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導きの愚者  作者: ひじきの煮物
第一章 【森の中の小さな世界】
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第一章6 兄妹の結末


「――――逃げてっっ!!」


 弾かれたように叫び声を上げ走り出す。シェーレとレルは俺の声を受けて即座に玄関を通り抜け土砂降りの雨の中に身を曝け出す。


 あとに続いて俺も直ぐに飛び出す。後ろでは魔獣の声と足音が連続して続く。後ろを確認するまでもなく追ってきているのは明白だ。


 夜の時間はそろそろ終わりを告げているのか、外は少し明るくなり始めていた。半年ぶりともなる森の世界。それを目に焼き付ける時間も余裕も今の俺たちにはない。


「兄貴、どっち!?」


「――こっち!」


 逃げる方向を即座に判断して指示を飛ばす。


 シェーレとレルが走り出し、俺は一度後ろを振り返る。

 玄関を飛び越え雨の中身を乗り出したのは二匹。ラッセルを喰らっていた小さいほうの魔獣だ。


 濡かるんだ地面に着地すると獲物である俺たちの方へと親譲りの黄色い双眸を睨みつける。

 あの大きい魔獣が我先にと出てこないところを見るに、恐らく大型の魔獣は武器を扱えるように腕が進化を遂げた影響か、小さいのに比べて足が遅くなっているはず。

 

 勝手な想像ではあるが敵を捕縛、捕らえるのは小型の役割。仕留めるのは大型の役割、そんなところだろう。


 何にしてもあの魔獣が素早く動けないのであれば幸い極まりない。

 シェーレとレルの後を追うように走り出す。

 体力の低下もさることながら、全身に受けたラッセルの傷が痛みを主張する中、追い付かれまいと自身の足に力を入れて足を前へと踏み出す。


 痛む身体を無視して走ることには成功するも、想定よりも足が遅い事実に直面する。

 長い間閉じ込められていた弊害と全身の傷、身体機能の低下、思い付くマイナスの理由が自身の動きを阻害し、眼を背けたくなるような悲しい事実。


 ――したがって、追い付かれるのは時間の問題だ。


「兄さん、後ろ!」


 前を走るシェーレの声に反応して後ろを見れば二匹のうち一匹が既に俺のすぐ後ろにまで追走してきており、早くも魔獣は直ぐ近くまで接近していた。


 近付く魔獣を前にして意識が完全に後方へと逸れ、足元への注意が疎かになる。ただでさえフラフラの状態が続き、雨で柔らかくなっている地面。結果――


 道に足を捕られ視界が不意にぐらつく。転んだと頭が理解するよりも先に身体はバランスを崩し、支えることもできずそのまま身体は泥の中へ。


「――ぐっ……!?」


 地面が自身を冷たく出迎え、衝撃のあまりに口の中にも少量の砂や土が口内に入り込む。気持ちの悪い感触が口の中を襲うが、吐き出している時間も今の俺にはない。


 獲物の足が止まり射程内に入り好機と判断したのか、魔獣が俺に向かって飛び掛かる。ジャンプした勢いそのままに右前脚が俺に狙いを定める。

 前脚の先端、鋭利な爪を振るう動きを目にし、自然と身体が動いた。


 近くに落ちていた掌サイズの大きさの石を掴むと、その石を魔獣目掛けて投げつける。

 苦し紛れに投じられた反撃。魔獣からしたら警戒するにも値しない弱い攻撃。無論こんな石ころでは魔獣に対して傷を与えるのが無理だというのは百も承知、狙いは別にある。


 放った石は魔獣の左眼へと命中し、生じた痛みに魔獣は怯み、その拍子に振るった爪は僅かに軌道を外れ俺の顔の前を掠める。


 外れたのを喜ぶのも束の間、右手で掴んだ泥を勢いよく魔獣の両眼に向けて投げ飛ばす。


「――ッ!?」


 土が眼に入り込み魔獣がその場で吠えながら身体を転げ回っていた。

 真面にやり合っても力のない俺では魔獣一匹すら倒すことはできない。武器すら手にしていない今の状況からしても、逃げるのに全力を尽くすのがベストだ。


 立ち上がり再び走り出す。泥を眼に被った一匹はしばらく動きを封じてくれると助かるが、まだ安心はできない。

 今の短い攻防の間でももう一匹は距離を詰めてきている。急がないと――!


