第二章38 恐怖と安息の中間
「――じゃあさっきの魔法、セーラが打ったものなんだっ」
グレンベルクを背負って森の出口を目指して走っているラルズ。並行して一緒に走っているミュゼットとセーラに、離れてからの経緯と先程の魔法について尋ねていた。
後ろを頻繁に振り返るが、眼獣が迫ってきている気配は感じられない。先の特大の風魔法で負傷でも負ってくれればとは思うが、それは高望みしすぎだろう。とにかく、今は背負っているグレンベルクの状態も危険なことから、これ以上あの眼獣に足止めを食らうのは致命的に発展する。
ただでさえギリギリの状況。これ以上の弊害は許容できない。
その上で話しながら互いの状況を擦り合わせている途中。ラルズはセーラとミュゼットが助けに来るまでの間に起こったことを全て話しており、グレンベルクがこうなった経緯も既に話している。
――ミュゼットとセーラは森を難なく抜け出せることに成功。グレンベルクが魔獣と相手取っていたこともあり、道中で他の魔獣や眼獣の魔の手が及んだことも無く、順調に行動を進めていた。
出口を抜ければ、地竜はその場でラルズたちが戻ってくるのを待っていた様子。ただ、主たちを待っている姿勢と態度とは少し変わり、瞳には強い警戒心を宿していたとのこと。この理由は十中八九、森の中で命を略奪し続けていた眼獣に対しての警戒心であるのは間違いない。
竜すらも危険だと感じるほどの生命体。どうやら眼獣はこちらの想像の更に上の次元に位置する生命体であるらしく、その存在は竜の意識すらもその身に注力されるほどらしい。
そんな強い警戒を張る地竜に関しては無傷同然。森へ入ってからは他の魔獣に襲われた形跡も見当たらず、備え付けられていた荷台も無事そのもの。
ミュゼットとセーラは荷台にティナとリオンを乗せると、直ぐに戻ってくると言伝を残して、言葉が通じるかは定かではないが、地竜にも子供たちを守ってあげてと言葉を添え、二人は再びラルズとグレンベルクのもとへと森の中へ。
そして話は冒頭のラルズの質問へと戻る。
「――状況が切羽詰まったのもあるし、ラルズとグレンが危険な状況だったのは目を通して感じ取れた。だから大急ぎで魔法を準備したわ。ミュゼットにも協力してもらって、なりふり構わず放ったのがあの魔法よ。そのせいで、ラルズに余計な傷も増やしちゃったのは謝るわ」
「謝るなんて……むしろ助けてくれたんだから、むしろこっちが感謝するくらいだよっ」
逼迫した状況下の中で、戦局を一変させるほどの、敵味方も関係ない特大の風魔法。その中に吸い込まれたラルズの肉体は確かに傷つく羽目となったが、あのまま首を絞められていれば、窒息は免れない。それに比べれば、身体に生じた細かくて鋭い傷の数々など些細なものだ。
「・・でも、ミュゼットに協力してもらったって今言ったけど、具体的には何を?」
「簡単よ。私の魔力はもうすっからかん。微力な風しか生み出せないことに変わりはない。かといって無茶して限界まで魔力を放出したら、欠乏症で私の命が危険に晒される。助けに向かうのにかえってお荷物になったら、笑い話にもならないわ」
森へ入ってからの周囲への警戒として瞳の力を行使。並行してティナとリオンの居場所を特定するために尽力していたセーラ。その魔力消費は、四人の中で一番と言えるだろう。その分負担も大きく、欠乏症に苛まれる可能性も一番高かった。
・・欠乏症。魔力が身体の中から完全に消失した場合に起こる症状。
字面通り、魔力が体内から無くなると、その生命は死に瀕してしまう。今のグレンベルクのように、体内から血を大きく流して出血――出血死を迎える死因もあるが、それとは別で肉体から魔力が無くなることでも、命が危険に晒される。
