2.かわいそうなのは抜けない
「ごめんなさい。えっと、その……伝説の魔法使いってなんですか? 僕の名前は確かにフ――」
青年は喋る途中で、目の前に起きた変化に酷く驚き言葉を詰まらせる。
彼は言葉を言い終える前に、突然と目の前のルミエルが大粒の涙を銀色の瞳から溢れさせて零れ落としたのだった。
「――ッ!? だ、大丈夫ですか!!」
今まで彼女から受け取っていた印象から、急激に掛け離れた乱心とも捉えられる感情の落差に、青年は驚くあまりに椅子から飛びあがった。
お嬢様、と語り掛けた侍女は悲痛な面持ちで、自らの身体を使って大事なものを覆い隠すかのようにルミエルを抱いて寄り添い始めた。
「あわわわわ、僕が失礼なことばかりしてたからですかあ!? ごめんなさ――」
混乱した状態の青年が謝罪を口にしようとした時だった。
部屋の扉の外から豪邸に似つかわしくない何かを急くような粗雑な足音が響き渡った。
粗雑な足音が止んだと思えば、物を叩き壊すような勢いで部屋の扉が開け放れた。
「大変です、ルミエル様!! ユスティア様のご容態がッ!!」
部屋の扉を叩き開けたのは騎士の風貌をした者で、息を切らして焦燥に駆られたような表情をしながら当惑した様相を呈していた。無礼を通り越してまるで襲撃のような来訪は、今この瞬間に差し迫るであろう問題へ最大の緊迫感を訴えかけるかのようだった。
「――お母様ッ!!」
慟哭に似た叫び、ルミエルは侍女の抱擁を振り払って駆け出す。既に瞳から溢れんばかりの涙を零れ落とす彼女の姿は、悲愴の限りが尽くされた者を体現していた。
急激に移り変わる状況の最中で、青年は呆けて立ち尽くしていたが力が抜けたように身を投げるように椅子へ着席した。
「大変失礼をいたしました。何卒ご容赦くださいますようお願い申し上げます」
部屋に残されていた侍女は青年に深々と頭を下げて、この状況に対しての謝罪を行う。
「よく……わからないけど……大丈夫です?」
放心状態の青年から辛うじて捻り出た言葉は、自身の呆けた顔そっくりの生返事だった。彼は開け放たれた状態の部屋の扉を無意識に見詰めていた。
「ルミエルお嬢様のご意向ですので、本日はこちらの寝室を自由にご利用くださいませ。ご入用の際は何なりとお申し付けください」
「えっ? はい、ありがとうございます……」
「――ルミエルお嬢様の母君であらせられるユスティア様は病に伏せておられるのです」
部外者に詳細な内情を話せない故なのか、侍女は独り言のような呟きで必要最小限の説明を漏らした。常に礼儀を示す姿勢から置き添える彼女の手は、自らの給仕服を強く握りしめるように震えていた。
話の追及を避けるためなのか、主人の下へ駆け付けるためなのか、侍女は足早に退室を始めた。
失礼します、と最後に侍女は挨拶を交えたお辞儀をする。部屋の扉は閉められて、青年だけがこの場に残る形となった。
「いったい何が起きてるんだ? 伝説の魔法使いってのもよくわからないし。僕と同じ名前のフリードって偶然なのか?」
伝説の魔法使いと同じ名を持つ青年――フリードは思惟を繰り返して頭上にひたすら疑問符を浮かべた。
「ぐぬぬ、こんな時まで気にせずに眠るなんてこともできないよな」
苦虫を噛み潰したような顔で、彼は小さな円を描くようにその場を延々と回り続けて独り言を呟く。
「はあ、ちょっと外の空気でも吸ってリセットするか。――さすがに、勝手に屋敷を歩き回って外に出たらダメだよな? うーん、誰かに聞いてみるか」
部屋の扉を開けて、覗き見るように頭だけ廊下に出す。
「あのー、誰かいらっしゃいます?」
顔だけ出した状態から、フリードは廊下の先から先に通常の声量で届き得る範囲へ呼び掛けた。
招待を受けてから豪邸の部屋に案内されるまで、行く先々で見掛けたはずの使用人達は今や影すら見掛けなかった。密度と静寂さが相俟って、空間をさらに拡大させられるような錯覚が引き起こされたように思えた。
「しょうがないか、なんか大変そうだったし。まあ、少し歩けば誰かに会えるよな」
