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導きの愚者  作者: ひじきの煮物
第一章 【森の中の小さな世界】
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第一章5 決死の脱出


 周囲を取り囲んでいた重苦しい空気が霧散されるのを肌で感じ、身体が徐々に落ち着きを取り戻す。


 もう一度扉の方へと顔を覗かせると、扉は跡形もなく壊されており、廊下からの光が部屋の入り口から差し込んでいる。


 どれほど焦がれただろうか……外へと出られるこの瞬間を。

 塞がれていた暗い世界から、陽の光を浴びることができる森へと。その先に広がる世界を、どれだけ望んだだろうか。


 眼の前に扉はなく、踏み出せば小さいこの世界から外へと出ることが叶う。


 しかし、俺たちの前に新しい問題が発生する。ラッセルという男の障害は取り除かれたが、新たに姿を現した問題の方は無視できないものだ。


「兄貴、あれってもしかして……」


「多分、【魔獣】だと思う」


 魔獣……実物は見たことがなかった。父さんと母さんが森の外から持ってきた本の中で、魔獣について記されているものもあった。


 太古の昔より歴史は続き、今の時代まで魔獣は独自の生態系をこの世界で作り上げている。森で縄張りを構築する種もいれば、山奥を基盤として生活をしている魔獣もいる。

 姿かたちも多岐にわたり、その種類は未だに全て解明はされていない。魔獣学といった専門的な調査や研究を行う組織もある程に、魔獣は人々にその存在を認知されている。


 だが認知されていると言ってもその大多数は魔獣に対して敵愾心を抱えているものだ。

 