魔力は人の中に流れている、血とは別の命の源。無論その魔力と呼ばれる目に見えない力は、魔法を使えないラルズの中にも流れているし、例外ではない。魔法が使えないので魔力欠乏と言った事例に実際に遭遇することは考えられないが、魔力の消費は何も魔法に関してだけではない。
対魔鏡などの魔道具然り、魔力を用いて効力を発揮する代物は数多くある。日常生活においても、火を起こすためだったり、水を生み出したりと、魔力を消費して発動――役立てている面は数知れず。
どちらか一方。血を流しすぎればその時点で出血死が危ぶまれるし、魔力が完全に底を尽きると、その時点でも魔力欠乏を引き起こして死に至る。片方だけでも多量に限界値を迎えると死んでしまうのが、人と魔獣、両方に課せられた生命のルールだ。
「でもさっきの魔法、相当魔力が練り込まれてたよね? 空っぽに等しいって話だけど、どうやってあんな特大の魔法を……」
「私がセーラに魔力をあげたのっ! 私、これまで全然魔法使ってないから、勿体ない話魔力が有り余ってたからっ」
「魔力を、あげる?」
「・・ラルズからしたらあまり想像つかないかもしれないわね。別に難しい話じゃないわよ。ただミュゼットの残っている魔力を私に流してもらったのよ」
原理としてはつまり、ミュゼットが残っている魔力をセーラに移動――その上で残量が低下していたセーラが魔力をもらったことで貯蔵量が増えて、大きな魔法を放てるようになったということだろうか。
考え方としてはこれで合っているだろうし、直近で想像つく方法とは言えば、輸血の様な手法が思い当たる。傷が深すぎて血を流し続けた結果、魔法だけでは完全に肉体を回復するに至らない。輸血をして血を分け与えて、生命活動を繋ぎ止める方法も持ち寄られている。その実際の代物が、血液から魔力に差し変わっている、という捉え方で合っているだろう。
その方法をラルズが知らなかったのは、魔法が使えなくて剣ばかりに集中して腕を磨いていた弊害かもしれない。問題なく魔法が使えれば、遅かれ早かれそういった事実に直面して実行していただろうし、知識として備えられていたはずだ。
もっとも、今はそれを嘆いたり気にしている場合ではないが、とにかく今の説明で大体の行動の流れは熟知した。
「本当は私が魔法を打てればそれで解決する話なんだけど、私じゃセーラみたいに上手く魔法をコントロールできなくて……」
「下手に魔力を込めるだけじゃ、大惨事を引き起こしてしまうかもしれない。上手く調整できなかったらそれこそ、濃縮された風の刃が勢いを増して、ラルズの肉体を空中で細切れにしてたかもしれないわ」
「・・ゾッとしたよ今……。でもそうか、あの中に吸い込まれて無事だったのはそういう――」
思い返してると、セーラの発言にひどく納得している自分がいる。ちらりと走りながら自らの身体を眺めてみる。風の刃が衣服を切り裂いて肌にダメージを与えてはいた。が、見た目こそ悲惨であるが、威力はそこまで大きくなかった。
そしてそれは、セーラの魔力の扱いが上手且つ、丁寧に編み込まれた賜物だという、何よりも証拠。
あの魔法は攪乱目的で敷かれたのであって、殺傷能力は思いのほか少ない。突然吸い込まれたこともあって冷静な面が欠如していたが、思い返してみると風量が凄かっただけで、それ以外は現象の壮大さを隠れ蓑にした一撃。
――幼少の頃、魔力は人によって様々な変化を見せる、と教えてもらったことを思い出す。個人によって威力も幅も、特色もバラバラ。完全な解明には至らず、未知の部分が広がり続けている。それは太古の時代から長い年月経過している現代においても、だ。
同じ風魔法を扱うミュゼットとセーラでも、風という性質は同じでも、それ以外の全てが同じではない。想像力や経験、生み出せる魔法の種子や魔法への読解力。それらは決して一概に同一化することなどできない、不変と未知の間で交わる根源の素。
