第二章42 戦闘準備
地竜が突然として暴走し、その弊害は地竜が引いている竜車と、その竜車に乗り込んでいるラルズたち全員に、振り落とされるほどに激しい揺れを提供する形で訪れる。足元がぐらついて真面に立っていることも難しく、どうにかこうにか踏ん張りを効かせて行動できるほどの振動。
尚も竜車は爆走を続ける地竜の動きに比例して、加速度的に揺れは膨れ上がる。突如として発生した揺れに対して、ティナとリオンの二人の子供だけでなく、ラルズやミュゼットの悲鳴も重なって車内を埋め尽くす。
そんな中、陥った状況に冷静に対処を見せるグレンベルクとセーラ。突然のことでバランスは崩れたが、心は平常。長らく運転者不在として、ストレスや不安を抱え続けた果ての地竜の行動だと瞬時に判断して、セーラは手綱を握りに御社台へと向かう。が、その足は御社台のある先頭方面ではなく、むしろ逆方向。竜車の最後方へとセーラは進んだ。
地竜が走り抜けてきた街道の奥地へと視線を送る。セーラの瞳が愕然と見開かれ、口から零れるのは短い一言。その一言と彼女の表情から嫌な予感が察せられ、その正体を共感しようと、ラルズも落ちないように注意しながら立ち上がる。目線を彼女と同じ高さに揃えて、同じ方向へと視線を向ける。
・・地竜が走り抜けてきた街道。通過してきた後方から、黒色の物体が近付いてきた。地面が何やら移動を続ける代物に覆われ、部分的に真っ黒に染まっていく。
その物体は舗装された地面を悠々と滑りながら移動している。向かっている先は進行方向に位置する地竜。いや、正確には……その地竜に乗り込んでいるラルズたちだろう。
猛然と走り抜ける地竜に追い付こうと、黒色の物体――影がすさまじい速度で付いて回る。どれだけ早く身動きをしようと、影は振り切れない。そんな言葉を体現するかのように、影は地竜に迫り来ていた。
竜車に乗り込んでいる者の視線を捉えたのか、液体のような影に変化が生じた。激しく影の中身が暴れ出し、ズズズッと……まるで深い水の底から這い上がるように巨大な代物が浮かび上がった。一度姿を見れば忘れない、最悪の生命体。
巨大な眼球の中に内蔵されて蠢き続ける眼球集団。バルシリア小森林の中に潜んでいた、あらゆる命を略奪し続けていた、眼獣と称するのが的確な魔獣。ラルズやグレンベルクを命の危機に陥れた、桁違いの化け物。その見た目と圧倒的な実力は、対峙した人物に恐怖を擦り込む。一度刻まれれば薄れることなく、鮮明に記憶に蔓延り続ける異物。
そんな最悪の存在を確認して、背筋が凍りつく。森から大分離れているにもかかわらず、獲物を逃そうとする意志がないその執着心は、恐怖を抱くのには十分すぎる。
「と、都市まで後少しなのにっ……!」
ラルズは振り返る。振り返った先、南の都市エルギュラスまではもう少しとなっている。地竜の進みを阻害するような障害も敵もなかったこともあり、都市の姿は瞳に小さく映り込んでいる。時間にしてあと十分もかからない。
あと少しでゴールに辿り着ける、そんなときに眼獣は再びラルズたちの目の前に現れた。目の前に広がる光が闇に染まるように、希望が絶望に変わる瞬間のような錯覚を覚える。
隣を見れば、既に立ち上がって眼獣を睨み付けているグレンベルクの姿が。自分の復讐と気持ちを一時的に整理した彼であるが、向こうの方からもう一度目の前に現れるとは思わなかっただろう。怒りの眼差しを向け、眼獣を睨みつけている。
「グレン、落ち着いて――」
「・・ああ、わかってる。ここで無謀に立ち向かうほど、今の俺は馬鹿じゃないっ。悔しい気持ちはあるが、今の俺じゃあいつには敵わないっ」
