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導きの愚者  作者: ひじきの煮物
第二章 新たな世界と南の都市
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第二章30 恐怖と親愛


「また……。いい加減気分が悪くなってくるわ」


 ラルズたちの正面、再び魔獣の反応を知覚し、慎重に行動を続けていく傍ら、これで都合三回目となる魔獣たちの死骸を発見する。


 全ての死因は共通しており、鋭利な代物で心臓を一突き。寸分の狂いもない正確な一撃で命を見事に捉えており、まるで仕事人の手際。


 これ程連続して魔獣の死を目撃しても、危険が去っている事実と反対に嬉しい感慨など浮かばれることも無い。いくら魔獣とはいえ死体、遺体の類物。ラルズたちに限らず、人の命を脅かす脅威とはいえ、数も積もれば感慨も変化する。


「これで遭遇したのは三回目。数にしても、結構な数だね……」


 これまで遭遇してきた魔獣たちの数は、合計で二十にも及ぶ。そのどれもがこの森を縄張りにしている種なのか、見た目も体格もほとんど同一の犬型魔獣。爪と牙で相手を屠り、死に追い詰める数の群れ。ラルズたちが実際に襲われれば苦戦は免れず、正に多勢に無勢。


 同一存在と思われる魔獣殺しの犯人は、そんな言葉を物ともせず死体の山を築いている。遺体の状態からして、殺されたのは時間的にラルズたちが森へ踏み入って間もなくか、それ以前に当たる。


 これ程の大群を一方的に惨殺している事実。この程度の魔獣にいくら襲われようが、揃いも揃って返り討ちにできると、遺体からメッセージを届けられているのではという気持ちに。


「セーラ。魔獣を殺した相手の魔力とかは残ってないの?」


「残ってない訳じゃないけれど、魔獣の魔力には色が灯されないの。全部一括り同色……紫色で表示されてるのよ。個性同士で形や主張を変化しないどころか、むしろ統一されている。それは人も同じで、便利なのは確かだけど、便利に使えない点もあるのよ」


 セーラの瞳にもルール、規則が存在している。


 前提として魔力を視ることができると言う代物であることは事実だが、その理は本人と話を聞いた者とで多少事情が異なってくる。


 判別できるのは色と魔力の有無、この二点に絞られる。この力を使用してティナとリオンの色……魔法の色で表せば赤色と青色。炎と水属性の魔力を頼りに当人たちを追えている。魔力が流れている魔獣たちも例外ではないが、視れるのはあくまで魔力だけ。


 もし今回の捜索が都市の中。沢山の人の中から特定の人を見つけて欲しいと依頼され、セーラの瞳を頼りにしても、今回のように猛威は振るわない。


 あくまで視れるのは色と存在。平たく言えば色と存在という二点の情報のみしか判別できず、それ以上の詳細さは判別するに至れない。


 使い道と状況に応じて、便利の烙印が押される場合と押されない場合が複合している。彼女は己が持ち合わせている瞳の力を、この二つの観点から評価している。


「青色の魔力はずっと続いているし、操作は続行よ。あの分かれ道でそれぞれ離れ離れになって、追従してくる魔獣から逃げる為に、森の奥へ奥へと逃げてるんだと思うわ」


「魔獣が殺されてるのは……」


「無視を決め込むのも釈然としないけど、優先順位は変わらないわ。原因不明だし、解読しようにも情報が少なすぎる。結果的に二人を見つけたら判明することもあるだろうし、今は後回しよ」


 魔獣が死んでいる点に関して、逃げているか隠れていると思われるティナとリオンの仕業でないことは間違いない。そも魔獣を相手に抗える力量を持ち合わせているなら、最初から逃げる選択肢を取る方が可笑しい。この魔獣たちの亡骸を生み出したのは、全く別の存在だ。


