第二章31 激戦
「「リーフっ!!」」
互いに呼応し、同一タイミングでの風魔法の展開。ミュゼットは練り上げた魔力を塊として射出し、セーラは速さと物量に特化した連続の風の刃。
「――ッ!」
迫り来る風魔法に対して魔獣は大剣を両手で握り直すと、腰を大きく回し、遠心力を上乗せした威力に長けた一撃を放つ。ミュゼットが放った暴力的な風の一撃と、セーラが放った風刀。その両方に対して、勢いを限界まで蓄積させた凶刃の一振りで一蹴。
風の弾丸を魔獣の獲物で直接撫で切り、緑色の刃は生じた暴風によって霧散。たった一手で両者の風魔法を斡旋。微塵の動揺も誘えず、たったの一撃で魔法を相殺した腕前然り、魔獣たちの頭目であることの威厳をその身で証明する。
「もう油断も何もないわね。先に攻撃を当ててしまったのが仇になったかも」
顔面に二度ほど打ち込まれたことが、魔獣の本能をより刺激してしまったかもしれない。明確な外傷を与えられ、目の前にいる少女二人が捕食者の部類にあらず、明確に抵抗しうる力量を持ち合わせていると意識を更新。
「――ッ!!」
魔獣が仕掛けに入る。咆哮で相手を身震い、威圧にかかり、緊張感走る中で再びラルズたちに猛然と突進。恵まれた肉体からして、手にしている武器を使用せずとも、己の身体を風に乗せて激突させるだけでさえ強力な一撃。
「ミュゼットっ!」
「うんっ!」
再びミュゼットが魔法を発動。魔法の現出に少し時間を用いる彼女だが、威力は三人の中で一番上。これまでステラに魔法を教えてもらった成果の表れか。こと攻撃力に関して言えば、ラルズやセーラとは雲泥の差を担っている。一番怖がっている彼女が、一番強烈な魔法を撃ち放てる。
一心不乱、無我夢中。理由など今この瞬間に考える必要もなく、ただただ体内に流れている魔力の流れを一点に重ね合わせ集中。可愛らしい掛け声とは別物。彼女の意思に呼応する様に大気の風を巻き込みながら特大の風球が完成する。
「く、らえっ――!」
可愛らしい掛け声とは別物。放たれた魔法は全く持って可愛げの欠片も見当たらない。真面に直撃した時点で勝負の決着を付けるに値する質量の集合体。直撃すれば魔獣の肌を切り刻み、大量の鮮血を身体中から噴出することは確実視される。
同じように魔獣は獲物を活用し、大剣で打ち消しにかかる。先のミュゼットとセーラの魔法を一振りで消失させたように、己の両腕に力の全容を流した必殺の一撃。その余波は遠くに位置して様子見しているラルズたちに届くほどだが、
「――ッ!?」
威力の高さに面食らったのか、魔獣の想像以上の威力を前にし、相殺を試みた大剣の一撃が衝撃に揉まれて弾かれる。着弾と同時に暴力的な旋風が魔獣の身体に浮力を与え、踏ん張る力を奪い去りそのまま後方へと転がり回る。
二度もミュゼットの魔法によって地面と激突。見下され、甘く見積もっていた己の浅慮さを後悔する形に。油断という言葉は先程払拭した魔獣。それでも想定を遥かに上回っている彼女の魔法。
ここにきて最警戒を示すのがセーラではなく、ミュゼットの方であると示唆される。
「凄いよミュゼット。魔獣をあんな吹っ飛ばすなんて……」
「本当よ。私の風魔法と比べ物にならないわ」
「せ、先生に魔法教わってて良かったっ……!」
ステラに教わった魔法の基礎が功を成す形。それ以上に、彼女自身に風魔法の才能が常人よりも卓越している点。加えて大好きな風と真摯に向き合い、努力を研鑽してきた結果が、彼女にとって大きな力と変わりこの場の救世主と成り得る。
「――ッ!!」
地面の味と額から生じる血の味。両方の敗北の味を味わわされ完全に激昂。魔法の類は使用できないらしく、これほど魔法での被害を浴びているにも関わらず、攻撃方法はラルズと同じで持ち前の身体能力と武器による一撃。
大きく口を開いき、唾を吐き飛ばしながら突進。自信が先程までいた位置まで向かい武器を拾い直すと、愚直に真っ直ぐに標的目掛けて全速前進。
ラルズも魔獣の動きに合わせて同じように直線。互いの距離が段々と近付き、互いの攻撃の射程内に入り込んだ。
「――ッ!!」
左手での牽制。対象を掴んで動きを封じる一手をラルズは身を翻して回避。続く右手の獲物を用いての振り上げ。真面に受ければ勢いを殺せず大きな傷を請け負うのは必至。懐に侵入して近付くことで、逆に射程内から逃れる。