再び相まみえてしまった眼獣とグレンベルクを心配して、ラルズが声をかける。姿を前にして再び挑みに行くんじゃないかといった胸中の心配を舌に乗せたが、要らない心配だったみたいだ。
自身と相手との力量差を理解している言動。口調に若干の荒々しさは残っているが、それでもグレンベルクは怒りのままに眼獣に突っ込んだり吠えたりはしない。嫌いな面として告白した、自らを正しく律せられる、理性とも呼べる部分がグレンベルクを引き留めている。
それでも堪えがたい激情が胸中に渦巻いている。その激情を飼いならせようと、自ら拳を強く握り絞め、口の端を強く噛み締めて血が生まれる。激情の名残を無理矢理抑えつけ、グレンベルクは一度息を深く吐き捨てると、進行方向に映り込んでいる都市を見て、そのあとで全員を一瞥する。
「・・戦力的に、俺を含めて全員で戦いを挑んでも勝てない。都市までの距離を鑑みても、このまま都市まで地竜を走らせるほうが賢明だろう」
過ぎ去った激情に別れを告げて、グレンベルクが冷静に状況を判断する。道理に明るい彼の言い分を前にして、直ぐに同意を示したのはセーラだ。
「グレンの言う通り、このまま都市へ全速力で逃げていった方が都合がいいし、他に手段もない。いくら周りに遮蔽物や視界を遮るものがないといっても、あの魔獣の方が実力は数段上。束になっても敵わないだろうし、挑むのは死にに行くようなものね」
正面から激突したとしても、返り討ちに遭うのは目に見えている。木々に囲まれていて視界情報が著しくなかったり、魔獣にとって隠れられる場所が多く存在していたバルシリア小森林と比べれば、街道が広がる外の地帯は見方によればラルズたちの有利となるだろう。
が、それはあくまで状況の有利性の話だけ。実際の戦闘に対しては魔獣側にとって影響を及ぼさない。いくらフィールドの状況が眼獣にとって不利に働いていたとしても、元から隔てられている戦力差を埋めるには至らない。
などの理由からしても、このまま都市へと全力で駆け込む方が現実的である。足を止めて正面から力を合わせて魔獣撃退を試みるよりも、このまま足を止めないで逃げ切る方が生き残れる可能性は高い。
「で、でもこのまま都市に戻ったら、都市のみんなが危ないんじゃ……っ」
「――あ、確かにっ」
ミュゼットの懸念。このまま無事に振り払って都市へと戻れたとしても、あの眼獣が都市内で暴れればどうだろうか。それこそ被害は何も知らない一般人やギルド兵、下手をすれば被害は更に広がってしまう。
都市を守るギルドの人々は現在どうなっているかわからない。魔獣の殲滅をしにバージェが大軍を率いて南門から出発したのが数時間前。事が片付いていれば都市へと既に帰還しているかもしれないが、実態は把握できていない。
仮に戻っていたとしても、あの眼獣相手に勝ち切れるかどうか、そこが問題だ。あの魔獣はその辺の魔獣なんかよりも遥かに凶悪で、遥かに強敵である。
「ギルドの人たちに協力してもらうしかないわね。厄介事を持ち込んで申し訳ないけれど、こんな事態になってしまった以上多少は目を瞑ってもらう。あとでどんな罰でも受けても仕方がない覚悟で。今はとにかく都市へ向かうことを優先して、このまま進みましょう」
身から出た錆……とは少し意味が異なるかもしれないが、迷惑はかけてしまう。ラルズたちだけでは対処の域を超えている。誰か別の人物や組織に協力してもらわなければ、どうすることもできない。
自分たちから行動を起こして、手が付けられないから他人に力を求める。はっきり言って迷惑極まりなく、無責任という言葉が重く圧し掛かってくる。が、ラルズたちが森に向かわなければ、ティナとリオンは程なくして魔獣に命を奪われていたことだろう。無茶をした結果が今の状況にあるが、それでも助けられたのだから恩の字と思いたい。
