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記憶の王家と家出した王子  作者: 竹永上葉
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#4 奇妙な街

 街に辿り着くまでに三つの奇妙な出来事に遭遇した。

 一つ目は森。

 ゲートを潜った先は平地になっており、街が栄えていると聞かされていたが、そこは異様な森だった。木はあって一、二本。他はすべて野菜を巨大化したような植物で覆われており、植物園の中に放り込まれたようだった。

 二つ目は蔓。

 方角もわからず彷徨っていると植物から蔓が伸びて襲い掛かってきた。しなやかな見た目に反して衝撃は丸太をぶつけられたものと同じ。背骨を伝って衝撃は全身に伝播し、エルシアは体を回転させながら人形みたいに飛ばされた。渦を巻いた植物の茎に体を打ち付け、顔面で土を削る。額から滴る血液を噛みしめ、エルシアは何とか立ち上がった。その視線の先にチューリップが咲いている。

 これが三つ目。

 巨大な葉が空を覆う薄暗い森の中で、そこだけ不自然に太陽光が当たっていた。光の先へ背伸びをしているように咲く一輪のチューリップが、突如体を半回転させた。

 チューリップの花びらには真ん丸に見開いた二つの目があった。

「うわっ」

 エルシアは思わず声を上げて尻もちをついた。

 全長二十センチメートルのそれは跳ねるように土から飛び出すと、二枚の尖った葉を四肢のように動かして迫って来る。

 地べたに腰をついたエルシアはもがくように後ろに下がり、先ほどぶつかった茎に背中を寄せた。反射的に口から聖霊を取り出しチューリップに近づける。指先にはじりじりと熱を灯す光の粒が灯り、それを見たチューリップは驚いたように目を丸くし立ち止まった。警戒の色を強くするも、しかしすぐに足を進めて距離を詰める。

「と、止まらないと焼きますよ」

 脅しにしては心もとない引け腰に、チューリップは動じることなく目を細めると、葉の先で茎を掻いた。

「お前、この世界の人間じゃないな」

 両目の中心からやや下にある小さな口が早口でしゃべった。

「え?」

 エルシアは正体を当てられたことよりもその声の低さに驚いた。口を半開きにしたまま固まって、それを見上げるチューリップは表情一つ変わらない。

「異世界人に用はない。邪魔しに来たんじゃないなら帰ってくれ」

「……ですが街の方向がわからなくて」

「街へ行くのか? なんで?」

「なんでって……そう命令を……」

「……あっちだ。真っ直ぐ行けばつく。邪魔だけはするなよ」

 釘を刺すみたいに眼光を鋭くするチューリップにエルシアは息を呑んだ。

「あっち……ですね。ありがとうございま……す」

 道なき道を示されたエルシアは困ったような返事をした。真っ直ぐ行けと言われても密集して生える巨大な野菜のせいで先の景色は茎ばかり。蛇行しなければ通れないであろう状況に、改めて道のりを聞こうとチューリップに目を落とす。しかし振り向いた先にチューリップはいなかった。あたりを見渡しても姿はなく、森は一段と薄暗くなり、森はすっかり静寂に包まれていた。

「なんだったんだ」

 チューリップの言葉を信用するわけでないが、エルシアは示された道を行くしか選択肢はなかった。軍服の内ポケットにある包帯で頭を巻きながら、歩みを進めて街へ向かった。


 真上にあった太陽は西へ傾き、空全体が紅色に染まる頃。街の酒場では二人の男、ヒカゲとギンが仲間の到着を待っていた。柱で隠れた窓際の席に、水一杯でかれこれ六時間は粘っている。途中、交代で散歩に出てみたが二人ともすぐに帰ってきて、ほとんどの時間を座って過ごしていた。

「なあ、王子探し、続けてもよかったんじゃねえか? 誰も来ねえじゃねえかよ。掲示板に伝言残しておけばいいだろ」

 背もたれに体をどっぷりと預け、ヒカゲは天井を仰ぎながら疲れ切った声を出した。

「掲示板はもう埋まってるだろ。そこの植物退治で」

 メニュー表を立ててぼーっと眺めていたギンは不愛想に答えた。冷たい反応に目線だけを下げてギンを見るヒカゲは気だるそうに体を起こす。メニューの背表紙にヒカゲは半眼を落とし、

