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導きの愚者  作者: ひじきの煮物
第二章 新たな世界と南の都市
56/69

第二章41 命の意味と価値


 涙を流し、悲しみに染まるその様は、ラルズも初めて目にする、グレンベルクの弱々しい姿。


 強くて冷静で、落ち着きがあって、纏っている空気も雰囲気も、どこか他者とは格別されており、弱気な姿勢や弱い一面など、それこそ一度とすら想像もしたことも無い。そんなグレンベルクは、これまで以上に感情を奥底から引き出して、己の弱さをこの場にいる全員に曝け出していた。


 過去の深いところを知らないラルズであるが、彼の口にする内容からして、当時遭遇したあの眼獣を前にして、友達を助けることができず、己の非力を嘆いて後悔の念に苛まれる。加えて、自らの命を優先して動いた結果として、見殺しにしたと定めて自分自身を恨んでおり、罪と自覚している。


 そしてその罪を償うために……彼はあの眼獣を殺すことを宿願として行動を起こした。それは殺された友達の魂に誓っただけでなく、自らに課せた贖罪を果たす意味も込められていたから。


 復讐に込められた思いは一つではなかった。ただ友達を殺された恨みや憎しみだけで行動していたのではなく、グレンベルクを突き動かす代物は、自らが背負いし十字架も関係している。他者に復讐を手助けしてもらいたくないと言った言葉の意味も、深い事情を知った今ならば納得できる。


 グレンベルクにとって、復讐は決着と同じなのだ。殺された友達、魔獣に恐怖して逃げ出した自分自身、友を助けず、見殺しにしてしまった己の罪。それら全てに終止符を打つために、彼は長い間魔獣を追い続けてきた。


 ・・目の前のグレンベルクの姿を前にして、なんて声をかけるのが正解なのだろうか、ラルズにはわからなかった。


 ラルズにとってグレンベルクは友達だ。時間など些細なものかもしれないが、これまで接してきた時間や一緒に過ごした時間の中で、確かな友情意識が芽生えていると言っても過言ではない。嘘偽りではなく、心の底からの本心である。そして、これからも時間を共にしたいと思っている。


 その実、グレンベルクは決着を付けるために活動を続けている。


 ・・復讐など、他者が耳にすれば馬鹿馬鹿しいと口にするだろう。命を無駄にするなと、生き残った命に感謝して人生を謳歌しろと。亡くなった人の思いを背負って、自分らしく生きていけと、多くの者は命を大事にしろと彼に言葉を浴びせただろう。


 ラルズも、最終的に決断するのは自分自身だ、などと口にしているが、本心からすれば当然復讐を決意して行動するのに関しては反対だ。


 それもそうだろう。友達が危険な目に遭う道が目の前に続いており、下手をすれば死んでしまう。それにグレンベルクには申し訳ないが、先の復讐相手との一戦を間近で目撃しているラルズからすれば、到底あの眼獣には敵わないのではないのかと見積もってしまう。


 圧倒的な強者。五年をかけて各地を飛び回り、眼獣についての情報を集めた。各地を回り、調査と並行して自身の能力を高め、結果として相当な実力を身に付けることに成功したが、その結果はどうだろうか。


 再開を歓喜し、これまで鍛錬を続けてきた力を全て惜しみなく使っても、肝心の攻撃は全て躱される始末。自らの攻撃は一度として掠ることすらもなく、隙を付かれて一撃で勝敗は決した。痛みと血に溺れながら、激情に身を焦がして再び肉体を動かすも、呆気なく弾かれてそのまま沈黙。


 あまりにも報われず、悲惨な末路。五年という長い年月が、まるで意味のないものであったように、これまでの日々の全てを否定されるような、呆気ない結末。


 身も心もボロボロに砕かれ、敗北した事実を突きつけられ、ついには堪え切れない激情の留飲が底から這いあがり、涙を流して訴える。


 ・・なんて言葉を送るのが、一番この場において正解なのか、ラルズにはわからなかった。酷い言葉を浴びせられ、一時的とはいえ瞳に涙を浮かべていたミュゼットも、ラルズと一緒でその場でただグレンベルクを心配する視線をぶつけている。