誰ひとり確認できず静まり返る廊下の状況は、先の急変した事態が引き起こしたの現象だとフリードは納得する。廊下を歩き回ることによって、誰かと遭遇すること想定して、彼は動き回ることにした。
「にしても、母親が病気なのか。切羽詰まった感じで伝説の魔法使いってのを探してるみたいだけど、何か関係してるのかな?」
頭の中を整理したいが為か延々と独り言を呟き、廊下を歩き続ける。
「――んっ?」
ふと何かに気が付き囚われたように、廊下の道中にてフリードは足を止めた。彼の視線の先には、凛々しい立姿を描かれた女性の肖像画が壁に掛かっている。
肖像画の女性は、色褪せた銀の髪と白を薄汚して濁らした色の瞳の容姿だった。左目回りには軽い火傷のような傷痕を広がらせる。
お世辞にも見目麗しいとは言えない姿形と思えるが、肖像画の彼女は不思議と気高き美しさを感じさせてとても魅力的な人物だと感じざるを得ないほどだった。
「あれ、この肖像画の女性なんか見覚えあるようなないような?」
フリードは目を細めて肖像画の女性を注視する。過度な集中で体ごと頭を傾げる勢いだった。
「フォルトゥナ王国、初代女王フリム・セイク・レム・フォルトゥナ様の肖像画でございます」
「うわっ!?――」
音もなく背後から聞こえてきた声に、フリードは驚きの声を上げて振り向く。そこには先の部屋から退出して、ルミエルの下へ向かったであろう侍女の一人が佇んでいた。
「ご入用の際は、お呼びいただければとお伝えしたと思いましたが。どうされましたか、お客様」
「ああ、その誰か呼ぼうと思ったのだけど近くに誰もいなくって……」
「左様でございましたか。お部屋には呼び鈴の魔導具がございます。本来そちらをご使用していただければ、マナの伝播にて我々使用人共への通知が届きますのでご利用ください。ご承知賜りますようお願い申し上げます」
事細かい説明に、フリードは圧倒されたようだった。バツの悪そうな表情で顔を掻き、彼は侍女から目線を逸らした。
「――その、さっきのは大丈夫だったんですか?」
呼び鈴の存在に対して頭が回らず自分の無知に気恥ずかしさを感じたのか、フリードは思わず口走る。あれほどの大事で侍女としての関係者の立場からは、言わずもがな避けたい話題であるのだと判然できる問題だった。
「よろしければ、ご用件を承ります」
侍女は仕事だけに全うする姿勢を見せる。彼の質問に答えずの姿こそ言外の回答のように思えた。
「少し、外の空気が吸いたくなって。ちょっと屋敷から出ても大丈夫かって聞こうと思って」
フリードも何かを察したかのように新たに言葉を紡ぐ。
侍女は承諾を表すお辞儀した。ご案内します、と言って彼女は廊下を歩きだした。
「今日は月夜なのか明るいですね。きっと今見たら月は綺麗なんだろうな」
間を持たせるためのものか、フリードは歩き続けながら独り言のような呟く。事実、夜分だというのに照明器具のみでは補い切れないであろう広々な長廊下が凄く明るく感じるほどのものだった。
何度かの彼がする雑談のような呟きに侍女は相槌を入れつつ、二人は歩みを進めて行く。そして道行く廊下の先々から、徐々に人々が忙しなく動き回るような喧騒が聴こえだす。
「――なんだ?」
眼前の光景に、フリードは思わず訝しむ。
廊下の通路先にある部屋の前で二名の騎士は守護するように佇み、その部屋には多くの使用人達が出這入りを繰り返していた。
さらに目を引いたのは扉が開け放たれたままの部屋からは、月光のような輝きが強く放出されていた。この大きな豪邸の隅々まで光を行き届けさせてしまうかの力強い光だった。
「えっ、あれって――」
その部屋の前を通過した時、フリードは室内の寝台に横たわる女性を見た。不可思議なことに、月光に似た力強い光の輝きは女性からは放たれていたのだった。
その女性の手を祈るように握りしめて寝台に寄り添うルミエルの姿も見受けられる。彼女からは今も尚、悲嘆に暮れた様子で痛々しい姿で嗚咽を繰り返していた。
「――聖光です」
件の部屋を通り過ぎてから、しばらくの沈黙を続けていた侍女が語り出す。
「王家解体そして退位後に、フリム様はフォルトゥナ家初代当主になられました。今も尚、フォルトゥナ家一族は聖君の証たる聖光を受け継いでおられます」
