第二章26 後悔の残らない選択
魔獣の一件を耳にしてから時間が十数分近く経過。ラルズたちは通りから大広間に移動していた。
大広間……どころか都市の間で既に魔獣の話は広がっているのだろう。賑やかな街並みを演出している人々の話の中には、どこか必要に他人と情報を共有して不安を和らげようとしている魂胆が垣間見える。
一人で抱えきれない胸中のモヤモヤを、他人と会話の材料にすることで解消。大丈夫だと、心配いらないと声を掛け合い、いつも通りの日常を遂行することで得られる多量の安心感。
結果として心ここにあらずといった状況の中だが、計らいは成功。無理矢理騒騒ぎ続けている心の波を沈めるに至り、やがて活気のある呼び込みの声や、普段以上に元気で大きな声量で話し合う会話が都市を埋め尽くしていた。
感化され、ラルズたちも雰囲気にあてられてか心持は少し軽くなる。不安はみんな一緒であり、一人で抱え込む必要も無いだろう。
・・そんないつも通りの都市の姿に戻りつつある中でただ一人。少女は未だに俯いてしまっており、いつもの元気な表情が暗く染まっている。
「――ねぇみんな……」
普段から元気な成分を周りに運んでくれる存在。活発な少女のミュゼットが小さく言葉を零す。思い詰めているような、今にも不安が彼女を取り囲んで引きずり落とそうとしている。
きっと、まだ取り除かれていないのだろう。無理もない。虚勢を張ろうと何をしようと、怖いと感じる者には素直に反応してしまう。彼女が純粋である点も含めると、他の人々と比較しても、明確に身体の中を負の感情が巡ってしまうのは責められない。
沈んだ表情を上に上げると、ミュゼットは意を決してラルズたちを見詰める。すると――
「みんなで、ご飯食べに行かないっ!?」
「・・・・は?」
声に出して反応したのはグレンベルク一人。唖然と、口を開けて事態を飲み込めていないラルズとセーラの二人。
「おい失礼女。何を言うのかと思えば……飯に誘うぐらいでそんな辛そうな表情をするな。勘違いするだろ」
「わ、分かってるよっ! でも、今日はこのまま解散したくないのっ」
「ミュゼット……」
まだ気持ちが整理し切れていないのだろう。大丈夫だと自身に言い聞かせても万が一、最悪の事態を想像してしまう気持ちは分からないでもない。
「・・俺は良いと思う。みんなが良かったら、俺もまだ三人と一緒にいたい」
「ラルズっ……!」
忘れるには時間が必要であるし、このまま家に帰ったとしても、先立って魔獣の件が頭に残り続ける。
それならばこのまま解散するのではなくて、少しでも長くみんなと時間を共にしていたい。嫌な記憶を少しでも頭の中から薄れさせてしまった方が、気持ちも楽になるだろう。
「――そうね。私も一緒するわ」
「ありがと、セーラっ!」
ミュゼットの提案にセーラも賛同し、嬉しさのあまり彼女が抱き着く。
「――それで、グレンはどうする?」
「・・まぁ、断る理由も無いな」
「素直じゃないんだから」
自信の提案を全員から了承を頂け、ミュゼットの表情が明るくなった。嬉しそうな彼女の表情を前に、見ているこちら側も何だか同じように嬉しくなってしまう。
「じゃあさじゃあさ、何食べに行くっ!?」
「俺は何でも……」
「俺も同じだ。お前ら二人に任せる」
「二人ともねぇ、そうやって何でもいいだの任せるだの、思考を放棄するのは褒められることじゃないのよ。全く……」
ラルズとグレンベルクの具体性のない案にセーラは厳しめな意見。と言っても四人とも好みや口にしたいものもバラバラだろうし、それこそ話し合いを続けてたら店が満席になってしまうことも考えられる。
とはいえセーラの言うことも一理ある。合わせること事態は悪い行動では無いにしても、自分の考えを放棄し、他人の考えに一存を担わせるのは少し申し訳なさが立つ。
「・・ごめん。やっぱり俺も一緒に考えさせてもらっていい?」
己の行動を反省して会話に参加することを決める。
「うん、勿論!」
「ラルズはちゃんと反省できて、直ぐに行動に移せて偉いわ。で、もう一人はどうなの?」
「・・・・・・」
ラルズが話し合いに参加することに加え、セーラから挑発じみた発言を受けたことで場持ちがグレンベルクを取り包む。無言で言葉を流していた彼だが、結局話し合いに参列。
