第二章25 不穏な足音
ラルズが南の都市エルギュラスに訪れ、身を置き始めてから十日が経過した。
都市での生活は最初こそ右も左も分からず右往左往状態。いかにも都市へ来たのがここ最近が初めてだと言わんばかりな離れ者。更には都市の空気に慣れていない点も加味され、商人からは絶好の餌として認識付けられる。初日の散策もラルズ一人では満足に行えず、苦労が付いて回ると溜息を吐いていたのも懐かしい話。
おはようからおやすみまで都市内で過ごしてきた住人の一人として数えられ、今ではある程度の都市の内情についてはラルズも把握している。露天商の位置や施設の場所。時間帯における人の往来が増える場所と、反対に人気が少なくなる空間。
これらの情報も過ごしていく内に自然と吸収されていくようにはなったのだろうが、ここまで順調に事が進んでいる一番の要因としては、偶然の出会いを果たした以降案内役を買ってくれ、更には友達として時間を共にするようになったミュゼットの存在が大きい。
ラルズにとって初めてできた友達であり、ミュゼットと出会ってからは都市という世界が段々と大きく広がり続けている。
事実、彼女との出会いが切っ掛けでもあり、そこから色んな人物ともラルズは交流を深めるようになった。
ミュゼットと行動を共にして、友達と呼べる存在はラルズの中で三人にまで膨れ上がった。
一人はグレンベルク。魔獣殺しと呼ばれ、他都市や国にまで名前が轟いている。同年代とは一線を画している実力者であり、その腕前の背後には復讐心が蠢ている、黒い感情を宿している青年。属性魔法も目を張るものがあるが、それ以上に強力で差別化を示し、ラルズが初めて体験することとなった重力という名の力、黎導を所持している。
もう一人はセーラ。魔導書の謎を解明するべく村から飛び出し、各都市を渡り歩いて情報を集めている少女。復讐を志しているグレンベルクとは事情が異なるが、求める物の為に奔走し続けている姿勢は彼と通じるところが見られる。
友達と呼ぶには少し関係性が異なるが、他に知り合った人物としてステラやボルザ、騒動に首を突っ込んで知り合ったティナとリオンの名前も上がる。これらの人物とは軽い時間を一緒に過ごすこともしばしば。
連日で新たな出会いを果たし、友達と共に過ごし続ける時間はラルズにとって色褪せないものとなっている。元々時の流れを早く感じている性分が、更にもっと早く感じるほどだ。
主なラルズの行動の流れ。ここ最近はミュゼット、グレンベルク、セーラと時間を共にすることが当たり前となっている。
ミュゼットとは基本的に毎日顔を見合わせている。内容は決まっておらず、行き当たりばったりで方針を確立し、ただただ遊んだり会話を弾ませたりと、他愛もない時間を一緒に過ごしている。
グレンベルクは復讐に身を置いている点と、親友を殺された魔獣の手掛かりを探し求め、都市の外へと駆り出すことも多い。ギルドで資料を閲覧、練兵場で他の兵士たちと切磋琢磨し合い、己の復讐に掲げる力の底上げを図っているのが彼の日常と言える。
だがその反面、ラルズの言葉が彼の心に大きな影響を与えたのか、空いた時間が生まれた際は一緒に行動を共にしてくれる頻度が多くなり、今ではすっかり距離感が縮まっている。復讐のことなど頭にない、普通の青年のように時間を楽しむ仲に。
セーラも魔導書の謎を解き明かす為に都市内を奔走。司書館で多くの時間を過ごしている都合上、こちらも調べ物をし続けた隙間時間の中で、ラルズたちと行動を共にすることが多い。ミュゼットとの関係性も最初の頃と比べると仲睦まじく、絆が感じられる描写も。同年代であるからして、何てことない普通の会話一つでも、時間を忘れさせるには充分だろう。
今日もグレンベルクと練兵場で鍛錬を行い、一息ついた後に司書館へ向かってミュゼットセーラと合流。集まるのが常となっている今となっては、各々解散するまで同じ時間と空間を過ごしていく。
時刻は夕刻。太陽は夕日と成り替わり、茜色の陽ざしを世界に届け運ぶ時間帯。
――まもなく夜が訪れる。人々に終わりを報せる日時とは対照的、ラルズたちの時間は終わりに差し掛からない。
今日この日だけは……このまま一日が終わることを世界は……運命は許してはくれなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