 気になることは間違いないが、あくまでラルズたちが森に入ってきたのはティナとリオンの捜索。それ以外に時間を割く余裕が無いのが現状だ。


「この森……もしかしたら私たちの想像を超えていて、恐ろしい存在が支配しているのかもしれない。それこそ生物の頂点に君臨する生き物……【幻獣】みたいな存在が……」


「幻獣?」


 魔獣とは違うのだろうか。長らく本を読み漁ってきて知識を付けてきたラルズであったが、幻獣と称される生物については記憶にない。


「知らないの? でもまぁその話は全部終わってから改めてね。話す余裕があればいいけれど、今はそれよりも先を目指しましょう」


 関心が生まれるが、その火種は一度心の奥底に仕舞いこんで捜索を続けよう。セーラの目の力に任せるという他力本願ぶりが何とも悲しいが、ラルズとミュゼットは彼女の力に頼らざるを得ない。


 いつまでも魔獣の横でぼやぼやし続けても意味はない。急かすような物言いであるが、それは彼女の能力の都合上仕方がないことでもある。


 急ぐ理由はティナとリオンのこともあるが、それ以上に深刻なのはセーラ……彼女の方だ。


「セーラ、大丈夫?」


「何だか凄く疲れてそうだけど……」


「私は大丈夫よ。心配してくれてありがとね、二人とも」


 気遣う言葉に対してセーラは心配ないと気丈に振舞う。そんな彼女には、確かに疲労の色が見え始めている。


 出発からずっと瞳の力を行使し続けている彼女。三人の身の安全を確保する、守り手ならぬ守り目。警戒心は緩められず、一時として能力を解除している様子も無い。注意を向ける環境下、周囲の緊迫した空気、そして度重なる異変の兆候。体力と魔力を奪う材料は幾重にも彼女を襲っている。


 能力を行使し続けているこの間も魔力はゆっくりと消耗されていく。


 疲労も蓄積され続けているし、代償は段々と彼女の身体を蝕んでおり、息も少し弾んでいる。体力も魔力も一番消費が激しい彼女だからこそ、これ以上奥地へ進むのは、命の手綱を放棄することと同義だ。


 せめてグレンベルクと合流できれば望ましいが、彼が今頃どうなったかは不明だ。


 それでも対魔鏡を使用すれば、向こうが緊急時でない限り応答を返してくれる。互いの状況を報告し合える筈だし、何か良い意見を貰えるかもしれない。


 一度、彼とコンタクトを取って……


 ――ぁ……


「――! 今の声……っ!」


 突如、ミュゼットが立ち止まる。その理由は、ラルズとセーラにも分かっていた。


 声だ。小さな男の声。それが鼓膜を震わせ、ラルズたちの足を止めさせた要因。探し求めていた二人の内の一人。恐らくリオンの声で間違いないだろう。


 最悪の事態を想定していたが、無事に魔獣から逃れている。


「近くにいる!?」


 セーラはこれまでで一番周囲に視線を彷徨わせる。魔力の反応が欠片でも確認できれば、暗闇でも大まかの居場所は特定できる旨だ。頼みの綱である瞳の力が暗闇を見据え、吉報が訪れるのを待っていると……


「・・こっちっ!」


 暫定的な魔力のほとぼり。発見した居場所まで即座に移動を開始。周囲に魔獣の気配もなく、一目散にセーラの後を付いていく。声の主をリオンであろうと半ば確信を抱いて対象に近付く。


「・・ちゃん……っ!」


 声は段々と近付き、誰かもう一人を呼ぶ声が耳に入る。さっきよりも鮮明に声がラルズたちに届いていることからも、距離は縮まっている。


 探し求めた人の声。声のみならず、その姿を前にして初めて安心が胸中を埋める。


 確かな形での安心感を手にする為に、声のする方へと走ると……


「――リオン君!」


 反対方向から走ってくる存在。その姿は数回都市で見掛け、ラルズとミュゼットの記憶に鮮明に刻まれている存在。待望の発見を前に胸を撫で下ろす三人。


 ――が、肝心のリオンはラルズたちのホッとした様子とは正反対。


 息も絶え絶えで後ろを向きながら全力疾走。距離が互いに埋められる中、必死な形相と様子をしており、前方から迫り来るラルズたちにも気付かず、リオンの注意は全て自身の後ろへと注がれており、名前を呼ばれていても耳には入っていない。