「今空いているところだとお肉系のお店かな」
「私、あんまり脂っこいものは口にしたくない気分ね……」
「じゃあ魚系? パンとかスープも候補かな」
「パンなら柔いものじゃなくて固いものにしてくれ」
「え、意外。グレンってパンに煩いんだ……」
前に少し食事について歩きながら話したが、好みとは別の着手が備わっている事実に少し驚いた。
それぞれ意見をぶつけ合って選択肢を絞っていく。余りにも長引くようであれば妥協点を見繕うのも手だが、果たして今宵の晩餐は何になるだろうか。
・・などと四人で話し合っていると……
「――あの、すみません。少しお尋ねしたいことがあって、よろしいでしょうかっ?」
纏まって話し合っている最中、ふとラルズたちの耳を刺激する、焦燥感を宿した声に反応し、全員が揃って振り返る。四人に声を掛けてきたのは茶髪の女性。ミュゼットの母親であるナザリーと歳は近そうな印象。
息は乱れて汗も浮かび上がっている。ここ数分の出来事ではなく、長い間走り続けていたのだろうか。
「大丈夫ですか?」
夕食の会議も一時中断。必死な女性を気遣いながら様子を窺っていると、内容の是非をラルズたちが問うよりも先に、直ぐ様尋ねた用件の説明に彼女は移った。
「と、突然ごめんなさいっ。実は今息子と娘を探しておりまして、二人の子供を見かけませんでしたかっ!?」
「娘さんと息子さん……ですか」
「はい。今日の昼前に家を出てからまだ帰路についてなくて。いつもの時間に返ってこないのを心配して都市内を回っていたのですが、何処にも見当たらなくて……っ」
現在の時刻を加味しても、小さな子供二人だけで外を歩くには少し心配になる時間帯だ。それが普段よりも帰りが遅いとなると、心配の色が強まるのは無理のない話だ。
実の息子と娘が行方不明となれば、慌てない親などこの世にはいないだろう。考えたくはないが、万が一事件にでも巻き込まれている可能性もあるし、家の中でただ二人の帰りを待っているのも辛いに違いない。
できることなら力になって上げたいのだが……ラルズたちも顔を見合わせるが目撃情報は誰の口からも紡がれない。四人とも今日はほとんど一緒に行動をしていたこともあり、心当たりがないとなると近場に子供たちの姿は見えなかった。
残念ながら彼女の期待に応えられそうにはない。
「すみません、俺たちには覚えが無くて……」
「そ、そうですかっ……」
心当たりが無いとして落胆する女性。
「ギルドに連絡は?」
「職員の方々には既に伝えてあります。ですが、先程大多数の職員たちが門の外へ向かっているのを見ました。都市に残っている残りの職員たちも手分けして尽力してくれているのですが、未だに発見されてないみたいで……」
既に迷子の捜索願は出しているとのこと。人の手を借りて捜査に精を出すも、未だに吉報は耳へと入ってきていない。時間が経過していくごとに、不安は募っていくばかりだ。
「・・俺たちも姿を見かけたら報告します。なので、何か二人の姿が映っている物だったり、名前をお聞きしても構わないでしょうか?」
「ありがとうございます! 娘と息子の自画像を描いておりますので、こちらに――」
服のポケットから小さく折り畳まれた紙を取り出す。一度ギルドに提出した物だろう。落ち着かない手付きで紙を広げていくと、ご両親である彼女が描いたのか、汗でクシャクシャになりながらも、判別の効く似顔絵が映っていた。
その二人の人物。この場にいる四人のうち、セーラを除いてラルズたちには見覚えのある顔であった。
「――えっ! もしかして、ティナとリオンっ!?」
意外も意外。まさか探している人物が、一度騒動を通して知り合った二人の姿そのものだったからだ。サヴェジに金銭を奪われて、それを取り返して名前を知ることとなった出来事。
その件以外にも数回子供らと交流する機会もあった。見間違いなんかじゃなく、記憶に刻まれているあの子たちに間違いない。
「し、知っているのですかっ!?」
「前に一度、二人のお金を取り返したことがあって、それで……」
「――! 貴方方でしたかっ! 二人からお話は聞いておりました。大事なお金を盗まれて、お兄ちゃんたちとお姉ちゃんが取り返してくれたと……!」