「いや、あの――」
「正確にはユスティア様を蝕んでいるのは病ではなく、聖光の代償ともいえる後遺症によるものなのです」
物言いたげなフリードを傍目に、侍女は淡々と語りを続けた。
「聖光は、あらゆる生命に癒しと育みを与えて、月光の名の下に浄化の光で万物の根源たる力を増幅させる神の御業でした。未だに解明されることはなく魔法、魔導、聖魔とは違った枠組みに位置する異質な力でした」
「なにそれ、えっ――」
「フォルトゥナ家歴代の当主様方は、過去の歴史で自らの血族たる王家が長きに亘って民を虐げていた事実に自責の念を抱き続けておりました。贖罪のように聖光を使い続けて、国や国民へ分け与えているかのように感じるほどのものです」
侍女の口から出る説明の内容からして、悪政を敷いた王家の一族が何故に今も尚にして王家に準ずる待遇をされていたのか理解出来るようなものであった。
初代女王フリムを筆頭に聖光の力を使い、国に安寧を齎した功績が大きな一因なのだと推測が出来る。
「ただ、その聖光を使い続けることが命を蝕む結果を生み出してしまったのです。当人様にしても、聖光は決して悪影響を及ぼすことはないものです。しかし、聖光に依る力の増幅は聖光自体にも影響する為に人の身体ではいつしか耐えられないほどの力の奔流を引き起こすのです」
「んんんん???」
フリードはあの光を放つ女性を見て以来、落ち着かない様子を続けていた。
「長々と失礼を致しました。部屋へお戻りの際にもご案内が必要でしたら、再度お気軽に我々をお呼び下さいませ」
気が付けば玄関ホールまで辿り着き、侍女は玄関の扉を開けてフリードが通れるように待機していた。彼が玄関を潜り抜けた後、物静かに扉は閉まった。
「ふう、何がなんだかわからないことだらけだ」
豪邸の玄関先の踊り場で佇み、フリードは当初の目的だった気持ちの整理を始めた。
「あの聖光っていうの、どう見ても波長の系統が僕の作った魔法なんだよなあ……」
フリードは淡々と呟き続ける。
「しかも、松明代わりには使ってた覚えはあるけど、体を光らせるためだけのギャグみたいな魔法だったんだけどな……? わからん、もう寝よ」
気持ちの整理どころか尚更に混乱を来したフリードは、オーバーヒートした思考を停止させて眠ることを選択した。
何度か外の空気を深呼吸した彼は、そそくさと豪邸の寝室へ戻って行った。
◇
薄暗い森の中に幼い少女の姿が映し出された。遠い記憶が映像のように甦る。
――私に名前なんてないよ。
身なりはボロボロで、服装はもはや布切れと相違ないほどの状態だった。少女の顔の左目のまわりは酷い火傷があって痛々しい姿だった。
――イジメられてるの。
この時代、混迷を極めたといっても過言ではない情勢の中この様な身なりで惨事に見舞われる幼子は珍しくもなかった。
――オジサンは何してるの? えっ、フリード?
放浪の途中で、森の中に建てた仮住まいの掘っ立て小屋でしばらく生活をしてい時に出逢った幼い少女。
――自由にしてる? 意味わかんない。
その頃に数ヶ月も同じ場所に留まることは珍しかった。幼女と遊ぶ日々が楽して自分はロリコンなのかもしれないと恐怖していたのが原因かもしれない。
――私、暗いの嫌い。え? アハハ、光ってる! フリード、面白い! 私もやる!
幼女が暗闇を恐れているから僕はとりあえず光ってみたこともあった。光る幼女も見てみたかったから、幼女にも光り方を教えた。
――カクレンボウ?知らない。遊ぶってよくわからないもん。
きっと生き残るだけでも精一杯なのだろう。壮絶な生き方をしてきたのだろう。
――フリード、どこだろう?今日もカクレンボウで遊びたかったな。
少しだけ後ろ髪を引かれるように、僕は最後に幼女を見てから放浪の旅路へ戻った。
◇
「そうか、キミだったのか。フリム・セイク・レム・フォルトゥナ」
微睡む双眸を開き、視線の先にあった天蓋を見詰めてながら寝台に横たわるフリードは呟く。
外はまだ夜明けの前の早朝で、暗闇の方に軍配があがる頃だった。彼は急ぎベッドから抜け出して部屋を出た。