 顔は涙でぐしゃぐしゃに変わり果てており、前を振り返ることも無く減速せず、先頭を走っていたセーラの胸に飛び込む形に。


「――わぷっ!?」


 突っ込んでくることを予期し、腕を広げてリオンをセーラが捕まえる。予知していた彼女とは反対、突然の温もりと感触……を前に落ち着くかと思いきや、抱擁に慌てて暴れている。


「だ、誰っ!?」


「お、落ち着いてっ!」


 静止の呼び掛けをするもリオンの様子は収まらない。恐怖で身体が支配されていたミュゼットの様子と酷似しており、半パニック状態と化してしまっている。


 まだ十歳と若い年齢に加え人生史上一番の恐怖体験。動揺するなという方が無理の話だが、その原因をラルズたちが尋ねるよりも先に、今し方走ってきたリオンの道の後方。追従してきたのか暗闇の方から彼を追い詰めたであろう原因が現れた。


 これまで探す過程の中で数回、二十近い数の魔獣を目の当たりにしてきたラルズたち。その姿はいずれも死体として拝んでおらず、生きている姿を確認したのはこの瞬間が初となる。


 闇夜の中でもはっきりと識別できる黄色い双眸。低い唸り声を上げながらこちらに迫り来る鈍重な音。固い地面を力強く踏み歩き、重い音と並行して鼓膜を震わせる金属音は、対象の獲物を狩られる立場に陥れ、精神的に追い詰めていく。


 段々と大きくなる足音と発せらえる声。それに伴って暗闇のフィールドから姿が離れ、鮮明にラルズたちの瞳に映り込む。


 目の前に現れたのは巨大な大男。しかしその風貌は人の様子とは完全に異なり、狼の見た目。肝心の存在は実際に思い描いた犬や狼といった四足歩行で地を踏む姿とは一線を画しており、ラルズたちの様な二足歩行でこちらへと歩み寄る。狼と大男が合体したような姿を模しており、狼男と表現するのが一番適格であろう。


 全身を紫色の体表で覆われ、毛で隠れ切れていない肉体は鍛え抜かれた人物の肉体と大差ないような、惚れ惚れするほどの見事な筋肉が備われている。鍛え抜かれた見事な筋肉量は四肢にも影響を及ぼし、その変化が生物としての枠を超越していることは、通常では考えられない脚の進化を目にすれば嫌でも理解させられる。


 人間のように武器を手にしており、右手には大剣が握られていた。剣先に付着している鮮血は、相手に恐怖を思い知らせる第三の材料と成り果てている。


 ――全容を表した、恐らくリオン君が逃げてきた敵の正体。その姿は、幼少期のラルズが初めて目にした魔獣の姿と完全一致していた。


「――っ!!」


 気付けばラルズは腰の剣を引き抜いていた。木刀の方ではなく、振り抜けば相手に確実に傷を負わせる鉄製の武器。準備するのではなく、既に臨戦態勢を整えた先駆者に応える形で、ミュゼットとセーラも行動同じくして敵対意識を対象の魔獣に向ける。


「――ッ!!」


 大きく開かれた口から放たれる轟音。暴風を生み出し、音が風と共に正面で事を構えるラルズたちに浴びせられる。木々は揺れ、大きな振動が周囲を撫で流し、森がざわめき始める。


 ラルズがミスウェルから剣を教えてもらって以降、初めての魔獣との戦闘。


 シェーレとレル、二人の妹を自らの手で護る名目で手にした強さの剣が向けられる最初の相手は、何の因果かラルズの人生と運命を大きく変えた存在に振るわれる形に見舞われた……


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 月下の森の道中、探し続けていた少年、リオンをついに発見することに至った。酷く冷静からかけ離れた様子で、怯え続けて身体は尚も震えている。セーラが抱き締めるが、震えが収まる気配は微塵も感じられない。


「た、助けてっ……!」


 睨まれ、視線から逃げる様にセーラの服に顔を埋めるリオン。頭を撫でて落ち着かせようと試みるが、目の前に姿を現した魔獣を倒さない限り、真面に会話もできない状況であることは間違いない。


