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導きの愚者  作者: ひじきの煮物
第二章 新たな世界と南の都市
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第二章37 眼球独白


 ――ぼんやりとしていく意識の終着。ラルズの意識が事切れる寸前、突如として現出した風の暴風が、彼方へと消滅していく魂の首根っこを掴んで引き戻す。


 出現した風――爆発的な暴風の塊が全てを包み込んで舞台を飲み込んでいた。それは囚われていたラルズも、血に伏せながら呻き声を上げていたグレンベルクも、絶対的な強者として二人を圧倒していた眼獣も、全てを乱暴に包み込んだ。


 眼獣に捕まり浮かされていた身体が更に上昇。暴風源の中で生じる風の刃と風の荒波。その身の中に投じている全ての生命体を、無差別に切り裂いて傷を与える鋭い緑刃。無論、暴風の範囲内に収まっているラルズの身体も例外ではなく、裂傷が自らの身体に刻まれる。


 ――なんだ、なにが起こったんだっ!?


 問いかけも、叫びすらも風に飲み込まれて覆われる。声にならない絶叫を唱えて、尚もラルズの肉体は風に遊ばれる。


 突然の出来事。意味不明な状況。情報が纏まらず、訳のわからないまま事態は加速しており、置いていかれるラルズの意識とは別に風は時間と傷を刻み続ける。荒々しい風に連れ去られて、右も左も、上も下も把握できず、臓腑が身体の中で踊り舞い、気持ちの悪い感覚に襲われる。


 その様は風にあおられる洗濯物のよう。抵抗も出来ず、力が抜けてそのまま飛ばされ続ける。


 ・・窒息死を狙われて首元を絞められていたラルズ。もう間もなく命が亡くなる直前、正に絶体絶命の瞬間であったことは確かだ。


 走馬灯……そう呼ばれる体験を今し方味わった。無意識に頭の奥で記憶と景色の描写を繋ぎ合わせ、世界との別れを告げにきていた。最愛のシェーレとレルの姿を最後に浮かべて名前を唱えた直後、それを皮切りにラルズの魂は世界とおさらばし、亡くなっている父と母の元へと逝ってしまうと、半ば諦観を抱いていた。


 ・・が、気付けばラルズは生きている。しかし、生きているとは言ったものの、果たして状況はどうだろうか。ふいに生じた荒々しい旋風。その中に収まっているラルズは問答無用で風の餌食となる。必死に身を丸めて被害を少しでも減らす姿勢。次いで状況を把握しようと、意識の戻ったばかりの頭を必死に働かせて解明に勤しむ。


 まず首元。眼獣の影がラルズの喉へと差し掛かり喉周りを回転。先端の鋭い部分を用いらず、流動性を巧みに利用して紐のように使用――縛り上げて呼吸軌道を阻害していた影。だが、その影は既に首元から外されており、それは全身を縛り上げて身動きを封じていた他の影も同様だ。


 息苦しさは尚も続いている。この空間に取り込まれている中で、満足に空気を肺に運べはしない。が、それでも先程までの息苦しさに比べれば雲泥の差。呼吸という機能は低下しているものの、まったく行えないことはない。


 次にこの風。凄まじい程の威力を誇っており、元々浮かされていたラルズは成す術もなく風に連れ去られてしまった。この風に助けられたのは間違いないが、微細な風が今もラルズの肉体を傷つけている。窒息まで秒読みだった事実と比べれば可愛いものだが、長居しすぎると空中で風に処刑されてしまうだろう。


 仮に地面に足をつけており、力を加えて踏ん張りを効かせても、耐えきれる風量なんかではない。容赦なく吹きすさぶ特大の風は地面を砕き、地面に根を張って支えられていた木々も宙へと放り出されほど。微かに燃え広がる炎すらも、風によって飲み消されて鎮火している。


