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導きの愚者  作者: ひじきの煮物
第二章 新たな世界と南の都市
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第二章44 近付く希望と遠ざかる希望


 ――今のは、一体何だったのだろうか……


 短剣を振り切って、ミュゼットに迫っていた影。あのままラルズが切り伏せていなければ眼獣の不意打ちは完全に成立しており、ミュゼットを確実に貫いていたのは確かだろう。それを見事に一刀両断して脅威を排除。友達を迫り来る凶刃から守れたことに関して、文句なしに今のラルズの行動は神がかっていたと言っても過言ではないだろう。


 窮地の寸前、最良のタイミング、刹那の瞬間。正に鋭利な影がミュゼットを捉える直前の危機回避。当然、それを阻止できたことは喜ばしく、自画自賛しても許される位に奇特であった。


 ・・だけど、今の行動は何か違う。ラルズの身体が動いて、手にしていた短剣と腕に命令を下して横に一閃、脅威を排除。ラルズが起こした行動の賜物が、目の前のミュゼットを救えた結果であるのは間違いない。だが、重要なのはその一連の行動ではなく、それを実行した本人。


 ・・つまり、ラルズ自身に当たる。


 ラルズは今困惑していた。今の自他共に褒められるであろう素晴らしい行動の裏に隠されている背景として、いくつか説明のつかない事象が数多く蔓延っている。


 ミュゼットを襲った二発目の影に対して、見てからの反応は不可能だ。距離もあるし、影も一撃を確実にするために隠していたのだ。気付いたとして回避不能、防御不能の計算された必殺の一撃。


 ラルズも見てから対応をしたのでない。その前に身体が動いていたのだ。超人的な反射神経、瞬間的な思考の最適化。自身に一々命令を下している中では到底追い付けない時間の隙間。割り込むことができない時間の空白と空間の溝、その二つの隔たりをラルズは迷いなく突き進んだ。


 ・・いや、突き動かされたんだ……。そしてそれは無意識の中でラルズが実行した命令によるもの。気付けば従っており、気付けば影に届いていた。短剣を振り払ったときのラルズは何も疑問に思っておらず、影が死角からミュゼットを狙っていることを信じて疑わなかったのだ。


 ・・いや、それよりも俺は一度とはいえ、ミュゼットを……っ


 そしてその行動は確かに褒められたものだが、重要なのがもう一つあるのだ。見落としてはならない、直視しなくてはならない、残酷な真実を己に突きつけなければならなかった。


 ・・だが、その真実を今追求して噛み締める時間は残されていない。一連の行動の謎も、その他の未解決の感慨も、今は時間も手も付けられない。解明したい気持ちを奥へと強引にしまいこんで、目の前の事態に対処しなければならなかった。


「――ミュゼットっ、セーラを連れて竜車の奥にっ!」


「・・・・あ……。う、うんっ!」


 正に寸前まで命の瀬戸際であり、硬直し続けていたミュゼットの意識。呆然とラルズを見つめていた彼女の瞳が、ラルズの指示によって再び時間を刻み始め、指示を受けてから数瞬遅れてセーラを抱える。


 そのままミュゼットはセーラを竜車の奥地。ティナとリオンのいる、影の魔の手が及ばないと思われる非戦闘場へと運び込んでいく。


 目立った外傷は身体に刻まれていない。外的要因が影響して命を失う心配は無いのだが、セーラの場合は要因が別だ。魔力を消費し過ぎる果てに引き起こされる、欠乏症……魔力酔いとも呼ばれる症状。魔力が枯渇して発症される、内的要因が影響して命の危機に瀕している。


 吐血と鼻血で全身が真っ赤な血に溺れており、最後にミュゼットを守るために魔法を放って意識を手放した。その痛々しい様子は、グレンベルクの受けた重症具合と比べても遜色ないほどに凄惨である。


 ただただ命が繋がれていること。無事を祈ることだけが、ラルズの彼女に対して捧げられる行動だ。


 ――そして、彼女が身を削ってまで、外敵から竜車をここまで守り続けてくれたのだから、ラルズもセーラの行いに応えなければならない。命を賭して繋げてくれた、彼女の意思を無駄にしてはいけない。


 疑問が発生しているが、その疑問には一度蓋をしておこう。先の行動の内容も、その瞬間のラルズの思考具合も、今は全て後回しにする。今はただ、眼獣の使役する影を阻止すること。それだけ優先的に定め、実行していく。


