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導きの愚者  作者: ひじきの煮物
第二章 新たな世界と南の都市
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第二章49 独白の橋渡し



「本当に良かったよ。グレンに大きな処罰が下らなくて」


「例外中の例外だし、重大な違反行為に変わりはない。ボルザさんが気を遣ってくれたおかげだな」


 ボルザが部屋から退室し、ラルズ、ミュゼット、グレンベルク、セーラの四名が室内に残る形に。諸々の話し合いは本当の意味で終了。グレンベルク以外の三名は厳重注意という形で反省を促され、彼には罰としたボルザの寛大な処置を頂いて、バルシリア小森林への一件は片付いた結果に。


「それにしても、ミュゼットが自分から罰を受ける、なんて言い出したときは驚いたわ」


「そうだね、俺も驚いたよ。でもそれぐらいグレン一人に負担を……ってミュゼット、さっきからずっとにやけてるけど、どうしたの?」


「えへへ……」


 見ればミュゼットは幸せそうな笑顔をずっとしており、ご機嫌な様子が凄く伝わる。表情は完全に緩み切っており、一人だけ違う世界にいるみたいだ。


「さっきからずっとこの調子だね」


「不気味すぎる」


 普段の様子なら怒りそうなグレンベルクの辛辣な発言。しかし彼の言葉が届いていないのか、それとも嬉しいあまり気にしていないのか、どちらかは不明だが依然としてミュゼットは幸せなままである。滅茶苦茶美味しいものでも食べたような顔つきに、思わずラルズも笑みが浮かび上がってしまう。


「そんなにグレンがお咎めなしだったのが嬉しいのかしら」


「違うよセーラ。それも嬉しいことの一つだけどさ、私が一番嬉しかったのは、やっぱりグレンが友達だって言ってくれたことっ」


「・・・・・・」


 一度は関係が終わった仲だと思っただろう。しかし、ボルザに質問されて、面と向かってはっきりと口に出した、「友達」という一言。嘘偽りではないとボルザも判断したが、何よりラルズたちにもはっきりと伝わってきた。


 その場限りの言い逃れでも何でもなく、本心からの言葉であるということは、追求する必要もないぐらいにラルズたちに届いている。


 竜車の上での激情幕の中で、ミュゼットに放った心無い言葉の数々。友達だと思っているのはミュゼットだけで、グレンベルクは友達だなんて勘定にも満たしていない。多少親しくなった間柄で、友達だなんて口にする彼女に対し、一生心から信頼できるような相手などできるわけがないと、暴言を口にしてきた。


心配を跳ね除けるための、拒絶するための突き放す罵声。そんな一幕もあったが、眼獣が襲来してきたことによってそれ以降の話し合いは行えず、曖昧な状態のままこの時間まで進んできていた。


「あのグレンがだよっ。もう私嬉しくて嬉しくて感動しちゃったんだからっ!」


 興奮が収まらず、身振り手振りの激しさが加速していく。そんな彼女を「落ち着きなさい」と優しく窘めるセーラと、それを見守るラルズ。


 その一方で、グレンベルクは暗い表情をしている。目は伏せられ、気まずそうにしている様子だ。


「・・怒って、ないのかよ……」


「グレン?」


 弱々しく、俯いたままの短い音。その問いは、この場にいる全員に向けられているが、差出人の彼が一番届けようと、受取人に定めているのはミュゼットにおいて他ならない。困惑顔をしていて飲み込み切れていない状況のミュゼットに、微かな苛立ちを覚えたグレンベルクが、顔を上げて詳細を口にしていく。


「あんな酷い言葉をぶつけて、傷付けて……。なのにお前は、俺に何も言わないのかよっ」


「え、だって……私はもう別に気にしてないよ」


「お、お前は良くても、俺が良くない。納得し切れていない。お前にとっては解決した事柄だとしても、俺にとってはまだ中途半端なままなんだ」


 ミュゼットはさしたる気にした様子はない。あれだけ酷い言葉を浴びせられたにも関わらず、先のグレンベルクの友達発言を聞いて、一瞬で仲が元に戻ったと認め、更にはグレンベルクを既に許している。