 そしてこの風が起こった要因。当たり前だがグレンベルクによるものでもないし、魔獣の仕業とも思えない。グレンベルクは自らの身体を動かすことも厳しい状態。魔獣に関してはあと少しのところでラルズを窒息させて殺すことができるのだから、わざわざこんな手段を用いる必要は無い。


 議論の場に出す必要もないが、当然ラルズのものでもない。死に瀕して眠っていた力が解放された――なんて都合の良いものでもないし、死ぬものだと半ば命を諦めていたのだ。それに今でさえそんな奇跡のような感覚も手応えもまるで感じない。


 そしてこの風は偶然発生した代物ではない。魔法を練り上げて打ち込まれた風であるとラルズは直ぐに理解を示した。風の中に投じられて直接風を浴びているからか、妙な確信を得ている。従ってこの風を引き起こしたのは、この場にいなかった誰かの手によって生み出されたものだと予想が成り立つ。


 ――そしてそこまで頭が働けば、この暴風を作り上げた人物が誰なのか、可能性として二人が挙げられる。それは、


「――ラルズーっ!!」


 その人物らを思い浮かべたのと、風の範囲の外、吹き荒れる風とは別の音がラルズの鼓膜を叩いたのは、同時のことであった。


 暴風の中でもはっきりと拾うことができた、良く通る声。人でごった返す都市や街中においても、一声上げれば誰のものなのか直ぐに判断が付く、そんな少女の声。


 身じろぎして、どうにかして声のする方向に顔を動かす。方向感覚も真面に機能していないので、声だけを頼りに声の主を探す。何度も名前を呼ばれる声に応えるよう、執拗に声を上げる人物の姿を追い求めて――、


 ――ミュゼットっ!!


 見つけた。少しぼやけて見えるが、自身を呼ぶ少女の姿。声を叫ぶが残念ながら荒れ狂う風に消されて届かない。向こうから姿が確認できているのかは不明だが、目が合ったと思った次には、彼女の両方の眼が大きく見開かれていた。


 今直ぐそっちへ向かいたいが、この状況ではそうとも行かない。容赦のない風は尚も勢いを衰えず、ラルズの身はいつまでも空中に固定されている。上手く力が入らず、一向に距離を縮められない。


 ・・だったらっ!


 自らの動きではどうにもならないと悟ったラルズは一か八かの手段に乗り出す。風の中を泳いでいる状況の中で、腰に装着していたポーチに視線を落とす。ポーチの中には様々な小物が入っている。対魔鏡だのペンだの、残念ながらこの状況では役に立ちそうになる代物は見当たらない。ただ一つを除いて……


「・・! あったっ!」


 記憶を頼りにポーチの中に数個備えていた、魔法を使うことができないラルズにとって重要となる代物――魔石を発見した。中に入れておいたのは赤色の魔石で、火の魔法を起こせる代物。衝撃や魔力を加えることで効果を発揮し、民間人、衛兵問わず広く使用用途が確認される鉱石。


 魔獣を退ける魔結石や光を溜め込んでいる輝石とは違って、確かな攻撃力を備えている。使い方を間違えれば危険である品だ。


 ・・ティナとリオン、二人から金銭を奪っていったサヴェジと衝突した以降、グレンベルクと手合わせしてから色々と話し込んだ結果、魔法が使えない代替手段として役立つのではないかと提案され、いくつか購入しておいた物。値段も手ごろで、戦闘面で魔法が使えず不安な面が浮き彫りになるラルズからしてみれば、かなり重宝するものである。


 ヘッドハウンドとの戦闘の際は、魔法で援護してくれるミュゼットとセーラがいたこともあり使用はせずともどうにか討伐に成功した。肝心の眼獣との戦闘の際は、素早く動いて攻撃を続ける影を前に、魔石では対抗できないと判断して、使う目途を立てれらなかった。仮に使用したとしてもあの有り様ではどうすることもできなかっただろう。


 だが、今の置かれた状況でなら、有意義に活用できる。


 ラルズは風の流れに逆らわず、ポーチから魔石を二つ手にする。きらりと輝く綺麗な色合い。だが中身には相当な魔力が備わっている。一度練兵場で使用してみたが、威力は把握済み。一個では不安なので、贅沢に二つ使用する。その分危険も二倍であるが、背に腹は代えられない。


 気を逃さないようにタイミングを見計らう。一番外側に身が押し出された瞬間を狙って、好機をただじっくりと待つ。


 ・・今っ!


