第一章7 三人の少年少女
都市からの連絡をもらい素材を調達しに現地に向かおうとしたが、昨日は一日中雨がひっきりなしに降り注いでいたこともあり森の中へ入る日程をずらした。近くの村で宿を手配しそこで一泊。
朝方宿を出発し、現在時刻は昼近くになるだろう。
森の中は街道と違って道が狭く足場も舗装されている訳ではない。雨が降った痕跡がまだ地面に色濃く残されており、地面はまだ固まっておらず若干柔らかい。来るときに乗ってきた竜車で入るには中々厳しいと判断し、自らの足で森の中を闊歩する。
「ふーーっ…」
少し温くなってしまった水を飲み息を大きく吐く。太陽は雲に隠れて姿こそ出てはいないが、生い茂る森の中と雨が降ったばかりのじめじめとした熱気。足を動かすだけで自然と体内の水分は消失していく。
目当ての素材の数は十分。欲をかいて少し多めに採取していこうと考えていた自分に対する小さな罰かもしれないが、これならもう少し早目に宿を出てもよかったかもしれない。
当初の予定では今日の昼頃には帰宅との旨を伝えていたが、帰ったら予定よりも遅いとのことでノエルから怒られるのは目に見えているだろう。頭の向こう側で詰め寄る彼女の小さい姿が目に浮かぶ。
どう言い訳をしようかと考えながらも、視線と意識は周りへ注がれる。
人の手がついていないこんな辺鄙な森の中では十中八九魔獣の姿が確認されても変ではない。
森で縄張りを作り上げ周囲の環境下に生きる同じ生き物を自らの糧とするために日中から行動を起こす魔獣だって数多くいる。
森に入ってから約一時間近くだろうが、魔獣には運が良いことに出会っていない。痕跡らしい痕跡も一つも見当たらないところを見るに、ここらの森には縄張りを築いておらず、住み着いてはいないのだろうか。
出会わないに越したことは無いが、万が一の可能性もある。腰に据えられた剣を引き抜く準備は常にしておいた方がいいだろう。
そうやって周囲に気を配りながら森の中で素材の捜索をしていくが、望みの素材は中々お目にかかれない。依頼された分は既に手に入っているし、もう少しだけ進んだら入り口に戻ることにしよう。
長居すればそれだけで身の危険も心配される。こんな森の中、何が起こっても不思議ではない。
――そう考えていた私だが、建てられている家を目にして視線が釘付けになる。
「・・・・家……?」
そう、どこからどう見ても家だ。家など別に変なところもないし何度も見るだろう。しかしこんな森の奥深くに家が建てられているなんて不思議でしょうがなかった。
ここは生活するには人里から大分離れており、姿こそ目にしていないが魔獣が巣くっている危険だってあるだろう。こんなところで生活するのだから何か事情があるのだろうが、少なくても無理をしてこんな森の奥に家を建てる必要があるのだろうか。
駆け足気味に踏み出して傍へと向かい家の周りを観察する。人の家をじろじろと見て回るのは少し行動としては褒められたものではないが……
「空き家……にしては家の状態は悪くないな。」
遠目から見ても家は使い古された感じは受けず、最近まで誰かが住んでいたような雰囲気。家の状態を前にして余計気になってしまい、そのまま足は玄関の方へと進んでいく。
「・・玄関が……?」
入り口まで来てみると、最初に気になったのは家の中が外からでも見えてしまう玄関の壊れた後だ。大きなもので無理やり壊したりでもしたのか、扉は跡形もなく粉砕されていた。
こんな出入り口では外から中の様子が伺われてしまう。
家主は防犯意識が足りないのか何かあったのか、恐らく理由は後者であろう。
勝手に決めつけ短い階段を上って玄関から映る廊下を瞳に映し込む。
――血だ。真っ赤な血が一室から廊下の方へと流れている。経験上何度も血を見てきたからその血がまだ乾いていないものだと直ぐに感覚で理解することができた。
「――……」
意識が擦り替わり腰の剣へと手を伸ばす。刀身は鞘から外にはまだ出さないが、必要とあればこの剣を直ぐに振るえるように。
意を決して壊れた入り口から中へと入り込む。挨拶なしで申し訳ないが、事態が事態だ。最もらしい言い訳を口にして家の中へと入る免罪符に。