 全てを否定されているグレンベルクを前に、何を伝えればいいのか、誰も答えなどわからなかった。


 ――なのに、一人の少女は違った。


 毅然とした態度で、涙を流して感情的に訴えるグレンベルクの姿を前にしても、彼女の態度や姿勢や何も変わらなかった。冷淡で、温かみや思いやりも感じられず、涙交じりの告白も全部切り捨てて、変わらず彼女は――セーラは冷酷に言葉を投げつける。


「貴方の過去なんかに私は興味も関心も無い。勝手に自分の過去を話して、だから何? 同情して貴方をここで降ろすとでも思ってるんだったら、実に滑稽ね」


 自らが作りし凍った空気を、再び言葉を唱えたセーラが更に冷たく覆っていく。そのあまりにも容赦のない冷たい言葉は刃と同じ切れ味を誇っており、当事者でもないラルズすらも、心を抉られるような錯覚に陥られる。


 悪い意味でどこまでも平常運転のセーラの双眸。目には温かみも、恩情の類も、欠片も伺えない。一片の同情の余地や他者を思いやる気遣いも、まるで持ち合わせていない。冷徹で、冷ややかで、まるで心の内側全てを見通すような氷の眼差し。


「私はラルズやミュゼットとは違う。グレン――貴方の過去や思い出を聞いたところで、情緒が揺さぶられたり動いたりなんてしない。どれだけ涙を流そうと、どれだけ行動に訴えようと、心にさざ波は立たないわ」


「・・・・・・」


「それで最初の話に戻るけれど、これ以上私は何を貴方に突き付けられば認めてくれるのかしら?」


 気づけばグレンベルクの瞳から涙は引っ込んでいた。涙の軌跡はいつしか止まっており、呆然とした眼差し。悲しみどころか、セーラの態度に虚無を味わわされ、彼は気力が失ったようにセーラをただ黙って見つめている。


「・・貴方が二回敗北した事実は告げた。万に一つも勝てず、互いの実力差がはっきりと表れていることからも、貴方の復讐は今日完遂されることはないとも教えてあげた。貴方の復讐に対する心意気も気概も、今教えてもらったけれど、私の答えは変わらない。これ以上話しても無駄だと思うから、大人しく移動の途中、治療を受け続けてもらった方が賢明だと思うのだけれど?」


 セーラの言葉は確かに、的を得ているかもしれないし、道理にかなっている。


 念願叶い、憎き相手と相対するも、圧倒的な実力差を実感した。自らの攻撃も策も、全て躱されて反撃を貰った。負傷を負い、それでもと諦めきれない彼は単身再び挑みかかるが、傷を負った身体では満足に肉体を命令通りに動かせず、虫を払う程度の感慨さで呆気なく轟沈。


 ラルズやミュゼット、セーラがいなければ命はとうに繋がれていない。誰が見ても、考察の余地もなく、今のグレンベルクはあの眼獣を倒すことはできない。それは何度挑もうと、仮に万全の状態で再び牙をむけようとも、だ。


 そしてそれを、グレンベルクも心のどこかでは認めている。だが、認めることができず、その要因は復讐とは別の、己の罪として数えている、幼少期の頃の自らの行動に影響されている。


 当初出会った日と、そして今日。話した内容からして、一度目は戦うことすらなく、戦う前から気圧されて敗北を認めたのだろう。二度目となるバルシリア小森林での一戦も、成長して力を付けたといえども、力量差を埋めるほどに至らず届かない。完全な敗北で、反論する気概すらも、真実にねじ伏せられて淘汰された。