「そんなの見たって意味ねえだろ。どうせ買えねえんだから」

 嫌味を込めて言った。

「見るぐらいいいだろ。それにお前と違って俺は買える」

「は?」

 ヒカゲは間抜けな声を発した。表情も間抜けになっており、鳩が豆鉄砲を食らったみたいに目を丸くしている。

「なんで?」

「お前と違って働いているからな。自分で稼いだんだ」

 メニュー表に目を落としたまま眼鏡の鼻当て部分を中指で押し込む所作に、ヒカゲはイライラが沸き上がってきた。何澄ました顔をしているのだと、人差し指でテーブルを叩きながら、音を立てて自分の前髪を吹き上げた。

「なあなあ、植物を何とかするのが先だろ? なんで悠長に働いてんだよ。王子探しは他人に任せて自分は高みの見物ってか?」

「互いのやり方で探そう言いだしたのはお前だろ? 二人で植物は倒せない。突破もできない。ならば今は体力を温存し、情報収集に努める方が先決だと判断したまでだ」

「何が情報収集だ。なら王子の情報は見つかったのか? もしくは植物の倒し方は見つかったか? 何も見つかってねえだろ」

「どうせお前は聞かないだろうが話してやる。植物を焼き払ったって翌朝には何事もなかったように生え変わっているし、ただ走り回っても王子と鉢合うわけじゃない。そろそろ自分のやっていることの無意味さに気づいたらどうなんだ? すいませーん。これ一つください」

 ギンは言い終えるとすぐに店員を呼んだ。不愛想な店員がやって来るとギンはメニュー表を指差して注文する。腹を鳴らしながらその様子を眺めるヒカゲは不貞腐れたように窓を見た。泥で汚れているガラス越しに灰色の街を眺めてみる。街を歩いている人は一人だけ。白を基調とした軍服を身にまとっており、丁寧に切り揃えられたお坊ちゃまヘアーの少年が不慣れそうに歩いていた。しばし眺めていたヒカゲはそれが本国から来た人間だとわかると目を丸くしてギンを呼んだ。

「ギン。ギン! あれを見てくれ。早く!」

「大声を出さないでくれ。目立つ」

「いいから来いって。仲間が来た」

 それを聞いたギンはメニュー表を手放して身を乗り出し、外を歩く人に視線を合わせた。

「あれ、仲間だよな」

「無事に着いたようだな。迎えに行ってくる。お前はここで待ってるんだ」

 ギンは急いで席を離れ、酒場の入口へそそくさと歩いて行った。


 何とか街へ到着したエルシアは真っ先に酒場へ向かった。街の静けさに反して酒場は騒がしく賑やかで、泥と汚れと汗で男臭い。

 苦手だ。

 そんな感情を抱きながら掲示板を探して彷徨っていると、背後から唐突に声をかけられた。

「君が新人か。俺はギンだ。よろしく」

 振り向くと、小綺麗な身なりの男が優しそうな笑みを見せていた。地味な服装だが、均等に切り揃えられているきめ細かい繊維の様な前髪や透明な眼鏡のレンズは手入れが行き届いているのか、汚れとは無縁の印象を受ける。しかしいきなり新人呼ばわりする男にエルシアは不信感を抱き、警戒心を露わにした。

「あの、どちら様ですか?」

 身構えるエルシアにギンは鼻で笑ってエルシアの肩に手を当てる。周りを一瞥してからそのまま顔を耳元に近づけると、

「君と同じ世界の人間だ。君の名前は?」

 そう言われ、エルシアは周りを見渡した。ギンとエルシアのやり取りに関心を向けるものは誰もいない。

「……エルシアです」

「エルシアか。頭の傷は大丈夫なのか?」

「はい。対した怪我ではありませんので」

「では改めてよろしく。仲間がそこに座ってる。話はそこでしよう」

 ギンは首で酒場の奥を指した。ちょうど柱で隠れている席から、仲間らしき男が肘をついて顔を覗かせていた。

 エルシアはやや緊張気味にギンの案内に従った。

「エルシアです。よろしくお願いします」

 席の前に立ち、エルシアは腰をまげて挨拶をした。隣に立っていたギンは慌ててエルシアの体を起こし、それを傍目にヒカゲは呆れたように肩を上げた。

「そんなかしこまらなくていい。逆に目立ってしまう。……服装も後で変えないとだな」

「平気だよ。服装何て誰も気にしてない。それより仲間の居場所を聞く方が先だ」

 不愛想にヒカゲが言った。

 ギンは何か言いたそうにヒカゲを一瞥してからエルシアの両肩を掴んだ。ヒカゲに背を向けるよう体の向きが自分に対して正面になるようにエルシアを回してから、

「仲間の人数を教えてくれ。居場所が知りたい。迎えに行かないといけないからな」

 少し前のめりな問いかけに、エルシアは「えーっと……」と声を漏らす。誰に対して答えればいいのか。エルシアは困ったようにヒカゲを見た。彼はこちらとは目を合わせずに外を見ている。向き直るとギンは瞳を真っ直ぐ向けてきた。