ゆっくり息を殺しながらその血が水たまりとなっている現地まで足を運ばせる。強い血の匂いが鼻を突き抜ける感覚を受けながら、壁を背にしながら徐々に足を前へと……
空気を刺激しないように慎重に近付き到着する。これほどの血が流れているんだ。この血の持ち主はとっくのとうに絶命してしまっているだろう。
腰の剣に伸びる手に力を入れ直し、躊躇せず中へと入り込む。
――視界に映ったのは、男性だったものの遺体。
身体中の全てを喰らい尽くされ、無残な姿へと変わっていた男が横たわっていた。彼自身の血が彼を取り囲み、部屋の一室は血の香りで埋め尽くされていた。
遺体の損傷から見ても、恐らくは人の手によるものではない。推測するに魔獣の手によって殺された、可哀そうな罪のない一般人。この家も彼の持ち家だろう。
他に人がいないか周囲を軽く見て回すが、荒らされた形跡こそあるものの、この男以外の命は生き死に問わず感じれない。
昨晩の雨のときに魔獣が入り込み、もつれ合いになった結果として男は死んでしまったのだろう。
軽く目を瞑り、遺体を前に祈りを捧げる。
名前も分からずどのような人物だったかも分からないが、せめて遺体だけでも持ち帰って綺麗にして上げよう。
戦場で多くの仲間を失った名残からか、このように死んでしまった人を目の前にしてしまうと、嫌な記憶が、離れていた当時の映像が呼び起こされてしまう。
頭を振り忘れようと試み、別のことを考える。
被害に遭っている男性以外にも、住んでいる人物がいるのかもしれない。勝手で申し訳ないが、少し家の中を捜索させてもらおう。
返答の帰ってこない質問を心の中で行い、家の中を散策することにした――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「――この家で何があったんだ?」
家の中を一通り見て回ったが、疑問に思う点が沢山ありすぎる。
廊下のその先、木板が外されている……正確には壊れており、玄関と同じく扉がその役割を果たしていない一室に入り込むと、異質なものが目に入る。
一見すればただの倉庫部屋や余りの部屋と思われたが、壁側には血がこびり付いている包帯やタオル。皿の上には何も乗っていないが、何か脂っこいものでも乗っていたのか少しべたついている。
この部屋で誰かが住んでいた、というよりも監禁していたと言われる方が自然と納得してしまう自分がいる。
違和感はほかにもあるが、一番の問題点はあの部屋だ。
男が死んでいた部屋の奥、隔たれた扉を開いて中を見れば、辺り一面に血が飛び散っている部屋を見つけた。
床と壁には乾いた血、何かに使用されたのか血まみれのナイフやハサミ、相当な力で噛んでいたのか、歯形だと分かるくらいに喰い込まれている木の棒。その部屋はまるで拷問部屋のようだった。
普通の家の内情ではこんなことになるのは可笑しいだろう。何かこの家には私の知らない事実が隠されているのではないかと、そう深く考え込んでしまう。
だがそれはあくまで自分の憶測でしかない。部屋を見て回った結果として、最初に感じた通りこの男以外には生きている者、というよりも死体の一つすらも見つからなかった。
外も少し見て回ったがこの男以外の人物は見つからない。
偶然見つけたものだ、そこまで私が深く探る必要などないのかもしれないが、どうにも気になってしまう。
一度屋敷へと戻ったら、改めてもう一度調べに――
突如、音が聞こえた。
どさっと何かが倒れる音が玄関口から聞こえ、弾かれるように顔を音のした方へと動かす。
「――――さん! 起きて下さいっ!!」
壁へと近付いて声の詳細を確認する。
「兄貴っ! 起きてよ兄貴――!」
少女二人の声が聞こる。その声は悲痛のものであった。
悲しみに打ちひしがれており、涙を流しながら叫んでいるのだろう。そんな事情が声だけで分かってしまうぐらいだ。
泣いている二人の声を聞き、警戒の色よりも心配の色が強まる。
様子を窺っていた壁から身を乗り出し、瞳に映るのは少女二人とその先――
少女たちの腕の中に、一人の少年の姿が目に入った。
