第二章24 介する四人
グレンベルクの過去について詳細を明かしてもらい、彼の抱えている復讐心と殺された親友について教えてもらったからか、目に見えない壁……距離感が明確に縮まった感触を受ける。氷の様な空気が徐々に剥がれ落ち、溶け落ちて暖かみが芽生えたのではと感じるほどに、彼との溝や隔たりが無くなった印象。
グレンベルクの復讐に対する気概が薄れることは無いと断言できる。今後も最優先事項が塗り替わること無く、親友を殺した魔獣の命を奪うこと、この一点を念頭に定めて行動を続けるだろう。
無論復讐を諦めて別の道を模索するのも選択肢の一つであるが、他でもない彼の魂が道を違えることを否定する。
誰にも止めることはできない。家族であって、友達であっても、それこそ殺された彼の親友が言伝を残したとしても、悔恨は拭わずグレンベルクの心を掴んで離してはくれない。復讐と呼ぶよりも宿願、そして悲願に続いて大願と称されるほどの、濃密なまでの黒い色を宿している誓い。
復讐という名の湖から抜け出せるとしたならば、それは件の魔獣の命を奪うこと。宿敵を自らの手で殺し、大願を成就すること以外に、抜け出せる術など持ち合わせてはいない。
道を歩み出したのはグレンベルク自身。この先の未来、彼が待ち受けている結末は二つに一つ。
見事大敵を打ち破ること叶い、亡き親友の墓標に勝利の報告を伝えに行くハッピーエンド。はたまた道半ば、あるいは到達した先で力及ばず命を落としてしまい、未遂のまま人生を終了するバッドエンド。
この二つ以外の結末は存在しないだろう。
グレンベルクの進んでいく未来が、今後どんな展望を瞳に映していくのか、明確な未来は誰にも分からない。希望か絶望か、どちらの大口が彼を待ち受けているのかは、想像することなど無意味に等しく、その瞬間がいつ訪れるのかもまた同じ。
・・だからこそ忘れないで欲しい。グレンベルクを大事に想う家族の声を、失いたくないという友の声を、そして自分自身を見失わないで欲しい。
グレンベルクにどう響いたのかは本人以外知る由は無い。それでも、ラルズは伝えてよかったと思う。今こうして一緒にいる時間の中で、以前よりも心が拭われている、そんな感慨が生まれているのだから。
そんな一幕もあり時刻は夕刻、大分日も傾いてきて一日の半分が終わったことを空が人々に知らせており、ラルズはグレンベルクと一緒にギルドを離れて大広間方面へと向かっていた。
過去を打ち明けてからは両者ともそのまま鍛錬を続け、最初の一戦を除けば都合五回は繰り返しただろう。グレンベルクは対等な条件下で挑みたいと宣言したこともあり、火の魔法と重力という名の黎導を制限。
肉弾戦のみで互いに実力を遺憾なく発揮したのだが、結果はラルズの完敗に終わる。
五回ともラルズが敗北するという結果に収まり、自分の体質に配慮してもらっての、力に制約を設けた手合わせのどれもが、グレンベルクの勝利という結果に。
魔法を用いられたならばいざ知らず、単純に個人同士の身体能力を頼りに行った格闘戦でさえ敗北の記録を上乗りするだけとは、何とも情けない話である。
最初の完敗ぶりに比べれば内容も悪くないのだが、それでも如実に互いの実力が表れてしまっており、改めて数段レベルが違うことを思い知らされた。
ミスウェルに一太刀与える、といった分不相応な目標に比べると善戦気味であったが、この分だとグレンベルクに勝利するというのがラルズの当面の第一目標に変化しそうだ。
そんなこんなで身体を動かし続けた弊害からか、身体の節々が所々痛みを訴えるし、食事も取らずぶっ続けで行っていたからか空腹感も著しく高まってしまっている。
そして前述通り大広間に向かっているのも、ラルズがグレンベルクと一緒に夕飯でもどうだろうかと誘ったところ、彼が提案に乗ってくれて今に至る。
「グレンって普段の食事は何で済ましてるの?」
「ほとんどは店で提供されるものを口にしている」
「自分で料理とかは?」
「あんまりだな。できない訳じゃないし、料理の基本的な知識も持ち合わせている。ただ鍛錬に勤しんだり、作るのが面倒臭いと感じることが多いから、外食が主になるな」
自身で料理を作ることもできるが、その実外食で済ませることが主だと彼は口にする。一方でラルズも都市に来てからこれまで口にした物は、宿場や店先で提供される品々が主体であり、屋敷でも基本的にはアーカードの作った料理を口にしている。