話の内容に唯一付いてこれていないのはセーラだけだろう。あの現場、あの騒動に関しては当時彼女とはまだ面識がない。きっと司書館で資料を閲覧していた時期だろうから、覚えが無いのも当然だ。
反対にティナとリオンのご両親はラルズたちのことを騒動を知っている。娘らから直接話を受けたのだろう。
「――けどごめんなさい。さっきも言った通り居場所は分からないんです」
だけど姿形、名前を知っているだけで力になれないのは先程と変わらない。捜索するにあたって人物像が頭に入っていればそれなり役立つことではあるが、今となっては状況が好転していないことには変わりない。
「ギルドと自分はパイプが繋がっています。もし見つけたら職員を通じて連絡致します」
「ありがとうございます! 私は別の方に引き続き話を伺ってみます」
最後にもう一度ラルズたちに一礼すると、彼女は近くの人物に走って向かって行った。
グレンベルクは仮とはいえギルドに身を置いている。連携が取れる点は多大な恩恵を預かれるし、今回に関しては願ったり叶ったりだ。
「――ねぇ、私たちも探すのに協力しようよ! このまま黙って見過ごすの、私は嫌だ!」
「・・そうね。ミュゼットの言う通りだわ。日が完全に落ちるまではまだ少し時間が掛かる。人手は多い方が有効だわ」
このまま話を聞き及んだだけで無関心を決め込むのは情理が納得してくれない。それが見知った子供だとしたら尚更だ。
「ただでさえ都市内は広い。手分けして手掛かりを追った方が効率的だ」
「じゃあ二手に別れて捜索しよう。俺とグレン、ミュゼットとセーラで。何か分かったらミュゼットと俺の持ってる対魔鏡で連絡を取ろう」
「オッケー!」
揃って同じ代物を買っておいたのが役立つときだ。
ラルズとグレンベルク、ミュゼットとセーラ。それぞれ都市内で聞き込みを始めることに。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
捜査は難航を極めていた。
空も段々と暗くなっていく中、二手に別れて捜査を続けていくが、収穫と呼べる類の代物は一度として見つからない。広い都市内を捜索するだけでも骨が折れるし、何より目撃情報の一つも生まれてこない。
ひたすら足を動かして人々に話を伺う。この方法以外に適した人探しなど存在しない。人海戦術はそれだけで十分すぎる効力を発揮する。本来であればギルドの総勢五十人近くを活用できれば、効率も可能性も飛躍的に増加するのだが、タイミングが悪いことこの上ない。
大量の魔獣が姿を現してしまい、致し方なく都市を守る守り手が外へと分散させられてしまっている。今都市内の治安を守っているギルド兵は十人程度。捜索の手を回せるとしても半分程度が限界だろう。
通常時の運営時に比べてもかなり人員を割けない状態。ラルズたちも都市内を奔走するが、人数は僅かに四人と微々たる数に変わりはない。
結果として何の成果も挙げられないまま、時間だけが過ぎていく。
「――そうですか。すみません、ありがとうございます」
尋ねたばかりの男性に一礼し、時間を取らせてしまったことに謝罪をしてその場を後にする。
「――ラルズ!」
「グレン! そっちはっ?」
「駄目だ。誰に聞いても同じだ。手掛かり一つすら出てこない」
「人手が足りないは勿論だけど。ここまで見つからないなんて……」
聞き込みを始めてから三十分近く。一つして有益な情報は得られず、結果は全て空振りに終わっている。
「嫌な予感がするな……」
「えっ?」
「少数とはいえギルドも動いている。広い都市内とは言え、情報は人伝いで常に伝播し続けている。ここまで目撃情報の一つも無いのは可笑しい。事件の可能性もあながち捨てきれないかもしれない」
家庭の決まりごと、門限が設けられているのもそこそこ。先のティナとリオンの発言からも、帰路に着く時間は日が傾くよりも前の時間帯であることは察せられる。
そもこんな時間まで子供二人だけで外を歩いているのであれば、露天商の方々や通りにいる大人が放っておくとも考え難い。誰かに拉致されている、あるいはそもそもの話……都市内にティナとリオンの姿が無いのかもしれない。
「――グレン、もしかしたら二人とも都市の」