都市の中で露店を営んでいる人々が店じまいを始める時間帯。逆に酒場や大人の人が通うようないかがわしいお店は、今からが稼ぎ時だと本腰を入れて準備が忙しなくなっている様子。
四人は司書館を後にし、必ず通ると言ってもいい大広間の方の進路へ足を促す。固まって歩き続けながらも、ミュゼットとセーラは各々会話を、ラルズとグレンベルクも各々会話をしている最中だ。
「明日はどうする?」
「そうだな……。明日も都合が良かったらお願いしてもいいか?」
「勿論、むしろ有り難いよ! まだ一度も勝ち星を拾えてないし、そろそろ一本は取りたいからね!」
ラルズとグレンベルク、二人が話している会話の内容は明日の予定。本日も行われた手合わせの件だ。
都市へ来てから十日となり、互いの事情について話し終えてからは、ほとんど毎日のように練兵場で特訓に明け暮れるようになったラルズ。
そのどれもが対等な条件の下、魔法の使用を制限して彼と勝負を続けているのだが、相変わらず勝ち切ることはできず全戦全敗。
全体の対戦回数としてはそろそろ二十回に差し掛かるのではないだろうか。
悉く敗北を記録し続けるラルズに対して、勝利を刻み続けるグレンベルク。ミスウェルに一太刀も浴びせられなかった類の苦い記憶が頭を巡っている。
屋敷の当主であるミスウェルも魔法は得意でなく、制限を設けてもらっている点で言えば似て非なる状況だが、どちらかと言えばグレンベルクの方が負荷は大きいだろう。唯一最大の武器を使用禁止にしてもらっているのだから。
「あと少しだと思ってるんだけどなぁ」
「動きは洗練されているさ。ただ、俺も同じように成長しているってことだろう」
「う、さり気に自慢された……」
「ふっ。まあ精進するんだな」
「上から目線!」
グレンベルクとの鍛錬の影響もあり、日々己の力が磨かれているのは間違いない。
だがそれは両者に当てはまる事柄だ。簡単な話、ラルズが実力を伸びていく様に、グレンベルクも戦闘を繰り返す中で実力が飛躍していくのは当然の摂理。
もともと両者実力の差が広がる者同士、成長速度や練度も同一のものではない。彼の方が戦闘観や戦局の見極めなど、観点を見積もれば成長度合いが別次元。
同じ内容で練習をしたとして、実力が開いていくのは仕方ないかもしれない。センスも才能も、ラルズよりもグレンベルクの方が遥かに卓越しており勝っている。
「でも諦めないから! 絶対に一本は取ってみせるよ!」
「楽しみにしてるさ。追い付かせる気も毛頭ないがな」
余裕そうなグレンベルクの表情。追い越すどころか、追い付く事すら困難な目の前の相手。こういう相手をライバルと呼ぶのだろうか。いつの日か泥を付けられると信じ、敗北に腐らず努力していこう。
「――でもグレンってさ、実際どれくらい強いの? ラルズを圧倒できるんだから強いのは知ってるけど、いまいち伝わらないのよね」
ミュゼットが会話に参加。実際に立ち会っているラルズならまだしも、騒動の際に取り残されていた彼女からして、その実力の片鱗を知らない。噂で耳にしているとはいえ、実際にその場に居合わせた機会が無いセーラも同じだろう。
「何か分かり易い標準とかないの?」
「標準か……。あまり誇張して言うべきでもないが低く見積もったとして、エルギュラス内に関しては二、三番目くらいの位置付けになる筈だ」
「自己評価高っ!?」
自らを客観的に評価するなら二番目か三番目。上位に君臨するだろうと冗談抜きで話す。多分算出と言うか判断の基準としては、ギルドの面々を加味してが主になっているのだろう。
以前に口にしていたボルザと副長の二人。この二名が都市内でグレンベルクと拮抗できる数少ない実力者。勝ち切れるか怪しいと踏んでいることからも、一番とは言い切れないのだろう。
「そんなに強いんだ」
「面白いわね。今度私とも一度どう?」
「せ、セーラっ!?」
実力云々の話の渦中、いきなりセーラがとんでもないことを言い放った。愕然とするラルズとミュゼット。彼女の発言は予想外に他ならない。
「・・随分と自信があるみたいだな」