 先を走らせていたシェーレとレルに追い付き、俺は森の中の地形を思い出す。

 このまま森の中を逃げ続けていても、いずれは捕まってしまうだろう。

 だったら森の外に逃げるほうがまだ助かる確率は高いかもしれない……!


「このまま森の外に出よう!」


 森の外に行ったことは無いが、森の中の構造や道順は頭の中で暗記できている。 

 一度だけ森の外で父さんとはぐれたときに偶然にも見つけた小さい広場。そこを目指すしかない。

 一度として外へと出たことはないから不安こそあるけれど、もうそれに賭けるしかない。


「分かりました!」


「分かった!」


「追ってくる魔獣は今のところ後ろの一匹だけ、そいつをどうにかして――!?」


 一度魔獣の位置を確認しようと振り返ると、そこに魔獣の姿は無かった。さっきまで後ろを追っていた筈だ。


「――! 兄貴、右っ!!」


「――ッ!!」


 レルが方向を口にするもそちらへと顔を動かした瞬間、身体が吹っ飛んだ。


「――がっ…!!」


 魔獣が右側から飛び込み俺の身体を押し飛ばす。飛ばされた衝撃で地面に背中をぶつけ、かつ魔獣は俺の身体の上に跨る。完全に上を取られてしまった。


 魔獣は話をしている途中で道を外れ森の中へと身を隠し、死角を突いて攻撃してきたんだ。完全に不意を突かれてしまった。

 直ぐに引き剥がそうと魔獣を蹴ろうとした瞬間、左肩が猛烈に熱いことに気付いた。


「――ぇ?」


 首を動かして左肩の方を見れば、そこには真っ赤に染まった肉面……のみならずそこには微かに白いものまでもが俺の視界に入り込んだ。


 本来見えるはずのない隠れている部分――骨だ。


 眼の前の事態を脳が理解を示した次の瞬間――


「――あ、がぁぁぁぁ……っ……!!?」


「兄さんっ!」


「兄貴っ!」


 絶叫と同時に口の端からは吐血。喉から込み上げてくる命の源を止めることもできず吐き出す。

 吐いた血が自身を見下ろす魔獣に飛び散る。その際に魔獣の口を見てみると、その口の中には肌色の皮膚と赤黒い肉が微かにこちらを覗いていた。


 喰い千切られたんだ。骨が見えるぐらいに深く、強く――!