 魔獣によって被害に遭ったものや人物は、歴史上分かっている数だけでも相当な数になる。把握できていない件も含めるとしたら膨大なものになる。


 いつの時代でも魔獣の被害に遭う事例は数多く耳にされ、肉親や家族、大切な人を失ったものも数多くいる。

 魔獣は化け物として人々に周知され、恨みを持つものも少なからずいる。

 互いが互いに交わる事のない生命の異分子として、魔獣と人は敵対関係にある。


「兄さん、あの人はじゃあ……」


「うん、多分もう……」


 ラッセルを見たわけではないけれど、魔獣の手にしていた斧。その先から垂れていた乾いていない血。確実ではないだろうけど、既にあの魔獣の手によって……

 この家には俺たち以外に滞在しているのはラッセルしかおらず、また他の人がこの森の中にいたというのも可能性としては低いだろう。


 まだ実際に死体なんかをこの目で見ている訳ではないから亡くなったかどうかは分からないけど、今はラッセルのことよりもここからどう脱出するかを考えたほうがいいだろう。


「でもじゃああとは見つからないように外に出られたら!」


「あの人がいないならここから外へ……!」


 二人の言う通り、ラッセルについてはこの際考えなくても大丈夫だろう。

 仮にあの男が生きていたとして、この家に留まっているとは思えないだろうし、結局のところ問題なのは魔獣の方だ。


 この部屋を出て左手、そのまま真っすぐ進めばすぐ玄関に辿り着く。走ればものの数秒だ。

 だけどやはり問題になるのが魔獣の存在だろう。

 一度でもあの魔獣に見つかってしまえば恐らくは終わりと判断した方がいいだろう。


 シェーレとレルは疲弊している点を考慮しても少しぐらいなら走れるだろう。俺の方も傷が痛む点は無視できないけれども、それでも走れなくはない。

 ただ魔獣に見つかれば簡単に追いつかれてしまうだろう。捕まれば抵抗もできずに殺されてしまうのは容易に想像できる。


 せめて何か注意を引けるけるものがあれば幸いだけど、そんな都合のいいものはここにはない。


「・・やっぱり……」


 悩んでみたが、情報が足りなすぎる。魔獣について俺はある可能性を考慮している。


 それは一匹だけではないのではないかという点だ。


 部屋に入ってきたのは大型の魔獣一匹だけだが、魔獣の中には部下や子供を引き連れて集団で人々を狩るタイプの魔獣もいると本には記されていた。


 最悪そうだとすれば、この家に他の魔獣がいても可笑しくはない。

 安全に脱出するためにも、払える要素や組み込める情報は確実にしておきたい。


「シェーレ、レル。俺が少し様子を見てくるから、二人はこの木箱の近くで待ってて。」


「え、でも……!」


「そしたら兄貴が……!」


 二人が浮かない顔をするのも無理はない。危険は十分承知だ。

 見つかれば手にした銀色の凶器か備わっている鋭い爪と牙の餌食になるのは火を見るよりも明らかだ。


「危険なのは分かってる。大丈夫、絶対無事に戻ってくるから。」


「兄さん……」


「・・分かった。信じるよ兄貴」


 二人は俯きながらも俺の提案を受け入れてくれた。それぞれ頭を優しく撫でると、木箱の奥からそっと身を前に出す。

 音もやんでいるし、扉の近くにはいないだろう。身長に様子を窺いながら木箱から身体全体を出していく。


 幸いなことにこの激しい雨音のおかげで床を踏んだ際の小さい音ぐらいなら上手くかき消してくれる。

 不安ではあるが、今この瞬間がチャンスだ。


 扉から顔を出そうとして後ろを振り返る。こちらを見詰める心配そうな様子を前に、優しく笑顔を返して応える。

 シェーレとレルの為にも、失敗はできない――


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 気配を伺い、慎重に身体を少しずつ動かしていく。唾を飲み込み、壁を背にしてゆっくりと廊下へと顔を出していく。

 左目で廊下を確認してみたが、まず玄関。


 玄関は先の壊れた扉のように滅茶苦茶に破壊された跡が目に入る。入り口からこの家に侵入してきたみたいだ。

 続いて廊下、天井付近に付けられた壁沿いの照明が付近を照らすが、廊下には真っ赤な血が居間の方から続いており、廊下の方まで浸水していた。


 ――あの血は恐らく……


 意を決して、深呼吸を一度行って身体を廊下へと乗り出す。

 音を出さないように気を配り、焦らずに前へと進んでいく。

 普段住んでいる家の中なのに、長らく閉じ込められていた時間と、血が広がっている廊下を前にして、まるで別の家に住んでいるような錯覚すら覚える。


 家の形をしているのに、家ではないような。そんな不可思議な感覚に囚われそうだ。


 壁を背にしてゆっくりと、慎重に進んでいく。短い廊下のはずなのに、今この瞬間は渡っている廊下がとても長く感じてしまう。


(焦らなくていい……慎重に……)


 自分で自分にそう言い聞かせながら、一歩……また一歩と足を前に出していく。冷たい空気と緊張感で少し震えそうになる自分がいるが、そんな自分を押し殺しながら廊下の先を目指す。


 時間にして数分近くだろうか。どうにか何の問題もなく血が流れ込んできている廊下の半分近くまで進むことが出来た。


 無事に辿り着けた安堵感と魔獣が現れなかった幸運に感謝しつつ、居間の状況をこの目で見ようと低い体勢になる。


 顔を覗かせる直前、ぴちゃぴちゃとした水音と、何かを口の中で食んでいる音が聞こえる。

 聞いているだけで、音の詳細も分からないけれど嫌な気分になってしまう。

 

 ――不快な音の正体は、何となく予想がついている。


 覚悟を決めて壁から右目を覗かせる。その先は、予想していた通りの現実だ。


 喰われていた。群がり、肉体の全てを噛みちぎられ、咀嚼されている。頭からつま先まで余すことなく牙を立てられ、爪で腹の中を開かれ中身までも無作為に荒らされている。

 相当お腹が空いているのか、隣り合っている仲間通しでも取り合いをしているぐらいだ。


 強い死の匂いと元の状態が判別できないぐらいに損傷され、直視しずらないほどに惨い姿に成り果てていた。

 あれほど自分たちを苦しめ、人の苦しんでいる姿を生きがいとしていた男の最期。


 ラッセルは魔獣に喰い殺され、その生涯を終えた……


 ラッセルは最悪の人間だ。これまでの行いの数々を考えれば、彼にとっては当然の報いと思われても仕方がないだろう。

 だが、既に死んでいるのにその死体を弄ばれているラッセルを見て、今まで抱いていた恨みや憎いといった負の感情が少し揺らめく。

 消えることは無いにしても、その姿を前に別の感情が浮かび上がる。


(酷いっ……)


 死してなお弄ばれるその可哀そうな結末を前に、心配の気持ちが勝ってしまっていた。


(・・・・・・)