驚いている二人を無視し、自信満々なセーラの表情を前に、グレンベルクの片目が少し細められる。彼もどこか面白そうな顔をしており、冗談めいた発言をしている物ではないと瞬時に判断する。
「自信って程じゃないけれど、相手の力量を図るには実際に立ち会うのがハッキリする。私、これでも風魔法に関しては他の人よりも才覚があると自負してるの。私の風が貴方の炎に通用するか試してみたいものね」
「面白いな……。弱い風は炎の勢いを増すだけだぞ?」
「弱い炎は強い風に掻き消されるのよ?」
互いの視線が交錯する状況の中、グレンベルクの台詞にセーラが意趣返し。目に見える形ではないが、両者の間でバチバチと火花が散らされているのを感じる。どちらも臆することなく挑発、果てには負ける可能性など微塵も考えていない。
「本当にやるのセーラっ?」
「命を取り合う訳じゃないんだし、そんなに心配する必要もないでしょ。戦闘経験は幅が広いとそれだけ個人にとって大きな価値になるわ。強くなろうとしているグレンにとっても、悪い話じゃない筈よ。今度、試してみましょう?」
「望むところだ。女と手合わせするのは騎士団に身を置いていた以来だ」
あれよあれよと二人の間で話が進んでいき試合成立。マッチが組み交わされ、この時点で臨戦態勢を示すグレンベルクとセーラ。二人とも性格上引き下がることも無く、強気な気勢。
「言っておくが手加減はしないぞ。俺の持てる力全てを用いて相手してやる」
「ええ勿論。貴方の炎も黎導も、全部私の風で消し飛ばしてあげる」
他でもない本人同士が望んでいるのだから、止める権利はラルズとミュゼットには持ち合わせていない。セーラの言う通り、命を奪い合う物騒な戦争でもない。万が一怪我をしてもギルドが治してくれるだろうし、大きな心配をする必要もないか。
「私が口出しする筋合いはないけど……やるなら頑張ってね! 初対面で私のこと失礼女なんて認定したあいつに、目にもの見せてやってっ!」
ミュゼットの応援に親指を立ててグッドサインを示すセーラ。対してグレンベルクは失礼女呼ばわりされる筋合いがないと口にしている彼女。
グレンベルクは黙りこくっているが、きっと胸中では「間違ってないだろ」と思っているのだろう。大方、口に出せばミュゼットが反応を示し、面倒を被ることになると判断したに違いない。隣でちらりと様子を窺ったラルズには彼の胸中の考えが表情と共に理解できた。
「――すみませんっ! 通してくださいっ!!」
「ん? 何だろう?」
不意に生じた大きな声。それはラルズたちにのみならず、通りにいる全ての人々の耳に入る代物。切羽詰まったことを周囲に暗示させる類の声。連続で発せられる声々に反応して奥の方、大広間方面から勢いよく走ってくるのは巨体の生き物。
「地竜……よね? 乗ってるのはギルドの人たち?」
見覚えのある生物。ラルズも何度か乗った経験がある竜種であり、地竜と呼び親しまれている存在。屈強な体格と発達した四肢。重くて鈍重な存在は地面を踏みしめてこちらに走り迫ってくる。
巻き込まれないよう人々は端の方へと退去。ラルズたちも巻き添えを食らわまいと、先頭の竜に跨る人物の注意に従って端方面へ移動する。
どかどかと慌ただしい様子で都市の南門を目指して進行。随分と切羽詰まっているような様子であり、見ているラルズたちが何かあったのか訝し気な様子。
「――ボルザさんっ!」
駆け抜けていく竜たちと、跨るギルド兵たちの存在を前にして見覚えのある姿が映り込んだ。一際大きな竜に跨っている人物はラルズもよく知る人物。
重くて破壊力が凄そうな見た目をした地竜とは別。スラッとしており、素早い動きに長けている走竜と呼ばれる種族。
その走竜の手綱を握っている人物、ボルザにグレンベルクが声を掛ける。
「――グレンかっ! それに青年も! 何だなんだ二人して、可愛い女の子と一緒にデートかっ? こりゃ邪魔して申し訳ないなっ!」
グレンベルクとラルズの姿を確認して、急ぎ足だったボルザが走竜の動きを止めて話の時間を作る。
「そう言うのは良いですから……。それで、何かあったんですか?」
「うむ。実は魔獣が数多く都市近くに現れたみたいでな。目を張るほどの数であるからして、これから対処に当たるところだ」