 そんな彼女の態度に、グレンベルクは自分で納得がいっていない。相手が良くても、自分が彼女を一方的に攻撃したことを悔やんでおり、それを解消したいと考えているのだ。中途半端な関係のままで進むわけにはいかず、きちんと互いの不和を無くしたいと、彼は考えているみたいだ。


 真面目というか誠実というか、自分で自分を許せない質なのだろう。ボルザに罰として軽い罰を提示されたときも、それでは己の落ち度に見合っていないと、納得を及ぼせず異議を唱えていた。そしてそれは、ミュゼットに対して行ったことも例外ではなく、しっかりと精算しなければと考えている。


「だからその……。つまり、えっとっ。・・くそ、やりづらいっ」


 頭を乱暴に掻いて気まずさを吹き飛ばそうとするグレンベルク。恥ずかしい感情も混じっており、頬には僅かに朱が浮かび上がり、新鮮な表情。数秒の時間の中で自分の決意に向き合えたのか、ミュゼットの瞳を捉えると、


「・・ミュゼット」


「うん」


「・・悪かった。お前に対して放った暴言の数々、全て撤回させてくれ。・・その上で調子の良い言葉であるのは重々承知の上だが、俺と友達を続けてくれると、嬉しい……っ」


「――! うん、勿論っ!」


 頭を下げるグレンベルクと、差し出された右手。躊躇することなど一切なく、ミュゼットはその右手を両手で迎えにいった。交わされる握手はぎゅっと結ばれ、二人の仲を取り持つ。こういった行為自体馴染みがないのか、不慣れな様子ではあるものの、自分の発言を撤回し、こうしてまた新たに関係を構築できた。


 ミュゼットから手を離す。グレンベルクは次にセーラに目を向けて距離を縮める。セーラは黙って腕を組んで彼の言葉を待つ。


「・・セーラ、悪かった。・・それとありがとう。真正面から容赦なく言葉を送ってくれたのは、お前が初めてだ。お前がいたから、認めたくない自分の弱さに向き合えることができた」


「・・そっ。私はただ事実を言っただけだから、感謝される筋合いはないわよ」


 つんと、顔を背けて言い放つセーラ。事実を口にしただけで、感謝を向けられる謂れはないとして塩対応。そんな一見冷淡そうな態度ではあるが、その態度の裏には優しさが見えている。悟らせまいと必死に隠しているのかもしれないが、そんな感情はしっかりと漏れてしまっており、誰の目にも明らかだ。


「・・なによ、ミュゼット」


「ううん、なんでもっ!」


 不器用な優しさを見せるセーラの顔を覗き込んで、視線に気づいたセーラがミュゼットに何か言いたいことでもあるのかと問いかけるが、ミュゼットは何でもないと嘘をつく。そんな反応に多少納得していない様子を出すセーラであるが、「ふんっ」と口に出して再び顔を背けた。


「――ラルズ」


「うん」


 名前を呼ばれて、ラルズはグレンベルクを見上げる。慣れないやり取りとはいえ、既に二回繰り返したからか、先程のように逡巡せず、スパッと切り出してきた。


「・・嬉しかったんだ……」


「え?」


 ぽそりと呟いた言葉は、嬉しかったという言葉の意味とは真逆。声音は小さく、弱々しく唱えたもの。掠れて消え失せそうなその呟きを口にした彼であるが、表情はどこか満たされている気配を感じた。


「練兵場で、俺が死んだら悲しいのかって聞いただろう? あのとき、お前は当たり前だと言ってくれた」


「あのときの……」


「本当に、嬉しかったんだ。復讐のことしか頭に無くて、誰かと縁を築こうなんて、あの日以来求めたことなんて無かった」


 あの日以来……それはきっと、親友を殺され、復讐を決意した日のことを指すのだろう。眼獣に友を殺されて、その日以来から彼は強さと情報を求めて世界各地を行脚していった。各都市と国を訪れて、目撃情報を探して、宿敵を殺せるぐらいの力量を身に付けようと、ひたすら茨の道を突き進んで命を燃やし続けた。


「そんな道を求めたのは他でもない俺自身だ。道を違えたとも思っていないし、後悔もない。ただ、復讐を果たすことだけを夢見て、己の全てを費やしてきた。時間も、友情も、命も、全部……」


