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記憶の王家と家出した王子  作者: 竹永上葉
1/6

#1 二人の堕ちた日常

 ――王子が家出をしてから一週間が経過した。その行方は未だ見つけられていない。


 この事実を知る者はごくわずかだった。位の高い一部のものだけに伝えられ、かつての学友であったとしても、侯爵の爵位を剥奪されたエルシアには伝えられていなかった。森の中にひっそりと立つ屋敷の中で、老人の怪しげな研究の手伝いをしている。

「それじゃあ行くぞ?」

 重々しく訊ねるのは元王国研究員のマルタ男爵。小柄な体躯をさらに縮こませ、エルシアとともにテーブルをバリケード代わりに隠れている。その眼前に構える円形のゲートこそがマルタ男爵の研究成果。屋敷一階の応接室、三部屋をぶち抜いた広々とした空間が窮屈に感じる程に、パイプが捻じれたような見た目のそれは存在感を放っている。

 エルシアはマルタ男爵を一瞥してからゲートを向いた。

 一世一代の覚悟が見える厳格な顔つきに対して、エルシアの表情は目が据わるほどに冷めている。この老人がどれほど失敗を重ね、どれほど部屋を破壊したか。挙句、その修理をやらされる少し先の未来を考えると、研究の成果など期待できるはずもなく落胆する。

「あの……、いつも言ってますけど、やるなら早くやってください。爆発からは守りますので」

 やや早口に、人差し指を口元に持っていくと、ろうそくの炎を消すように、ふっ、と息を吹きかけた。途端、光の粒が転がるように口から飛び出し指先に停まる。その見た目はガラス玉の表面を荒くしたようなもので、生き物みたいに収縮と膨張を繰り返している。

「ああ、相変わらず美しいな。お前さんの聖霊は」

「……変な装置の動力源にはさせませんよ?」

 自身の聖霊に充てられた好奇心にエルシアは慌てて指を覆う。

「ダメなの?」

「ダメですよ! あなたこそ、もっと自分の聖霊をもっと労わってください。毎度毎度、実験装置の稼働にこき使ってたらいつか寝首を搔かれますよ」

 エルシアの脅すような言い方に、マルタは口をヘの字に曲げる。

「心配いらん。ちゃんと労わっとるわい」

 吐き捨てるように言って、エルシアと同じように人差し指に息を吹きかけた。指先に灯るマルタの聖霊はエルシアのものより一回り小さいものの、手元を照らす金色の光は同じように輝いている。それを見てマルタはエルシアの肩をつついた。

「ほれ見ろ。こんなにも元気じゃ」

「……まあ」

 マルタの言う通り、聖霊は機嫌を損ねているようには見えなかった。不服そうに呟き、この話を終わらせようと前を向く。

「とにかく始めましょう。後始末は日中にやりたいので」

「そうじゃな。聖霊よ。起動だ」

 マルタは装置に向けて指を振る。腰の高さ程のテーブルに乗ったフラスコやらビーカーやらを淡く照らしながら、聖霊は示された場所へ飛んでいった。装置にたどり着いた聖霊はそれをまじまじと見つめるように立ち止まった後、備え付けられているガラスケースの中に入った。もう何度も同じことをしているためか、聖霊に指示を出さずとも自ら発光を強めて装置に動力を送り始めた。ゲートは小刻みに振動し、歯車が重低音を奏でて回り出す。ゲート全体が青白く光り、ぽっかり空いた円の中央に靄がかかる。

「さすがわしの聖霊。いい感じじゃ。この状態のまま稼働を続けるのじゃ!」


 囁くように言ったのち、マルタは興奮気味に聖霊に指示を飛ばした。

 しかし、マルタの思惑とは裏腹に歯車は回転を加速させた。ゲートはガタガタと音を立てて揺れ始め、内側に押し込めたものが飛び出すみたいに白色の光が溢れ出ている。

「聖霊よ。どうした。維持だ」

 聖霊は自らの光をやや弱めた。それでも装置の暴走は止まらない。部屋全体を白く染め、耳鳴りのような音が鳴った刹那――。

 ああ、また失敗か。

 落胆に頭を抱えるマルタの傍らで、冷ややかにそう思い、エルシアは腕を伸ばした。

「聖霊よ。仕事です。よろしくお願いします」

 途端、聖霊の前にはちみつ色の半透明の膜が傘を開くみたいに現れた。

 装置は爆発し、耳を劈く爆音と爆風が顔を殴って後ろに抜けていく。テーブルには鉄の破片が刺さり、ガラス瓶は壁や床に叩きつけられて粉々になった。マルタやエルシアに当たりに行く破片は膜に弾かれ、威力はそのまま、軌道を変えて壁を破る。マルタは机の中で頭を抱えてうずくまっていた。

