第二章33 深淵より来たりし眼核
グレンベルクと合流を果たしたラルズたち。更には最後の目的でもあったティナも彼の手によって無事に保護されており、リオンの件と合わさって森へ入った試みの願いは見事に達成される形に。
道中魔獣と遭遇し、戦いに発展する場面などもあり、結果としてラルズが負傷したりと不安事も重なっていたが、肝心の二人の命は目立った傷も無く平気である。子供らの命に比べれば負傷も可愛いもの。誰一人として命を失われていない点を看過すれば安いものだ。
「応答なかったから焦ったよ。もしかしてグレンに何かあったんじゃないかって心配でっ」
「悪かったな。見てもらってた通り手が離せなくてな。お互い無事みたいで何よりだ」
「グレンと違って完全に無事とは言えないけど、ね……」
それぞれ道を違えてからの経緯を簡単に説明。話によるとグレンベルクの方はいち早くこの場所に辿り着いて周囲を探していた所、先の魔獣たちの住処を発見。警戒して様子を伺ったが魔獣たちは出払っておりもぬけの殻。
一安心して改めて再び捜索を続けたが、物音がして調べてみると近くに樽が転がっており、蓋を開けてみると中からティナが見つかったとのこと。魔獣たちが森に入った人物の荷物を奪ったのか定かではないが、その樽の中に身を潜めていたらしい。
グレンベルクが見つけなかったらそのまま朝まで耐え忍ぶ算段だったのか、いずれにせよよく隠れ通せたなとかえって関心を抱いてしまう。
五体満足であることを確認し、立ち去ろうとした際に住処に戻ってきた魔獣と鉢合わせてしまって交戦状態に。
あとはラルズたちが突着してそのままといった流れだ。
「最初は既に事切れてると思ったがこの子供……存外肝が据わりすぎてるな。失礼女よりも余程胆力があるぞ」
「子供じゃなくてティナ! レディを名前で呼ばないなんて失礼しちゃうわ!」
「ティナちゃんの言う通りよ! いい加減私のことも名前で呼んでっ!」
「ミュゼット。今は名前について言及している余裕はないわよ……」
名前で呼ばれなくて憤慨しているご様子。先程まで怖い思いをしたのに案外平気そう。気弱な弟のリオンとはまるで性格が異なっており、気が強い一面が垣間見える姉のティナ。いくら気配が無いとは言え、魔獣の巣窟の近くに身を潜めていたとは、同じ立場であればそんな勇ましい行動を起こせたかどうか。
森に入ろうと提案したのも彼女らしく、グレンベルクの評価通り年に見合っていないぐらい大胆な判断を下し、行動力に長けている女の子である。
「元々こいつを見つけた時点で連絡をしようと思ったが囲まれたんでな。そんな余裕も無かった」
「でも俺たちが駆け付けなくても、グレンだったら結局一人でどうにもできたんじゃない?」
見渡せば魔獣たちの死骸は転がっており、血が辺りに飛び散っていたりと空き地が酷い有様となっている。
「極論何とかなった可能性もあるが、それでも子供のお守りをしながらヘッドハウンド相手は骨が折れる。子分程度ならどうにでもなるが、流石に親玉はそうともいかないさ」
多分子分を先に始末し、包囲網を崩した後に戦闘から遠ざけて残った最後の大型魔獣を相手取る算段だったのだろう。偶然ラルズたちが音を聞きつけて駆け付けたので一段簡略され、ティナを任せる判断にしたのだろうが、それにしても投げ飛ばしてくるとは思わなんだ。
「とにかくこれで一件落着だね! 早く都市に帰ってご両親に報告しようよ!」
「そうね。嫌な予感もするし、早目に退散するに限るわ」
「お前らも感じたのか? この森の異常に」
「お前らもってことは……グレンも?」
一同全員が森全体から嫌な気配が漂っていると、肌を刺す感覚の訴えをいずれも肯定的に捉えている。明確な理由は無いのだが、どこか落ち着かいない雰囲気。魔獣の脅威は実感したが、その類の代物とは異質で別の色が周囲を取り巻いている感覚。
「魔獣だけに留まらず、生き物の気配が静かすぎるんだ。夜も更けて活動時間外なのを考慮しても、命の脈動が吸われているような……」
自然環境下に生息している、生命体全ての安息が乱されている様であり、森が音も無く、静かにざわめていてしまっている。理由が分からないからこそ、詳細が不明であるからして形を成し得る違和感の権化。
得体の知れなさ、正体の不透明さが実直にそのまま異質の物へと昇華を遂げており、各々の胸中を蠢き不安を煽っている。
「・・とにかく目的は果たしたんだ。都市へ急いで帰還しよう」
「賛成!」
ここに長居しておく理由はもうない。目的は完了したし、あとは森の入り口まで戻って待機させている地竜に乗り込み、都市へと帰還すれば、この異質感ともおさらばだ。