「――……!」


「――っ!」


 正面から眼獣と対峙する。眼獣は温めていた策が不発に終わり怒っているような様子。全ての眼球が見開き、その策を潰した張本人のラルズに全ての視線を注いでいる。眼力で人を射殺そうとするほどの気配を感じ取る。威容な空気を纏い、怒りに染まった眼球たちを前にしてラルズも思わず息を呑む。


 セーラが風を扱って砲撃種の担い手となっていたのに加えて、ミュゼットも一時撤退。今、影に対処できるのはラルズだけとなっている。眼獣にも疲労が溜まっているのか、妨害手がいなくなってしまったにも関わらず、竜車との距離は縮まっていない。


 これまでずっと竜車にしがみ付くようにして全速力で追走してきているのだ。加えて風の刃に対しての防御と、影を使役しての牽制と攻撃。バルシリア小森林でも、グレンベルクと戦闘を行っており、逃げたラルズたちに再び追い付くために、森からずっと移動しっぱなしなんだ。


 足を動かして走ったりする人や魔獣と違って、足元の影が体力の疲労に一役買っているのかは微妙な線引きであるが、活動時間的に、眼獣もまた限界を迎えても不思議じゃない。見た目や性質が異質であっても、無限の体力を保有している……なんてことは有り得ないだろう。


 この世界に生きる生物の枠組みを大きく超越しているとはいえ、体力なんかの要素は顕然だろう。生物の根底そのものから完全に逸脱しているとは考えられない。


「セーラがここまで繋いでくれたんだっ。残り少し、俺が相手になるよっ!」


「――……!!」


 強気なラルズの発言を受けて、怒りのままに命令を下して影を再び足元から生み出す。影がうようよと揺らめき、鋭い先端をラルズに向けて、一斉に繰り出される。


 一本一本に過敏にならざるをえない代物。移動に力を注いでいるからか、傷ついているラルズの肉体でもなんとか反応と対処を行えるが、だからといって油断など微塵も抱けない攻撃。常に集中して肉体を行使し、適した判断を下さなければ、気づけばあの世……なんてことも。


 影の動きを目と気配で察知し、大量に迫り来る影たちを短剣で無力化する。身を翻して攻撃を躱し続けて、狭い竜車の上を、舞台を踊るようにして影を確実に捌いていく。


 ラルズは負傷、眼獣は移動を伴っており、互いに本調子とは言えない状況下。


 力が真価を発揮できない者同士となると、戦況は五分五分にまで差し迫っている。疲労が蓄積されており動きが鈍いのはその通りだが、それでもどうにか対応はできる範囲内。結果として迫り来る影たちはラルズを捉えきれず、次々に銀の刃によって霧散されていく。


 いくら影を打ち倒そうとも、眼獣側からしたら痛くも痒くもないだろう。次々に生成して敵を屠る武器として扱える点。無尽蔵に放出される、在庫という概念が存在しない影の武器庫。捌こうと切り伏せようとも、影は何度でもラルズの命を奪いに寄こされる。


「ラルズっ!」


 ――途端、眼獣とラルズの二人だけの舞台の中に、ラルズの名前を呼ぶ少女の声と、放たれた風の魔法が揃って舞台に割り込んできた。風の刃はラルズの直ぐ後方から眼獣に対して放たれる。眼獣は咄嗟に影を身代わりにして本体への攻撃を別の代物に肩代わりして被害をゼロに。盾としての役目を終えた影は跡形もなく消え失せる。


「ありがとう、ミュゼットっ。・・セーラは?」


「奥でリオン君に治療して貰ってる。欠乏症の影響で体内に異常をきたしてるけど、安静にしてれば魔力も元通りになるだろうし、命に別状はないみたい」


 奥地へと避難させたセーラの容体について軽く説明を受ける。彼女の手当として、水魔法を扱えるリオンに治療をお願いしてもらっているみたいだ。その判断と、何よりリオンの手腕のおかげでどうにか命は手遅れにならずに済みそうとのこと。


 グレンベルクの傷然り、セーラの欠乏症然り、やはり治療できる人物が一緒にいてくれるということは大変助かる。二人の負傷を治してくれているリオンは、影の殊勲者と言っても差し違いは無いだろう。