背後へと回り込み、剣に今一度力を籠め直して振り抜く。戦闘が始まって直ぐの腰の入っていない一撃ではなく、明確な闘志が武器に乗り移っている、鍛錬の成果が実直に乗り移っている本来の一撃。
「――やったっ!」
二度もせき止められたラルズの攻撃。確かな手応えが獲物を通じてラルズに伝わる。銀色の刃が美しい弧線の軌道を描けなかった体験とは異なり、今度はしっかりと背中を一閃。皮膚を貫通して体内の深い部分へと刃が奥へと入り込み、鮮血が辺りへと飛び散る。
魔獣の怒りをラルズが貰い、振り返って凶暴な一面を向けられる。そのまま攻撃を仕掛けようと獲物を握り締めるが、
「今度はこっち!」
傷にぐらついた隙を付き、遠くの定位置から魔法を練り上げていたミュゼットが死角からの攻撃を試みた。威力は先の物と比べて数段落ちるが、無防備な点と防御の手薄な背後からの条件が重なり、魔獣が苦鳴を上げるには充分過ぎる代物。
「――ッ……!?」
前後からの波状攻撃。一方が近距離、もう一方が遠距離からの魔法。二つの攻撃の応酬に対して、魔獣一匹では対応が追い付いていない。
無論ラルズたちが押しているが状況であるが、本来の奴の周囲に子分が配属されていない点が大きく作用している。部下がいれば一方の相手の邪魔を任せ、自らの意識の全てを敵一人に注げることができ、ここまで不利を強いられることは無かった。
道中で散々見てきた魔獣たちの死骸。この魔獣の仲間と思われる一味の大半は惨殺されて既に命を失っている。彼らが現地で共に行動していたのであれば、ラルズたちのここまでの有利は見込めなかった。
魔獣の死については言及する暇がなく、後回しにして事態を片付けたが、幸運はラルズたちに味方してくれている。
「――ッ!!」
傷に意識を奪われていた魔獣の動きが加速。もはや傷のことなど気にも留めていないのか。怒りが収まらないままに大剣を握り締め、ラルズとの距離を一瞬で縮めると、暴力的で殺人的な攻撃の嵐が繰り出された。
「っ……!?」
一撃一撃が全てラルズにとっては致命傷になり得る代物。掠っただけでも死という単語が頭をよぎる。動きを先読みして上手く攻撃を回避し続けるが、反撃を試みようとしても隙が見当たらない。
「――ミュゼットっ!」
「分かってる!」
ラルズ熱心なご様子の魔獣。反撃を与える暇も無く振るわれる殺戮の嵐と対称に、背後はがら空きとなっている。今魔法を打ち込めば確実に命中するに違いない。
ラルズの逼迫した状況を助ける為に打ち込まれたミュゼットの魔法。そのまま軌道上を風の弾丸が魔獣目掛けて突き進む中、命中する直前で――
「嘘っ!?」
魔獣が跳躍。進化の過程で手に入れた脚の力を駆使し、その場で膝を折り地面を力強く蹴り上げる。十メートル近く地面から離れ、月の光によって照らされる魔獣はまるで月下の演武者。対象を見失ったミュゼットの魔法はそのまま虚空へと消え去り霧散する。
完全に死角からの攻撃の筈だったが、警戒心を張り巡らせた獣の本能が作用し、その反応速度は後ろに目でもあるかの様な、ある種の達人の動きであった。
着地のタイミングを見計らってラルズも剣を構えるが、黄色い双眸は眼下に位置する敵を前に空中で姿勢を整えると、そのまま自由落下を転換し、威力にそのまま還元。
「――ラルズ、避けてっ!」
セーラの絶叫が鼓膜と神経を刺激する。見上げた視界の先、魔獣が着地をする前から攻撃の姿勢に入っている姿を瞳に移すと、彼女の警告と同一タイミング。ラルズの頭の中に自らの死の姿が直感的に浮かばれた。
迫り来る魔獣の姿。落下と合わせて真上に掲げられた大剣。切り伏せようとは感じられず、先端を地面へと対面させて突き刺しの構え。この場にいれば死が確実に襲うと本能が警告を促し、慌てて横っ飛びで跳躍。射程範囲から僅かに外へ。
「――ッ!!」
魔獣が地面へと到達し、攻撃が完了。
地響き。次に訪れるのは衝撃の咆哮。地面は威力の高さに声なき叫び声を上げており、亀裂は広範囲へと拡大。直撃を避けられたものの、その威力は恐怖を再認識させるには充分過ぎる破壊力。たった一手で状況を一変、優勢が嘘のように平常戦線へと切り替わった。
「あっぶなかった……っ!」
