6.ナンデモデキール!
森の中央部に位置する踏み分け道にて、シルフィードの隊商は指定された待機場所で警戒を続けていた。
運輸職員と従業員は主に貨物と馬車の見張りと再点検をして、雇用された傭兵業の者達は指示通りに、一定の距離を取って防衛線の拡大と確保を務めている。
これらは、ララ・ウィンドミルがこの森全土に巡る調査行動を開始してからしばらくの間のことだった。
「フリードさん。事情は聞かないって言っておきながらアレなんすけど、オベロン国には何の用事で?」
レシルは隊商の指揮を執り終えて、滞りなく業務活動と警戒態勢を敷けたことに安心をしていた。
多少の気を弛めることに問題がないと判断したのか、彼は貨物付近で見張りを続けるフリードに雑談を持ち掛けた。
「いやいや、別に隠すつもりはないから大丈夫だよ。――実は、今までフォルトゥナ家の方の症状を診てくれたって人物がオベロン国のアカデミーにいるって聞いたものでね」
フリードは、当初の目的の要点だけを掻い摘み説明をする。
フォルトゥナ家の出来事で獲得した断片的な情報のみで、自身の知らぬ間に認知していない娘の存在がいるかも知れないから探しに行くとの説明は口が裂けたとしても言い難かったようだった。
「その人を探そうと思うのだけど。レシル達はアカデミーに籍を置いてるみたいだし、何か知らないかな?」
「今までユスティア様を診てくれたアカデミーの方ですか?」
レシルは、おうむ返して質問の回答を模索する。彼は腕を組みつつ、天を仰ぎ見たかと思えば地を見て苦悶の表情を浮かべていた。
「すみません、あまりにも多すぎて。アカデミー内で権威のある教授方や様々な機関の協力はもちろん、当時から近隣諸国も合わせて大恩を受けた多くの人達がユスティア様を助けようと必死になってましたから」
「そ、そんなに!?」
あっけらかんとしたレシルの回答と、そしてあまりにも巨大な規模の話にフリードは驚愕する態度を隠せなかった。
「当然じゃないっすか! 小さかった俺らの世代は実感薄いかもしれませんけど、大陸北部の獣魔大戦において英雄の一人とされる聖女様ですから」
熱烈に語り始めるレシルは、この大陸で最も記憶に新しく大きな戦争である獣魔大戦の話を切り出した。
約十数年前に起きた幾千万の魔獣の大進撃が、何ら兆候もなく大陸北部よりさらに北にある未踏の地であった死の山々から雪崩のように魔獣が押寄せて大災害をもたらした。
当時オベロン連合王国を筆頭に各国統制の下で連合軍は結成されて、危機的問題かつ状況への迅速な対応が為された。
だが、各国の軍隊編成に必要とした僅かな時間に、魔獣の雪崩は勢いを止めず甚大な被害を拡大させた。連合軍の戦線の確立と防衛線が敷かれた頃には、大陸北部は半分以上が被害を受けていた。
「あの――もしかして、フリードさんってこの大陸の人じゃないんですか?」
ふと、レシルは疑問を覚えて質問を口に出す。あまりにもこの大陸の歴史的かつ世界情勢の情報が共有されていないフリードに対して不思議に思ったようだった。
「ん? ――まあ、そうかもね。よく遊びには来てたのだけど。フォルトゥナ家との関係も遠い友人なだけで、今回の出来事も僕は全部たまたま知って関与してるって感じかな」
「納得です。だから、色々と驚いてたんすね。じゃあ、その戦争でユスティア様が長年お体を悪くされるようになったってことも知らないんですか?」
質問に答えるように、フリードは頭を縦に振って頷く。
フリードの肯定を意味した頷きを確認すると、レシルは再び話を戻して獣魔大戦の件を続けるように語り出した。
「ひと月も掛からず大陸北部の半分を呑み込んだ魔獣の大群を、それ以上の進行と被害拡大を防ぐために急遽張られた連合軍の前線を維持する要がユスティア様だったんです。聖光の奇跡で、多くの人達に力と癒しを与え続けてくれて」
レシルは、ユスティアの偉業に対して憧憬の念を絶えず溢れんばかりの様子を見せた。
「それで――」
打って変わって、レシルは表情を曇らせて言い淀ませる。