 元々はティナとリオンが森に入ったから事が大きくなって大事になってしまったのだが、それは言っても仕方がない。とにかく、セーラも無事に済みそうならそれで十分だ。


「あと少しだ。頑張ろう、ミュゼット!」


「うん!」


 状況確認も済んだところで、再び眼獣と向き合う。抵抗する人物が一人増えたことに苛立っている様子の眼獣。その足元から、再び影が生み出される。


 ミュゼットを守護するように前に立ち、影の脅威を一つずつ退けていく。ミュゼットがこの場に戻ってきてくれたこともあり、遠距離から眼獣目がけて風魔法を容赦なく浴びせにかかる。


 直接喰らうのを避けるために影で防御を余儀なくされる眼獣。従ってそれは、攻撃に回していた影を自らの防御に回すことになる。結果として攻撃に割いていた合計十五本の影の内、半分近くは身の回りに残しておくことになる。


 残りの半分でミュゼットを狙おうと試みるも、彼女に影が到達する前にラルズが門番として護衛する。フル装備の十五本でも移動し続けている関係上、ラルズを仕留めきれなかったのだ。半分にまで減少するなら対応は上々。


 セーラの姿に感化されたのか、ミュゼットはこの短期間の事態の中でも魔法の練度が見る見る間に成長している。最初に抱いていた不安感もすっかりどこかに吹き飛んでおり、風の刃に力が加わる。成すべきことを遂行しようと、与えられた役割を果たそうと魔法を放ち続ける。


 自信が上乗せされた風の刃は打ち出されるごとに加速を増していた。連続で射出される風の魔法は、操る宿主の想いに呼応するように鋭さを増していき、威力とは別に速さが軒並み増していた。加速していく風の刃……その進化は大きなものであり、そして――、


「――……!?」


「――や、やったっ! 当たったっ!!」


 ミュゼットの放った風の刃が、影の防壁の隙間を縫い、本体に命中したのだ。その功績はこれまでで一番の代物。瞼を下ろして本体に傷が及ぶのを考慮して突撃した際も、眼獣はミュゼットとセーラの風魔法を受け続けていたが、今回はまるで違う。


 初めから傷を負う覚悟を背負って興した行動と比べて、全力で防いでいる最中に発生した、正真正銘、対応が追い付かなくて生じた確かな負傷。バルシリア小森林のグレンベルクとの一戦から数えても、望まぬ傷を負ったのはこれが初めて。


 いくら眼獣側が真価を発揮できない状況下とはいえ、ラルズたちの抗いが実を結んだ結果だ。


「――……!!」


 眼球の一部が風の刃を真っ向から喰らってしまい、大小の眼球たちがバラバラに瞬きを繰り返している。叫び声や眼球以外の変化がないために、明確な被害さがどれほどなのか伝わりにくいが、間違いなく痛みに嘆いており、苦しんでいる様子だと伺える。


 眼獣と比較すれば、ラルズたちなど弱者でしかないのだろう。竜車という逃げの足がなければ、その気になれば簡単に瞬殺できる。本来、ここまで間延びする相手ではなくて、最初から本気で来られていれば、森で出会った瞬間からラルズたち全員の命は平等に死んでいたはずだ。


 ミュゼットから喰らったその一発は、命に対する驕りからきた、弱者を侮っていた分の証明。命は自身によって略奪されるものでしかないと考えていた、弱者から一矢報われた結果が、目の前で眼球から血を流している魔獣の姿だ。


「畳みかけよう、ミュゼット!」


「わかった!」


 風の刃が喉元ならぬ本体に届き、一矢報いた形に満足せず、続け様ミュゼットに風を展開してもらう。ここで攻撃の手を緩めてしまえば、再び眼獣は反撃に徹してくる。手傷を負わせたとして、影の操作に淀みは生じない。


 ミュゼットが追撃を仕掛けて尚も眼獣に魔法を放ち続ける。防御の方に意識を割いているからか、こちらに伸びてくる影は半分よりも更に少なくなっている。攻撃に使う影が明らかに減ったことを確認して、ラルズは影と相手取る。


 手数の多さも影の利便性の一つ。攻撃にしろ防御にしろ、どちらとも手数の多さがものをいう圧倒的な物量。防御八割、攻撃二割のような配分を前にして、ラルズはふと閃いた。今ならば、こちらに対しての攻め気は防御のそれに劣っている。