 ・・だからこそ、はいそうですか……などと納得できない。そうはならないのが、そうはなってくれないのが、正にグレンベルクの今の状態なんだ。


 仮にラルズがあの眼獣にシェーレとレルを殺されでもしたら、彼のようになりふり構わず行動しようとしているだろう。理にかなっている理屈や、客観的に見てそれが賢明だと思われるような選択肢も全て切り捨て、欲望のために突き進む。自分の命など、事を成し遂げるためだけの道具として扱い、破滅の道だろうとお構いなしに――引き返せないほどに深く、闇の中を進んでいくだろう。


 呆然事実としているグレンベルクに、容赦なくセーラは言葉の暴力で彼を潰しにかかる。どこにも逃がさず、目を逸らすことすらも許さない気勢。


 グレンベルクは、今何を思っているのか。現実をセーラから突き付けられ、その上でどんな答えを出すのか。彼の口から直接語られなければ、胸中の思いの程を全て表に出してくれなければ、誰にもわからない。


「・・うるせぇよっ……!」


 ここまで黙っていたグレンベルクが、時が再び刻まれたように再び口を開いた。そして彼が口にし始めた最初の一声は強気なものであるが、その後に続く言葉は、強気ではあるものの意外なものであった。


「わかってんだよっ……! わかってるから、理解してるから、俺は俺を許せないんだよっ……!」


「・・グレン……?」


「約束して、復讐を誓って、俺はずっと進み続けたっ! 五年の日々を、あの魔獣を殺すためだけに、全てを捧げてきたっ! あいつの命を奪えるようになるために強さを求めて、鍛錬を続けて、あらゆる情報を探してきて、その日が来ることをずっと待ち望んでいたっ……!


 全てはあの眼獣を殺すため。その為に人生の全てを投げ、その身を捧げてきた。


「勝つことだけを考えて、勝つことだけを望んで、あいつの墓前に勝利の報告をしに行く日をずっと夢見て、俺はずっと生きてきたっ……! なのに、俺は通用しなくて、虫けらみたいに扱われて、俺の全てを否定されて、悔しくて悔しくて仕方がないっ! これほどまでに捧げても、俺とあの魔獣の間にはどうしようもない壁があるって、思い知らされたんだっ!!」


「・・・・・・」


 思いの丈を全てぶつけるグレンベルク。それを黙って耳にするセーラ。そのままグレンベルクは尚も口を動かす。


「どれだけ良かったか……! 感情に身を流して、ただただあいつを殺すことだけを考えられれば、どれだけ良かったか。そう考えているのとは逆に、俺は状況をきちんと見極めてやがるっ。あいつには勝てないって、心のどこかでは簡単に認めちまっている俺がいるんだっ……!」


「グレン、貴方は――」


「勝たないといけないって決意してるのに、今の俺じゃ勝てないって冷静に判断を下している俺がいやがるっ……! セーラの言葉も、ラルズの言葉もミュゼットの言葉も、全部が全部正解だって思ってるから、俺はこんなに悔しいんだよっ……!!」


 グレンベルク。彼は――彼は周りが思っている以上に、大人なんだ。


 感情にそのまま支配されれば、どれほど幸せだっただろうか。激情に身を捧げて、負の感情のままにあの魔獣に立ち向かえれば、どれだけ楽だっただろうか。グレンベルクは、怒りを覚えている傍らで、自らを冷静に見極められている。


 何ができて、何ができないのか、それを深く知っている。自分のことは、自分が一番良くわかっていると聞くが、彼は正にその通りだ。そしてそれは、時として悪い見方をしてしまう。


 知りすぎているから、辛いのだ。知りすぎているから、悔しいんだ。感情に全て支配されようとも、必ず自らを律せる自分が存在している。それを、彼はひどく嘆いている。


 大人過ぎる自分も、激情を振る撒く子供の一面も。両方とも彼の備えた、数ある人間性の代物であるが、それがどうしようもないぐらいに有効に、効果的に働いている。


 怒りのままに反論を口にしても、言葉にしようとも関係ない。どれだけ他者が説得しようとも意味がない。ラルズやミュゼット、セーラがどれだけ言葉を尽くそうとも、考えを改めさせようとしても、全部不必要なことだったのだ。