 爆発が収まり顔を上げると、それは見事な解放感だった。壁一面が崩れ去っており、朝日が廃墟のような部屋を明るく照らす。

「失敗ですね」

「失敗じゃ。だが、完全な失敗じゃない。前回より三秒長く稼働した。つまり、ゲートの先の未知の何かと接続できている状態ということじゃ」

「それじゃあ私は片づけに入りますので。捨てられたくないものは早めに拾ってください」

「なんじゃい。前回よりも三秒長く持ちこたえられたんじゃ! もっとこう、他に感想はないのか?」

 内なる思いを溢れさせるように体いっぱいに表現する。純粋な碧眼をぱちくりと瞬かせるマルタを尻目に、エルシアは瓦礫を拾いながらあしらうように答えた。

「たった三秒じゃないですか。失敗は失敗ですよ」

「三秒でも長く動いたということは、それだけどこか別の場所にゲートを繋いでいられたということじゃ。大体、なんじゃ? なぜ老体のわしがこんなに活力で溢れているのに、若いお前さんはそんなにも冷め切っておるのじゃ。エルシアよ、お前さんにはやりたいことはないのか?」

「ありますよ。このまま静かに、森の中でひっそりと暮すことです」

 つまらない答えが返ってきた。マルタの方を見向きもせず、瓦礫を部屋の外に投げている。マルタは思わず呆れたようにかぶりを振った。

「何がひっそりと暮らすじゃ」

 呟きつつ、マルタはひっくり返ったソファを「よいしょっ」と声を出して元に戻し、鼻を鳴らして腰を下ろした。

「わしが聞きたいのはそんなことじゃない。言いかえるなら夢じゃ。活力が溢れ出るような大きな夢! 人生を楽しく生きるそれを持っているのかと聞いている」

 投げかけるようにマルタは手を前に出して答えを待ちわびる。そのしわだらけの手をエルシアはしばし見やり、マルタの目を見た。相変わらずその瞳は幼子のような純朴な輝きを秘めている。鏡で見る自分の瞳と比べると、確かに彼の方が若々しい。

「やめてください。楽しく生きようなんて思っていません」

 振り払うように、エルシアはかぶりを振って目を逸らした。荒く砕けた瓦礫の表面が掌に浅く食い込み、腕に力が入っていることに気づく。なぜ自分の言葉に強張るのか。認めたくないと腕の力を不意に緩め、瓦礫は音を立てて足元に落ちた。

「大丈夫か?」

 背もたれに寄りかかっていたマルタは思わず身を乗り出して訊ねるも、エルシアは目を合わせようとせずに、「平気です」と、短く答えた。

「街へ行ってきます。外壁修理の依頼をしないと」

「急にどうした。いつもは午後に行ってるじゃないか」

「今日は午前中の気分なんです。片づけは聖霊がやりますので。それじゃ」

 驚くマルタを置いてきぼりに、エルシアは逃げるように屋敷を後にした。

「聖霊さんよ。片づけは後いいから。ついていってやってくれないか」

 マルタは立ち上がり、エルシアの背が見えなくなってから聖霊に言う。聖霊は肯定するかのように、淡い光を点滅させ、鈴のような音を鳴らした。元気よく宙に円を描いた聖霊は砂の道端に咲いている花を観賞しながら蜂のように飛んで行った。


 森を抜け、丘陵を見下ろすと小さな街、エーベルがある。麦畑と背の低い外壁に囲まれ、中央に小さな教会のあるエーベルは収穫時期になると丘一体が黄金色に包まれ美しい景色を作り出す。夕暮れ時には恋愛スポットに変貌するため街の人には人気があり、ついでに独り身の男性同士が愚痴りあう光景が酒場で見られる。


 しかしまだ、時期としては少し早い。稲はまだ青く、見慣れた日常の景色にエルシアは立ち止まらない。丘陵を下り、大工の家に行ったのだが、

「おっかしいなあ」

 二階建ての建物を上り、二〇一号室の扉をノックしても一向に出てこない。諦めて細身で猫背の大家を訪ねると大工不在の件を訊ねると、

「あ? ああ、エルシアか。あいつらはいねえよ。今日は仕事もねえって言ってたし、飲んでんじゃねえのか?」

「朝っぱらから何やってるんだか……」

「まったくだ」

 エルシアは呆れように目を細め、大家もまた腕を組んで首を横に振った。

「まあ、ここじゃあ、娯楽は酒ぐらいだからな。わからんでもねえけど」

「日中から酒に溺れるのも問題ですね……。では今度サーカス団でも手配しましょうか?」

「いいねえサーカス。最近見てねえからなあ。いやあ楽しみだ。マルタ男爵もあんたぐらい街に関心向けてくれたらいいんだけどな」

「それは本当に……、はは」

 冗談っぽく笑う大家の前で、エルシアはつられるように乾いた笑いをこぼした。事実、街どころか研究以外に関心を見せないために街で起きたトラブルのほとんどはエルシアが解決している。それを思うと冗談でも笑えない。