料理自体は何度かアーカードの手伝いをしたこともあり、簡単な料理であればラルズも作れる。しかし自炊経験が乏しいことに変わりはなく、都市に来てからは一度もない。
「じゃあ何食べる? 俺も最近来たばかりであんまり詳しくないから、グレンのおススメとかあったら助かるんだけど……」
ラルズは都市に来てからまだ日が浅い。感覚を空けているとはいえ何度もエルギュラスを訪れており、外食が主なグレンベルクの方が詳しいだろう。
「こんなこと言うと料理人に失礼だが、あまり味に関してとやかく追求する性分でもないしな。肉系とか魚系、その日舌が食べたいものを好んで口にしているから、あまり期待してもらっても困るぞ」
グレンベルクのように味に無頓着な人物もいるし、日によって味の鞍替えが発生してしまうのは好みの問題情致し方ない。前日に肉系を食べ、次の日は違う味や種を口にしたいと思う人々もいれば、肉が大好物で連日口にしても構わない人もいるだろう。
味を追求する料理人然り、職人と称される人々は細部にまで拘り独自の個性を発揮している。そう言う意味では彼の前置き通り、聞く人が聞けば誇りを傷つけられたと誤認し、火に油を注がれるような事態になりかねないが。
「別に全然気にしないよ。グレンの今食べたいもので――」
「あれ、ラルズ?」
選り好みするつもりも無いし、彼が望む代物を一緒の場所で頂ければそれで十分。その意を伝えようとしていたのだが、ラルズを呼ぶ名前に意識が引っ張られた。
開けた場所と人の姿が空白を広げて混在している空間。話に夢中で気付けば大広間に到着していたラルズとグレンベルク。
正面から自身の名前を呼ぶ声に反応して足と言葉が中断。
声の方向へと顔を動かすと、見覚えのある女性の姿。艶やかな緑髪に学者の様な風貌。つり上がった目尻からは意思の強そうな印象を受ける。
「セーラ!」
一昨日始めて司書館で遭遇した人物でもあり、昨日も出会ったばかりのセーラの姿だ。
「・・知り合いか?」
「そっか……。グレンは初めて会ったよね」
一昨日と前日、どちらもその日の間でグレンベルクとは時間を共にしていないし、セーラについて面識が無いのも当然の話だ。
「初めまして、よね? 私はセーラ。貴方は……グレンベルクで合ってたかしら?」
「俺のことを知っているのか?」
「噂程度で少しわね。実物を目にしたのは今日が初めてよ。昨日ラルズとミュゼットから少し名前も出てきたからもしかしてと思ったけど、どうやら正解みたいね」
面識のないグレンベルクに対して、既知の存在であるとセーラは口にする。彼女の言う通り、前日に多少名前が上がったからこそ、見覚えのない人物に対して絞り込みが可能だったのだろう。
「実物は噂以上に存在感があるのね。ここで出会ったのも何かの縁だし、これからもよろしく、グレンベルク」
「ああ。ただ、俺を呼ぶときはグレンでお願いしたい。それと、その調子で敬語は無しで頼む」
「分かったわ。よろしく、グレン」
互いに握手を交わして親交を深める。呼び名を訂正させ、再度名前を呼んで互いの調子を確認する。
元々、今日は予定が折り重なっていたから無理だったが、いずれはセーラにもグレンベルクにも、互いのことを紹介したかった思いもあったので、丁度いいタイミングと言えるだろう。
「それで二人は今日は何を?」
「ギルドの方で少し鍛錬してたんだ。夢中で身体を動かしてたらこんな時間になっちゃって。セーラは?」
「魔導書の解明の為に、都市に住んでいる老人や学者に話を伺ってたの。相変わらず収穫は無しだけど、今更嘆いたりへこんだりすることも無いわ」
魔導書の謎を解き明かす。その目的の為に奔走しているセーラ。何度も聞き込みや調査はしているのだろう。繰り返された行動の結果として停滞が続いている。事態を好転させる光明や兆しは確認されず、今日も今日とて成果は上げられていないと口にする。
「この後は何か用事でもある?」
「特にはないわ。借りている宿に戻って食事にしようと思ってたところよ」
「実は俺たちも今から夕食取りに行くつもりなんだけど、良かったらセーラも一緒にどう?」
折角街中で出会ったわけだし、ラルズたちもセーラも食事を取る名目は一緒である。向こうが迷惑でなければ一緒に食事でもどうかと誘ってみたが、
「・・そうね。折角だし一緒するわ」
「やった! グレンもいい?」
「問題ない」