 多くの人々に否定されてきた過酷な道。そんな道を、グレンベルクは一人で進み続けた。・・否、一人で進むことを決意した。他者に干渉されず、己の手一つで復讐を遂げると魂に誓い、結果として彼はこれまで一人で勇み進んだ。


「全部、捨てたつもりだった。だけど、捨てきれていなかった。・・それに気付いたのは、あの瞬間だ。お前に友達だと言われて、こんな俺を友達だと呼んでくれて、心が震えたんだっ……」


「・・グレン」


「勝手に廃れて、勝手に落ちていった。復讐という大義名分を持ち出して、知らないうちに他者に強引に理解を示そうとした俺を、お前は肯定するでも否定するでもなかった」


 復讐を応援したり非難することはあるにしても、最終的に判断を下すのはグレンベルクだ。だから、ラルズから大きな言葉は送れないとして、彼が期待するような返答はできなかった。


「復讐に対して意見無し。今まで聞いた意見の中で、初めての解答だったな」


「力及ばずというか、考え至らずって感じだけどね……」


 思考放棄とは少し違うが、相手の求めている解答とは方向性がかけ離れていて、答えとしては不成立に近い類の解答であることは間違いない。


「完全に復讐に囚われて、肉体も精神も全部染まり切った。友達なんて存在、もう俺の人生には一生現れることなんてなくて、それでいいと思っていた。あいつ以外にそんな存在、俺には必要ないって感情に蓋をしていたのに、溢れてきたんだっ」


 捨てきれなかった名残。殺された親友との間で育まれて、奪われて居場所を失っていた、友情や絆に類する代物。邪魔な代物だと心の引き出しに仕舞いこんで、二度と取り出さないように封印していた。


 一度溢れてしまったものは、元には戻せない。それは、ラルズにも経験のあることだった。シェーレとレルのためだと勝手に大義名分を自らに課せて、約束という名の鎖で雁字搦めに固めて、二度と外には出ないようにと、奥底に沈めこんだ。だからこそ、グレンベルクの今の心情を、ラルズは理解できる。


「でも違ったんだ。俺はただ、一匹狼を気取っていただけ。本当は、ずっと求めていたんだ。温もりや居場所を、ずっと……。気付かせてくれたのはラルズ、お前なんだ。そして――」


「・・グレン?」


 何か言いかけの途中であったグレンベルク。しかし、その言葉の先は紡がれず、首を振って誤魔化す。先の言葉が気になるところであるが、それを詮索するのはお門違いだろうし、いずれ彼の口から聞かされることを待つことにしよう。


「遅れてしまったけど、謝らせてくれ。竜車のときは、悪かったっ……」


「気にしてないよ」


「そうか……そう言ってくれると、助かる。・・あと、これも言わせてくれ」


 一度咳払いをすると、ラルズの瞳を真っ直ぐ射抜いて、


「――ラルズ、ありがとう。こんな俺を、一人にしないでくれて」


「へへ、どういたしましてっ」


 何だか恥ずかしくなって、頬を掻きながら言葉を口にする。


「くどいみたいだが、最後に一つだけいいか?」


「何?」


「あのときは、お前から差し出してくれた。今度は、俺から差し出してもいいか?」


 差し出す、という言葉だけを聞いて、ラルズは直ぐに思い至った。その言葉の意味を。


「・・うん、いいよ」


 それだけ答えると、グレンベルクは右手をラルズへと差し出す。


 練兵場で一度交わした握手。あのときは、ラルズの方から差し出したものであるが、あのときとは立場が逆。グレンベルクの方からラルズに申請する、友達の繋がり。


 向けられた掌を、ラルズも同じ腕で迎えに行く。触れ合い、固く結ばれた両者の右手。


「これからもよろしくね、グレン」


「ああ。よろしくな、ラルズ」


 練兵場のときにも一度交わした動作。


 力強く、固く結ばれたラルズとグレンベルクの掌。目には見えなくても、確かな友情が……絆が生まれており、満ち足りている。


 固い握手を解いて、今度こそ全員とのわだかまりも解消された。


「これで仲直りも済んだし、事態も収まったし一見落着だね!」


「・・いや、待ってくれ」


「グレン?」


 まだ何かあるのか、そんな視線をぶつけるラルズたち。言い出した当人は気まずそうに視線を逸らしており、明後日の方向を見ていた。


「何よグレン、まだ何か言い足りないことがあるの?」


 むしろこれ以上何かあるのだろうか。直ぐに口出しせずに、何だか躊躇っている風な雰囲気を感じるところからも、悪いような内容の話でないことは伝わる。言い出すのに勇気がいるっていうか、最初にミュゼットに謝ろうとしたときと同じか以上に緊張している様子だ。