 狼魔獣。ミスウェルの屋敷で魔獣の生態について調べていた際、因縁の相手としてラルズは常人以上に思い入れのある存在。名前はヘッドハウンド、そのままの名だ。


 先に見てきた犬型魔獣の親玉であり、獲物を素早く捉える速さが持ち前の武器で合ったのと対照的に、生態系に合わせて腕っぷしの強さが比較的に上昇。速さを捨てて力を手に入れた進化。


 基本的な狩りの方法は部下に指示を飛ばして包囲網を作成。速さが持ち味の部下たちを先遣隊として動かし、獲物を徐々に追い詰める。最後は体力の無くなった獲物を、本命である大頭が確実に仕留める。それがこの魔獣の特色であり、狩りの習わし。


 部下の牙や爪で相手を捉えられるならば問題はない。だが、同じ自然環境を生きる過酷な状況下の中、速さだけが取り柄の魔獣のみでは、外殻が固かったり皮膚が分厚い相手に対し効力が薄くなる。牙や爪が致命傷になり得ないとして、対抗する手段として肉体が進化を遂げた姿、と目にした資料には記されていた。


 その進化論はバランスの取れている進化先とも言える。ちょこまかと逃げる相手に対しては、部下に指示を飛ばして差し向かわせ、片付くのであればそれに越したことは無い。万が一子分共が勝てないとなれば、大将が自ら武器を手にして戦へと乗り込む。


 ある意味速さと力を組織内で両立させており、一定量の知能も持ち合わせている。魔獣の中でも相当厄介な部類に入るほどの危険性を誇っていると、学者からの評価は悪い意味で高い。


「・・逃げるのは無理そうね……。脇道で上手く身を隠せたとしても、その後バラバラになるのがオチ。直進の道が多いし、上手く撒くのは厳しいわね」


 逃走の試みは既に叶わない。あのときとは違って部下らしき姿は確認できない。周囲に隠れて不意の一撃を狙っている……訳じゃないのはセーラから既に伝達されている。リオンと合流するまでに道中目にした魔獣たちが、目の前の親玉の手駒である線はかなり大きい。


 原因は未だに判明しないが、この考えが正しいのであれば損害はかなりなもの。把握しているだけでも二十匹近くに上る。使役できる部下たちが既に息絶えていることを加味しても、これ以上の魔獣の出現は低く見積もっていて良いだろう。


 となると、ラルズたちの目下の障害物はこの一匹だけに該当する。この魔獣を見事追い払う、又は倒すことに成功すれば、晴れてリオンを無事に回収。目的の内の一人を救出することができる。


「セーラ、ミュゼット、援護お願いしてもいい?」


「勿論……って言いたいところだけど――」


 視線を横に向けると、リオンと同じように身体が震えている人物。腰が引けており、目の焦点が合っていないミュゼットの姿。


 その姿は初めて魔獣を目にしたラルズの姿と同一。怯えるだけしか身体を動かせず、瞳には涙が溜まっており今にも決壊しそうだ。


「・・ミュゼットはリオンをお願い。私とラルズの二人で戦うから、この子の傍にいてあげて」


「わ、わたし、も……っ!」


「駄目よ。ここで貴方を戦わせたら、真っ先に命を散らすことは目に見えてる。貴方は私たちの代わりに、この子の不安を和らげてあげて」


「・・二人とも……ごめん」


 一緒に戦えないことを嘆いているのだろう。遠回しに戦力外だと通告を受け、彼女は反論も口に出せない。セーラの伝えた事実が、そのまま彼女の状態に当てはまり、代わりとしてセーラが抱き締めていたリオンを授かる。


 そのままミュゼットはやや遠くへ離れる。役払いが完了し、戦闘の場に参列を続けるのはラルズとセーラ、そして魔獣の頭目。


「――ッ!!」


 襲ってこなかったのは数の有利を覆そうとこまねいていたからか、はたまた狙う相手の順番でも考えていたのか。いずれにせよこの状況、ミュゼットとリオンを先に始末しようにも、ラルズとセーラの存在が向こうからしたら邪魔になるだけだろう。