「――ミュゼット、少しの間、影の相手を任せてもいいっ?」


「うん、大丈夫っ!」


 こちらに差し向けられる影の本数は数本程度。ラルズの問いかけにミュゼットは力強い返事と頷きで返す。ミュゼットに影の相手の全役を任せ、その間にラルズは自身の腰に付けているポーチの中に手を突っ込む。奥の方に備えていた、一度だけバルシリア小森林で使用した代物を手にとって、それをポーチの中から外へと取り出す。


 ラルズが手にしているのは赤色の鉱石。その中身には火の魔力が封じ込められている、破壊力の詰まっている火の魔石だ。魔法を使えず、剣でしか戦う手段を用いていないラルズからして、唯一とも呼べる剣以外の対抗手段。効果や威力が中々なことは周知しており、身を持って体験している。


 合計で四つポーチの中に忍ばせていたが、特大の風に我が身を流されているときの脱出手段として既に消費してしまっているので、残りは手にしている二つだけ。


 手の中で魔石を転がしながら感触を確かめつつ、ミュゼットの名前を一度呼んで、重ねて頼みごとを口にする。


「一際大きな風を魔獣に向けて飛ばしてもらうことってできる?」


「わかったっ!」


 ミュゼットに了承を頂き、そのときを待つように手の中の魔石をぎゅっと握り込める。手にしている分の魔石の数は二個ともここで使い切る所存だ。一個だけでは眼獣に対して大きな刺激と衝撃は与えられないだろうと見積った上での判断だ。手札が消え去るのは心許ないが、出し惜しみもしている場面ではない。


 ミュゼットからの合図を待ち、その瞬間が訪れるのを黙って待ち望む。勝機は一瞬であり、外してしまえば魔石が打ち止めになることを鑑みても、最初の一発が最後のチャンスとなる。絶対に外すわけにはいかない。そして――、


「ラルズっ!」


 集中して練り上げられた風の一発。初めて彼女に魔法を見せてもらった際の、緑色の球体。喰らった相手に裂傷を与える鋭い斬撃の嵐が内蔵されており、真面に受ければ先の一発よりも大きな被害を魔獣を襲うことは明白。


 一度傷を付けられた経験もあり、眼獣がミュゼットの放った魔法に強い警戒を示した。防御に全ての影を用い、そのまま壁として扱って到達を防ぐことで直撃を回避する腹積もりだろう。盾としてはいささか厚みも幅も足りないが、直撃を避ける点と衝撃を緩和させる点に関しては過ぎた代物。


 風の弾丸は眼獣の僅か先で影に邪魔されて衝撃が拡散される。内部に蓄積された風の魔力が周囲へと展開されて、身を挺して本体を守った影は全て切り裂かれて霧散する。直ぐに影を生み出すことができる眼獣からしたら大きな痛手にはならないが、それはあくまで今の攻撃が単発で合った場合の話だ。


 一瞬の無力化。再び展開されるその間際で、


「今っ!!」


 手の中の魔石を膝に当て、衝撃が魔石に伝播――微かに鉱石の内部より赤い光が生じられ、起動を暗示する。そのまま魔石を眼獣の真正面目がけて投じる。既に新たな影の展開を始めているが、魔石が到達する瞬間には僅かに届かないはず。


「――……!?」


 不意の投石。ミュゼットの魔法に対処し終えた直後、目の前から迫り来る赤い物体。光の輝きが段々と激しくなり、爆発寸前であることをほのめかしている赤い鉱石。中に内蔵されている火の魔力を躊躇せず外部へ吐き出そうと光が強まっていき、邪魔者なくして眼獣に差し迫る。


 影を伸ばして危険を排除しようと試みる眼獣。が、その影が到達するよりも先に、竜車と眼獣の間で衝撃が拡散――爆発が周囲を巻き込んだ。


「――っ!」


「きゃっ!?」


 視界が赤く染まり、次の瞬間には衝撃がラルズとミュゼット、果てに眼獣を飲み込んでいた。小さな鉱物に溜め込まれていた魔力が弾け飛び、衝撃の余波でラルズとミュゼットは後方へと吹き飛ぶ。爆発が引き起こされて視界が黒煙で覆い隠される。