「・・っその、言葉だけじゃ足りない、だろう? 何か、お礼をしたいっていうか、その……」


「「「・・・・・・」」」


 全員、言葉を失った。それぞれ顔を見合わせて、数瞬時間が停止。そして、


「――ぷっ!」


 ミュゼットが笑い出し、つられてセーラとラルズも笑ってしまった。そんな三者の様子を前にして、グレンベルクは顔が見る見る間に赤くなっていき、耳まで真っ赤っかだ。


「わ、笑う必要は無いだろうっ!」


「だ、だってグレンったら真面目すぎるっていうか、義理深いっていうかっ……!」


「け、けじめはちゃんとつけたい質なんだよっ!」


 ちゃんと仲直りしたのに、それだけではまだ自分のした仕打ちや行いに納得ができていないみたいだ。けじめと称していることからも、ただ謝るだけでは足りないと思っているのだろう。


 本当、ミュゼットの言う通り真面目すぎるというか不器用というか、物事に分別が行き渡りすぎている。謝ってそれで済んだ話なのに、彼の中ではまだ自分の行いに許しが下りていないのだろう。


「けじめって……。もう私たちは気にしてないのに、変なのっ」


「そうだよ、もうさっきので十分なんだから」


「それじゃ俺の気が晴れないっ」


 必要ないと優しく断る姿勢のラルズとミュゼット。しかし、そんな姿勢を前にしても変な意地が働いているのか、グレンベルクは頑なに譲ろうとはしてくれない。本人がこうなっている以上、あんまり拒否し続けるのもそれはそれで変な軋轢や溝を生むだろうし、何より本人がこの調子であるならば、飲み込まなければずっと言い続けてきそうでもある。


「とは言ってもさ、別に私は何も思い浮かばないかな。ラルズとセーラ、何かある?」


「俺も特には……」


 アイデアとしては何か良いものが浮かばず、ミュゼットと同じくラルズは無策に終わる。こういうときに遠慮なく提案してくれそうなイメージがあるのはセーラだ。彼女から何かいい妥協点を据えたアイデアが出てこないかと、二人して彼女に託してみる。


「・・そうね。確認したいんだけど、どんなことでもいいのかしら?」


「ああ、俺に叶えられることなら、極力何でもいい」


「ふーん……」


 セーラは一度グレンベルクに前置きとして確認を取る。叶えられることであればどんな頼み事でも構わないという言質を頂いて、セーラが小悪魔じみた笑顔を浮かばせていた。


 事前確認を行ってしばしの間思案顔。若干「そうね……」などと呟きながらも、あまり時間をかけないうちに纏まったのか、セーラが指を鳴らした。


「決めたわ。・・だけど、その前に……」


 内容を口にする前、セーラはラルズに視線を向ける。


「ラルズ、傷が完全に癒えるのは二日後か三日後……だったわよね?」


「え、うん。何も問題なければ、最長でも三日あれば完治に至るって話だったけど……」


「わかった、ありがとう」


 なぜ急にラルズの身体の調子を尋ねてきたのか。意味が分からないのは聞かれた本人のみならず、グレンベルクやミュゼットも一緒だ。


「おい、それで肝心の内容は――」


「ご飯」


「――は?」


「聞こえなかったの? ラルズの傷が完治したその日、ご飯奢りなさい。私とミュゼットと、ラルズの三人分。勿論、いいところ期待してるわよ」


 グレンベルクは目を白黒とさせている。セーラのことだから、ラルズとミュゼットでは想像の及ばないような、叶えるのが厳しい類の頼み事をしてくるのではと身構えていただろう。それはラルズとミュゼットも一緒だ。