「私含めて十六人いましたが、皆さんがどこへ行ったかはわかりません。ゲートに入ったら森の中で一人したから」

「おいおいおい、ちょっと待ってくれよ。それじゃあ増援は……君一人か? 手ぶらじゃないか。食料はないのか」

「一応簡易なものでしたら……。後はこの世界の通貨に換金できる宝石類しか」

「残念ながらエルシア。この街ではその宝石に価値はない」

「……あの、本国から支給されたものなんですけど。嘘ですよね?」

「本当だ。君も見ただろ? 街を囲う植物を。あの植物のせいで今街の外には出られない。交易路も遮断され、物資が何も届かない状態だ。あと数日は持つだろうが、食糧不足、人手不足が解消する見込みはない。外からの増援も今のところ期待できない」

「……えっと」

 思いもしない状況にエルシアは言葉に詰まった。眉を潜ませたまま考え込むように顎を引く。ヒカゲもギンもやけに冷静で、依然として互いに顔を合わせようとしない。

「つまり、王子探しの方は」

 そう問うたものの、答えなど聞く前からわかっている。こんな状況で進展などあるはずがなく、答えはやはり否だった。静かに首を横に振るギンを見て、それが事実だと確定するとエルシアは肩を落として身を引いた。

「そうですか」

 静かに答え、しばらくの間気まずい沈黙が流れた。ギンはため息をついて席に着き、目を瞑って背もたれに寄りかかる。ヒカゲはそれを一瞥してから鼻を鳴してエルシアを見た。

「それで? お前はどうするんだ?」

「どうする……といいますと?」

「どうやって王子を探すんか聞いてるんだよ」

「俺と一緒に行動してもらうつもりだ」

「おいギン。勝手に決めんじゃねえよ」

「お前こそ勝手に仕切るのをやめたらどうだ。人数が増えたんだ。こっからは協力体制で行きたい」

「断る」

「おい!」

 即答するヒカゲにギンの口調が荒くなる。周りの迷惑を気にする冷静さはあるのか、声量は理性で抑えていた。

「いい加減にしたらどうなんだ。仮にも新人の前だぞ? なぜ文句しか言わない」

「はっ。いちいち自分のやり方に持っていこうとするところが気に入らないんだよ。まるで団長みたいだな」

 空気が一瞬にして引き締まった。ギンは口を開くことなく冷たい目をヒカゲに向けた。対してヒカゲは背もたれに体を預けたまま、余裕綽々と蔑むような視線を向けている。沈黙が走り、先にギンが口を開いた。

「あんな奴と一緒にするな! 客観的に見てそのやり方では非効率的だと言っているんだ。俺のやり方を押し付けているわけじゃない」

 静かな怒りを前にヒカゲは鼻を鳴らした。火花を散らす勢いで両者睨み合い、今にも殴りかかりそうにヒカゲは体を起こした。

「ちょっと待ってください!」

 一触即発の空気感にエルシアは動かずにはいられなかった。二人の間に割って入るように机に手を付き、喧嘩の仲裁を買って出る。

「協力して王子様を探すのではないんですか?」

「エルシアとか言ったか? 部外者は引っ込んでてくれ」

「部外者ではありません。当事者です。私とて任務を受けてここに来たのです。私だって本国で伝えられたことが何一つ当てはまってないこの状況に混乱しているのです。喧嘩などしている場合ではないでしょう」