考えを巡らせて至った結論を告げようとした際に、ポケットにしまっていた対魔鏡に反応が示される。風の文様を刻まれた対魔鏡、その持ち主はお揃いにしていて別れる前に確認した通り、ミュゼットからの連絡応答によるものだ。
急いで取り出して蓋を開く。鏡面に持ち主であるミュゼットと、同行して捜査をしていたセーラの顏が映り込んだ。
「――ラルズ、グレン! 今直ぐ北門近くまで来てっ!」
「北門っ!? 分かった、直ぐ向かうっ!」
事情は聞かず、直ぐに返事を返して対魔鏡を閉じ、会話を終了。話を隣で聞いていたグレンベルクも事態を飲み込んで急いで北門へと向かう。
全力疾走で目的地まで向かうこと数分。北門に到着すると、呼び寄せたミュゼットとセーラの姿が。
「――二人とも、何か分かったっ!?」
「露天商を営んでいる内の一人が、子供二人の姿を見たって!」
「ほんとっ!?」
舞い降りてきたのは心より求めていた吉報そのものだ。手掛かり一つとして見つけらなかった事態に比べれば、一つでも新しい情報が確保できれば、これまでの苦労も報われる。
「話によると、今日のお昼ごろ、北門に続いていく通りを超えていって、そのまま門を出ていったって」
「門を抜けたってことは、じゃあ二人とも都市の外に向かったんだ!」
ラルズが考慮していた可能性の一つ。道理でいくら捜索しても目撃情報が出ないわけだ。
そもそもの話都市に身を置いていない以上、都市内でどれだけ操作に力を注いでも、対象者が外に出ているのであれば、見つかるものも見つからないに決まっている。
「おいちょっと待て。話によると二人とも昼頃に出てったと言ったな。ならどうして二人はまだ戻って来てないんだ?」
「そこまでは分からないって」
昼頃に都市を発ったとしても、この時間まで戻ってこないというのは明らかに可笑しい。道中で何か巻き込まれでもした可能性も捨てきれず、嫌な予感が更に膨れ上がる。
「あと、店主が小耳に挟んだこともあるって内容を教えてくれたの」
「それって?」
「うん。ご両親の内のどちらかが誕生日なのかな。森の方でしか取れない珍しい素材を取りに行きたいって口にしてたみたいなの」
「珍しい素材?」
素材と言われるがラルズにはさっぱり見当もつかない。話を聞いたミュゼットとセーラもそれは同じだ。森という目的地もどの場所を指し示すのか、土地勘も無いし具体的な森の群生地帯も名称も頭には入っていない。
「珍しい素材に森……。もしかしてっ……!」
「グレン、分かるのっ!?」
一人だけ行き先に心当たりが生じている様子。期待を込めてグレンベルクを見るが、光明が見えた希望の一滴とは真逆。彼の表情からは恐れの色が大きく浮かび上がっている。
「・・珍しい素材のことまでは把握していない。あくまで予想だが、北門を抜けると道が二つに分かれる。一つはレティシア王国に続いていく本道。もう一つの方面には森が生成されている」
ティナとリオンが求めている素材に関しては把握し切れていないが、森の方には心当たりがあると口にするグレンベルク。普段からフィールド調査で魔獣の痕跡を追っている彼だからこそ、頭の中に地図が生成されており、知り得ていた情報。
「その森ってっ?」
「バルシリア小森林。入ったことは無いが大きさはそれほどでもない。小規模の自然が生み出した土地の一環で、特に迷ったりするような森ではないんだが……」
「・・言い方とさっきの表情から察するに、何か懸念点があるのは間違いなさそうね」
「ああ。バルシリアには多くの魔獣が群生している。小さい土地の環境上、魔獣の生存本能刺激する要因になっている。森では日々魔獣同士で縄張り争いが絶えない危険な群生地だ」
「魔獣が森に……!」
「個々の強さ云々は問題じゃなく、今回に関しては魔獣が大量に蔓延っている点が問題になってくる」
それは想像する上での最悪のシナリオに他ならない。
「じゃあそれって、ティナとリオンが森の中にいるとしたら……!」
「・・考えたくはないが、魔獣の被害に遭っている可能性も否定できない。聞いたところ年齢もまだ若すぎる。戦える力も無いだろうし、万が一襲われでもしたら命の保証は無いだろう……」
「そんなっ……!」