 持っていた魔石を膝に叩き付けて衝撃を与える。直ぐには投げ出さず、爆発するであろう寸前まで手の中に抱え込み、暴発するギリギリの瞬間、魔石を目の前に雑に放り投げる。コロっとした固い感触が手からすり抜け、前方付近に魔石が浮かび上がる。そのまま風に巻き込まれてしまうよりも先――体内に蓄積されていた魔力の波動が爆発した。


「――っ!?」


 ほぼ真正面で至近距離からの爆発。中に溜められていた炎の魔力が発動。そのまま爆発して内部から爆風が生じる。距離が近い点もあって、使用者であるラルズの元へと爆発の余波と炎の熱気が襲ってくるが、今はその被害には目を瞑る。


 新たに生み出された人工的な爆風は吹き荒れる風の流れに便乗して新たに風の一員となるが、その様子を想定するよりも先、ラルズの肉体は爆風に巻き込まれて軌道を変更する。


「ぬ、け――たっ!!」


 横合いからの爆発。その結果は暴風源の範囲外へ逃れることに成功する。最悪爆発するよりも先、魔石が風に飲まれてしまえば爆発の影響はラルズを襲わない。事前に発動までの大まかな時間を図れていたことがここで役立つとは思わなかった。


 見事、目論見通りに爆発を浴びてラルズの身体は吹っ飛び、風のカーテンを内側から貫通。内部からの爆発が影響してか、舞台を包み込んでいた風の暴球はやがて収縮、風の勢いが消沈。森に静けさが取り戻されていた。

 

 ラルズが抜け出たことを皮切りにして一緒に浮かんでいた木々や葉っぱ、枝の数々も解放されており、風で遮られてぼやけていた景色が真っ当にラルズの瞳の中へ入り込む。


 眼下、小さく映るのはミュゼットと、風の中では確認できずにいたグレンベルクと、傍で彼の様子を確認しているセーラの姿が。


 二人ともここにいる。つまり、ティナとリオンを無事に地竜のいる森の入り口に預けてこれたのだろう。地竜の元へ運び終わり、当初の考え通りラルズとグレンベルクを助けに、ここまで戻ってきてくれたのだ。何事も無かったみたいで一安心。


 ・・と、ここでラルズは気付いた。暴風源の外に弾かれたのは大いに成功した形。だが、その後の対応に関しては何も考えていなかった。とにかく風の外へ外へと打開策を講じて動いた結果、その後にどうするかまで対応を練っていなかったのはラルズの落ち度である。


 ――落ちるっ!!


 高い位置まで風によって浮かばされたラルズ。そのまま範囲外に逃れれば、待っているのは落下という自然の原理のみ。重力によって身体は勝手に空中から地上へと引きずりこまれ、何の変哲もなくラルズはそのまま加速しながら落下。しかも頭から真っ逆さまである。


 正確な高さは把握できないが、このまま落ちれば助かるかも、なんて万が一にも有り得ない。まず間違いなくこのまま地面と激突すれば死ぬ。どうにかして死を回避しなければいけない。このまま落下すれば折角繋がった命も儚く散ることに。


 具体的な名案もなく、見る見る間に地面が近付いていく。固い地面がラルズを出迎えており、目の端に死を予感して涙が浮かび上がる。一回目と違って二回目は走馬灯もこないんだな、などと場違いな感慨を抱きながら、そのまま頭から激突して――、