 無論ラルズとセーラ、そしてミュゼット。元から追っていた獲物の一人であるリオンの前に、新たに馳せ参じてきた三名の存在。奴からしたら殺しの勘定が一人から四人に成り代わっただけ。いずれにせよ全員逃さないといった思惑が黄色い眼光から垣間見える。


「俺が近距離で仕掛けるから、セーラは援護をお願い」


「了解よ」


 作戦らしい作戦も無い。誰かと共に戦った経験はラルズには無いし、魔法も使えない。風魔法でセーラに中距離から援護をしてもらい、隙を付いて叩いていく程度の手段しか、急増の二人に一番向いている戦い方だろう。


「――ッ!!」


「来るわよっ!」


 互いの覚悟と準備が完了。先に仕掛けてきたのは魔獣の方。咆哮を飛ばして大剣の柄を持ち直し、猛然とラルズたちに迫り来る。


 ラルズも同じように前へ出ていき対処を図る。


 魔獣の持っている大剣は大きさも中々。ラルズが手にしている剣とは重みも質も段違い。真面に鋼同士が打ち合えば、質量と体格の関係上、こちらの武器など簡単に砕け散ってしまうのは目に見えている。


 最初の一撃は魔獣から。右方面からの、破壊力の特化した薙ぎ払い。風を置き去りにして振るわれる一撃は、命中すればラルズの身体など紙屑同然。皮膚と肉を一刀両断させ、生命を意図もたやすく絶命させるには充分すぎる一撃だ。


 だが動作は単純。力任せに横一線に振り抜かれた攻撃は、夜のフィールドとはいえ回避は容易。身体を低くして薙ぎ払いは空振りに終わる。


 大きな風斬り音が巻き起こるが、懐に生じた隙を付いてラルズの銀閃が振り抜かれる。これまで鍛錬してきた証として、指導者の件もあり美しい鋼の弧線を流麗になぞる。


 そんな鮮やかな一刀は魔獣の腹部付近を正確に捉えるが、


「――かたっ!?」


 銀色の曲線を描いた一発は魔獣の発達した肉体に遮られ切断に至らず。分厚く硬い皮膚によって攻撃をせき止められる形に。


「――ッ!」


 刃を止めた魔獣は、一度目の攻撃の反対方向からそのまま再び横に大剣を振り抜く姿勢。軌道上にそのまま位置するラルズの身体目掛けて放たれる一発。距離も狭まっているし、避けるのは難しいが、


「リーフっ!」


 その攻撃が到達するよりも先。魔力を練り上げて生み出した風の魔力の集合体が現出し、文字通り風の塊が彼女の掌から発射。対象者である魔獣の顔面目掛けて風が突き進み、見事顔面に着弾。


 風が音と共に弾け散り、衝撃と余波はラルズを、そして込められた風の魔力の奔流をモロに浴びた狼魔獣。


「――ッ!?」


 威力の高さに面食らったのか身体はぐらついてその場を数歩後ざすり。直後に膝をつき、獲物を手にしていない左手で攻撃を受けた箇所……顔面の左頭頂部付近を抑えている。


 魔獣の頭部からドロッとした血が流れ落ちる。先のラルズの様な小さな手応えとは違い、相手に確かな外傷を負わせるほどの一撃。意識を刈り取ったり戦意を喪失させるには至らないが、その威力の高さは相手に確実にダメージを与えている。


「――ッ……!」


 攻撃を頂いた魔獣はセーラを睨み付ける。自らの顏に傷を付けた少女の姿を捉えると、唸りながら大剣を彼女に差し向ける。怒りの矛先を全て彼女に向けているあたり、相当頭に血が昇っているのだろう。


「セーラ、気を付けてっ」


「ええ!」


 再び魔獣が吶喊。再び魔獣に近付くの。先の一手と同じ光景である中、ラルズは身を低くして突っ込み、風に乗って再び懐を目指す。


「――ッ!!」


 狼魔獣は武器での攻撃を取り下げ、左手でラルズの身体を捉えようと腕を伸ばす。掴まれれば地面に叩きつけられるなり握り潰されるなりと、ある意味大剣と同等かそれ以上の凶器へと成り果てている無手の攻撃手段。