 ヒカゲは舌打ちをして前のめりになった体を背もたれに預けた。気だるそうに鼻息を吐き、

「そんなことわかってるよ」

 ため息交じりに呟いた。

「エルシアの言うとおりだな。見苦しいところを見せてすまなかった。……場所を移そう。ここじゃ調子が狂う」

 一泊おいてギンは移動を提案した。この意見にはヒカゲも賛成なのか、突っかかったりはせず無言を貫いている。

「ヒカゲ。侵攻は今日だったか?」

「今夜だよ。見せるのか」

「見てもらう方が早い。エルシア、まずは現状説明だ。俺たちの隠れ家に案内する」

 席を立ったギンにエルシアはついていく。ヒカゲはその後ろを距離取って歩いてくる。一時、重苦しい空気感から解放され、外に出るなり思いっきり息を吸ってみたが空気はあまりおいしくはなかった。


 街は停滞した雰囲気に呑まれていた。明かりはあるが、歩いている人はほとんどいない。酒場は少し賑やかだった分、その静けさは顕著に感じられた。道路脇にはゴミが落ち、そこをドブネズミが走っている。霧がかかった景色の中、暗くなり始めた藍色の空の下で鋳鉄の黒い街灯に火を灯す点灯夫とすれ違った。彼は一瞬、こちらに訝しげな目を向けてきたが、すぐに興味をなくして別の街灯に移っていった。道路脇で眠る浮浪者にもそのような目を向けられる。心なしか敵意を向けられているように感じたエルシアは先を行くギンとの距離を小走りで詰めた。

 山なりに発展しているこの街は中心部に近づくほど標高が高くなる。コンクリートで舗装された高台の空き地に連れてこられたエルシアは、錆びだらけの柵に近づいて街を見下ろした。

 暖色の明かりが星のようにちらちらと輝いていた。

 地上に空を写し見ている気分だった。

 こんな光景は初めてだったが、奥に目をやると境界線を引いたみたいに漆黒の空間が広がっている。光の灯っていないそこは不可解な植物の群生地。自分の居た世界とは似つかない光景にずっと抱いていた疑問をぶつけずにはいられない。

「ここはどんな世界なんですか?」

「さあな。ただ気味の悪い世界さ。この世界の人間が使う武器も、家も、乗り物も、見慣れないものばかりで理解が追い付かない」

「第四軍団の皆さんは……」

「はぐれたよ。何を急いでんだが、団長が先行して進んでいくうちに脱落するものが現れた。俺の隊はその人たちの合流を待ってから行こうと野営をしたが、そこで地面が動いたんだ。波のように動いて、平だったところが盛り上がり、山ができた。霧も立ち込めたせいで仲間ともはぐれた。ヒカゲとは合流できたが彷徨っているうちに植物に囲まれた街に来てしまったんだ」

「出ようとはしないんですか?」

「植物は街の住人を攻撃している。そもそも侵食範囲が広すぎる。あれを見てみろ。不自然に明かりの灯ってない区画があるだろ。あれ全部あの植物の森なんだ。突破できるとは思えない」

「そのことなんですが」

 エルシアはギンに喋るチューリップのことを話した。もしかしたら異世界人は見逃してくれるかもしれないと。ギンは驚いた顔をして、エルシアの肩を掴んだ。

「それは本当か」

「はい。森の中に行けば会えるかと」

「なるほど」

 しばし考えるギンを見て、エルシアは明るい反応を期待した。喧嘩の原因が植物にあるのなら、この事実は問題を解決に導いてくれる。その表情が明るいものに変わる瞬間を今か今かと待っていたが、ギンもヒカゲも依然として重い表情を貫いている。難しそうに腕を組んだまま、ギンはヒカゲを一瞥する。

「うまくいくといいんだがな」

 むしろ悪化させてしまったのか、ギンは嫌悪感を露わに呟いた。

 ヒカゲは終始会話に入ってくることはなかった。ギンの視線に気づいても、背を向けて街の様子を伺うばかり。

「そろそろだな」

 ギンが呟き、エルシアは聞き返そうとした。何がそろそろなのか。しかしギンは真っ直ぐ街を見ており質問しても答えが帰ってくるようには見えなかった。街をじっと見降ろしている姿に、見ればわかると言っているようだった。ギンの視線をなぞるようにエルシアも街を見下ろした。全員が街と植物の境目に注目した次の瞬間、唸るような声が地面から轟いた。明かりの灯っているエリアから煙が上がり、黒い影が鞭のようにうねっている。破裂音や爆発音が連続して響き、炎が飛び交い戦闘が行われている様子が遠目からでもわかった。