 何故なら、グレンベルクは最初から既にわかっていたのだから。実力不足も、今の自分の状況も、このまま挑んだ末の、自分の未来すらも……全て。


「中途半端で、情けなくて反吐が出るっ。いっそ獣にでもなれれば……感情のままに全て忘れて行動できるような単細胞だった方がまだマシだっ! そっちの方がよほど救いがありやがるっ!」


 感情に動かされる部分を、理知が抑制してしまう。そんな己に対して、激しい嫌悪感を露わにする。ラルズたちに対して向けられた言動も、正解だって認めている自分自身を否定したくて、自分自身に向けた反論だったのだろう。


 グレンベルクは力なくへたり込でいた。膝をつき、気力を失って、自信が全て打ち砕かれて、他でもない自分自身に絶望している。


「こんな俺が生きてたって、意味なんて無いっ。いっそ、あいつの代わりに俺が死ねば……っ」


 自分の醜さを前にして、自らの命にすらも嫌気が差し込み、殺された人物が自分であれば良かったと、命を落として死ぬのが自分であれば良かったと、後悔の念が彼を埋め尽くす。


「グレン、そんなことないよ。君のおかげで――っ」


「そんなことあるだろ!! 生きてる意味も、生きてる価値も、俺なんかには欠片も――!」


「――ぃい加減にしなさいっ! グレンベルクっ!!」


 自らを否定するグレンベルクの言葉。そしてそれを否定するラルズの言葉が、グレンベルクの自己嫌悪によって生まれた言葉が上から被せられて消滅させられる。そして、


 それはグレンベルクの姿を初めて見たのと同じ、初めて目にする、セーラが心の底から怒りを表している姿。グレンベルクの名前を呼ぶ彼女の怒声が、自身を否定し続けるグレンベルクに向けて放たれた。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 セーラの怒声。そして怒声を放ったセーラが行動を起こし、沈んだ様子のグレンベルクの胸元を力任せに掴んで引き上げ、そのまま竜車の壁へと突き付ける。衝撃に苦鳴を上げるグレンベルクだが、そんな様子も無視してセーラは持ち前の鋭い双眸を更に細め、昂りの素をそのままに口から吐き出す。


「自分を否定するのも、自分を嫌うのも構わないっ! でもっ、命を否定する発言を――生きている意味も、生きている価値も無いだなんて、二度と口にしないでっ!!」


「・・な、にをいきなりっ――!」


「うるさい、黙って聞いてなさいっ!!」


 有無を言わさず、口答えも許さない。その姿には普段の感情の変化が乏しい一面も、大人しい性格の面影も完全になくなっている。先までの冷たくて、温かみも感じられない冷淡な態度が嘘のように、今は真逆の感情を宿してグレンベルクに対して乱暴な言葉をぶつけ続ける。


「自分の命の価値を、勝手に自分自身で諦めて、見切りを付けてっ! 終いには、自分の命なんて生きている必要も意味も、価値も無いだなんて、間違った傲慢さを抱いてるっ。ふざけないでっ!!」


「セーラ……」


「命を軽々しく考えて、簡単に死んだ方がいいと結論を下してっ。挙句の果てに全てを――命を捨てようとする貴方の考え方はひどく悪辣で、それこそ本当に醜悪で下劣で反吐が出るっ! 自分が生きている事実を、単なる命の物差しで捉えている貴方の考えが、不愉快でしかないっ!!」


 先までの事実を羅列して、感情という要素を排除した、論理的に相手に突きつけるセーラの姿勢とはまるで別物。感情に突き動かされ、そこには理屈や論理と呼ばれる代物は入らず、ただ激情でグレンベルクを殴り付けているだけであった。