色々と反省する点も、軽々しく軽率に判断した迂闊さも、今は後回しだ。とにかく、今はできることを全力で行う。それだけを第一目標に定め、行動をしなければいけない。
「・・ってみんな、魔獣が来てるっ!?」
方針を確立した先、ミュゼットが手を伸ばして連絡を回す。遠くに映り込んでいた魔獣の姿が段々と大きくなっている。距離が縮まっている証拠だ。全力で走行しているのに、魔獣はそれでも追い付いてくる。
「――急ぎましょう。まず地竜の手綱は私が握るから、その後みんなで――」
提案を口に出すセーラだが、その声は途中で中断される。それは隣に立っていたグレンベルクの行動によるものだ。彼は掌を上に向け広げると、
「ラ・イーラっ!」
突き出した両腕の掌の先で、火球が生成されていた。しかも一つではなくて二つもだ。
まさか眼獣にそのままぶつけるつもりだろうか。そんなことをしても、影に潜られでもすれば与える被害は皆無に等しい。見え見えの魔法など、簡単に避けられてしまう。そんなこと、他でもないグレンベルク自体が良く理解しているはずだ。
天へと向けられた掌の先で現出する特大の火球を前にして、魔獣の眼球が僅かに細まる。そんな眼獣の様子には一切取り合わず、目もくれていない。彼は短く詠唱して膨張し続けた火球二つを、眼獣にではなく、遥か上空へと飛ばした。
「グレン――っ?」
疑問も去ることながら、生み出された火球はそのまま標的も存在しない上空の彼方へ。夜空に浮かぶ星を目がけるように炎が勢いよく射出される。高度を稼いで高く高く舞い上がっていく二つの熱源たちはどこまでも浮かんで小さくなっていく。
それぞれ別々の軌道を描いて、半直線的に高く打ち出された二つの火球は、導かれるように上空のある一点へと吸い込まれるように集合。打ち出したグレンベルクがそうなるように仕組んだのだろう。打ち込んだ灼熱の暴球は空を悠々と進んでいくが、同一タイミングで発射されたもう片方の熱球同士が進行を阻止する形。
特大の熱源同士が空中でご対面し、そのまま勢い衰えずに進行方向を進む。そうすれば、次の瞬間には熱源同士が衝突することなど秒読み。
直撃――次に訪れるのは、込められた多量の質量同士の衝撃波だ。
「――っ!?」
夜の街道にうるさいぐらいに響く爆発音。爆発音が風に乗って、夜という条件化も相まって音は普段よりも鮮明に、はっきりと世界に轟いていた。衝突し合った熱源たちは体内に満ちていた熱気も音と共に周囲へと展開する。
誰しもがその音を耳にすれば何事かと慌て、事態を把握しようとするに至る爆発。そんな爆発をただただ引き起こしたグレンベルクは、痛む身体で大きな魔法を撃ち放った影響が身体に現れたのか、無茶をした肉体はそのまま崩れるように膝をつく。
「ちょ、ちょっとグレンっ! なんであんな意味のないことを――」
「これで、少なくてもギルドの面々は何かあったと思うはずだ」
「・・あ……」
自身の身体に鞭打って放った特大の魔法。魔獣を退けるためでもなく、一見するとただ無駄に魔法を放っただけのグレンベルクの行動。そのことに対して声を荒げるミュゼットだが、グレンベルクが口にした言葉を受けて彼女は納得、そのまま沈黙する。
今の火球同士のぶつかりで起こったすさまじい音は、間違いなく都市にまで届いていることだろう。異常を感知したら行動するギルドの面々。そんな彼等に対して送り付ける、連絡の意思を持ちし代物。それが先程の火球の意味だったのだ。