「リーフっ」


 激突する寸前、ミュゼットの風魔法が発動。地面にぶつかる前に優しい風がクッションとなって衝撃を緩和。風がラルズを優しく受け止め、衝撃が分散した反動でもう一度身体が軽く舞い上がる。絶望的な高所からの落下のエネルギーは綺麗に霧散され、大きな衝撃が小さな衝撃に変換。


 風の反動で頭が下だったのが気付けば上へと回り、背中から受け身も取れずに激突。背中に生じる鈍い痛みに苦鳴を漏らすが、衝撃で四肢が分散したり臓腑が破裂したりといった状態には至らず、五体満足で地面に見事着地。


「――た、助かったっ……! ありがとう、ミュゼットっ」


「良かったっ。咄嗟だったから上手くできるか不安だったけど、本当にっ……」


 ミュゼットの手腕によってどうにか命を捨てずに済んだ。死ぬかもしれなかった心境もあって、助かった事実に反して普段よりも忙しなく心臓は拍動を繰り返している。


「グレンは!?」


 着地して直ぐ、落ち着かない心臓を手懐けながら、影によって全身を文字通りめった刺しにされて負傷しているグレンベルクの元へ。既にセーラが彼を気にかけてくれているが、その表情は難しい顔をしていた。


「傷が深いし、意識も失ってる。命は大丈夫みたいだけど、このまま放っておいたら確実に死ぬわ……。急いで都市に戻って治療しないと、本当に手遅れになるっ」


 セーラの腕の中でぐったりとしているグレンベルク。直前の記憶ではまだ意識が残っていたみたいだが、今は残念ながら引っ込んでしまっている。


 出血にばかり目が行く中、彼の身体は思いのほか風の被害を受けていない。渦の中に取り込まれている最中に姿が見えなかったことと考えると、運よく射程外に吹っ飛んでいったのかもしれない。今回に関しては正しく幸運でしかない。


 ラルズの身体は鋭い傷跡が特に目立つが、切り傷程度の代物が多く、思いのほか重症ではない。勿論痛いことに変わりはないが、耐えきれない痛みではない。


「・・そうだ、魔獣っ!」


 グレンベルクの容体を確認し終えて、次なる存在に注意を向けて振り返る。現場は中々に凄惨な景色へと様変わりしている。ミュゼットとセーラが先だって切り倒した木々の広場。眼獣と激闘を繰り広げていたグレンベルク。その中心地には、先の特大の風が起こった形跡として、大きな穴が生み出されていた。


 巨大な穴の周りはそのまま被害の凄さを物語っている。粉々になっている木々の削りカスが辺りに散らばっており、木々の上部に生え広がっている枝葉の層も根こそぎ刈り取られて無毛と化している木々も。乱雑に泥と砂と葉っぱが辺り一面に散布され、ラルズの服にも泥や砂が大量に付着しており汚していた。


 が、肝心の眼獣の姿が映らない。あれほどの魔法。並大抵の魔獣であれば戦闘不能となっても可笑しくない。直撃せずとも、周囲への余波だけでラルズの肌を切り裂くのだ、無事とは到底考えられない。


 地面の中――正確には影の中だろうか。そこへ潜って攻撃を回避するという反則過ぎる動きができることは知っているが、ラルズを捕まえていた以上反応は遅れたはずだ。


 倒すには至らず存命。まだ、ラルズたちの周囲に隠れている可能性が高い。姿を現さないのは傷を負ったからか、はたまた機を狙っているのかは分からない。だが、追撃の手が及ばないのであれば好都合。


「このまま逃げよう。魔獣が近くにいてもいなくても関係ない。襲ってこないなら、今の内に都市を目指そうっ!」


「うん! グレンの傷のこともあるし、急ごうっ!」


 経緯の詳しい話も、逃げながら話した方が建設的だ。全員逃げる意思に賛同して行動を開始。ラルズは痛む身体をどうにか動かしてグレンベルクを背負う。四の五の言ってられない。このまま時間を浪費すれば、眼獣に遭遇する件もそうだが、何よりグレンベルクの命が危ない。