「お、まえに何がっ……」


「わかる、わよっ……!」


 セーラに何がわかるんだと問いかけるグレンベルク。その問いに、先までの気勢が削がれ、途端に彼女の瞳にからは力強さが剥がれ落ちる。


「グレンが味わった痛みや苦しみっ。自分が許せなくて辛くて……! 今の貴方のように、自分で自分を否定したくなるのも、私にだって……っ」


 凛々しい面貌の中に備えられたセーラの双眸を、複雑な感情が過った。悲哀と悲痛と、どこか寂寥を覚える、悲しさを感じる色が、緑色の両眼に映り込んでいた。そんな双眸を目の前で見つめ、グレンベルクは何も言えない。


 言葉ではなく、表情を前にして、その場を誤魔化すために口にした類の紛い事ではないと、本能が理解したのだろう。彼女の瞳の奥、微かに浮かび上がった涙の粒が、瞑目する動作の渦中を経て奥へと引き戻され、再び瞳が開かれる。


「他の誰かの前ならまだしも、私の前で命を否定することは見過ごせないっ! ましてや、死んでしまった人の代わりに、自分が死ねば良かったんだなんて発言、絶対に私は許さないっ!!」


「お前、に、何がわかるんだよっ……! 殺されたあいつの――トルストの思いも考えも、何も知らないお前なんかが……っ!」


「姿かたちも、一人称も、好きな食べ物も趣味も、家族構成も何もかも、名前以外に何も知らないっ!! でも――」


 一度言葉を区切り、息を吸い込んで再び熱を舌に乗せる。


「グレンと親しくて、それこそ親友って間柄だったんだろうってのは、話を聞いているだけでも理解できる。復讐を抱いて実行しようとするほどに間柄が深くて、仲が良くて、互いに信頼していて、かけがえのない親友だったんでしょう!?」


「――そうだよっ! だからこそ死んでほしくなかったっ。俺の代わりにあいつが生きてくれていたら、それだけで俺は嬉しかったのに、俺は――!」


「貴方の親友も、今のグレンが口にしたことと同じことを思うに決まってるっ!!」


「――っ!?」


 セーラの言葉に、愕然と瞳を開くグレンベルク。


「生きていて欲しかったって、今のグレンと同じことを、彼も思っていたに決まってる!」


「・・・・・・」


「そして他でもないグレンっ。貴方が自分で自分の命を否定することは――生きている意味も、価値も無いって判断することはつまり……親友の思いを踏み躙るのと一緒なのよっ!!」


「――……」


 夜の風が、竜車内に許可も無く音を持ち込む。その音は、それまでなら鼓膜で捉えることもできなかったのに、今はとてもはっきりと耳に残る。


 ぶつけたい内容を全てぶつけ終わったのか、セーラの腕の力が抜ける。壁に叩き付けられていたグレンベルクの身体が力なく崩れて地面とぶつかり、そのまま項垂れてしまった。


 グレンベルクはずっと友のことを――親友のことを考えて行動してきた。トルストという名の親友を殺され、怒りと無力さに苛まれ、復讐と贖罪を完遂させるために、今日まで生き続けてきた。その裏で、自分が生きてしまっていることに、友の代わりに自分が死ねば良かったと、苦しみ続けていた。


 そしてそれは、セーラに突きつけられた、思いを踏み躙る行動と同義であるとも言われ、グレンベルクの大きな柱が、行動原理に大きくヒビが入ったのだ。


 親友のためにと思っていた傍らで、どこか知らないうちに親友を侮辱していた。思いを、尊厳を、魂を、その全てを。自らの感情で泥を塗って、汚してしまっていたのだ。


「・・ぉ、れは……俺はっ――!」


 顔は上がらず、今度こそグレンベルクは何も言えなかった。深く沈み込み、感情も全て出し尽くして、揺れ動く竜車の動きに勝手に同調し、抜け殻のようにその場で座り込んでいた。