都市の北門を超えて向かったのが昼頃ってことは、時間的に森に入ったとされるおおよその時間は昼過ぎ近く。現在の日が沈み始めている時間から逆算するに、四時間近く。かなりの時間が経過している。
「狩場に入ってきた絶好の獲物を魔獣たちがほいほいと逃がすとは思えない。まだ帰って来てないんだとすれば、命を無くしていないと考えるなら隠れている線に賭けるのが一番だろう」
力のない子供二人が生き残るには戦う以前の話、隠れて状況をやり過ごすしか方法は無いだろう。そう考えれば都市に戻ってきていない説明も辻褄も合う。
「じゃ、じゃあ助けに行こうよっ! 二人とも、森の中で身動きが取れなくなっているかもしれないってことでしょっ!? 今直ぐに助けに向かって……!」
「小さい森とは言ったが、森の中は木々に囲まれている。見つけ出すこと自体も難しいんだ。それにさっきも言ったが魔獣が潜んでいる。魔獣と相対すれば嫌でも戦闘に発展する」
魔獣は好戦的な種が多い。中にはこちらから危害を加えなければやり過ごせる種類の魔獣も存在しているのは知っているが、甘さを前面に押し出している種類の方が数は圧倒的に少数。
「じゃ、じゃあギルドの人たちに……」
「駄目よミュゼット。今はギルドの方も魔獣の討伐に限りなく全力で向かっている。都市に魔獣が流れ込んでくる可能性が少しでもある以上、ここに残っている面々は非常事態に備えていないといけない……」
「そんなっ……!」
セーラの言う通り、防衛を突破してくる可能性を考慮し、都市への進軍を止める為の最後の砦として、都ギルド兵は十名近くの配備を残している。
ここで仮に子供の捜索を打って出て森へ侵攻した際、最悪な話ボルザ率いる本隊が責め崩された場合の対応策が完全に消え失せる。
住人の安全を第一に考えている以上、悲しいかな天秤が働いてしまう。ティナとリオンの二人と、都市内に住んでいる大量の民間人。残酷な決断だと分かっていても、最優先されるべきは多くの命。
認めたくないが、判断基準はそちらに傾いてしまうだろう。
「じゃ、じゃあこのまま……無事を祈って待ってるしかできないのっ!?」
悲痛なミュゼットの叫び。歯痒い思いでしかない。
折角二人の居場所を突き止められたかもしれないのに、動かせる部隊が既に出払っており、他に余力を割けない状況にある。魔獣が周囲に大量に蠢いていなければ、事情を説明してギルドの兵にお願いできたかもしれないが、タイミングが悪すぎる。
「・・もう直ぐ夜を迎える。魔獣たちは夜でも目利きが効く奴らもいる。早い話危険が格段に跳ね上がる。迂闊に森の中へ入れば、魔獣の餌食になる可能性は極めて高い」
自身の経験則を基にグレンベルクが淡々と、冷静に森へ入る危険性をラルズたちに助言する。彼の言う通り、もう間もなく太陽が完全に沈んで月と手番を交代。夜の世界へと塗り替わる。
ギルドの人々もそれぞれの使命を全うしている。動かせる人材がいない以上、無理を承知で森の中へ吶喊して捜索を続けても、望みは限りなく低い。
「・・あくまで仮定の話だ。森の中に子供二人が入っていない可能性も考えられるし、街道のどこかで怪我でもして動けないのかもしれない。何にせよ、無事であることを願うしかない」
最悪森に入っていないのであればそれだけで御の字。一日経過して太陽が昇れば、捜索も滞りなく行えるし、暗がりとは違って見通しも広がる。
グレンベルクの言う通り、ここで下手に行動して自分の身を危険に晒すことは、選択肢としては褒められるものではないのは分かっている。
――分かってるけれど……
「・・グレンの言ってることが正しいのは、私にも理解できてる。私はグレンやラルズみたいに戦えないし、魔法だって特段得意って言えるほど優れてるわけじゃない。仮に戦闘事に巻き込まれでもしたら、四人の中で一番弱くて足を引っ張る存在なのは分かってる」
「ならそれでいい。今回の件はお前が気に病む事柄じゃない。だから――」
「でも、このまま家に帰って眠ってさ! 明日になって捜索して、二人の子供が遺体で見つかりでもしたら、そう考えたら私、このまま何もできないで時を待つだけなんて嫌だよ!」
それは、言葉にしないだけでここにいる全員が思っていることだろう。