 背負い上げて準備完了。そのままラルズとミュゼット、セーラの三名は森の出口を目指して走り出した……


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――ある魔獣の残骸魔力から、【それ】は産まれた。


 どのような作用が働いたのか、どのような因果が発生して生まれ落ちたのか、その詳細は誰にもわからない。


 突如として自我を持ち、自らが生きているという事実に気付いて、そのときから【それ】は生命活動を続ける。親と呼べる存在がいるかどうかもわからず、自らに近い親種が存在するかどうかもわからない。


 産まれた【それ】はその日から生き続ける。敵を見つければ自らの手で殺し、糧として生き永らえる。産まれてから何年も経過していく中で、徐々に力が増加していき、向かうところ敵なしといった具合だった。


 力と比例して知能も芽生えていった。影に潜り獲物となる相手の話す言葉の内容、行動や意志、そういった感情の情緒や言葉としての意味合いを断片的に理解することができた。魔獣の話す言葉も、人が口にする言葉の意味も、理解の傾向はどんどんと膨れ上がり、その様は人と魔獣、両面の視点からみても歪で完成された存在であった。


 蓄えられてきた叡智と力。自らが成長を続けていく過程。敵と定めた相手と相対すれば、産まれながらに与えられた影の領域を展開して攻防を成す。意のままに操り、危険を感じれば影に身を潜めてじっくりと勝機を見据える。姿を隠せるこの力と、縦横無尽に敵を翻弄して命を奪える殺戮の影。


 対峙した同じ枠組みの別種も、人間と呼ばれる弱い生物も、自らの前では雑種も同然。いつしか築き上げてきた死体の山々は数知れず。


 絶対的な象徴。強者の権化。己に対して弱い生物が怯え、泣いて許しを請う姿。勇猛果敢に攻めてきて、呆気なくその命を散らす様。限界が近い中、それでも激情に身を走らせて最後まで荒々しい気性のまま抵抗する様。


 その全てがどうしようもないぐらい愛おしい。どのように表現すればいいのか言葉や事柄が浮かび上がらない。命が目の前で崩れ去る様子が、絶命する様子が、死に瀕する様子を前にして、心がどうしようもなく震えてしまう、高揚してしまう。


 自らと比較して明らかに弱い生物――否、己を比較した結果、全てが自らよりも劣っている。自らに勝る生物などこの世には存在しない。誇張表現でもなく、絶対の感性。疑うことを知らず、自らが頂点に存在すると【それ】は本気で心の底から信じていた。


 各地を回って、目に付いた存在を気分で殺し回る。西、北、東、南、ありとあらゆる場所へと活動範囲を広げ、通行人や村の住人、別種の魔獣と獲物の種類は千差万別。殺したいときに殺し、殺すことで飽くなき欲望を満たし、また別の獲物に照準を向けることをひたすら繰り返す。


 今いるこの森にも生命が多く溢れていた。殺害衝動に駆られる【それ】は、連日南に位置する森区画を中心に、辺りを移動しながら命を無差別に奪っていった。


 この場所……バルシリア小森林と呼ばれている場所で活動を続け、魔獣を殺し続けるのに飽きてきた頃合いで、見つけた。


 元気そうな若者が数名。中には子供の存在も確認できた。狙いを確かなものとして、静かにその後を追っていき、一番相手が絶望するであろう瞬間を狙って行動を行おうと画策する。


 その手間暇さが、極上の恐怖を引き立てると知っていたから……


 少年少女の内、一人の少年の前に姿を見せる。恐怖に飲まれた表情。完全に支配されて成す術もない感情がそのまま顏に現れていた。魔獣とは違って、人間の感情ははっきりと表情に浮かんできてわかり易く、それでいて素晴らしい。