 引き剥がそうと身体を動かそうとするも、身体はまったく言う事を聞いてくれない。足を動かすことも、指一本すらも命令には従ってくれない。


 そんな俺に魔獣は容赦をしなかった――


「――っぐ……ぁぁっ……!!」


 同じ箇所に魔獣の牙が更に喰い込まれる。

 皮膚はめくれ、硬い骨に魔獣の牙が直接触れられ、ギリギリとひび割れるような嫌な音が肩から発せられる。


 抵抗もできずそのまま俺の骨は噛み砕かれ――


「兄さんから――」


「離れろっ!!」


 横からシェーレとレルの姿が視界に映り込む。二人は道に落ちていた石を手にし、それを魔獣の頭に叩き付ける。


「――ッ!」


 頭に鈍い痛みが続き、噛みついている力が少し緩む。その隙に力を振り絞って足を動かし、魔獣の身体を蹴り飛ばす。

 よろめいた魔獣にシェーレとレルが一層力を込めて頭を攻撃。子供の力とはいえ硬い石、しかも執拗に同じ箇所を責め続けられればダメージは溜まるだろう。

 結果魔獣はその場で力なく倒れ込んだ。


「兄さん!」


「兄貴!」


 シェーレとレルが心配して駆け寄る。二人の視線は俺の左肩へと集中している。

 見つめる二人の顔が悲痛なものとなってるのを見て、どれだけ酷い怪我かは容易に想像がつく。

 これだけの出血と致命傷にも値する深い傷、まだ生きていることが不思議なぐらいだ。


「立てる、兄さんっ?」


「く……っ」


 力を入れて踏ん張るが膝が伸び切らない。立ち上がることも難しい状態だ。立てないのであればそもそもの話走ることもできない。


 ――もう、俺はここまでだ……


「・・二人とも、聞いて。」


 微かに動く腕を上に上げ道を指さす。示した方向を二人が見詰め、喉に詰まっている血塊を吐き出しながら必死に口を動かす。


「このまま真っ直ぐ進んだら、分かれ道がある。右に曲がって道に沿って歩いていけば、橋が架かっている広場に到着する……」


「な、何で急にそんな……!」


「そうだよ! 今言わなくたって、実際に着いてから……!」


 首を横に振る。その意味は、言わずともシェーレとレルは分かっている筈だ。


「俺は、行けない。走るどころか、立つことも無理なんだ。だから――」


「「嫌だっ!!」


 これ以上は一緒に逃げられないと伝えた俺の意思を否定し、シェーレとレルは俺の腕をそれぞれ肩に乗せる。


「な、にをして…!?」


「走れないなら、歩けないなら私たちが背負って連れていきます。」


「兄貴一人を置いていくなんて嫌だ!」


「――なっ……!」


 反論しようにも持ち上げられ、有無を言わさずに二人が道を再び走り出す。振り解こうとしても力は入らず、妹二人に担がれている状態で雨の中を駆けていく。


 だが俺を抱えた状態で逃げ切るなんて不可能だ。橋を渡った先でもまだ森は続いているだろうし、俺を運んでいる状態じゃ途中で追い付かれるのは目に見えてる。


「だ、め……! 下ろし、て――!」


 精子の言葉も無視して二人は足を止めない。走れてはいるけど、俺を背負っている都合上どうしたって進むペースは遅くなってしまう。

 俺がここで犠牲になれば、囮になればシェーレとレルは……二人は助かる可能性が上がるのに!


「もう、分かるでしょ……! 俺の身体、はもうボロボロで、呼吸も満足にできない……っ。」


 蝋燭に付けた火が徐々にその熱を失うように、俺の身体も死へと確実に向かっている。

 治療もできない今、限られた命をこの局面で一番活用できる方法は、生きる為に命を繋げるんじゃない。


 シェーレとレルの為に、死ぬ為にこの命を捧げるのが一番なんだ。

 分かれ道へと到達し、そのまま流れるように右へと進路を変える。


「最期なんだ、これが本当に。お兄ちゃんの言うことを、聞いてよっ……!」


 言うことを聞いてくれないシェーレとレルに、振り絞った声をぶつける。少し怒りを孕んだその訴えを聞いても、二人は俺を見捨ててくれない。


「・・もし今の状況があたしと兄さんで逆だったら、兄さんはあたしのことを見捨てられるんですか?」


「――その質問は、ずるいよ……っ」


「兄貴はあたしたちの兄貴だもん。見捨てるわけないよ。」


「・・だってそれは、俺は兄だから……」


「じゃあ兄貴を助けるのは、妹として当然だよね!」


「――っ……!」


 ・・シェーレ……レル。


 それ以上俺は何も言えなかった。キラキラと眩しく輝く二人からの言葉は、曇りのない真っ直ぐな気持ち。言葉を受けて、足手纏いでしかない自分を、二人は絶対に見捨ててくれない。


 その優しさを、その心の内を聞かされて、涙が止まらなかった。


 二人の心はこんな状況でも、俺の傍に寄り添ってくれる。ただそれだけの事実が、胸の内をこんなにも満たしてくれる。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 魔獣が後ろから迫ってくるのを肌で感じずつ、俺たちはただ前だけを見据えて走り続けている。