 悲惨なグレンベルクの姿を前にして、少女が動いた。


 それは先程酷い言葉を投げられ、心を傷つけられた少女――ミュゼット。


「・・グレン、顔上げてっ」


「・・・・・・」


「――グレンっ!」


 指示に従わないグレンベルク。そんな彼にミュゼットは手を伸ばすと、グイッと下顎を掴んで無理矢理顔を引き上げる。目線を強制的に挙げて景色を広げさせたミュゼットは、


「見て、グレンっ」


 目配せして、移動を続ける竜車の荷台の奥を見るように誘導する。その行動に何の意味があるのか確認すべく、グレンベルクはミュゼットの目配せに従ってゆっくりと横目を動かし、竜車の奥を見る。


 ・・そこには、先程から小さな身体を縮こませて、やり取りを眺めていた子供二人の姿。ティナとリオン、二人の姿がグレンベルクの視界に映り込み、そして――、


「グレンのおかげで助けられた。グレンがいたから、こうして無事なんだよ?」


「・・・・・・」


 グレンベルクのおかげで、助けられた二人の子供。リオンはラルズ、ミュゼット、セーラが三人で協力して魔獣を撃退したことで保護することに成功したが、ティナは違う。


 分かれ道、危険が想定される中で単身一人で別の道を進み、早い時間でティナを見つけたグレンベルク。その後、魔獣たちに囲まれて脱出の気を図っていたが、ラルズたちが駆け付けるまでの間、一人きりでティナを守り抜き、その小さな身体には傷一つとして生まれてはいない。


 グレンベルクが、身を挺して守ってくれていたからだ。ティナが無事なままバルシリア小森林を抜けられたのは、彼の功績が非常に大きい。


「次、こっち見て」


 ティナとリオンの存在を再認識させ、次にミュゼットはセーラの手を組んでラルズの方へ駆け寄る。三人とも近い位置に並ばされ、グレンベルクが呆然とその様を瞳に移す。


「グレンのおかげで、私たち全員無事なんだよ。みんな、生きてあの森から抜け出せたんだよ?」


「・・・・・・」


 バルシリア小森林。魔獣が蔓延る群生地となっている危険な森林地帯。ここに踏み入れてしまったティナとリオンを救出するために、ラルズにミュゼット、セーラとグレンベルクの四人は行動を開始した。


 街道を早く超えるための移動手段として、後で罰せられることが想定される中で竜車を運んできてくれた。森を進んでいく中でも、最前列で魔獣を警戒してくれて、何かあれば即座に対応できるように気を張り続けてくれていた。


 分かれ道から行動を別に、ティナを一人で魔獣の脅威から身を守り、その後はラルズたちにティナを預けて、十匹近くの魔獣をたった一人で撃破した。


 ――その後、恐ろしい眼獣と遭遇してしまい、復讐に駆られて魔獣と対決したグレンベルクだが、宿願は果たせずに終わる。だが、結果的にティナとリオンを先に安全地帯に送ることができ、更には眼獣からの注意を自身一人に向けてくれていた。


 グレンベルクからしたら結果は残念な形であるが、それでもグレンベルク以外の全員、誰一人として命を失っている者は一人としていない。この最高な結果は、彼が同行していなければ、成し得なかったに違いない。


「グレンがそうやって意味も価値も無いっていうなら、私たちを見てよっ。私たちは、みんなこうして、グレンのおかげで生きてる。意味も価値もあるって、私たちが証明してるんだよっ?」


 自らの命に意味など無いと、価値など無いと否定を続けたグレンベルクの魂に、目に見える形でその意味と価値を付与する。グレンベルクのおかげで救われた命が――助けられた命が、目の前にあるとミュゼットは宣言する。


 グレンベルクがいたことで得られ、持ち帰れた最良の結果を、ミュゼットは一つずつ丁寧に教え込んでいく。グレンベルクの魂に、静かに叩いて刺激して、言い聞かせていく。


 否定を続ける彼の魂を、その上から否定する。意味も価値もあると、風に溶かして送り込む。


「――それに、同じことの繰り返したけどさ、やっぱり……」


 ひとしきり話し終えて、最後にミュゼットは可愛らしい笑顔をグレンベルクに見せて、


「グレンの親友の話でも出たけど、私も嫌だよ。グレンが死んだら、きっと深く悲しんじゃう……っ。グレンが友達じゃないって思ってたとしても、やっぱり私はグレンのこと、友達だって思ってるからっ」