「門兵も今の爆発に気付いて連絡を回してくれているはずだ。加えて遅かれ早かれ、都市へ全力で駆けている竜車の存在には気付くはずだ。事態の詳細こそ分からなくても、何か事態が動いていると理解してもらえれば、行動を素早く起こしやすいし、俺たちも幸いだ」
自分たちの成すべきことをする。先にそれを行動で示したグレンベルクは、痛む身体をどうにか動かしながら竜車の先頭――御社台へと向かう。暴れ走る地竜の手綱を手に取り、上手く操って竜車内の揺れを緩和。依然として速度は保たれ続けており、操縦者の意を汲み取ったのか、揺れは収まって落ち着きを見せる。
「済まないが、俺は大した戦力には数えられない。治療してもらったとはいえ、依然として身体は傷だらけで痛みもある。さっきの魔法も無理をして放ったせいか、魔力も痛覚が邪魔して上手く扱えない……」
その傷で良く持ち堪えている方だろう。常人であれば動くことも魔法を放つことも危ぶまれるほどだ。本来なら安静にしているべきはずなのに、それでもと身体に鞭打って成すべきことを行っている彼の胆力は相当なものだ。
「その代わり、地竜の方……運転は俺が何とかする。だから済まないが、お前たちで魔獣を牽制して、時間を稼いでくれ」
「牽制……時間を稼ぐ?」
グレンベルクは「ああ」と短く頷くと、奥から段々と近付いてくる魔獣に対して瞳を鋭くする。敵意はそうだが、怒りとは別の、相手をよく観察しているような目つき。
「あの魔獣、恐らく移動に力を注いでいるからか、俺やラルズと戦ったとき以上に影を操るのは難しいと見た。またはそれ以外……影を多用しないところを見るにあくまで仮説だが、影を伸ばせる範囲が限られているのかもしれない」
あくまで仮説。だが、グレンベルクの言う通りかもしれない。魔獣との距離は狭まり続けており、目測ではあるが現在の地竜との間の距離は大体五メートル近く。時間が経過するごとに距離は縮まるし、その内追い付かれるのは目に見えている。
だが、眼獣は移動を全力で行っている節が見られ、お得意の影を伸ばして進行を阻止しようとする動きは行ってこない。移動に全力を注いでいるからか、はたまた彼の推測通り、影を伸ばすのに限界距離があるのかもしれない。
あくまで憶測の域は超えられない。だが、この仮説が正しいとするのならば、少しだけではあるものの光明が差し込む。
「・・成程ね。その言葉を信じる価値はありそうね。実際のところは不明だけど、影の射程が存在しないのであったら、影を使って地竜を襲うなりして動きを止める方が手っ取り早いはず。こんな無駄な追いかけっこをする必要もないし、あながち間違いでもないと思うわ」
グレンベルクの説明を受けたセーラが口元に手を添えて一考。状況を鑑みて、彼の考察が的外れではないと評価を下して、グレンベルクも頷く。
「じゃあ私たちは……」
「そうよミュゼット。あの魔獣に竜車を止められないように、妨害を続けるの。足元が常に動いていて狙いを定めるのが少し厳しけれど、四の五の言ってられないわ」
戦闘が厳しいグレンベルクは自然と数には含めない。そうなると、竜車を守る兼、眼獣の進行を止める役割はラルズ、ミュゼット、セーラの三名へと委ねられるのだが、そうなると幾つかの問題が浮き彫りになってしまう。
「セーラ、魔力は……」
「・・もう無いに等しいわね。打てても数発程度、それ以上は欠乏症になるから無理ね」
セーラは森の入り口から今に至るまでほぼ魔力を際限なく使用している。ラルズとグレンベルクを助けてくれたときの特大風魔法も、ミュゼットに魔力を貰った上で発動できた一発だ。残された魔力もあまり無いとして、厳しい状況に変わりはない。
そしてもう一つ、ここでラルズの弱点が大きく圧し掛かってくる。