駆け足気味のギルドたちの動きに納得が走る。魔結石を設けているとはいえ、ギルド兵のほとんどで討伐に参加しに行くということは、それを加味した上でも相当な数が確認されたのだろう。
「だ、大丈夫なんですかっ……?」
「少女よ、心配ご無用だ! 都市の守りについては他の職員が対応してくれている。万が一にでも都市に住んでいる住人に、危害は及ぼさないぞ!」
人々の不安や焦燥を霧散させるような、豪快で力のある笑い声。これから魔獣と事を構える筈なのに、ボルザは自分たちの身よりも住人の安否を最優先に考えて行動している。心配を案じる人々にとって、これ以上に心強い発言があるだろうか。
「ボルザさん。なら俺も……」
正式な入隊とは違って契約を交わした上での職務。仮とはいえ、見知った彼らが戦場へ向かっているのだから、グレンベルクも同行しようと意思を前面に表して名乗りを上げる。
「グレンはそのまま、友達と時間を共にしていてくれ! 何年も都市を守ってきたんだ。グレンがいないと守るものが守れないなど、格好付かなくて情けないからな!」
しかし、グレンベルクの同行をボルザが笑いながら断る。理由もそうだが、彼もまた都市に住んでいる住人の一人。危険な目には合わせるのは、矜持や誇りが許さないのだろう。
「大衆を守るのは俺たちの義だ。万が一にも魔獣が流れてきた際、友達が危険に晒されるだろう。最悪な可能性を考慮するのはいささかよろしくないが、そのときの為に傍にいてやれ」
「・・分かりました」
そしてボルザの思いやりと気遣いはグレンベルクにも届いている。これ以上とやかく口に出しても意味がない。指示を受け止めて自制を効かせ、踏み込むことを情緒が許さなかった。
「――ボルザさんっ!」
「うむ!」
ギルド兵の一人がボルザの名前を呼ぶ。これ以上の足止めは時間と状況が許してはくれそうにない。
「気を付けて下さいねっ」
「おう! ではグレン、また後日ギルドで! そして青年、君の入隊を俺はいつでも待っているからなっ! だーっはっはっは!!」
最後にラルズに入団を心より待っている意思を伝えると、豪快で覇気のある笑い声が通りの空気を刺激し、そのまま一気に駆け抜けていった。
今から戦地に赴くのに、ラルズに対して軽口交じりの勧誘文句を口にするあたり、図太い性格の持ち主である。恐れや不安といった感情を抱いていないのか、迸る熱気と持ち前の気勢の良さが負の空気を振り払っている印象。
もしくは、これまで魔獣と何度も戦いを繰り広げてきたからこその自信の表れ。打倒してきた己の実力と、組織と呼ばれる集団としての力量が優れている物だと自覚しているからこそのもの。一点の曇りも無く、心の底から防衛が成功すると確信している。
個人と組織、歩んできた道と手にしてきた実績の両面が、強固な信頼を築いているのだろう。
そのまま姿が見えなくなっていったギルド兵たち。
通りには先程とは少し変わった空気が満ち足りている。人々同士で魔獣についての談議が始まっている。いくら信頼を寄せていると言っても、周囲で魔獣が大量出現したとあれば、安全に住んでいる事実がある以上に、一定量の懸念や憂慮が生じてしまうのは致し方ない。
大丈夫だろうと安心している心の裏側、微々たる最小の取っ掛かりが胸の内に引っかかり、誰かと会話することで安心する材料に変換している。
「――だ、大丈夫だよね……?」
それは見送ったラルズたちも同じことであり、表情に一番現れているのはミュゼットだ。両手をギュッと握りしめており、目元からは微かな不安の色が見て取れる。
「これまでも対処してきたんだ。失礼女に心配されるほどやわな組織じゃない。普段から鍛錬を怠っていないんだ、問題ないだろう」
不安がおくびに現れているミュゼット。同じく見送ったグレンベルクは対照的に冷静である。
「ただ……」
「・・何か不安なことでもあるの……?」
冷静な様子のグレンベルク。その一方で何やら頭の中で何か考えているのだろう。神妙な面持ち、口元に手を添えて何やらぶつぶつと呟いている。その内容はラルズたちには分からない。
「・・何でもない」
それ以上は何も語らなかった。まるで可能性を否定するように、自らの導いた解答が間違っているものだと認識して白紙にすり替える。
一抹の不安がラルズたちを取り囲む中、日はまた静かにゆっくりと、音も無く沈み続ける……