 胃の奥から込み上げてくる嘔吐感を表には出さずに無理矢理奥に押し戻して状況を再確認する。

 俺の仮説通り、魔獣は一匹だけではなかった。


 ラッセルの死体に夢中になっているのは、先に見た大型の魔獣の子供か部下であろう。数は全部で五体だろうか。身体もそこまで大きくなく、四本足で地面を立っているその姿は、思っていた通りの狼そのものだ。

 それでも子供である自分たちと同じくらいの大きさだ。爪や牙も大型と同じとはいかないものの、振るわれれば大怪我は必至だ。


 斧を持っていた魔獣はここからじゃ姿が見えないが、居間の奥の方から声が微かに聞こえる。

 眠っているのだろうか、一定の音量と感覚で声が空気を揺らしている。


 となると一番の要因はラッセルに集まっている小型の魔獣たちであろう。今様子を確認している俺に気付いていない状況を見るに、周囲に気を配るよりも目の前に転がっている眼前の食事の方が大事なのだろう。


 当面の問題として、ここの廊下と居間を繋いでいる僅かな隙間。ここを気付かれずに通り抜けることができれば、無事に外へとそのまま逃げられるだろう。


 偵察も終わり、最初と同じように静かに、警戒しながら部屋へと戻ることに。

 行きと同じくらいの時間をかけ、俺はそのままシェーレとレルの待っている部屋へと無事に帰ることができた。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 部屋へと何事もなく戻れた俺は二人に状況を説明する。