既に衆知の事実となっている、ラルズは魔法が使えないという点。属性魔法の一切も、黎導も持ち合わせいてない。魔力だけ体内に内蔵されている、この状況においては半置物的な存在でしかない。
魔法が使えないのであれば、瀕死の重傷を負っているグレンベルクよりも、魔力が少ないセーラよりも戦力としては数えられない。こんな形で己の無力を再認識することになるとは思わず、自分自身が情けなくて仕方がない。
「ラルズも魔法は使えないし、私も厳しい。・・従って、一番この場で重要なのは――」
セーラがこの場においてもっとも戦力として数えられる人物に視線を送る。セーラにつられてラルズも、思い至る一人の人物へと視線を同じくする。この場において、魔力も残っていて且つ、遠距離からの攻撃に長けている人物。それは――、
「・・・・わ、私っ……?」
恐る恐る、自分に指を指すミュゼット。その動作にラルズもセーラも一緒に頷いて肯定する。今、この場において一番の存在であるのは彼女において他にはない。
「で、でも私……セーラみたいに魔法の扱い上手じゃないし、自信も……っ」
風魔法を操れるミュゼットとセーラ。二人とも扱える基本属性は一緒であるが、練度や幅、特色などは個人によってわかれる。その上で両者を比較した場合、風魔法の扱いに長けているのはセーラの方だ。が、だからといってミュゼットが劣っているという理由にはならない。
ミュゼットの扱う風魔法は扱いがセーラよりも劣っているだけで、威力や魔力量はセーラよりも上だと話していた。狙いをつけたり魔力操作は若干苦手気質があるが、それも魔法を扱う者の特徴の一つ。恥じることなんて一つも無いし、落ち込む必要もない。
・・ただ、ミュゼットを苦しませるのは大役であること、これに尽きるだろう。自分の活躍次第で全員が無事で戻れるかどうかがある意味かかっている。頼りになるということは逆に言えば、それだけその人物に負担を強いることと同義。望む望まないに関わらず、空気感が肌を通して勝手に伝わってしまう。
それでも、今この場で一番、眼獣に対して友好的な手を打てるのは彼女以外にいない。
「私たちも一緒に戦うから、変に不安にならなくていいわ。一人で戦うわけじゃないんだから、ね」
「う、うんっ」
セーラの言葉に勇気を貰えたのか、震えてはいるものの言葉には覇気が備わっている。一人でじゃなくて、みんなと戦えることは時として大きく個人から不安や動揺を掻き消してくれる。ミュゼットは大丈夫だろう。
ただ、依然としてラルズの顏は暗く沈んだままだ。撃退準備を手伝いたいと意気込みは十分だが、魔法を使えないんじゃお荷物としか言いようがない。やる気や意志が漲っていたとしても、それで事態が好転などとは簡単にはいかない。問題は正に、今この瞬間なのだ。
ポーチの中に入れていた魔石が数個ぐらいしか真面に援護手段を持ち得ていない。他に手段を考えても、遠距離から攻撃できるような武器も持ち寄っていない。そもそもの話、ラルズは剣以外の武器に触れた試しは数回程度。槍だの斧だのも屋敷で鍛錬の過程で相性を調べたりしたが、どれもしっくりこなかったので、結局剣に落ち着いている。
仮に遠距離から放てる武器……弓なんかが竜車に積まれていたとしても、上手く扱えるかは微妙なところ。竜車から下りることはできないし、完全に自分の攻撃手段が近接手段しかないことを踏まえると、もはやティナとリオンと同じく隅っこで縮まっているしかできないのではないだろうか。
こうしている間にも眼獣は速度を上げて地竜との距離を縮めている。急いで何か手段を講じないと――、
「ラルズ、貴方は私の傍っ!」
「――え?」
悩んでいるラルズの意識に呼びかけるのはセーラだ。まだ具体的な手段も方法も考えていない中、セーラの切迫した声を受け、考えが纏まらないうちに彼女の傍へと移動する。