「一刻も早く戻ったほうが良いだろうし、少し駆け足気味で戻ろう。警戒は当然各自行うとして……セーラ、お前の目にまた頼んでもいいか?」
「了解よ。戦闘もあって魔力は少ないけれど、入り口までは持つ筈よ」
「助かる」
行きと比べて状況に慣れたとはいえ、いつまた魔獣と遭遇するか分からない。警戒は都市へと帰れるまで常に続け、後でゆっくりと警戒心を緩めるのが一番だろう。
「よし、じゃあ行くぞ」
「オッケーっ!」
先頭は再びグレンベルク。その後ろからセーラ、ティナとリオン、ミュゼット、ラルズの順番となる。子供を一番安全であろう位置に配置して、後は行きの際の隊列と同じ囲いだ。
今度はグレンベルクもいるし、確かな安心とは言えないが心強いことは間違いない。何か近付いてくる気配があればセーラの瞳もあるし、実力的にも知覚的にも、一瞬で瓦解する様な事態は考えられないだろう。
「ラルズ、大丈夫?」
腹部付近を抑えているラルズを心配するミュゼット。痛みは落ち着いてきたが、胸付近に違和感を覚える。衝撃が強すぎて肉体の骨組織や臓器に異常が芽生えたのかもしれないが、全然動ける。
「うん。少し痛むけど大丈夫だよ」
「何かあったら言ってね!」
最初に森に入った際の彼女とは随分と様子が変わって見える。暗闇を進んできた自負と、魔獣を実際に討伐した自信の表れか、今ではすっかり傷を受けて動きが鈍くなったラルズを気遣ってくれたりと、周りに意識を向けられる様に。
頼もしいなと彼女に感慨を浮かべていると……
「・・ん?」
生じる違和感。明確な根拠はない。理由の薄い根拠とは裏腹に、ラルズは本能で察したのか自分自身でも分からない謎の疑問が生じる。
ふと後ろから視線を感じたような気がして振り返る。背中から誰かの視線を浴びたような気配を前にし、振り返って正体を確かめようとするが、視界に映る中で特に答えとなる代物は存在せず、辺りを見渡してもそれは同じ。
「・・気のせい……かな?」
神経を張り詰め過ぎていたのだろうか。森に入ってからずっとこの調子だ。身体に疲労が蓄積していき、不調の兆候が見え始めていても可笑しくない。魔獣との一戦で負傷も負ったわけだし、要因として挙げられる理由としては弱いかもしれないが、根拠としては充分事足りる。
「――ラルズっ?」
名前を呼ばれて振り返れば、既にラルズを除いて全員が出発しようとしていた。ミュゼットが後を付いてこないラルズに対して不審顔を向ける。
「・・ごめん、何でもないよ」
いそいそとミュゼットたちの元へと近付き、隊列に加わる。最後にもう一度後ろを振り返ってみたが、死んでいる魔獣の姿を目の当たりにしただけで、特に景色が変化していることもない。
そのままラルズたちは森の入り口へ戻る為に歩み始めた……
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
・・可笑しい。そう感じ始めたのは何も今に始まったことではない。
森に入って暫く進行してからか、道中の魔獣の死体を連続して発見してからか、周囲の空気がやけに重苦しいものへと変貌していないかと感じたからか。抱いた瞬間瞬間を記憶している訳ではないが、その違和感は徐々に、静かに膨れ上がっていく。
目的は達成。ティナとリオンを無事に救出することができ、帰り道も最大限注意を払いながら入り口を目指している。セーラの目とグレンベルクの勘。暗がりとはいえラルズやミュゼットの肉眼もしっかりと機能している。
魔獣も以降一度も目撃することも無く、セーラの目の反応からも周囲に隠れていたり存在自体も確認されない。怖いぐらい順調であり、ラルズたちにとってはこれ以上ないくらい幸運なことだ。
正確な位置関係は把握することが難しいが、奥地から移動を開始して大分時間も経過している。中腹地点も超えて入り口までもう少しであるのは間違いない。
このまま何事も無ければ、十数分で森を抜けられる。あとは地竜に乗って都市へと走らせれば、緊張感続く時間から解放され、明日から再び平穏な日常を満喫することができるだろう。
障害は立ち塞がらず、トラブルにも見舞われない。苦労もなくこのまま……順調の筈なのに、
「――はぁっ、はぁ……っ」
「大丈夫、ミュゼット?」
「う、うん……。大丈夫っ」
「セーラ、お前も息が上がってるぞ」
「・・グレンこそっ」
全員、どこか息が弾んでしまっている。無論それは彼女らに限らずラルズも同じだ。体調が悪い訳でもない。傷が再主張している訳でも、肉体には異変は何も生じていない。
行きの頃と比べれば場の空気に嫌でも慣れる。四人全員が揃っている安心感もあり、入り口まで後少し。魔獣の気配は未だに検知されないし、周囲を見渡しても異変は何も感じられない。