心臓がうるさいくらい存在を主張しており、心から安堵する。回避が遅れていれば、震源の中心地でラルズという存在は人の形を失い、身体は加重圧により爆発四散。血と臓物が周囲へと散布され、肉片と化していただろう。
「仮にも魔獣の親玉。環境下で生を掴み取ってきた自負ってやつが、あの魔獣にも備わっているのでしょうね」
命の危機が多方面から訪れる中、自然環境を生き抜いてきた魔獣の長。実態は好戦的であり、同一種の魔獣相手でも敵意を剥き出しにするほど。敵と認識した相手と何度も命のやり取りを行っており、修羅場を潜ってきた回数はラルズたち人間の比では無いだろう。
言葉は伝わらないが、姿を前にして雄弁に語り掛けてくる。
お前たちと俺では、命が背負いし歴の重さが違うと……
「・・ちょっと楽観的になってた。気を引き締めなさいと……っ」
数回傷を与えられた時点で、優勢であったと考えるのが間違っていた。細かい攻撃を繰り返そうが、目の前の魔獣はたった一発で形勢逆転を図れる程の手練れ。戦闘経験が浅いラルズたちに対し、戦闘経験が豊富な魔獣。
一人一人が相手取っても、恐らく勝算は無い。三人という現在の立場を最大限利用して、ようやく勝ちの芽が見えてくる相手。
「一段じゃ駄目ね。あいつに致命傷を与えるには、二段階の攻撃が必要よ」
「隙を生ませる一撃と、その隙を付く為のだね?」
相手の動揺を誘い、その隙に付け込んだ一撃を成立させる為の追撃。二段構えでなければ、この魔獣を仕留めにかかるのは厳しい。
「その最後の隙は、私が生み出すわ。上手く隙を作れたらラルズ……頼んだわよ」
「うんっ」
連携攻撃。意思を互いに共有し、再び戦場が時間を刻む。
ラルズが駆け出し、その様を前にして同じように魔獣も駆け出した。
両者小細工なしに正面から相まみえる。
・・と思ったのも束の間、予想外の行動にラルズは面食らう形になった。
「――なっ!?」
物体がラルズの前方から投げ飛ばされた。投じてきた代物は魔獣が使用していた巨大な大剣だ。手段としては考えられない選択だが、それでも相手の意表を突くには充分過ぎる。
身構えていたラルズは僅かに反応が遅れる。防御……は投じられた威力も相まって選択肢から除外。身体を低くして地面を滑る様に回避。無事に投剣はラルズの後ろを通り抜け、腕力頼みのまま投じた影響か回転しながら森の暗闇へと消えていった。
――が、ラルズは相手の攻撃に一歩出遅れて対処を行った形。結果的に攻撃の権利を先に有しているのは当然魔獣側。
「――ッ!!」
隙を晒したラルズを逃すほど、魔獣は甘くない。自らの作戦が見事に成功。チャンスが転がり込んだ瞬間、大きな爪での一撃を試みる。
眼前、再び頭をよぎった死のイメージ。反応速度が常人のそれよりも機敏に働き、爪が振るわれる寸前、身を低くして魔獣の両脚の間を滑り転がる。
背後へと位置を入れ替え魔獣の二度の攻撃を回避。振り返ると瞳に映るのは魔獣の凶顔。加えて次点の攻撃は既に行われている最中。
策略に対して綺麗にはまってしまったラルズ。無論これ以上攻撃は避けられず、至近距離で魔獣の左足の蹴りが炸裂。
「――ぉえっ……っ!?」
先刻の後ろへ跳躍して衝撃を緩和といった手段は行えず、全力の一撃をその身に浴びてしまう。明確な殺意を宿した左脚のキックはラルズの腹付近を正確に捉えられ、臓腑が損傷。
吹き飛ばされながら地面を受け身も取れず転がり回り、頭からは少量の出血。そして口からは大量の血を撒き散らし、地面を赤く汚していた。
「――ラルズっ!!」
遠くでミュゼットが叫び声を上げている。命はどうにか無事のようだが、蹴りの威力の凄まじいこと。喉からこみ上げる命の源を思う様に吐き出し、主人であるラルズに対して痛覚が鮮明に主張し続けている。
「――ッ!!」
好機。魔獣側はそう判断したのだろう。これまで上手く攻撃を回避され、決定打に類する一発を浴びせなかったが、念願成就し自らの蹴りで吹っ飛んでいったラルズは演技でも何でもなく、確かな一発にもがき苦しんでいる状態。
もはやミュゼットとセーラのことなど後回し。今大事なのはラルズの方。命の灯が消えかけている青年の火を完全に沈下させることを優先させ、ラルズたちの優位性を一つずつ潰していく企み。
「ぐっ……っ!?」
何とか身体を起き上がらせようと己の身体に命令を下すが、接近してくる魔獣の速度を考慮しても間に合わない。
「――させないっ!」