 そこからは正に至福の時間だった。怯え、喚き、動揺し、慌てふためいて自らを恐れている様。その様子を眺めているだけで身悶えする。高揚感が湧き上がり、満たしてくれる。いざ姿を全員の前に晒せば、全員が恐怖の色を表情に移して自らを前に震えていた。


 ただ一人、その少年らの内の一人だけが、恐怖による震えとは無縁であった。なにやら強い憎しみを抱いている様子であり、どうやらその青年と既知の存在であるらしい。


 その青年は俺のことを覚えているか、などと問いかけてきたが……


 ――奪ってきた命に対して、一々覚えているわけがない。だが、逆に利用してその憎しみを焚きつけてやるのも面白いと興が映り、瞳を歪める仕草で青年の心を刺激する。


 逆鱗に触れたのだろう。その青年は他の者どもと比べて果敢に挑んできた。


 ・・意外だったのは、その青年が思いのほか実力を備えていた点。技術に関してはかなり卓越されているものだと、戦いの中で判断が付いた。身のこなしも状況判断も、これまで相手してきた数多の雑兵と比べれば目を見張る才を持っており、簡単には沈んでくれなかった。


 が、だからといって勝てるわけではない。多少腕に自信があるとしても、所詮は雑兵の域。絶対的な存在に抗おうとも、簡単に跳ね返されてそのまま朽ち果てるのみ。


 当然の結果、当然の結末。自らに敗北して全身から血を排出して死に瀕する、最高の姿。十分楽しませてくれたお礼として最後は一撃で急所を貫いて終わらせようとしたが、一緒にいた青年が仲間の窮地を前に言い付けを破って挑みかかってきた。


 が、先の青年と比べても段違いの弱さ。相手にもならない。


 武器を弾いて簡単に封じ込め、そのまま首を締め上げて殺す。影を貫いて殺してしまうのは一瞬である。長く苦しませて苦悶の表情を堪能しよう。影を用いて一突きに殺すのは、先に挑んできた激情の青年とすることに。


 そのまま首を締め上げて、新たに足元に青年の墓標が組み立てられる。何度も奪ってきた命の略奪。今、新たに青年の命が無残にも消え失せて――


 消え失せて……消え失せて……そこから?


 そこから、そこから? 何が起こっただろうか?


 風が途端に営みを邪魔した。特大の風に妨害されて、慌てて獲物から離れて影の中に身を潜める。


 ・・身を潜めた? 否、潜められた? なぜ、隠れる必要があったのだろうか。なぜ、影の中に身を潜めて姿を隠しているのか。隠れることはつまり、危険を感じたからだろうか。


 それではまるで、まるで――


 ・・影は再び現出する。遠くで走り去っていく少年少女らの姿。自らを追い払い、脅威を跳ね除けて颯爽と森の出口を目指して進んでいる。


 静かとなった広場の中心地。突如として発生した風の震源地のど真ん中。そこから浮かび上がり状況を飲み込んだ直後、沸々と奥底で煮え滾っている。


 絶対的な存在に泥を付けられ、屈辱以外の何物でもなかった。怒りが膨れ上がり、零れ落ちそうなぐらいに、痛いぐらいに眼球たちに力を加えて目を見開く。


 一度青年の左手に嫌な予感を感じて身体を隠したが、それとは意味合いが違う。あれは隠れるつもりだった、いわば能動的な行動。だが、風の方は違う。


 受動的に、隠れさせられたのだ。自らが、思考に時間を割く暇もなく、瞬間的に……


 


 許すわけにはいかない。このまま、このまま無事に生還など、させるわけにはいかないっ――


 ・・眼獣は影を這わせて追いかける意思を怒りと混同して強く固める。自らに手傷を負わせ、勝利の作法を……余韻を……そして矜持を。全て妨害された罪を奴らに認めさせるために。


 絶対の存在を踏み躙った代償を払って貰うために。対価は当然……命において他ならない。


 


 

 


 






 

 




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