――なのに、当初森へ入った頃と比べて空気が重苦しく、見覚えのある同じ道をゆっくり戻っているだけで自然と心臓がうるさくなる。額に冷や汗が浮かび、喉が渇いて唾を飲み込む回数が増えていく。
原因が分からない。答えと理由が迷宮に拉致されており、明確な答えが見当たらない。周囲の環境の魔力が肌に合わないだの、ストレスや悩みといった精神的要因なんて物じゃない。
理由も理解できていないのに断言できるのも変な話だが、それでも断言できる。
ラルズたちを襲っている見えない何かは、確実に心を侵食している。まるで内側から得体のしれない代物が身体の中を蠢いているような、不快感と気持ち悪さが互いにせめぎ合い、吐き気まで催しそうになっている始末。
正常で不正常。健康であり不健康。矛盾の概念がラルズたちを取り巻き、掴んで離してくれない。
「・・もう少しだっ。ここで足を止めるより、今直ぐにでも出口を目指した方が良い」
グレン言う通り、仮に一度休息を図ってもこの症状は治まらないだろう。一刻も早く森を抜け出ることを考えたほうが良いに違いない。
心の中で彼の言葉に賛同をしたラルズだが、
「――……?」
またこの感覚だ。森を抜けようと出発した際にも抱いた感覚。
原因不明の症状に苛まれる中、ここまで度々ラルズが感じる視線。前後左右、あらゆる方向から見られている様な感覚を受ける。その度に視線を向けるも、相変わらず瞳が捉えてくれる新鮮な情報は一つとして無い。
視線を向ける度に気のせいと自分を無理矢理納得させ気持ちを整頓。かれこれ何度目になるのか数えるのも億劫になるし、無視を決め込めばそれで済む話。
それでも確認してしまいたくなるのは人間の性かもしれない。一度関心を広げてしまうと、どう言い訳をしても意志とは反対に好奇心が本人に対して呼び掛けてくる。
興味に意識を焼かれてラルズはその方向……後ろを振り返った。今回も何も見当たらず、ラルズたちが進んできた暗闇が広がって――
ギョロ ギョロ ギョロ ギョロ ギョロ ギョロ ギョロ ギョロ ギョロ
・・
・・・・
・・・・・・――は?
ラルズの時間が停止した。時間だけでなく歩みも……ましてや呼吸も停止した。目の前の光景に対して現実か夢の区別も付かず、全ての時間が切り取られた。
暗闇よりも黒く、漆黒よりも黒い景色。混じり気のない黒色が全体を形成している深淵の世界。黒一色の背景の中に描き記した絵画の様。黒一色の全体像に混じっている異質な代物。それは嫌でもラルズの注意を引いてしまい、意識せずとも視線を向けてしまう。
そしてラルズが見ているのと同時に、その物体もラルズのことを【見ていた】
大きな眼と小さな眼。色は全て同一のものであり形はてんでバラバラ。白い結膜の庭の中、不釣り合いの大きさをした眼球同士が蠢き同居している。一つ一つの眼球の周りの角膜は黒色に近い赤色で縁取られ、各自意志が組み込まれているのか別々の動きをしている。
眼球同士が混同している密集地帯を泳いでいたり、見開き続けてじっとラルズの事を観察している種も。
眼以外の情報量は物体から獲得できず、呼吸器官や頭部、上半身や下半身といった部位も見当たらない。眼球一つで形を成し、眼球のみで肉体全てが構成され完成している。
「・・・・・・」
恐怖が魅了し、時間を忘れさせる。そのまま身体は身動きが取れず、ただ呆然と【それ】を瞳に映しているのが残された最後の行動時間。声を発しようにも喉は凍り付き、視線を彷徨わせたり瞬きをすることも許されない。
深淵が肉体を通じてラルズの心を見通し、行動の全てを支配する。自由を奪い、生殺与奪の権利を手に入れ、やがてゆっくりと命を弄ぶ動作を行う。
それの周囲から触手の様な影がラルズの腹部へと這い寄る。柔らかそうな見た目から来る印象に反して、先端は針のように鋭く尖っており、殺傷能力に長けている、目の前の存在が操れる影の一部。
その内の一本の影針がラルズの腹部へと狙いを付ける。密着し、肌で針の感覚を味わう。
そのまま静かに貫通し、血が零れ落ちる。尚も止まらず、肉体の中に詰められている臓腑を掻き回そうとする動きを受け、先に貰っていた魔獣からの蹴りの痛みが暗示した。
――死んでしまうぞ……と
「うわぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
痛覚に救われ、縛られていた鎖から解き放たれる。凍り付いていた肉体に自由が戻り、絶叫が夜の森の中を駆け巡った。
森を抜け出るまであと十数分のところで、ラルズたちは捕まってしまった。
――深淵の世界の住人が、遊びに来た。