同じ命としても、小さな子供の命が亡くなったと聞いたら、どれほど胸が痛まるだろうか。両親は当然として、周りの人々も、大小それぞれ悲しみに染まることは明白。
これから先の未来ある若者の魂が消滅してしまうだから、当たり前だ。
いくら知人の命ではないにしても、自分とはまるで関わりのない命だとしても、悲しみに暮れることは変わりない。人が死んだと聞いて嬉しい顔をするのなんて、性根の捻じ曲がっているごく一部に違いない。
ラッセルの様な他人とは相寄れず、独自の解釈で命を玩具として認識している様な、ラルズには理解できない価値観を宿している人以外を除いて。
ミュゼットが抱いている感情の波動は、ラルズたちにも同じ波動を流して滞っている。彼女の言葉に賛同する意思を持ち合わせており、このまま黙って指を咥えているだけなんてのは、辛いに決まっている。
「だからってどうする!? まさかとは思うが、森に入るなんて言わないよなっ?」
「――私は行くっ! ティナとリオン、二人の無事を信じてるからこそ、私は手遅れになる前に助けに向かう!」
「――っ! 馬鹿も休み休み言えっ!」
先の適格な説明で納得していないミュゼットに対して声を荒げるグレンベルク。だが彼女も怯む気配は感じられない。既に自身の気持ちに整理を付け、助けに行く方針へと舵を取っている。
無謀でしかない。グレンベルクが言っていた通り、単身で森にでも入れば確実に危険な目に遭うと理解させられた。理に基づいた観察と状況の整理。ここで正義感を内に秘めて森へと足を踏み入れれば、怪我だけでは済まない。
それこそ一番最悪な代物としては、死が待っていることも……
「助けたい一心で救いに向かうのは勇気とは言わない! そう言う無謀な行動は蛮勇って言うんだ! さっき説明した通り、今から救助に向かったとしてもリスクが高すぎる! せめて明日の朝方まで待機して、そこから――!」
「分かってるよっ! でも、怯えているかもしれない……っ! 震えて助けを待っているかもしれない。もしかしたら絶体絶命かもしれない。だけどもしも二人が生きていて、今助けに行けば間に合うかもしれないって可能性が僅かでもあるなら、私はその小さな可能性に賭けたいっ!!」
「――このっ……!」
「二人とも落ち着いてっ!」
もはやミュゼットは自身の考えを捻じ曲げるつもりは毛頭ない。グレンベルクも意地悪で否定しているんじゃない。身に染みている経験から、無理な行動を取ろうとしている彼女を守ろうと尽くしている。
その気遣いを彼女も尊重しており、その上で高度すると口にしている。両者の考えは変わること無く、平行線が続いている。ミュゼットとグレンベルクが言い争い続けており、セーラが間に入って落ち着かせている。
そんな中、彼女と一緒に呼び止めようとすることをせず、その間ラルズは頭の中で自問自答を繰り返していた。
グレンベルクの言う通り、このまま俺たちは無事を願って待っているのが一番安全策だ。無闇に夜となって危険が倍増している森の中へ侵入すれば、肝心のティナとリオンを見つける以前に、魔獣と一悶着。最悪、死という概念が魂を飲み込んで崩壊させてしまう。
理知的な考えがラルズを説得する。ここは、グレンベルクの意見に賛同した方が利口だと、賢い判断だって何度も呼び掛けている。
――幼少の頃のラルズも、無力で耐えるだけの弱い存在だった。ラッセルに支配され、彼の毒牙からシェーレとレルを護る為にこの身を犠牲にして耐え続けてきた。どれだけ辛い目に遭っても、虐め抜かれて限界を迎える寸前になっても、二人を護る気持ちだけで無理矢理精神を保ち続けていた。
両親を失い、周りに誰も頼れる人がいなくて、半年間、暗い檻の中で救いを求めた。せめてシェーレとレルだけでも、この絶望が埋め尽くしている世界から解放して欲しいと、何度も何度も願い続けた。
ティナとリオンの状況が、幼き日のラルズたちと少し重なる。
助けを求めている最中かもしれない。涙を流して震えているかもしれない。魔獣に怯え、恐怖で身体が竦んでいるかもしれない。
後悔は人を深い奈落の底に突き落とす。這い上がることはできず、地の底で一生彷徨い続ける闇の心と成り果て、何時もの時間を過ごそうと拭われることは決してない。