魔法の強さはミュゼットに軍配が上がるが、細かい魔法の調整はセーラの方に軍配が上がる。個人によってここらでも優劣が発生している。それもまた、魔法に見られる特性の一つだ。
「でもとにかくありがとう、二人とも。二人が駆け付けて来なかったら、グレンもそうだけど、俺も死んでただろうし、感謝しかないよ」
「そう言ってくれると助かるわっ」
冗談でもなんでもない。あのままセーラとミュゼット、両者の協力がなければ今頃、眼獣に殺されてそれこそ、ボロ雑巾のように扱われて慰みものにされていたであろう。その後はラルズに続くようグレンベルクの命も奪われていたことは必至だ。
命が繋がっている事実だけで大満足だ。命を失えば、大切な人と語らうことも触れ合うことも、温もりを感じることもできない。死んでどうなるかなんて、誰にもわからない。だからこそ怖い。自分という存在がどこに向かって、どうなるのか、まるで理解が及ばないから……
「――! 見て、森を抜けれるっ!」
ふとミュゼットの歓喜の声。声に反応して正面を見れば、少し開けた景色がラルズたちを出迎えていた。鬱蒼とした木々の広がる森林地帯の敷地内を抜けて、待望の森の出口を目にする。
・・月の光が空から降り注いでいた。時間的にも随分と夜を周っており、やがて一日の節目を変えることになるだろう。光を遮る雲も、光を届けるのに阻害する木々の存在も無く、それはまるで森を抜け出せたラルズに対しての、天からの祝福に近い感慨を催した。
「――ッ……!」
地竜もラルズたちの存在に気付き、軽く低い唸り声を上げて反応を示している。が、無事に戻って来れたことに対しての反応より、ラルズの更に後ろ。敵意は森の後ろへと向けられている気配だ。
先に辿り着いてティナとリオンを運び込んだ二人の説明通り、森に生息している眼獣に対してのものだろう。鋭すぎる視線を森へと送り、威嚇し続けている。
森を抜けただけではまだ安心できない。すぐさまここを離れて街道を通り、都市へと戻らなければいけない。帰るまでが冒険――などという人もいるが、正にその通りだ。
グレンを荷台に乗せるため、荒い息を吐き捨てながら森を睨み続けている地竜の横を抜けて荷台に。荷台には既に先着者――ミュゼットとセーラに連れられて、小さく座り込んでいたティナとリオンの姿。リオンの方は怯えが静まっており、ティナは弟の手をぎゅっと握って不安を緩和させていた。
「お兄さんたち遅いわよっ!」
ラルズたちの存在に気付くと、弱った様子とは反対に強い意思を見せるティナ。彼女の物怖じない姿勢はこと今回に関してはかなり助けられている。臆病な面が強く表れている弟を守ろうと、常に言葉と態度で励ましてくれている彼女は、その身を守るラルズたちからしたら中々に助かる。
その実、強気な一面とは逆で、少し表情は曇っていた。無理をして虚勢を張って、心配させまいと気遣ってくれているのだろう。
二人とも心細かったろうに、じっと耐えて待ってくれていたんだ……
その事実に気付いたことは言及せず、ラルズはティナに短く「ごめんね」と優しい声音で謝罪する。謝ってそのまま自身も荷台に乗り込んで重傷者――グレンベルクを荷台の上へと寝かしつける。
あまりの傷具合に一瞬リオンだけでなく、ティナも揃って短い悲鳴を上げるが、こればかりは目を逸らして注視しないでもらうしか他に術がない。そこに配慮をする余裕も時間も、今はないのだから。
「――ってちょっと待ってっ!?」
「ミュゼットっ?」
後から荷台に乗ったミュゼットが突然大きな声を上げる。何事かと思って振り返ると、右手の人差し指を先頭方面に向けてわなわなと震えていた。
「誰がこの竜車操縦するの!? グレンは傷だらけで意識無いし、誰も地竜なんて乗ったこと無いよっ!」
・・た、確かにっ……!?