 だが、いざ口に出された内容は、至極普通のもの。そしてその内容は、バルシリア小森林へ向かう前、ミュゼットが提案して終いとなった、叶えられなかった出来事でもある。


「――! いいねセーラ、私もその意見に賛成!」


「ちょ、ちょっと待てっ!」


「何よグレン? 今更無理……なんて言われても意見は変えないわよ」


「そう、じゃ……」


 グレンベルクが気にしているのは無理難題を押し付けられたのではなくて、その程度のことだからだろう。そんな代物じゃ拭いきれないとして、もっと別の大きなお願いを受け入れる算段であったのは、愕然としている彼の表情からも明白だ。


 勝ち誇っているセーラの表情と、跳ねながら喜んでいるミュゼット。そんな様子を前にして、グレンベルクは何も言えず仕舞いだ。


「ラルズ、お前は……」


「ご馳走になるね、グレン」


「・・・・・・」


 味方が誰一人としていない。この場合味方というよりは擁護してくれないと言うべきだろうか。それでも、セーラの提示したアイデアに全員が賛同しているのだから、彼もとやかく言うことなど不可能だろう。


 観念したのか、やがて大きなため息をこぼすと、


「・・ありがとな、お前ら……」


 誰にも聞こえないぐらいの呟きを発した。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「――さて、あまり長居しすぎるのも療養に悪いし、治療もあるでしょうから、私たちは退散するとしましょう」


 時刻も夕方。気付けば空は青空から茜色へと変貌しており、夕日が世界を彩っている。橙色の陽光が窓を通して室内に流れ込んできており、夜が迫る報日を送り届ける。


「明日もお見舞いくるねっ! お父さんから果物もらって、みんなで一緒に食べようよっ!」


「そうね。一人きりだと寂しいだろうし、私も予定がないからまたお邪魔させてもらうわね」


「俺は罰があるから微妙なところだな。ギルドには長い時間身を置いているだろうし、タイミングはずれるかもだが、時間ができたら俺も様子を確認しに部屋を訪れさせてくれ」


「ありがとね、みんなっ」


 まだみんなと話していたい名残惜しさはあるが、それは明日に回しておこう。セーラの言う通り、治療の時間もあるだろうし、療養優先、安静第一を考えて大人しくしておくことに。


「じゃあなラルズ」


「大事にね」


「またね、ラルズっ!」


「うん、またね」


 寝台の上で手を振って、それぞれ順番に廊下へと向かって行き、最後に出ていったミュゼットが室内の扉を閉めて、ラルズは一人きりとなった。


「・・よかった、みんな無事で……」


 本当に嬉しかった。グレンベルクやセーラも命を失わずに済んで、一番危険だったラルズ自身も、またこうして友達と楽しく語らい、時間を共にできている。ティナとリオンも無事に親元へと送り届けることができて、求めていた三人の親子の笑顔を瞳に焼き付けることができて、本当に嬉しかった。


 頑張った甲斐があったというか報われたというか……無事とは少し意味合いが異なるが、それでも誰一人失われずに済んだ、最良の結果と思っても良いだろう。ただし、


「・・・・・・」


 ラルズは無言で自分の心臓に手を当てる。ドクン、ドクンと鼓動は確かに伝わり、拍動は一定のリズムを刻んで止まることを知らない。依然として問題なく、深い傷を貰ったにも関わらず、心臓の動きが示すように、ラルズは無事に命が繋ぎ止められている。


 ボルザや治療に携わってくれたギルド兵が言うには、生きているのが不思議だと口にしており、治療を施される前から既に心臓の修復・処置が完了しており、明確な答えとしてはまだ不十分に至るが、それが良い方向の原因へと仮定し、ラルズは命を失わずに済んだと伝えられた。


 ・・正直、生きていたとは安心するのとは逆に、不気味という感情が胸中に浮かび上がる。正体のわからない、異様を前にしたときに苛まれる感情変化。


 未知は恐れを抱くのには十分な価値を誇っている。初めて見る代物や初めて知る代物。いずれもそこには未知という名の得体の知れない「何か」が渦巻いている。そんな奇妙な代物……違和感をラルズは自分自身の肉体に抱いてしまっている。