「戦争中に連合の最前線が予期せず崩壊する事態が起きて、再編成するため前線を下げて後退せざるを得ない状況があったらしく。でも前線を下げる分、魔獣側の進行は再開して北部の被害はさらに拡大しますし、その状況下で負傷者を含めて見捨てなきゃいけない多くの人達が出るって話になったらしいんです」
戦争において突然の戦線の崩壊とは、最終防衛線を構える後方部隊の陣営からの継続した増援や補給などを臨むための時間の消失と同義であった。
事実上の主戦場の敗走は大を生かすために、あらゆる小が犠牲になることは必至だ。否が応でも必然的に失われるであろう存在は多く、そして切り捨てられざるを得ない状況なのだと想像は難くない。
「ユスティア様はそれらを由とせず、ご自分だけで全ての人々を救い護るために必要な時間を稼ぐからと仰って」
「――もしかして、聖光の力を使って?」
「はい。――いろんな問題もあってユスティア様を犠牲にするようなことは絶対にダメだって判断が当時のものだったんすけど」
ユスティア本人がフォルトゥナ国の要人として扱われる人物なのは勿論、主戦場の戦線の維持を担うほどの力を持つ彼女を、小を生かすためだけの犠牲になることが戦略的にも度し難いものだったからの判断だろうと覗える。
「ユスティア様が聖光の権能を行使した時にはもう、誰ひとり近づくことも止めることもできなかったんです。その光は魔獣の大群を押し止めるほど凄まじい力で、三日三晩続いたと聞きました」
「途轍もないなあ」
「双月の銀鏡――まるで、銀光を放つ世界の月がこの大地にもうひとつ現れたって大騒ぎになるほどのものでした。月明かりが大陸北部の大地をすべて包み込むほど広がってて」
レシルの話を聞いて、フリードはふと気が付く。
フォルトゥナ家でのユスティアの状態を診たときに、聖光の力を生む機構に多少の問題があったとしても、比べて彼女の消耗は著しいものであった。
恐らくこの出来事が切っ掛けで聖光を際限無く使用するために、力の源泉を生み出す無限の加速を致命的なまでに上昇させたのだ。
結果的にユスティアの許容量とする力の上限を遥かに超えて、無限の加速も制御できず生み出され続けた力も止めることが叶わずに、力の奔流に蝕まれることになったのだろうとフリードは納得した。
「俺もララも小さかったんですけど、その時の状況は覚えてて。俺らがいたところからでも、遠くの空の境界線の向こう側にお月様が見えてたんですよね」
レシルは物思いに耽るような感じで、ボーっとした表情を浮かべて昔を思い出しているようだった。
「その後は、ユスティア様の作られた時間で何ひとつ失うことなく前線を無事取り戻せたみたいで。さらに時間的な猶予からって、他の英雄たちを最前線から抜け出させて少数精鋭で死の大地へ乗り込み、魔獣の氾濫の元凶を断ったのが事の顛末です」
「その後に、ユスティア・セイク・レム・フォルトゥナは聖光の後遺症を十数年以上もの長い年月を掛けて悪化させていった?」
「その通りです。ユスティア様は、年々お体を悪くされていきました。世間一般では病で伏せているとだけ伝えられて、次第に公的な場ですらお姿を拝見されなくなりました。近年に至ってはご存じの通りです」
今や無事にユスティアが快方に向ったとの情報を念頭に入れているにも関わらず、レシルはこれまでの過程の説明に連れられて悲嘆を感じ続けている様子だった。
「実は、ちょっとした自慢なんすけどウチの両親ってユスティア様とは大戦時からの戦友同士なんですよ。だから、ユスティア様が具合を悪くさせてるのを見て、ルミエル嬢が寂しがらないようにとかってウチの両親が小さい頃から俺やララを連れてしょっちゅう遊びに行ったりしてて」
思い出話のように会話するレシルの顔は、どことなく照れ臭そうに笑っている。
「だからなんですかね。今となっては俺もララも、ユスティア様やルミエル嬢のことを恐れ多くも家族のように想えちゃって」
レシルとララがフォルトゥナに対して抱く感情は、互いの交流で育まれた家族愛のようなものだとはっきり伝わった。