失念していた。バルシリア小森林までこれたのは他でもない、グレンベルクが地竜を操縦していてくれたおかげだ。彼が騎竜できたからこそ都市を飛び出すことができ、ここまで短時間で辿り着くことに成功していた。
が、グレンベルクは撃沈。意識も無く、仮に意識が合ったとしてもこの傷じゃ操縦なんて無理に決まっている。ラルズも竜車に乗ったことはあるが、御社台に乗って竜を操った経験などない。
意外な落とし穴。考えもしなかった原因が浮上してきており、どうしたものかと頭を悩ませていると――、
「私が運転するわっ」
一人の少女が御社台に飛び移り、振り替えって宣言する。
「――えっ!? セーラ、竜車の操縦は……」
「やったこと無いわよ。でも竜ってのは賢い生物だから、一度通った道は覚えているだろうし、都市までは戻れるわ」
「そうじゃなくて、運転できるのっ!?」
「できるわけないでしょっ。初めて乗るんだからみようみまねっ! 乗り心地を犠牲にして、今はとにかく都市へ戻るわよっ!」
そう言って手綱を握り締めるセーラ。不安材料がひしひしと積み重なるが、状況は待ったをかけてくれない。
「行くわよっ! 振り落とされないようにしっかり掴まっててよねっ!!」
不安を言葉にしようと慌てるラルズ。だが、そんな同乗者の言葉がセーラの鼓膜を打つよりも先に、手綱がしなって地竜を刺激、指示を飛ばした。
刺激を合図と捉えて地竜が咆哮を上げる。その咆哮が夜の街道に響いた次の瞬間――ラルズの膝付けて座り込んでいた姿勢は完全に崩れ、急激な揺れを感じたと共に顔面から倒れ込んで激突。歯に強い衝撃を浴びながら、そんな様子をお構いなしにそのまま竜車は急発進。
瞬間的に最速へと到達し、こちらの配慮も無く都市を目指して街道を爆走する。
同情している者たちの悲鳴が交錯する中、バルシリア小森林は見る見る間に小さくなっていった……
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ラルズたちを乗せた竜車は尚も舗装された街道を問題なく突き進む。最初こそ悲鳴が続けざまに立ち上って荷台の上は阿鼻叫喚の嵐。それも時間が経過するごとに技術の節を捉えたセーラのおかげか、出発して五分近く経過した今では、随分と安定した帰路となっていた。
「――セーラ、大丈夫?」
「この子が賢いおかげよ。私自身の操る技術は未熟だけど、この子が不得手な私の技術を補ってくれてる。素人の私が様になるくらいだから、頼りになる個体だわ」
セーラの混ざり気ない賛辞が届いたのか、地竜は低い声をもって応じることで返礼とする。時折揺れたりするが、最初の頃と比べれば全然苦にもならない。改めて竜という存在の偉大さを認識した結果だ。
「ところでグレンの容体はどう?」
「・・まだ意識が回復しては無い。出血は収まってきてるけど……」
依然として目覚めたりと言った光明は無い。それも当然だ。治療も何もできておらず、包帯だったりの医療道具や軽具も持ち合わせていない。ラルズのポーチの中には変わらず火の魔石が数個と、譲ってもらったグレンベルクとの対魔鏡、ミュゼットと一緒に購入した対魔鏡ぐらいしか入っていない。
こんなことなら普段から包帯だの薬などを忍ばせておくべきだった。今更悔やんだところでどうにもならないのが事実なのだが、歯がゆい思いでしかない。
揺れる車内の中、グレンベルクは目を開かない。閉じられた瞼は先程からピクリとも動かず、それは肉体も同じ。あれほど血を流して、今も横たわる竜車の床を血で汚している。時間との勝負だ。
友達を心配するラルズであるが、その実何もできない点にひどく焦りが生じている。それは同じく、目を細めてグレンベルクを眺めているミュゼットも同じ気持ちだろう。