「セーラ、俺まだ役に立てる方法が思いつかなくて――」
「だから仕事を与えるのよ。女性にだけ働かせて自分は静観決め込むなんて、許さないわよ」
強気な物言いのセーラにたじたじになりつつ、彼女は右手をラルズの方へと差し出す。その意味が分からず、彼女と伸ばされた腕を交互に見つめる。
「魔力が足りないって話したでしょ? だから、ラルズの魔力を私に頂戴。折角残っている魔力も、有効活用しないと損でしょ」
「魔力を……? ・・ってそうか、確か森を抜ける前に――!」
バルシリア小森林でラルズとグレンベルクを助けるためにセーラが放った特大の風。あれは彼女の残っていた残留魔力では足りず、ミュゼットに魔力を支援してもらって放つことができた一撃。あの仕組みを聞いた今では、彼女の行動の意味するところを直ぐに理解できる。
「俺の魔力をセーラに渡せばいいんだね」
「そうよ」
「――でも俺、魔力を誰かに渡したりしたこと無いんだけど、大丈夫……?」
「魔力の感覚を自覚できているなら問題ないわよ。腕を通して私に流せばいいんだから」
「わかったっ」
初めて行う動作だが、仕組みも原理も頭の中に入っているし、魔力の流れている感覚は幼少期の頃から既に把握するに至っている。複雑でもないし、不安視されることは無いだろう。
セーラの伸ばされる手に触れようとしたが、
「――ごめんセーラ、少し待っててっ」
「早くしてよね。魔獣は待ってくれないわよ」
急いでラルズは竜車の先頭へ向かう。奥の隅っこで互いに身体を寄せ合って小さくなっているティナとリオンを不安がらせないように目線を一つ送り、ラルズは御社台で地竜の手綱を握っているグレンベルクのもとへ。
「ごめんグレンっ。短剣貸してもらえる?」
「構わないが、扱ったことあるのか? 不慣れな武器はかえって動きの質を低下させるかもだぞ」
「それはわかってるけど、俺の武器は森で魔獣に弾かれちゃったから……」
腰に帯剣していた、屋敷を出る際にミスウェルから頂いていた鋼の剣。大切な剣であったが、眼獣の攻撃によって弾かれてしまい、宿主であるラルズの手を離れてしまってそのまま回収することもできずにいた。今現在はバルシリア小森林の中で寂しく地面と一体化していることだろう。時期を見計らって手元に戻したい気持ちもあるが、それは無事に事態を乗り越えてから考えよう。
他に腰に添えている武器として、鍛錬用として主に使用している木剣があるが、流石にこれでは心許ない。魔獣の攻撃手段である影のことを考えると、やはり切れ味が優れている武器が手元に欲しいと思い、グレンベルクが普段愛用している短剣を借りようと願い出た。短剣であるなら、普段手にしている剣とは少し勝手が違うけれど、他の武器種と比べればまだ扱いきれるだろう。
「――わかった。と言っても一本は万が一の護身用として残させてくれ。残りの二本はラルズ、お前に渡しておく」
「ありがとう、グレンっ」
残り三本所持していたグレンベルク。その内の二本を譲ってもらい、感謝を伝えて足早に立ち去って竜車の後方へ。
急いで戻ると、魔獣との距離が更に狭まっており、四メートルの境界は超えている。標的が徐々に近くに映り込んでいき、眼獣はご馳走を口にできるように眼球を愉しく細めている。そんな魔獣に対して冷や汗が背中に生じるが、そんな悪辣な存在に屈せず、ラルズはセーラの右隣へ戻る。
「絶対に帰ろうね、みんなでっ!」
「・・うんっ!」
「――来るわよ、二人ともっ!」
南の都市エルギュラスまで残り僅か。全員無事にエルギュラスへ帰還するために、竜車を防衛しながらの眼獣との一戦が再び始まる。