これまで第三者から見れば過度に思えるようか感情の発露は、彼らにとっては至極当然のものだったと理解できた。
「おっ、風を感じるな。ララのやつが、そろそろ戻ってきた頃っすかね」
ふと、雑談をする二人の間を挟まるように、少し強めの風が何度か発生した。
その風は樹林の合間を縫うように、強弱と緩急付けながら吹き抜けて、自然のものとは違うのが判別できる。
吹き付ける風の方向へ、レシルは視線を送った。ララの帰還を予想してのことか、彼女の姿を確認するためにその先を彼は見続けた。
「――なんだ、風がッ!?」
直前のものとは比較にならないほどの強風が、この場所を襲うように通り過ぎて行く。樹木は騷めき、吹き散らす樹葉は飛礫のように飛来する。その場にいた人達は腕を盾代わりに防御を固めた。
レシルの予想とは違って、この場にララの姿は現れることはなく強風だけが通り過ぎただけだった。
「おかしい、何かあったのか?」
レシルは自らの手首を掴み、瞳を閉じて額に当てて念じる素振りを見せる。手首には、ララの脚首に巻かれていた装飾具と同じ鎖が装着されていた。
装飾具には、ララと同様に新緑の色で光輝く宝石が備え付けられている。そして今は、周囲からの流れる風を吸収しているようだった。
「森の南方。ここから遠すぎるな――フリードさん、問題が起きたみたいです」
レシルは眼を見開き、念じるのを止めて顔をあげた。
自身が感じたままのことを呟き、フリードにも伝わるように囁いた。
「俺は持ち場を離れます。シルフィードは隊商の待機を解除して任務を引き継ぎ、先行してください! 速やかに森を抜けて、次の目的地へ移動を。護衛の皆さんも引き続きよろしくお願いします」
この場所で警戒を敷き待機する隊商全体に向かって、レシルは大声で指示を繰り出て指揮を執る。彼の表情からは焦りの色が見えて、口早く指揮を執る様子が緊急性の高さを覗かせた。
「すみません。妹が何かバカやってるかも知れないんで、俺が連れて帰ってきます」
レシルは顔を綻ばせて、精一杯の笑顔を見せる。彼のその姿は他者への配慮と、自身の強がりが込められているようだった。
「緊急事態みたいだね」
「はい。普段なら、問題があれば真っ先に報告に戻ってくるはずなんですけど。なのにアイツ、何故か森の奥で今も全力で風の力を使い続けてるみたいで」
普段の段取りとは違う状況が、嫌でも問題が生じたのだと認識させたようだった。
「僕に手伝えることは?」
「フリードさんも、隊商の護衛の方に回って貰えるだけで十分――」
「違うよ、そうじゃない。友達のために、僕が手伝えることはって聞いたんだ」
フリードは、遠慮とも捉えられるそのレシルの言葉を否定した。
レシルは危険に巻き込まれる可能性を考慮した上で、最優先事項である隊商の運輸する貨物を含めて関係者を遠ざけるような指示を出していた。家族である身内に危機的状況の可能性があるならば、建前など乱暴に放ってこの場の全員で現場へ急行したいのが本音のはずだろう。
「それにちょっと、ここから遠い場所なんだよね? これで、力になれると思うのだけど――」
フリードを軸に周囲で旋風が巻き起こった。
「フ、フリードさん。そ、それって――」
レシルは目を見張るように驚嘆の声を漏らす。眼前にて、自身や双子の兄妹であるララと同じ性質の力を扱う者の姿があった。
周辺から吸収した風を小さな翼を模して、形状変化を維持したままでフリードの脚に具わって纏われている状態だった。今は周囲に一切の風の影響を及ぼすことなく、完全に風の力を掌握して制御下に置く様が見て取れる。
余すことなく統御された風の力は、常時フリードの体を軽く浮遊させて異様な光景を生み出していた。
「これも真似てみただけなんだけどね。ね? 言ったでしょ。たぶん、なんでもできるって」
レシルを安心させるかのように、フリードは笑顔を見せる。
「よろしく……お願いします……」
「うん、はやく行ってみよう。さあ、僕に掴まってて」
フリードの頼もしさとと危険に巻き込む可能性を天秤に掛けた結果、葛藤の末にレシルはその言葉を紡いだのだった。