ありったけの魔力を掌の先に集約。狙いを定めて特大の風魔法が魔獣目掛けて急接近。ミュゼットがこれまで放った魔法の中で最も威力の優れた一撃。
自らの命に迫る危機。魔獣はラルズから瞬間的に背後の存在でもある暴力の化身。風の魔球は彼女の激情を表すように形を巨大化。地を這いながら標的目指して上昇気味に接近。もはや回避不能の一撃として真珠の脳裏に己の死を予感させる。
「――ッ!!」
しかし魔獣は回避を選択。そして逃れられる手段は絞られる。地平線を進む風魔法の唯一及ばない範囲でもある空中。
大きく膝を折り、脚力を限界まで発揮。今までで一番の跳躍力を披露する狼魔獣。
再び空中に身を浮かばせた魔獣はミュゼットの魔法の餌食から見事に逃れる。遠く離れた空中で風の球体が形を保てず自然消滅。攻撃は不発に終わったことを確認すると、眼下の死にぞこないに意識を向け直す。
「――忘れてないかしら? 二人で戦ってるんじゃないのよっ」
地面から離れて攻撃を回避した魔獣側。ミュゼットの渾身の一発を不発へと誘導せしめて安堵しただろう。
だがそれもラルズたちからしたら僥倖。示し合わせたわけではないが、状況が魔獣側からしたら不利に至らしめる決定的な行動へとすり替わる。
「空中じゃ、もう避けられないわよ!」
ミュゼットの魔法によって上空へと誘われた魔獣。空中では身動きを整えて着地を行える程度の微細な態勢は整えられるが、防御まではどう足掻こうと満足に行えない。
生じた隙を見逃さないのは、魔獣だけではなくラルズたちも同じ。
行き場のない空中。セーラの放った大量の風の緑刃。膨大な魔力を編み、一直線に月に照らされている魔獣の元へ。当然回避も防御も微抵抗。腕を前へと交差させ損傷を防ごうと試みるが、防御の壁を突破しうる彼女の魔法を前に、自らの肉体が風の刃に切り裂かれ続け、絶叫が空中で木霊する。
逃れた矢先の魔法の追撃。そのまま着地を行える姿勢も取れず、高所から固い地面へと抵抗も出来ず落下を始める。地面に打ち付けられ、風の刃によってボロボロの肉体が、落下の衝撃で更に痛め付けられる。
「――ッ……!」
自らの身体から生じる血の涙。地面は見る見る間に赤く染まっていき、魔獣の周り限定に生み出される血染めの絨毯。
それでも戦意は未だ顕然。身体は痛みに苛まれているが、闘志は尚も魔獣の心の奥底で燃え滾っている。
「ま、まだ生きてるっ……!」
追い詰められた魔獣の最後の抵抗。まだ己は死んでいないと、命潰えてはいないと自らの姿を持って証明する。その姿は生物としての枠組みが違うにしても、称賛に値するほどのもの。
命を懸けた戦。どちらかが命潰えるまで終わらない。
「いいえ、終わりよ」
セーラがこれ以上の戦闘は起こらないと宣言。その根拠は正に、魔獣の背後に迫りしラルズの一撃で、決着を迎えるからだ。
連続した魔法の応酬と肉体に生じたダメージ。大量の出血と落下の衝撃で最後の瞬間、弱々しい姿を晒していたラルズの存在が脳裏から抜け落ちていた。
「――!」
気付いた。青年はまだ命は潰えていない。そして無防備に隙を晒している背中。判断は一瞬、状況を理解しようと振り返ろうとしたが、既に手遅れ。ラルズが正面で剣を振り被っていた。
痛む身体を無理矢理酷使して魔獣の背後に移動し、最後の一撃として首の半分近くへと刃を通して切り裂き、命を奪った感触がラルズに伝播。
決着は突然と静かに。魔獣は自らの命を奪った青年を肉眼で捉え続けながら、首の大本を刃で断ち切られ、瀕死の寸前まで至った魔獣の命が完全に生命活動を停止。自らの血の絨毯を墓標として刻む。
それ景色を最後に、魔獣が起き上がることは二度と無かった。
「・・か、勝ったっ……!」
ラルズ、ミュゼット、セーラの三名対魔獣の長、ヘッドハウンド。
激闘の末、彼女たちの援護もあり、辛くも勝利を収めることに成功したラルズ。七年間振るい続けた剣が無駄ではなかったと、勝利の余韻が感慨を催す。
遠くでは無事に討伐できて安心しきったのか、ミュゼットがへたり込んでおり、傍ではリオンが彼女に抱き着きながら泣いている様子。恐怖から解放されて、安心した拍子に再び涙がこみ上げて止められないのだろう。
(良かった……)
初めての魔獣との戦い。大きな負傷を負いながらも、ラルズたちは森に入った目的の半分、リオンを無事に救い出せた。