 伸ばされる腕を寸での所で回避し、伸び切った腕が無防備に隙を晒す。瞬時に剣を持ち直して下から切り上げ。強靭な腹部の寸胴と比べて、僅かに質量が劣る腕の方ならば――


 ・・攻撃は命中。しかしこの攻撃も深々と入り込まず、半端な位置で刃がピタリと止まってしまった。


「――な、んでっ……!?」


「ラルズっ!!」


 セーラの魔法の展開が間に合っていない状態。援護が追い付かず、伸び切った腕を戻すよりも先、地面を力強く踏み込んで右脚の蹴りをラルズに対しお見舞い。至近距離と動揺が重なり、完全に避けることが不可能だと悟って、蹴りが直撃する瞬間に後ろに飛びずさる、衝撃を緩和する試み。


 跳躍、の次に訪れるのは重い一撃。


「――がっ……!?」


 腕を前で組んで防御の姿勢も取ったが、蹴りの衝撃度合いは悠々とラルズの身体を吹き飛ばす。背中から強く地面に打ち付けられ、受け身が取れたのは地面を二転三転した後だ。


「ラルズっ――!」


 丸太の様な太さの蹴りが炸裂し、悲痛の叫びを上げるミュゼット。意識を失う程ではないにしろ、防御に回した両方の腕が威力の高さに脱帽。骨が軋むほどの破壊力を余波としてラルズに刻み付ける。


 ラルズの一発と魔獣の一発、その両者の内容が違いすぎる。ラルズの軽い攻撃など魔獣からしたら笑い話。自身の獲物を活用するよりも、進化の先で手に入れた圧倒的な膂力が圧倒的に上回っており、攻撃とはこうやるのだと、未熟な一撃を披露した相手に傷替わりでお釣りを返されている気分だ。


 両腕に痺れが走っているが、動かせないほどでもないし、骨が折れていたり致命的な傷を受けた訳ではない。


「ラルズの刃、通らなかったみたいだけど結構固いの?」


「・・それが――……」


 一撃目は確かに強靭な肉体によって遮られた。ラルズの筋肉は特訓の功もあり、常人と比較すればそれなりと自負しているのだが、身体付きは華奢であり腕力も人より軒並み秀でているとは言えない。


 だが、二撃目に関しては納得がいかない。腹部と比べて防御面は薄い筈だし、貰ったばかりで使用頻度も少ないミスウェルの剣。刃こぼれだったり他の要因、剣方面の問題は無いに等しい。


 武器に問題が無いなら、当然使用者であるラルズに問題があるのは明白。


 どの部分が不調に値するのか、ラルズには何も――


「・・震えてる……」


「――へっ?」


 後ろから戦いを見守っているミュゼット。彼女に言われて自分の身体を確認する。


 カチャカチャと、鋼が小刻みに震える音を自覚した。更には自身の肉体。産まれたての小鹿のようにプルプルと震えており、身体の震えを自覚した瞬間、口からは落ち着かない呼吸音が何度も綴られる。冷や汗も浮かび、剣を握っている力が心なしか緩まっている。


 身体の不調や不具合が次々にラルズの意識に刷り込まれ、ハッとして魔獣を見詰める。


 黄色い双眸を向けられるラルズ。左手にこびり付いた自身の負傷の証でもある鮮血を、口元に持って行って舐め回している。にやりと口元を浮かべており、その眼光の意味するところは、弱い人間……獲物を食らおうと企んでいる捕食者の眼光。


「――はぁ……はぁっ……!」


「ラルズ、もしかして貴方……」


 恐怖。それは万人が抱える至極当たり前の感情。どれだけ時が経過しようと、一度精神に刻まれた怖さの象徴は、頭の中から抜け落ちようと忘れようとも、拭い去ることはできない。肉体に定着しており、魂が己の意思とは別の領域で蔓延り続けている過去の闇。


 影を振り払うことができないように、過去を振り払うことができない。仕舞いこんでも、切っ掛け一つで記憶の奥から魂が自動的に引きずり出し、宿主に思い出させる。


 ――強くなったと思った。剣の指導を受けて、年齢を重ねて、肉体的にも年齢的にも肝が据わり、あの頃の弱い自分よりも先、恐怖を乗り越えてしまったと勘違いしてしまっていた。