 誰も見捨てず、誰も置いていかない。三人で森の外へと出る為に、橋を目指して文字通り死に物狂いで足を動かしている。

 傷の方はもう痛みは大分引いている。その代わりか感覚はすでに麻痺しているのか、身体の機能が既に終わっているのか。

 視界もぼやけ、意識も段々と薄れてきた。血塗れの見た目と相まって既に死んでいると言われても可笑しな話ではない。


「――あっ!」


 シェーレが声を挙げる。反応して俯いていた顔を上げると、目の前にはようやく広場が見えてきた。


「兄貴の言っていた広場! この先に――!」


 橋がある。前に一度だけ外で父さんと遊んだときに、迷い込んでこの広場へ来てしまった際に、確かに橋が架けられていた。

 父さんに止められてその先を渡ることはできなかったけど、今思えば森の外に通じる橋だったのだろう。


 森の外へと俺たちを連れて行きたくない理由も、今となっては答えを求めても帰ってくることは無い。


 このまま橋を渡って、向こう側へと行けば外の世界が—―


 ・・広がっていると、そう思っていた。


「橋が……!」


 向こう側を繋いでいる一本の橋。その橋はあろうことか支柱すらも外れてしまっており、崖と崖の間には何も敷かれていない。

 宙で支えの無くなった橋だった残骸が風と雨によって煽られていた。

 希望ともいえる最後の道筋は、俺たちの目の前で途絶えてしまっていた。


「――そ、んな……」


 崖の下はとても飛び降りて安全な高さではなく、落ちれば命は無い。

 ようやく、長い苦労を経てここまでたどり着いたのに、俺たちに待っていたのは出口ではなく行き止まり。

 引き返そうとしても、もう何もかもが遅すぎる。

 この橋が崩れていた時点で、俺たちの運命は決まっていたのだろう。


「――ぁ……」


 レルが振り返り小さい声を漏らす。視線の先、顔を動かして見れば立っているのはここまで執念深く追ってきた犬種の魔獣たち。

 数は最初のときと比べ一匹減っており、シェーレとレルが石で殴り付けた一匹はあのまま死んだのだろう。

 そして魔獣たちの群れの奥から、俺たちが初めて目にした、部屋へと入り込んできた魔獣がゆっくりとこちらへ歩いてきていた。


 振るえば一撃で俺たちの命を、対象者の命を容易に奪うことができる銀色の斧。獲物を逃しはしないという、捕食者としての矜持を知らしめるような鋭い眼光。

 

 逃げ場も無くし、追い付かれてしまった俺たちにとって、これ以上の絶望などあるのだろうか。

 必死に生き延びようとする俺達を嘲笑うように、眼前魔獣たちが俺たちを包囲する。


「兄さん……」


「兄貴……」


「・・・・・・」


 首を横に振る。もう、これ以上はどうすることもできない。

 崖を背にして座り込む。魔獣たちは俺たちが逃げられない理解しているのか、じわじわとこちらへと距離を狭めてくる。


 二人を守れず、魔獣たちの手によってその生涯を終える。父さんと母さんが亡くなり、俺たちも今からそちらへ向かうことになる。


「・・シェーレ、レル、おいで……」


 最期の力を振り絞り、シェーレとレルを自分の手元に抱き寄せる。二人とも雨で濡れていて冷たいはずなのに、不思議と暖かった。


 顔を見れば二人とも笑っていた。恐怖が眼前に迫り、これから死んでしまうのに、今まで一緒に暮らしてきた中で見せてくれた、可愛い笑顔をしていた。


「・・あたし、兄さんが兄さんで良かったです!」


「あたしも、兄貴が兄貴で良かった!」


「――うん、うんっ……! 俺も、シェーレとレルが妹で、嬉しかったっ…っ!」


 心からそう思う。この瞬間、死にゆく最期の瞬間、傍にいてくれる。

 大好きな妹が、最愛の妹が隣にいてくれる。


 狼魔獣が近付き眼前に迫る。銀斧を上空へと掲げ、振り下ろされる瞬間がまもなく訪れる。


 雷が上空で光り、魔獣の雄叫びが空へと響いた直後、斧が振り下ろされた――


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ・・


 ・・・・


 ・・・・・・斧が直撃する瞬間、脳裏に不思議な感覚が迸る。


 頭の中に不思議な景色が映り込んだ。


 今と同じように雨が降り注ぎ、その……に……シ………ル……姿………も。


 血……――…………の……と……――を……に――……かか……いて……姿。


 


 ――――これは運命に生かされ、運命に殺された少年の物語

 


 


 


 

 






 







 




 


 

 


 


 



 

 

 


 

 

 


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