身を持って知っている。ほんの少しの時間の間、九死に一生を得てラルズは今生きている。あの瞬間、僅かでもミスウェルに発見されるのが遅れていれば、魂は既に肉体から離れ、この世に留まってはいない。
だからこそ――
「・・ミュゼット。グレンの言う通り、一人で助けに行っても無謀なだけだよ」
「ラルズ……っ! でも私は――!」
「だから、俺も一緒に助けに行く」
これが、ラルズの答えだ。
「えっ……?」
「な、何を言ってるんだラルズっ!?」
「言葉の通りだよ。俺もミュゼットと一緒に、ティナとリオンを助けに向かう」
「ふ、ふざけるなっ!」
グレンベルクがラルズの肩を掴んで乱暴に揺する。容赦のない力加減に顔が苦しみに染まるが、ミュゼット同様に意思は折れない。
「グレン。君が言っていることが正しいのは俺も分かってる。でも、後悔したくないんだっ!」
「ラルズっ……!」
「もしかしたら、助けに行っても手遅れかもしれない。既に二人とも死んでいて、俺たちの行動が無意味に等しい代物に成り果てるかもしれない。でも――!」
グレンベルクの腕を払って、彼の目を見て真っすぐに気持ちを伝える。引けない、曲げれない。自分で決めた道から、目を逸らしたくない。
「今行かなかったら、一生後悔するかもしれないっ……!」
あのときこうしていれば、もしも選択肢を間違えなければ。こんなのは誰にでも存在しうる道の枝分かれ、いわゆる分岐点だ。
選んだ先の答えが理想とはまるで違って、一生を棒に振る様な最悪が控えているかもしれない。
でもだからこそ、悔いの残る選択肢を選ぶのだけは嫌だ……!
「後悔は人を殺す。後悔に苛まされて一生物の傷を背負って生きていくのでも構わない。だけど殺されるんだったら、今やれることを全部やり切ってから俺は死にたい!」
「ラルズ、お前っ……」
「俺は助けに向かうよ。例え自分の命が危険に晒されても、今向かわなかったら一生後悔する!」
明日では遅いんだ。今踏み出すことに意味がある。
「・・ちっ! おいセーラ、お前からもこの馬鹿二人に――!」
「二人行かせて帰って来なかったら、止めきれなかった私にも後悔が残るわ。だから……私も一緒に同行するわ。人数は一人でもいた方が助かるでしょ?」
「セーラっ!」
「お前らっ……!?」
静止の訴えを誰一人として飲み込んでくれない状況に苛立ちが募っているグレンベルク。髪の毛を右手で握り絞め、鋭い眼光を三人に飛ばしている。
「・・本気で言っているのか? 最悪無駄骨かもしれないどころか、死ぬかもしれないんだぞっ……」
委縮してしまいそうな眼差しに対しても、ラルズたちは尻込みしない。死という一文字を口に出されても、決断は覆さない。
「三人とも大馬鹿以外の何物でもないな。危ない橋を自ら渡っていると自覚できているのかっ?」
「馬鹿でいいもん! 今動けるなら、大馬鹿でも何でも関係ない!」
「それに、その馬鹿たちと一緒になってつるんでるのは、他でもないグレン自身じゃない」
「――はっ。俺はお前たちとは違う。お前ら三人よりも明らかに賢く冷静、更に客観的に物事を見極められる。俺はお前ら三人と違って馬鹿じゃない」
「何よ偉そうにっ……!」
ラルズたちと違い、自分はその類の人物ではないと語るグレンベルク。そのまま彼は目を瞑って舌打ちをすると、ゆっくりと瞳を開いてラルズたち三人を見詰める。
「・・打算も具体的な策も持ち合わせていない癖に、どうやって見つけるって豪語しているのか、馬鹿の考えていることは分からないな」
「う、うるさ――っ!」
「馬鹿を纏め上げる引率者が必要だろう」
「――え?」
溜飲がすっと体内を駆け下り、代わりに駆け上がってくるのは期待の朗報。
「それって……じゃあっ!」
「・・俺も一緒に向かう。俺たち四人の目的地、バルシリア小森林にな」
反対の意見を貫いていたグレンベルクが、ラルズたちの姿を見て軌道変更。自身も一緒に同行していくれることに。
ラルズ、ミュゼット、グレンベルク、セーラ。四人はこれからバルシリア小森林へと、ティナとリオンを探しに向かう。
夕暮れは既に終わりをつげ、新たに姿を顕現するのは大きな月。
月の眺める世界。四人の姿を優しく、怪しく照らし出している。
長い長い一日が、今から始まる……