るのがやっとである。
「アーハッハッハッ!! 貴様が俺をこんな風に仕立てたっ! だからと言ってお前に従う義理なぞないわッ! 他の連中とて同じであろうっ!」
男が情け容赦なくその剣を幾度となく叩き込んでゆく。その度に黒髪の女が痛みで顔を歪ませる。
向かっていっておきながら、身を守るのが精一杯だと思い知らされる。
「──この辺りには俺を崇める神殿を建てて進ぜよう。この太陽すら凌ぐ赤い火、まるで死してなお火に飛び込む不死鳥のようではないか。クククッ……」
戦いの最中に在りながら、なおも地上の様子に酔いしれる金髪の男。ビンテージワインをグラスの中で転がす様な異常たるその思考。
人の欲望にまみれた塊がこの男の本質だ。それを歯軋りしつつ睨む己も同様かと思うと、この身を引き裂いてしまいたいとさえ感じる。
「──ムッ? 何だあの娘は?」
そんな地獄絵図から広がりゆく森林火災の最中に、年端もいかない少女を見つけた。
──一体何を悠長している!? あっという間に火達磨と化すぞ!
大焦熱地獄よりも苛烈だと思えるこの状況を、まるで荘厳なる舞台でも観覧してるか様にゆっくりと見物していた。
「ええいッ! 放ってなどおけるかッ!」
黒髪を結った女が男を捨て置き、少女へと向かい空を駆ける。人がこれ程まで空を飛べるのか。空気を切り裂く音すら聞こえる。
普段なら老若男女関係なく、己の自由としているのに、何故こうも拘るのか? 理屈ではなく身体が勝手に反応した。
「わわっ!? ぶっ!?」
一気に迫り来る女性に片腕で拾い上げられ、顔を胸へと押し付けられた少女。金髪と蒼き瞳が女の胸に埋もれてゆく。
「馬鹿か貴様ッ! そこで一体何をしていた!」
勝手に救出した女が、またも身勝手な質問を容赦なく浴びせ掛ける。この問い掛けに少女は、胸の奥底にて小さな口をモゴモゴさせつつ幼き本音を此処に吐露する。
「……き、綺麗だったから。あの火も、それに踊っていたお姉ちゃんも」
「は、はぁっ!?」
──不覚。
ただの幼子に綺麗と褒められたお姉ちゃんが思わず顔を朱色に染める。それは彼女に取ってどうでも良かった筈の感情が浮上した瞬間と成る。
綺麗…。そんな虚ろな褒め言葉で惑わされる自分に、驚きと苛立ちを隠せなかった。
それは同時にこの幼子が、このお姉ちゃんへ、どうしようもない憧憬を抱いた瞬間でもあった。
独りの女と幼き少女。二人の人生の歯車を大いに狂わせたこの出来事。
シチリアという島の形状が変化する事件とは、比較する気にもなれぬ程の些細なること。
よもや世界を歪ませる物語の1ページになろうとは……。当人達すら気が付かなかった。