 魔獣たちは居間の方でラッセルを喰らっていることと、その間に外に逃げること。

 説明を受けた二人は怖がってはいたけれど、脱出のチャンスということを分かってくれ、提案に賛同。

 雨が降っていて多少の音をかき消してくれるこの機会を逃さず、直ぐに行動に移すことに。


 一番先頭は俺、次にレル、最後にシェーレ。何かあったら部屋へと戻って隠れられればベストだけど、障害物も何もない一本道ではもう走り抜けるほうが得策だろう。


 いずれにせよ、見つかってしまえばほぼ終わりという状態なのには変わりはない。

 覚悟を決めて、瓦解している扉の前まで移動する。


 扉から再び身体を前に出して様子を窺うと、先程と同じように魔獣の姿は廊下にはない。


「・・行こう……」


「うん!」


「は、はいっ……」


 シェーレを見ると相当怖がっているし、声も上ずっている。こんな状況だし無理もないだろう。

 ラッセルが与える物理的な恐怖とは違い、魂に訴えかけてくるような理由の必要がない恐怖だ。


 不安になってしまうのは当然だ。だけど、ここを乗り越えないといけない――


「シェーレ、大丈夫。何かあっても、お兄ちゃんが絶対に助けるから」


「兄さんっ……」


 数秒沈黙し、決意が固まったのか顔を上げる。


「もう大丈夫です、兄さん!」


 瞳に迷いの色が無くなり、しっかりと前を向いている。恐れこそ内に抱いているけれど、前へ進める眼をしていた。


 廊下へと身を出し、問題ないことを確認して後ろの二人に合図を送る。

 合図を受けて二人も壁へと背を当てて俺の後ろへ。


 寂しくないように、怖さを紛らわすために俺はレルの手を掴む。レルもシェーレの手を掴んで放さないように。


「ゆっくり行くから、慌てなくて大丈夫。」


 小声に対してシェーレとレルが頷く。

 先に通ったのと一緒で足元に意識を向けて足を前に出していく。

 冷たい空気と一緒に敷き詰められた濃厚な死の香りが混ざり合い、身体に纏わりつく。


 一分でも、一秒でもこんな場所から早く逃げ出したい。今直ぐ目の前に広がる玄関へと走り飛び出したい。

 理性が壊れてしまうような時間の中で、心の奥底に微かに残っている自分自身が、暴走を必死に繋ぎ止めてくれている。


 着実に、確実に足を踏み出す。もたもたしていたら魔獣がこちらへ流れ込んでくるかもしれない。

 そんな嫌な考えが頭をよぎり続けるが、そんな考えを払拭するように意識を移す。繋いだ手の感触に意識を持っていきどうにか首の皮一枚で正気を保ち続けている。

 文字通り神経を擦り減らしながら廊下を渡る。右も左も分からなくて手探りで道を探るようにゆっくりと、冷たい床を踏みしめていく。


 目前、ようやく先程辿り着いた場所まで到着し、一度腰を下ろす。

 二人にここで待っているように小声で指示をして、壁を背に再び居間の方を見る。


 魔獣たちはラッセルの肉を熱心に喰い続けており、俺たちには気付いていない。


 作戦も何もない、ただ音を出さないで血の敷かれた床を踏み歩き、バレずに向こう側まで進む。

 たったこれだけ。しかしこの僅かな間を進むだけで、先程までの緊張とはものが違うだろう。


 誰かが一匹でもこちらに気付けば、仲間の反応を皮切りに全員の意識が食事からこちらに移り変わるだろう。

 それにここまでは手を繋いでこれたけど、ここからの僅かな距離は一人で向かわなければならない。


 雨が降っていることを考慮しても、かき消せないぐらい大きな音には意味がない。

 先程のように足元に細心の注意を払えば、魔獣たちに気付かれることは無いだろう。


「・・まず俺が……」


「兄貴、あたしから行かせてっ」


 先に自分が行こうとしたが、レルが一番手を立候補する。


「で、でも……」


「大丈夫、ちゃんと無事に渡って、シェーレを安心させるから。」


「レル……」


「・・分かった。慎重にね」


「うん!」


 結果、レルが一番手。二番手はシェーレ、最後に俺という形になる。

 渡っている途中は俺が見張っておくから、二人には前だけに意識を向けてもらうことに。


 途中でラッセルが喰われている現場を見れば、声を挙げてしまうかもしれないからだ……


「行ってくる……!」


 レルが一歩目を踏み出そうとする。

 心臓がドクンドクンと脈打つ。一番の山場を前にして、誰の支えもない中でレルが先陣を切る。


 血が広がっている床に一歩目を置き、その場で停止する。

 音は多少鳴ってしまうが、雨の音と咀嚼音によって気付れてはいない。


 そのまま右足に続いて左足を前に出す。あともう四歩。

 様子を窺うけど、腹を満たすことにご執心だ。


 三歩、二歩と徐々に足を前に。生き詰まる状況の中、自身の心臓の音が大きくなる。

 あとたった数歩、それでレルは無事に渡り切れる。


(レル……!)


 祈りを捧げるようにレルの無事を祈る。気付かれれば終わってしまう……!

 一歩、進み止まる。そして最後の一歩――


 ・・・・渡り切った。居間の魔獣はレルに気付かず肉を噛み続けている。


 レルが振り返りにこりと笑う。その笑顔を見て俺たちは安心して笑顔が零れた。


「・・兄さん、行きますね」


「シェーレ、気を付けてね。」


「レルには負けられないですから……!」


 レルの突破がシェーレにとって発破をかけてくれたのだろう。

 昔からよく喧嘩をする二人は、こういう時は互いが互いを意識して負けられないと気持ちが昂るのだろう。この状況においては嬉しい限りだ。


 シェーレが一歩目を踏み出す。

 細心の注意を払った最初の一歩は無事成功。レルに勇気づけられたからか順調な滑り出しを見せ、その後も二歩、三歩と踏み込む。

 道を外せば落下してしまう、綱渡りのような状態。そんな状態の中でシェーレは己自身を律して前へ進み続ける。

 あと半分、四歩目となるその一歩だが、瞬間だった――


「――ッ!!」


「――っ!?」


 ラッセルを喰っている魔獣とは別の、最初に見た魔獣のものだろう。奥の方から声が響き、静寂した空気の中に不和が生じる。

 意識を完全に足元に向けていたシェーレは不意の魔獣の声に弾かれるように反応してしまい、小さい悲鳴が漏れたのだ。


 声を挙げてしまったシェーレ本人は自身の行動を深く後悔しているだろう。


 ・・だが魔獣はこちらに視線を移すことは無かった。


 雨の勢いが強いおかげか、シェーレの声はどうやら魔獣には届いていないみたいだ。


 数秒固まったのちにシェーレも残りの数歩を歩き終え、レルのもとへと辿り着いた。

 レルがシェーレを抱いて頭を撫でている。怖くてしょうがなかったんだろう。


 でもこれでシェーレとレルは無事に渡り終えることができた。あとは――


(俺だけだ……)