「今日は変わりないですかね」

「今のところは平和だよ。まだ小麦が育ち切ってないからな」

「その時期は人が来ますからね。そうだ。警備隊も再編しないと……」

「いやほんとに。あー、でも最近王国軍のやつが酒場にいたな。紫髪の変な奴。なんかあったのか?」

「いえ? 何もないはずですが」

 エルシアは顎に手を当て少し考えた。が、軍が来るような理由は特に見当たらない。

「ともかく、私は外壁修理の依頼がしたいので酒場に向かいます。軍は気にかけておきます」

「ああ、頼むよ」

 エルシアは半ば面倒くさそうに、踵を返して酒場に向かった。


 外壁に近いアパートから三軒の家を過ぎると大通りに出る。馬車が三台通れる広さの石の道は街の中心を横断するように東西に延びていた。王都へと繋がっているだけあって馬車の往来は頻繁にあり、道路わきに並ぶ露店も賑わいを見せていた。

「おはよう。エルシア」

「エルシア。最近新しい服を入荷したんだ。よかったら遊びに来てよ」

「やあエルシア。また壁の修理か?」

「はは……、ご名答です……」

 街の住人に声を掛けられながら、エルシアは大通りを西に進む。

 教会より少し離れた場所に石造二階建ての酒場があった。入店すると「いらっしゃいませー!」と女性のウエイターの元気な声が飛んでくる。空のジョッキを戻した彼女は振り向きざまエルシアを見ると、

「あれ? エルシアさん。まさかエルシアさんまで自堕落に」

 丸い盆を胸に手繰り寄せ、体を逸らしてジト目になった。

「まさか。グランツ兄弟がここにいるって聞いて来たんだ。まだいるか?」

「ええ、兄の方ならそこに」

 親指で示した方にはジョッキを片手に顔を赤くした兄、ベン・グランツが肘をついて座っていた。エルシアの表情が呆れたものに変わるさまを見届けてから、

「ごゆっくりー」

 彼女はのんびりとした口調でカウンターに戻り、エルシアはベンに近づき正面に座った。

「えるひあ? おお! えるひあか。ちょうろいい。えるひあに……その――」

「エルシアだ。いったい何杯飲んだんだ?」

「あ? ぜんれん飲んれねえよ。まだたったの5杯目よ」

 呂律の回っていないベンにエルシアはため息をついた。

「弟は一緒じゃないのか?」

「レオンは……えーっと、ろっか行った」

「どっか行ったって……。まあいいや。壁の修理を依頼しようとして来たんだが、その様子じゃ無理だな。また今度来るよ」

「待ってくれ」

 立ち上がろうとするエルシアに、ベンは身を乗り出して服を掴む。座らされたエルシアをよそにベンはすぐさま店員を呼んだ。

「すいません。水をひとつ」

「はいよ」

 水が届くや、それを一気に飲み干した。木製コップを叩きつけるようにテーブルに置くと数分前とは違う真剣な表情がエルシアに向けられる。

「んで、仕事の話か?」

「あ、ああ……。平気なのか?」

「まあ、レオンは出払ってるから街の外には行けねえが、壁の修理ぐらいなら平気さ」

「いや、そういうことじゃなくて……」

 ついさっきまでの自堕落な飲んだくれからは想像もできないはきはきとした物言いに、エルシアは動揺を隠せなかった。ベンはジョッキからも手を放しており、テーブルの上で手を組みながら前のめりに、聴く姿勢をとっている。エルシアは疑うように、その真っ直ぐな瞳とテーブルの端に寄せられたジョッキを交互に見た。

「平気……そうだな。いつ頃できそうか?」

「しばらくかかる。どうせ粉々だろ? 石屋にも話をしなきゃいけないし、材料次第だな。急ぎなら今日の午後にでも壁の様子を見に行くが」

「いや、明日でいいよ。急いでないし」

「そうかい。そんじゃ、今日は休みだ。すいませーん! ビールもう一丁!」

「ま、まだ飲むのか」

「さっきので酔いが醒めちまったからな。これしか娯楽がないんだ。俺がダメになってるのは俺のせいじゃなくて社会の……」

 ベンは言っている間にも飲み干したことを忘れて空のジョッキを仰いでいる。

「あれ? ……ない。すいませーん! ビールおかわりー!」

「はーい、ただいまー」と、元気な声が厨房から聞こえる。

 エルシアは恥ずかしくなって溜息をこぼし、ビールが運ばれると彼女に軽く頭を下げた。届いたビールにベンは嬉しそうに頬を緩ませ、ガッと掴むとそのままの勢いで一気に飲み干した。「プハーッ」と景気のよさそうな声を上げ、すぐにお替りを注文する。店員の元気な返事を聞くと、ビールが届くまでの間、ベンはこんなことを口走った。

「俺は三十四年間ここで暮らしてるけど、今の街が一番好きだよ」

「……そうか」

 顔を赤くするベンを尻目にエルシアは窓の外を見て答えた。両開きになっているアーチ型の窓からは大通りがよく見える。馬車の往来を除けば静かでのどかな街景色に、エルシアはふと昔のことを思い出していた。目の前の光景と対比させるように嫌な記憶が蘇る。


 それは屋敷の窓を眺めている時だった。学園は夏休み。十歳の誕生日を迎えて十日後の朝に、エルシアは空の様子を確認しに窓際に向かった。太陽は灰色の雲に覆われ、風も荒々しく吹き付ける。なんだか嫌な感じがしたのは空模様のせいではなかった。

 街から黒い煙が上がっていた。

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