気分が落ち着かず、折角森を抜け出れたのに対して、別の焦燥感が胸中を絶えず這い回っている。
早く都市に到着して欲しいと願うが、時間は状況に関係なく、一定のリズムで刻み続ける。時間に細工も手出しもできず、ただ祈りを続けるだけしか――、
「・・あ、あのっ……」
瞑目して安否を心配するラルズ。その横からか細くて小さな男の声が聞こえた。目を開けると、先んじて搭乗していたリオンが、恐る恐るラルズへと声をかけていた。
「どうしたの、リオン君?」
尋ねると、リオンはラルズから視線を外してグレンベルクに目配せする。痛々しいその姿に一瞬口の中の喉を飲み込むが、やがて勇気を振り絞って血塗れのグレンベルクの元へ近付いていく。
ちょこんと女の子のように座り込んだリオン。その様子を前になにをしようとしているのかわからないラルズ。が、問いに応えるように、リオンの掌がグレンベルクに差し向けられると……
「る、ルーア……っ」
掌から淡い光が生まれる。その光は何度か目にしたことがあった。その光景はこの場で何度も考え想像し、その度に排除されていた選択肢の一つ。
水の魔法……短い詠唱と共にグレンベルクを包み込むのは白色に近い青の光。その現象が、人々の傷を癒すことができる性質を備えているものであると、直ぐにラルズは思い至った。
「ぼ、僕たちが森に入って、助けてくれたから、こんな大きな傷を負ってしまったんですよねっ……? だ、だったら僕たちの責任なので、こんな事しかできないですけど……これぐらいで役に立つならっ」
自責の念に駆られる心の一方で、助けたいという明確な意思を持って行動で示すリオン。先程まで、確かに恐怖が彼を包み込んでいたはずなのだ。
森で姉と別れ、独りだけとなって夜の森を長い間彷徨い続けて、更には魔獣に目を付けられて追い掛け回されていた。怖くないはずがなく、見つけて保護したときはひどく怯えており、精神を誰よりも擦り減らしていた少年。
そんな少年だが、今は自らと姉を助けてくれたお礼代わりとして、血を見るのも気分が良くない中で治療を請け負ってくれている。掌から放たれる綺麗な光の色合いは、グレンベルクの身体を包み込んで優しく癒しの波動を届けてくれている。
「ふっふーん! リオンはお姉ちゃんと違って魔法が上手なのよっ。凄いでしょ!」
「お姉ちゃんが威張らないでよっ……。それに元はと言えば森に入った僕たちのせいなんだからっ」
自らの功績とばかりにリオンを褒めるティナ。そんな姉を窘めるリオンの姿は、仲睦まじく、何度も交わされたであろう普段の姉弟のやり取りそのもの。そして両者とも、互いに互いを強く信頼している。美しい姉弟愛で、見ていて本当に微笑ましい。
「・・ありがとうね、リオン君」
そんな姿を前にして、ラルズの中にも妹の姿が思い浮かばされる。
元気いっぱいで、周りを巻き込んで行動するレル。そして、そんな暴走気味のレルに注意を向けて抑制するシェーレ。二人とも、ある意味バランスが取れており、一方が支えて一方が好き勝手するような間柄。
その様子の裏には、両者に対しての強い信頼を築いている。言葉にする必要も、態度にする必要もない。育まれてきて、いつしか定着する互いの心の有り様。美しく、見ていて微笑ましい限りだ。
「――そうだっ」
治療が施されて一安心。これで少なくても都市に戻るまで、グレンベルクの命は保証されるだろう。依然危険なことに変わりないが、リオンの水魔法のおかげで窮地は逃れられそうだ。
一度グレンベルクから注意を外して、ラルズは狭い荷台の中を移動して後ろへと移動する。
落ちないように注意しながら、地竜が進んできた方向へ視線を向ける。遠くの方へと目線を飛ばして、ラルズたちを追いかけてきたりする外的要因が迫っていないのか確認する。