「よく見ておくんだエルシア。王子を探すまで俺達はこの世界に留まり続ける。得体の知れないものがこの世界にはごろごろいる。君はあれが異世界から来た植物だと言ったな? だとしたら相当危険な状況だ。話し合いは君に任せたい。面識がある人の方がいいだろう。ここから脱出するためにも明日朝一であの植物を突破する。ヒカゲ! 話は聞いたな。準備するぞ」

「指図するな。わかってるから」

 ヒカゲは文句を垂れながら、ポケットに手を入れてこの場を去っていった。その後ろ姿を見えなくなるまで見つめてから、ギンはエルシアに向き直る。

「隠れ家はこの山にある。看板があるからわかるだろう。登山道を真っ直ぐ進んで洞穴が見えたらそこが隠れ家だ。まあ、聖霊がわかるだろうさ。君も準備があるなら今日中に済ましてくれ。早く寝ろよ。俺は寝る」

「わかりました」

 あくびをするギンにエルシアはぼんやりとした返事をして、植物に襲われている街を麓から山なりに全体を見渡した。一般的な街並みだが、川を挟んで反対側にある山の頂上には楕円体の巨大な建造物が存在感を示している。他の建物とは異なるそれは、霧がかった大気にオレンジ色の光を滲ませていた。

 何気なく街全体を眺めていたエルシアだったが、高台から見てふと気づくことがあった。

 川の手前は抵抗が激しいが、向こう側は静かだった。植物は順調に勢力を広げており、特に楕円体の建物に向かって伸びているように見えた。

「あのチューリップの目的は何でしょうか」

 聖霊に訊ねるつもりで独り言ち、何か反応がないかしばらく待った。聖霊は体の中で沈黙を貫き、眠ったみたいに表へ出てこない。いつも出たがっている聖霊にしては珍しいが、その時は気にも留めずに帰路に就いた。


 静まり返った森の中で、チューリップは思うように侵攻できていないことに苛立っていた。

「何が起きてる。予定の五十パーセントしか進んでないじゃないか。そんなに激しい抵抗でもないだろ。アンチューサはいるか? ……アンチューサ!」

 蔦に乗っていたチューリップがアンチューサと叫ぶと、地面から青い花の植物が飛び出した。紫色の茎を伸ばし、五枚の花弁を回転させながらチューリップに近づいた。チューリップはそれに飛び乗ると、

「上にあげてくれ、街が見たい」

 アンチューサは木々よりも高く背を伸ばし、チューリップは街の様子を見渡した。住宅地の侵攻は遅れており、山の上にある工場は未だ煙を吐いて稼働している。

「禍々しい人工物だ。あれがあるから居心地が悪くなる」

 呟いて、チューリップは楕円体の建物に目を向ける。本来であればすでに楕円体の建物を取り囲み、この瞬間にこの領域全体を植物で覆いつくすつもりだった。それが今日、建物にすら到達できていない。

「赤い石のせいか……。下ろしてくれアンチューサ。一度ザーグを呼び戻せ。赤い石を探させる」

「そんなことをしなくてもここにいるぜ?」

 背後から声がした。振り向くと身長三メートルの巨体を持つ褐色肌の男が腕を組みながら、褌一枚で仁王立ちしている。巨体に見合った巨大な鉈を背負い、チューリップを見下ろした。

「おい、仕事はどうした。進みが悪いんだが」

「まあそう慌てるなんて。そんなポンポン見つかるほど簡単じゃねえんだ。それに俺は探し物をしたいんじゃない。戦いたいんだ。退屈なんだよ前の世界もこの世界も」

「はっ。言われたこともできないんじゃ。その強さも大したことないんだな」

「はっはっは。チューリップ。俺はもう赤い石を三つも取り込んでる。やろうとすればあんたみたいなただ花、握り潰してぐちゃぐちゃにできるんだぜ? なあ、もっと丁寧に頼んでくれよ」

 チューリップは半眼のままため息をついた。間をおいて、

「わあったよ。頼めばいいんだろ」

 半ば諦めたように頭を下げた。

「お願いします。赤い石を取ってきてください」

「ぶあっはっは。こりゃ言い眺めだ。いいだろう。すぐに持ってきてやる。どのみち石は俺も欲しいからよ」

 大手を振るって歩くザーグを睨みつけ、吐き捨てるように鼻を鳴らした。

「調子に乗りやがって」

 かぶりを振り、チューリップは地面に潜った。

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