 幼少期の頃の体験が全て。命に危機に瀕した状況と相まって、その印象は他の出来事と比べて熱烈に、鮮烈に埋め尽くしている。


 追いかけられ、左肩を喰い破られ、命の岐路に立たされた。命こそ助かったものの、あと一歩のところまで死が迫っていた事実は揺るがない。


 先の二つのラルズの一撃も、これで説明が付いた。腕の力だけで剣を振るっていて、剣を振るっているのではなくて剣に振るわれているだけ。 腰の入っていないよれよれで張りぼて同然の剣では、あの魔獣には届かない。


 ・・幼少期の頃と何も変わってない。ラルズは、自分は……あの頃の弱いままだった。


 剣を取って……身体を鍛えて……強くなったと思っていた。それは所詮額面上の変化。根本的な小心者で臆病なラルズの精神を、過去を克服するには至らなかった。


「・・ッ……!」


 魔獣が最警戒を示しているのは、自身の顔面に傷を生じさせたセーラにとって他ならない。一方で至近距離、自身の攻撃の範囲にむざむざと入り込んでくるラルズに対しては周囲を飛び回る虫程度の認識。いつでも屠れると確信したのだろう。


 それは紛れもない事実であり、同時に無力感に苛まれる。結局、あの頃と何も変わってない。


「怖いのね……魔獣が」


「・・ごめん。乗り越えられたなんて、戦えるだなんて嘘っぱちだった……」


 武器を取って気持ちが肥大化する少年のような図。


 所詮偽物の虚勢。蓋を開けてみれば、憐れで弱い様を無様に晒す青年の姿。


「恥じる必要は無いわ。どんな人にも怖かったり、怖いといった感情は備わっている。ラルズだけじゃなくて、ミュゼットにも私にも、誰にだって……」


「でも、俺は……っ!」


「――ッ!!」


 過去に苛まれ、現実にも影響を及ぼす中、魔獣は気を見計らったように再び突進。その対象はラルズではなくセーラ。


「リーフっ!」


 風の塊と変わり、風を瞬発的に生み出して飛ばす風の緑刃。先の一点に凝縮された一撃とは異なり、威力は僅かに劣る疾風の斬撃。細かい攻撃を連続して放って魔獣の進行を阻止。


 この間、ラルズは近付いて隙を付くなり、背後に回って意識を分散したりと、手段は複数個存在している。


 が、先の勇ましい行動をラルズは起こせず、呆然とただ立ち尽くしてしまっている。恐怖を自覚するまでの僅かな期間の間しか交戦できず、今に至っては足手纏いでしかない。


(動いてくれ……俺の身体っ……!!)


 命令を下すも、ラルズの意志に反して膝は笑ってしまっている。


 二対一の図が、セーラと魔獣の一騎打ちへと舞台が移ってしまい、近距離主体の魔獣と、中距離からの魔法をメインに攻撃を組み立てる彼女とでは、均衡を破るのは一瞬であった。


「――くっ!」


 魔獣側は手にしている獲物で彼女の風魔法を薙ぎ払う。打ち漏らしたとして奴からしたら誤差の範囲内。傷は生じるが歩みを止めることは無い。強靭な肉体がそのまま盾として役割を果たしており、距離は確実に縮まっている。


 ――途端、地面が爆ぜて瞬間一気に距離を縮めに図る。魔力の展開が間に合わないセーラ。間に入って防御しようと踏み出す。


 咄嗟に身体が動いたラルズであるが、姿勢も態勢もバラバラであり、先の一撃と比べて受け流すことも不可能。身を挺してセーラを守ろうと試みたが、これでは壁役にもならない。