 直接爆炎に巻き込まれてはいないが、爆発の余波で発生した煙は鼻と喉を通って肺にまで到達。異質な物質が取り込まれて思わず咳が生じる。咳き込みながらその息苦しさを緩和しつつ、状況がどうなったのか一早く確認するラルズ。


 身を乗り出す勢いで後方確認するラルズ。早々と地竜が風に乗って走行していき、黒煙地帯を駆け抜けていく。煙が晴れた先、竜車を追走してきていた眼獣の姿は確認されない。街道の有り様を遮る木々や建物も元々見当たらず、いくら辺りに視線を飛ばしても眼獣の姿はラルズの瞳に映らない。


「い、ない……よね? ・・いないよねっ! ってことは私たち、追い払ったんだよラルズっ!」


 ラルズの後に状況がどうなったのか確認しに隣に並んだミュゼット。自分たちを追ってきた脅威の存在が景色に映らないことに喜び、彼女の持ち前の明るさが表情と態度に戻っていた。


「逃げ、きれたのかな……っ。いや、諦めてくれた?」


「そんなの、どこにもいないんだからどっちでもいいよっ!」


 一見楽観的とも思えるミュゼットの判断。だが、確かに眼獣の姿は黒煙放たれた瞬間から確認されず、今も周囲を確認しても存在は瞳に映らない。無我夢中で、必死に抵抗を続けていた時間が嘘のように、地竜の力強く走り続ける音がうるさく鼓膜を叩いており、車体が振動で揺れ動く音なんかもしっかりと拾っている。


「・・どうしたのラルズ、もっと喜ぼうよっ!」


「うん……。それはそうなんだけど、さ」


 ――違和感。確かに想定外の手段としてラルズは魔石を利用して眼獣に痛手を負わせた。不意の一撃でもあり、計算外の攻撃であったことは確かだ。至近距離での爆発を逃れる術はなく、真っ向から爆発の衝撃を浴びたはずだ。倒しきるには至らなくても、相当な深手を負ったに違いない。


 煙に紛れて逃げた……よりも、負傷を負って追走を諦めたと考えても不自然ではない。傷を負ったのだとしたらこれ以上、ラルズたちとの接触は面倒なだけだと判断して、身を引くことも一つの手段として挙げられる。


 そもそもあの眼獣がラルズたちを執拗に狙い続けるのはあくまで獲物として価値を有していただけ。グレンベルクのような一方的な因縁を抱いていたわけではなく、動機など薄っぺらいもの。


 ・・だとわかっているからこそなのか、この程度であの眼獣が手を引いたとは考えられない。淡い衝動に駆られ、敵を屠ろうとここまで追走を続けてきた眼獣が、ここで諦めきるとは思えないのだ。


「――もうラルズったら心配しすぎだよっ。どこにもいないんだから、逃げたんだよきっと!」


 すっかり脅威は退けたと、喜びを分かち合おうとミュゼットが満面の笑みをラルズに向ける。そんな晴れ晴れしている表情に対して、ラルズの表情は彼女とは反対に暗いまま。何か、大きな見落としをしているような気がしており、脅威が映らなくても警戒心はずっと稼働しっぱなしだ。


 ただ――、


「――ぅぁ……っ」


「ラルズっ!?」


 途端、足元がぐらついて膝を崩れ落ちる。へたり込み、全身に力が入らない。警戒心は依然として働き続けていても、肉体はこれまでの時間の中で既に限界を迎えていた。切羽詰まっていた状況から解放され、どこか意識とは別のところで安心感のような類の感慨を覚えているのだろう。


 加えて、今まで誤魔化し続けてきた痛みが再び主張をぶり返してきたのだ。思い返してみると、随分と肉体を酷使し続けてきたものだ。痛みと疲労が一気に襲いかかり、肉体を休めろと指示を飛ばしてきていた。


「・・少し疲れただけ。心配かけてごめんね?」


「びっくりしたっ。ラルズも傷が酷いんだから、安静にしててね」


 傷自体は既に出血も収まっているし、これ以上酷くなる見込みは無いだろう。一度治療を受ければ本調子に回復するだろうし、グレンベルクやセーラと比べると軽傷に近い。


 ――などと考えていると、


「・・あれ、何か聞こえない?」


 ミュゼットが耳を澄ませる。その動作につられてラルズも耳に意識を向けると、彼女の言う通り何か音が聞こえてくる。地竜が走る音と風が吹き抜ける音とは別の音。その音が遠くの方から微かに耳に入り込んでおり、直感的にその音が人の声であることを理解した。