「――っ……」


 ・・激情の余韻を言葉に乗せて突き付けた酷い言葉は、ミュゼットの素直な心を容赦なく抉り、ミュゼットを大きく傷つけたことであろう。そんな酷い一幕があったのにも関わらず、彼女は変わらずグレンベルクのことを友達だと思ってくれている。


 ミュゼットの素直な気持ちに息を呑んだグレンベルク。そして、ミュゼットの後に続くように、セーラが口を開いた。


「これだけは覚えておいて、グレン。貴方が仮に死んだとしたら、友達の死を嘆いて悲しみに暮れる人たちが――少なくても三人いる。・・それを、忘れないで……」


 この場にいる三人。それは、言わなくてもグレンベルクが理解していることだろう。短い付き合いだし、出会って間もない間柄。親友……などという少ない枠の中に収まっていないとしても、友達であることには変わりはない。


 そして、今グレンベルクが目にしている三人が、自分の死を聞いて悲しむ存在であることもまた、忘れないでいて欲しい。


 グレンベルクの死を嘆く人たちが三人、この場にいるということを……


「――最後よグレン。最後にもう一度だけ、貴方に聞くわ」


「・・・・・・」


 最後、と前置きして、本題の内容を口にするセーラ。


「このまま竜車を走らせるか、竜車を止めるか、選んで。どちらを選んでも、もう私たちは止めはしないし、貴方の意思を尊重する。だから、選んで」


 竜車の走りを続けるか、停止させるか。一々言葉の意味を取り計らう必要もない。


 分岐点。ここの決断で、グレンベルクは決断しなければならない。その決断の意を含んだ問い掛けを受けて、グレンベルクは瞑目する。


 これ以上議論の必要も、言葉を並べる必要はもうない。伝えるべきことは全て伝えて、グレンベルクの方からも全てを伝えてくれた。弱さを、復讐を、思いの丈も、全て。


 あとは、彼が決断する答えのみ。どんな答えを導くのか、最終的に決断するのはグレンベルクだ。その答えに、納得も反意も持ちえない。全部ぶつけ合って、答えが定まる。


 風が吹き抜ける中、瞑目したままの状態で――、


「・・悪いな、トルスト。お前の墓前に顔を出すのは、まだしばらく時間がかかるらしい……っ」


 小さな呟き。風に掻き消されたそのか細い音は、ラルズたちの耳には入らなかった。瞑目していた瞳を開いて、全員を一瞥して、グレンベルクは再び口を開いた。そして、


「・・竜車は止めない。このまま――全員で都市へ帰る」


 短く、問われた質問にグレンベルクが答える。その答えを聞いて、ラルズは表情が明るくなる。不安げだったミュゼットの表情も明るくなり、セーラは答えがわかっていたような面構え。そんあ微動だにしない彼女であったが、口元は微かに微笑んでいた。


「・・じゃあこのまま都市へ戻るわよ。グレンは横になってて。私が地竜の手綱を引くから、安静にしてなさい」


「ああ。・・ただその前に……ラルズ、ミュゼット」


 セーラの指示に従う姿勢を見せるグレンベルク。セーラはそのまま長らく放置していた地竜の手綱を引こうと、御社台の方へと足を向ける。彼女が向かっている途中、グレンベルクはラルズとミュゼットに声をかける。


「グレン?」


「どうしたの?」


 視線が定まらず、目を伏せたり明後日の方向を見ているグレンベルク。加えて、頬を掻いて気まずそうな雰囲気を生み出している。そんな彼を前にして、どうしたのだろうかと疑問を瞳に浮かばせるラルズとミュゼット。

 