 そのまま魔獣の凶刃が二人を一刀両断しにかかる。振り上げられ、そのまま力のままに下へと振り下ろせば、二人分の命を簡単に消滅し、肉塊が完成してしまう。


 あの頃と状況が重なり、命の終わりを覚悟したラルズ。


 ・・が、魔獣の一撃は成功しなかった。


「――ッ……!?」


 突如として自身に対して飛んできた風の一撃を真っ向から浴び、身体を支えきれず巨体が遥か後方に吹っ飛んでいった。


「――えっ?」


 後ろからラルズとセーラを守る意思の感じられた風の暴風。魔法を放った人物はセーラよりも更に後ろ……つまり、


「・・ミュゼット……」


 戦えないと判断していた。ラルズもセーラも、攻撃が直撃した魔獣さえも、ただ怯えるだけでしかない矮小な存在として数えていただろう。


 そんな浅い考えを否定するような、無警戒からの一発。想定外の重い一発に意識が出遅れ、目前にまで迫り込んでいた魔獣は遠くで苦鳴を上げながら地面を転げ回っていた。


 振り返って姿を映すと、見事命中したにも関わらず、未だに身体は震えている。恐怖が身体から去った訳ではなく、咄嗟に身体が動いた……という表現が一番適切かもしれない。


「わ、私も守るっ! ラルズとセーラと一緒に、この子をっ!!」


「・・本当に、頼もしい限りだわ」


 安全地帯からの魔法援護。自身の恐怖を上手く躱す手段として、適切な判断を下して魔獣の射程外から魔法を繰り出したミュゼット。依然として怖いまま、そんな彼女はラルズとセーラの魔獣に立ち向かう姿を前にして、怖さを飲み込みながら啖呵を切る。


 傍ではリオンが彼女の身体にしがみ付いている。目を瞑り、魔獣の姿を目視したくないのだろう。


 ――その姿を前にして、ラルズがどうして強くなろうとしたのか、理由が今一度思い起こされる。


 他でもない、どこかリオンと姿が重なる。何度もその表情を笑顔にしようと、護り抜くと誓った二人の妹、シェーレとレル。


 涙を浮かべ、各々兄であるラルズを慕ってくれており、全幅の信頼を寄せてくれている、可愛くて健気で、心の支えでもある二人の存在。


 もしもこの場にシェーレとレルがいて、護れる人がラルズしかいなければ、怖いなんて言い訳にしかならない。取り繕うと何をしようと、二人を全身全霊で護らなければいけない。


 二人を脅威から護れる様に、誰かの為に強くなろうと決意した筈だ。


 その誓いが、今の魔獣との攻防で崩れかけていた。掲げた旗が根元からぽっきりと折れてしまい、砂へと消えてしまう一歩手前。


 ミュゼットの闘志と、怯えるリオンの姿。かつて約束した強さを魅せる彼女と、怯えて助けを求めている少年。


 重なり、ラルズに今一度活力を注がれる。ここで踏み込めなければ、本当の意味でラルズは何も変わっていないことになる。


 掲げた誓いが、二人への想いが、偽物であったと己が証明してしまう。


 そんなことを、ラルズは許容してはいけない。許容して良い筈がない。


 シェーレとレルを護るのは、ラルズ自身に他ならない。


「――セーラ」


「何?」


「もう大丈夫。迷惑かけてごめんね」


 恐怖は絶えずラルズの心に巣食っている。これからも消えることは無く、一生心の内に潜み続ける。不安の種として、絶望を与えた象徴として、これからも……


 でもそれ以上に、シェーレとレルへの想いが調和を超えて支配する。恐怖の感情を、二人を慈しむ愛情によって反発し、押し返している。


「私も戦うよ。三人で、魔獣を倒そうっ!」


「うん!」


「・・了解よ。三人で、あの魔獣に目に物見せてあげようじゃないっ!」


「――ッ……!!」


 ミュゼットの魔法を真面に浴びた魔獣が頭を振りながら起き上がる。表情から感情が上手く読み取れないが、明確に新たに敵として任命したミュゼット。奴が敵意を剥き出しにして怒りの感情をぶつけるのは、自らが手に掛けようとした存在を邪魔しに入ったラルズたち三名。


 双方睨みを利かせる。手心は必要なく、魔獣の頭には殺すこと以外の感慨は持ち合わせていない。目の前で自身に危害を加えた三名を、徹底的に蹂躙しようと、大剣をラルズたちに差し向ける。


 過去を克服する為に、ラルズは剣に力を籠め直した。


 

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