「――あ、あれ見て、ラルズっ!」


 彼女が声の正体に気付いたのか、腕を伸ばして視線を誘導する。つられてそちらへ視線を送ると、今現在ラルズたちが向かっている都市の進行方向とは逆方向。つまり、南の都市エルギュラスから、竜の背に乗りながらこちらへと近付いてくる集団の姿が映り込んだ。


「あれ、って……!」


 都市に生きる人々を救うために設立されている団体組織、通称ギルド。その面々の中にはラルズが練兵場で何度か顔を見合わせている人物もあり、手合わせをした人物もちらほら見受けられる。


 グレンベルクが上空に放った灼熱の魔球。大きな爆発音を轟かせた産物は、彼の目論見通り都市を守るギルド兵に無事伝わること叶い、こうして異常を察知して動いてくれたみたいだ。


 かなりな数の集団が動いてくれているみたいなのは、動員されているギルド兵の数を見れば明らか。周囲に出現した魔獣の討伐を行っていたが、万が一を考慮して元々都市に残っていた人員と比べても多い。


 もともと日時的に夕方近くに都市を出張って討伐に当たったギルドの面々。ラルズたちが森で行動を起こしている最中にも、ギルド側の魔獣対応も同時に進行していたこともあってか、動員されている人数からして、そちらの対処は既に完了していたのかもしれない。


 こちらに走って向かってくるギルド兵の姿を前にして、口から大きな吐息が漏れる。安心に溺れたミュゼットも同じように吐息を漏らして、互いの顔を見合わせて二人は笑顔を浮かべた。


 そこで初めて、ラルズの張り巡らされていた残り僅かな緊張感と警戒心が解かれた。瞬間、


 ・・背筋が凍った。得体のしれない代物に恐怖を覚える、本能の訴え。


 二人とも笑顔が表情から消え失せる。その存在に気付いて振り返った先、本能が警告した存在が眼前に姿を現していた。


「――……!!」


「――っ!!」


 退けたと、撃退したと思っていた。否、思いたかった。あれで終わるとは思えず、僅かでも油断も隙も曝け出していなかった。だけどたった一瞬……沢山のギルド兵の姿を前にして、張り続けていた空気に綻びが生まれてしまっていた。


 後悔は手遅れを歓迎し、影が既に投じられる準備を完了する。現出された影の本数は十本。その全ての先端を平等に向けるのは、戦いが終わったと勝手に決めつけ、安心しきって無防備な姿を見せているラルズとミュゼットの二名。


 反撃をしようと短剣に手を伸ばそうとするが、間に合わない。既に影が狙いを完了し、命を奪い取ろうと影を飛ばして――、


「ミュゼットっ!!」


 自身の命よりも先に、隣に並んでいる少女を救おうと身体が瞬間弾けた。ミュゼットを手で押しのけ、殺戮の影からその身を逃れさせる。咄嗟の反応。助けたい一心で行動した結果であり、自分の命を先に守ろうという、自己防衛の考えなど備わっていなかった。


 ミュゼットを乱暴に力を加えて遠くへ弾き飛ばす。そして、一人を助けた代償として、一人は影から逃れる術を完全に失った。


「――ぁ……」


 ・・・・・・背中と、身体の内側と、胸が、熱い……。


 身体の背中側から貫いた影が、目の前に映り込んでいる。集中している箇所――視線を落とせば胸付近を集中して貫かれているのが見てわかった。そこは、一度目に森で出会った、刺し貫かれる寸前であった心臓の部分。


「・・ら、るず……っ?」


 視線を上げれば、ミュゼットに影は及んでいない。無傷同然で、ラルズのように影の被害を貰っていないことを知り、ひどくラルズは安心した。


 ――良かった。助けられて……っ


 それだけで、ラルズは十分だった。守ろうと試みて、無事に守ることができたのであれば、それだけで。


 ・・だって、俺は――


 そのままラルズは影に貫かれたまま竜車から引きずり離された。抵抗しようにも、心臓を貫かれていたこともあり、手足の指一つすらも動かせない。そのまま成す術もなく、ラルズは宙に浮かされて、景色が反転した。


 遠くなっていく竜車の姿。その景色を見届けて、ラルズは街道に叩き付けられた。

 


 


 







 








 



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