 一度目を瞑り深く息を吸い込む。無事に俺が渡り終えれば、まだ安心はできないけど危険な地帯は超えることができる。

 シェーレもレルも無事に渡り終えたんだ。兄である自分が失敗するわけにはいかない。


 勇気を胸に右足を踏み出し、一歩目を前に――


 血の池と化している床へと突入し、一度止まる。

 空気の微妙な流れの変化も感じ取れるぐらいに繊細に五感を機能させる。


 ふと俯いた姿勢から右へと視線を動かすが、気付かれていない。

 二歩目、クリア。そのままの勢いで三歩目、成功。


 残り半分まで来て襲い掛かってくる、死が形となって圧し掛かるようなプレッシャー。体調を崩して、寒くもないのに身体が震えてしまうような感覚。


 あとたった数歩、それだけでこの支配から解放されるのに、目の前に光が見えているのに……


(身体が、動かないっ……!)


 この状況に俺の身体は完全に凍り付いてしまっていた。動けとどれだけ頭に命令を下しても、肝心の肉体は命令を遂行できない。

 目の前に姿を見せているゴールを前にして、あとほんの少しの距離が果てしなく遠く感じる。


(駄目だ……踏み込めない――!)


 シェーレとレルが示してくれた道を、恐怖が阻害して行く手を阻んでしまっている。


(どうしたら……!)


「――兄さん」


「――兄貴」


 ・・声が聞こえた気がした。


 暗く沈んでいた視線を上げると、こちらを見るのは最愛の妹二人。

 その二人を目にして、固まっていた自分の身体が軽くなった気がする。


 気のせいなんだろうけど、確かに救われた。呪縛ともいえるような重い鎖が千切れたように、足が前へと自然に動き出した。

 意識をしなくても肉体が理解してかのように、音を立てずに残りの距離が縮んでいく。


 二歩、一歩、最後――


 辿り着き、迎えてくれるのは俺を救ってくれたシェーレとレルだ。

 恐怖が取り巻き掴んで離さなかった俺を簡単に助けてくれた。


「・・ありがとう、二人とも」


 廊下を渡り終え、喜ぶのもあとにして反対の壁から様子を見る。こちらには一匹たりとも顔を向けておらず、長い息が口から吐かれる。


「やった!」


「やりましたね!」


 小声ながらも喜んでいるシェーレとレル。

 心配していた最悪の事態をどうにか免れ、俺たちはどうにか廊下の一番危険な個所を抜けることに成功。

 まだまだ油断はできないけど、それでも先程までの状況と比べれば随分と楽になった。


 後ろを警戒するから先に進むよう二人を促す。レル、シェーレ、俺の順番で再び玄関を目指して向かっていく。


 あと少し、目と鼻の先にはラッセルに閉じ込められて以来出たことのない外へと出られる。

 外へ出て森を抜けることができれば、その先には……


 焦がれ望んだ外の世界が、目の前で口を開いて—―


 ――ビシャーンッッ!!


 雷が鳴った。いや、鳴ったのではなく落ちたのだろう。どことまでは分からないけど、この家の近くで雷鳴が轟き、その音は今まで生きてきた中で最も大きな音だった。


 爆発したのではないかと勘違いするほどの強烈なものであったが、俺はその雷の音に対して反応ができなかった。

 この場合できなかったとというのはそれで良かった。雷が鳴り響いた瞬間を意識が飲み込めず、ただ呆然と立ち尽くしていた。


 そう、俺自身は――


 前を進んでいるシェーレとレルがお互い震えながら口元に手を置いている。

 だがそれも全て後の祭りと言えるだろう。既に口から叫ばれた声は戻すこともできず、誤魔化すこともできない。


 俺の方を見て震えが止まらないシェーレとレルは、その瞳に恐怖の色を宿して俺を見ていた。


 ――否、正確には俺の後ろ。


 背後に感じるのは強烈な気配。振り返らずともその気配の有無を理解しているように、振り向かずとも俺の身体は震えていた。


 音がひしめく中、脳からの指示を待たずに首が後ろへと回る。


 視界に映るのは、廊下の光が全身の姿を明るく照らしている黒狼の姿。シェーレとレルの声を聞きつけ、廊下へとその身を露わにした。

 その手には、初めてその魔獣を目にしたときと同じく銀斧が握られていた。


 固まり、足を動かせずにいた俺たち。


 眼前、にたりと笑う魔獣の姿を目にしてようやく――


「――――逃げてっっ!!」


 口から出した叫び声は、鳴り響いた雷と同じくらいに大きかった。


 

 


 


 


 




 


 


 

 

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