 自分の身体なのに、自分の身体のことを知らないといった、無理解の極み。


 こうして心臓に手を置いても、無事に問題なく機能していることだけは手を通じて感じられる。普通に、違和感もなく、当たり前の働きを当たり前に実行している。


 ・・だがその一方で、ラルズには他者とは大きく違う、訳のわからない事態が多くのさばっている。自分で自分が何者なのか、わからなくなってきたラルズ。そこへ――、


「――ラルズっ!」


「うわっ!?」


 突然扉が開け放たれ、驚いて顔を上げた先には、退出したばかりのミュゼットの姿が。


「あ、ごめんね。驚かせちゃって。今、大丈夫?」


「う、うん。驚いたけどそれだけ。何か忘れ物でもした?」


「ちょっと正解。ラルズに言い忘れていたことがあってさ」


「俺に?」


 言い忘れたこととは一体。扉を閉めずに開けっ放しとして、直ぐに伝えて部屋を出ていくつもりなのだろう。手短に済ませようとする彼女の姿勢とは別に、ミュゼットはつかつかとラルズの横へと歩いて距離を近付ける。


「本当はラルズが目覚めたら直ぐに言うつもりだったんだけど、色々重なっちゃって言うのが遅くなっちゃった。それでこんなタイミングになっちゃって、急にごめんね」


 確かに傷の具合と事実確認。ティナとリオン、それに加えてご両親との会合。ボルザからの注意と、グレンベルクとの仲直りと、かなりイベントが詰まっていたと思う。伝えたい内容を切り出せなかったのも仕方のないことだ。


「気にしてないよ。それで……伝えたいことって?」


「うんっ。・・私のこと、二回も助けてくれてありがとうっ!」


 打ち明けれた胸中の思い。ミュゼットが抱えていた伝え忘れは、ラルズに向けた感謝の言葉。二回と口にしたことから、恐らく竜車での眼獣の攻撃を指しているのだろう。


 死角を狙った眼獣の影と、ギルド兵が近付いて安堵してしまった際の、ラルズが身を挺して退けた攻撃。眼獣の脅威から二度救ったとして、ミュゼットはラルズに感謝しているのだ。


「ラルズがいなかったから、あたしもきっと無事じゃなかった。死線を彷徨ってたかもしれないし、感謝してもしきれないよ……」


「・・・・・・」


「ティアちゃんとリオン君を助けに行くときも、あんな勇ましいこと言っておいてあれだけど、一人きりじゃ不安で仕方なくてさ。・・だけど、ラルズが一番最初に付いてきてくれてさ、私本当に嬉しかったっ」


 話している途中で恥ずかしくなってきたのか、「えへへ」と笑いながら両手の指同士を遊ばせている。そんな彼女を前にして、ラルズは何も言えなかった。


「と、とにかくさっ、ありがとね、ラルズっ! 私、ラルズと友達になれて、本当に嬉しいっ。これからも一緒に遊んだり、一緒に過ごそうねっ。勿論、グレンとセーラも一緒にっ!」


 込み上げる恥ずかしさに耐えきれず、彼女はそのまま早足に扉の外へと向かう。その後ろ姿にラルズは手を伸ばし、声を上げて呼び止めようとしたが、それはできなかった。


 廊下へ出たミュゼットが振り返る。窓の外から差し込んで照らしつける夕日の残光。その光と相まって彼女の白い髪が踊り、幻想的に煌めいて見えた。


「じゃあね、ラルズっ! 明日また来るから、またねっ」


 手を伸ばしただけで固まっていたラルズ。手を振ることもできず、声を返すこともできずにいたラルズ。置き去りにされたまま、ミュゼットは最後にラルズに対して笑顔を向けて、扉を閉めた。


 廊下を走る音が廊下と扉越しに伝わり、ミュゼットがそのまま遠くへ駆けていった。誰もいなくなった室内。伸ばされた手はやがて力が抜けるようにして落ちた。


 ミュゼットを空のまま見送り、ラルズは気付けば胸が痛まっていた。物理的にではなく、精神的にだ。


 ――違うんだ、ミュゼット。俺はあのとき、君を……っ


 それは、あの瞬間直視していて、自覚していたはずの事実。そして、知らないうちに記憶から排斥していた、ラルズの薄情な面。


 それは――……






 





 







 

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