「き、みたちは……っ?」
気付けば声が出てしまい、後ろからの声に身体を震わせ反応して少女が同時に後ろを振り返る。
二人の少女の様子はどちらも酷いものだった。
お互い髪はぐしゃぐしゃで全身は泥まみれの血まみれ。どちらも双眸には涙が含まれており、その表情は正に絶望していると表現していいものだ。
息を呑んでいる俺の姿を前にして、少女二人が声をあげる。
「た、すけて……! 兄さんをっ……っ!」
「このままじゃ、死んじゃう、よ……!」
縋るように、涙を流して訴えかけるその姿を見て、微かに頭の奥で屋敷にいる少女の姿が思い浮かばされる。
初めて出会った少女と同じ境遇に遭遇したからか、泣いている彼女たちに姿が重なったからか。
・・気付けば足を踏み出していた。
「――見せてっ」
少女二人を律し、瞳を閉じている少年の状態を確かめる。
酷い姿だった。先に見た男の姿よりかはマシではあるけれど、大小様々な傷が彼の身体にはあった。
切り傷に擦り傷といった代表的な傷は無数にもあり、他にも確認できる傷の種類は沢山ある。大量の出血もさることながら、一番の傷は左肩のもの。
喰い破られたと表現するのが妥当だろうか。そこにあるはずの肉は全て失われており、肩の骨は剥き出しとなっており、微かにヒビも入っている。
少年の身体の状態を一瞬で把握し具合を確かめる。
正直な話絶望的と、そう判断してしまっても仕方がない。
涙を流し助けを訴える二人の少女には悪いが、彼はもう……
頭で結論付けている結果とは裏腹に行動は実に真逆。理性が冷静に、冷血に状態を判断している中で、心の内の自分自身が死なせてはならないと命令している。
奇跡でも何でもいい、この少年にまだ命が……! 魂が連れていかれていないのであれば、まだ間に合うはずだ――!
喉に手を当てるが呼吸はしていない。何度も呼び掛けても反応は帰ってこない。
開かない瞳と全く動かない身体、それらを前にして心が埋め尽くされてしまいそうになっている。
心臓に手を置く。動いててくれればまだ手の施しようがあるはずなんだ。一縷の望みをかけて心臓の位置へと手を置く。
微かでも微弱でも、生きてさえいてくれればまだ望みは――!
・・・・しかし心臓に置いた手に帰ってくるのは静寂だけ。心臓が動いているのであれば手に鼓動の感触が伝わってくるはず。
認めたくないだろう。私の隣で泣いている少女二人が嗚咽交じりに俺と彼を見ている。片方は兄さんと呼び、もう片方は兄貴と呼んでいるのを聞くに、彼女たちのお兄さんなのだろう。
彼女らに兄である彼の死を伝えるのが、怖くて仕方がない。
少女らの愛する少年の命は、魂はもう――……
この世にはない。目を瞑り俺はそっと心臓に置いた手を下げ口にしようと直後。
「――――っ!?」
眼を見開き、身体を乗り出し少年の心臓に置いていた手の代わりに左耳を当てる。もう一度眼を閉じ、聴覚を研ぎ澄ませて耳に入ってくる音を拾う。
――トクン、トクンと……小さく消えてしまいそうな音。
だけども心臓が脈打つ感覚が、失われていない命の呼吸が耳に伝わる。
生きている……! まだ少年の命は、魂は去ってなんかいない――!
右手で魔法を発現さえ、手から淡く白い光を生じさせる。反対の左手でポケットに入れていた連絡用の対魔鏡を起動。光り鏡に人物の姿が映り込んだ瞬間、口を動かして用件を素早く伝える。
「――急で申し訳ないが、オルテア森林にネイカと一緒に今直ぐ来てくれ! 場所はネイカが俺の魔力を頼りに案内してくれるはずだ。」
「・・かしこまりました。」
短く会話を終え、対魔鏡を切る。突然の連絡にも動じず鏡越しの空気を感じ取って受けれ入れてくれる。本当に頼りになる男だ。
連絡を終え治療に専念する。あまり魔法は上手くない自分ではあるが、四の五の言っていられる状況でもない。
この少年の命はギリギリもいいところ。魂が身体と離れる一歩手前、綱渡りのような状態だ。
水魔法に適性があったことをこれほど嬉しく思うことは無い。自分の力に自分で感謝しつつ、手に光を集中させる。
入った森の中で出会った少年少女三人。
この出会いは偶然だったのか、それとも――