 二人の疑惑がグレンベルクを射抜く中、時間が経って決心がついたのか、交互に視線を送ると、


「・・・・その、さっきは――」


 ――その先のグレンベルクの言葉は、突如として襲ってきた竜車の激しい揺れによって中断させられた。


「――なっ!?」


「痛っ!」


 それまでの揺れとは一線を画す大きさ。咆哮を上げながら爆走する地竜。乗客のことなど一切考慮していない様子で、激しい揺れに全員がバランスを崩し、振り落とされないようにするのが精いっぱい。身を縮こませ、揺れに耐えようと必死に荷台の一部にしがみ付いて耐え続ける。


「な、何っ!?」


 突然の出来事を前に全員が動揺する。各々驚きに目を見張る中でただ一人、グレンベルクが口を開いて落ち着いた口調で説明する。


「落ち着け。運転を地竜に任せっきりだったんだ。ストレスが溜まって乱暴な走りになっているんだろう。地竜も生き物だから、イライラしたりするだろうし、まあ当然だろうな」


 竜についての理解度は、地竜を運転できるグレンベルクの方が数段上だろう。そんな彼が口にするのだから、その説明が正しいのだろう。


「どっかの誰かさんに対しての説教が思いのほか伸びてしまったからかしらね。とにかく全員そのまま動かないでいて。私が御社台に乗って揺れを沈めさせるわ」


 皮肉交じりの言い方を受け、渋い顔をしているグレンベルク。とは言っても、反論できないのが悲しいかな、渋い顔を向けるだけで特段異を唱えることはしない。


 揺れ動く荷台の上でバランスを整えて先頭の御社台へと向かおうとするセーラだが、途中……何かに気付いたように最後方――走り抜けてきた街道方面へと首を動かす。


 瞳は見開かれ、動揺と困惑の意味が込められている。その瞳の意味するところを言及するよりも先、セーラは立ち上がると御社台の方ではなく逆方向。荷台の後ろの方へと歩み寄ってきた。


「せ、セーラ!?」


 地竜を大人しくするのではなくて、むしろ離れていく。突然の彼女の行動に疑問を感じて声をかけるも、セーラは全く気にしていない。どころか、それ以上の事柄に意識が奪われている状況だった。


「――最悪っ……!」


 街道の先に視線を送って唇を尖らせるセーラ。何かを目撃した反応。ぼそっと呟いた一言からして、芳しくない物事であるのは確かだ。


 うまく態勢を整えてラルズも立ち上がる。セーラの横へと抜けて、荷台から落ちないように踏ん張りを聞かせて、彼女と同じ方向へと視線を向ける。


 バルシリア小森林へ向かった道のりと、今時点での都市へ戻る道のり。合計で二回行き来している街道。その街道の奥、正確には走り抜けていた一本道の奥から、見慣れなかった代物がこちらに近付いていることが確認できた。


 ――いや、見慣れなかった代物とは違った。それは先程まで、記憶に鮮明に刻まれていた、黒い色をした物体であった。


「そ、んな――!」


 目にしている景色。その先に、小さな黒い何かが、ラルズたちを乗せた竜車を追いかけるように近付いていた。その影は段々と大きくなっていき、距離が如実に縮まっていることを示していた。


 全速力でこちらへと差し迫ってくる黒い代物。その代物に対して視線を送り続けていると、まるでラルズたちの気配を感じ取ったように影が蠢き出した。黒い物体――影が応えるようにその形を変形させ、そして影の奥から姿を現すのは、一度姿を見れば忘れられない、最悪の記憶を植え付ける存在。


 大きな巨眼。その中に蠢く、大小様々な眼球たち。


 倒した、とは思っていなかった。そんな甘い考えは持ち合わせてはいなかったが、ここまで追いかけてくるのは完全に想定外であった。


 大量の眼球と影を従わせて他者の命を奪い取る、最悪の存在。


 目標をついに捉えたからか、眼球の魔獣――眼獣は、揃って瞳を邪悪に歪めていた。


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