不安な気持ちが未だにしこりとして残り続け、その不安を解消するためとして走り抜ける竜車の周囲へと首を動かす。脅威は今時点で発生しておらず、グレンベルクの方もリオンのおかげでどうにかなる見込み。順調に帰路を進んでいる傍ら、嫌な予感は尚もラルズの心を掴んで離さない。
落ち着かず視線を動かし、ミュゼットもラルズと一緒に傍に寄って辺りに視線を向ける。が、二人の視線は脅威と呼べるような、身の危険を助長させる類の代物は確認されない。そのことに安堵するべきなのだろうが、不思議と心は平静とは無縁のままで、ひっきりなしに騒ぎ続けている。
「何も、居ないよね――?」
疑問か確認か。負の感情を強く宿した問い掛けに対して、ラルズは「多分……」と曖昧な答えを持って返答する。目に見えて脅威は映っていないし、断言してもいいはずなのだが、どうにも断言できない。
脅威と先程から表現しているが、その実は森で襲われた魔獣――眼獣についてだ。
・・あの魔獣が、ラルズたちをこのまま逃すだろうか。
対峙すれば再び命の危機に苛まれるし、あんな生物とは今後とも関わり合いたいとは微塵もない。が、その実あの魔獣が、このまま獲物をすげなく諦めるとは思えないという、逆の期待がラルズの中には芽生えている。
あの状況下で、未だに森の中でラルズたちを探しているかもしれない。だが、そうだとするならば大いに助かる。あの森でどれだけ探し続けようが、肝心の獲物は既に森を抜けているのだから。
「――セーラはどう思う?」
「・・あの魔獣が、このまま逃がすかどうかって話?」
「うん……」
ラルズの不安を、そのままセーラも感じていたのだろう。同じ胸中に蔓延る存在を前に、セーラは振り返らず、手綱を握り締めながら答える。
「あの魔獣とは今日遭遇しただけで、大して詳しいわけでもないから、私が抱いた印象をそのまま口にするだけだけど……」
一度言葉を区切り、ちらりとラルズの方へと視線を向ける。彼女の横顔がちらりと覗き込み、続きを淡々と口にする。
「あの魔獣は一度襲った獲物を逃がすつもりはないと思うわ。殺すまで決して諦めない。命を略奪することに対してある種の快楽を覚えていて、その楽しみを味わえなかったことに対して憤慨する……そんな気がするわ」
あくまで個人の主観。だが、そのセーラの主観に対して、根拠はないが的を得ていると思う。
生命を冒涜している節があり、弱者をいたぶり続けるその様は悪辣極まりない。グレンベルクを殺そうと思えば、一度倒れた時点で追撃を行えば呆気なく命を奪えた。ラルズもわざわざ窒息という手段を取らずとも、急所を貫けば一撃で終了する。
命を弄び、それによって心が満たされて歓喜に打ち震えており、ある種ラッセルと似ている思考。両者に見られる特徴は、いずれも自分よりも弱い存在をいたぶることに快感を得ること。不本意ながらに長らく時間を共にしたラッセルのことはある程度性格や内面を把握できているが、魔獣の方は定かではない。それでもカテゴリーは同一と見ていいだろう。
会話を終えてもう一度首を動かして後ろを見る。なんら普通の景色。違和感は見られない。
楽観はできないけど、変に神経質になりすぎるのも考え物だ。わかってはいるけれど、現場にしかない空気感のような、先程まで命を失いかけた名残のような、残骸粒子が未だに根付いてしまっている。
――そんな不安に心が染められている中で、
「・・・・ぅ……」
「――あっ!」
小さい声。そして次に聞こえていたのは、治療を行っていたリオンの声だ。
その声に反応して全員が視線を一箇所に集中する。ラルズもミュゼットもティナも、手綱を握って地竜を操っていたセーラも、全員が全員、同じ場所をみつめて視線を囲む。
見守られている状況下の中、リオンの治療の甲斐あって、意識不明の重傷で合ったグレンベルクが、ゆっくりと瞼を開き始めた。