両方から承諾を貰ったので、三人で外食をすることに。この場所にミュゼットでもいれば四人で食事でもと思ったのだが、彼女も今日は予定が入っていると話していたので、流石に厳し――
「あぁー! 三人とも何で一緒にいるの!?」
突然大広間に響き渡る声。衆目の目を一瞬引き付けるほどの特大な代物。ラルズたちの背後から放たれた大音量の声が鼓膜を襲い掛かる。
先のセーラ同様、声に反応して後ろを振り返ると、夕日をバックに手荷物を抱えている少女の姿。白髪が夕日に照らされ普段よりも更に煌めいており、風に揺らされて舞い踊っているツインテール。
特徴的な髪色と主張の強い赤い瞳の持ち主、ミュゼットの姿がそこにはあった。
「ミュゼットっ!?」
再び偶然が舞い降りる。まさかミュゼットとも出会うことになるとは。
「ラルズにグレンにセーラもいるし、何でみんなして揃ってるのよ!?」
早足で駆け寄ってきて詰め寄られる。手でミュゼットを制していると、今度は彼女の後ろから走ってこちらに近付いてくる人物。
「いきなり駆け出して危ないわよミュゼットっ?」
ミュゼットと一緒で手荷物を抱えており、見た目若そうな印象を受ける女性の姿。赤茶色の髪色をストレートに伸ばしており、華美な装飾が施されていない簡素な服装。
少し乱れた息を整えながら、顔を上げてラルズたちを瞳に映す女性。
「い、いきなりごめんなさいね。この子ったら君たちの姿を見つけたら飛び出していって……」
ミュゼットのことをこの子と呼び慕っており、距離感も他人の関係ではなく、親しい間柄だと簡単に伺える。
昨日のミュゼットの発言と、今し方彼女が口にした発言を照らし合わせると、答えは直ぐに浮かび上がってきた。
「・・もしかして、ミュゼットのお母さん……ですか?」
「はい。ミュゼットの……母親です。ナザリーって言います」
彼女が自己紹介をするより先に答えに辿り着く。ナザリー……ミュゼットの母親がこちらに会釈して返答。畏まったお辞儀をされ、ラルズたちも会釈し返して挨拶を交わす。
「貴方たちはミュゼットのお友達の……ラルズ君にグレンベルク君に、セーラちゃんだったわね」
「俺たちのこと、知ってるんですか?」
「ええ。娘から最近沢山話を聞きますから。貴方がラルズ君。そっちの子がグレンベルク君で、最後にセーラちゃん。娘が嬉しそうに話すものですから、とても印象に残ってたんです」
ラルズとグレンベルク、セーラについてもミュゼットから直接話を伺っているのだろう。顔を見合わせてそれぞれ名前を口にする。人物名と姿が合致しており、自己紹介をする必要がないみたいだ。
「それで三人とも何で集まってたの!?」
両親との挨拶も済み終わり、会話に混じり込んできたのはミュゼットだ。自分以外の三人が一同に会しているのを目の当たりにして、何をしていたのか気になるのだろう。
「グレンとは今日会う約束してて、さっきまでギルドにいたんだ。それでこれからご飯でもどうかってことで歩いてたんだけど、偶然セーラに出会ったんだ」
会う約束を取り付けていたグレンベルクと違って、セーラとこうして出会ったのは本当に偶然だ。そんな中でミュゼットとも、ましてや彼女のご両親とも挨拶することになるとは微塵も思っていなかったので、広い都市内において、こうも連続で偶然が重なってくるのも奇跡に近いだろう。
「それで、ミュゼットとナザリーさんは帰り道……ですか?」
「そうなんです。主人は果物屋を営んでおりまして、その手伝いを」
「今度案内するからさ、良かったらみんな遊びに行ってよ!」
ミュゼットの家族が果物屋を営んでいるのは知らなかった。手に持っている袋も、恐らくお父さんから家で楽しむように持たされている代物の類だろう。中身は見えないにしても、パンパンに詰まっている様子が伺える。
「・・ラルズたち、今から夕食食べに行くの?」
「うん。どこの店にするかとはまだ決めてなくてね。歩きながら考え中みたいな感じ」
「――! じゃあさじゃあさ、一緒に私の家でご飯食べようよ!」
「えっ……」
「ねっ! お母さんもいいでしょ!」
ラルズはグレンベルクとセーラ、互いに顔を見合わせる。偶然とはいえ、急遽家庭の食事の時間にお邪魔してしまうのも考え物の様な気がする。ミュゼットの善意からの提案だが、迷惑をかける訳には……
「――娘もこう言ってますし、私からもお願いさせてください。ミュゼットが友達を家に招いて食事するなんて、何だか夢みたいで……」
返答具合に困っているラルズたち。そんな中ミュゼットの言葉に賛同するのは彼女の母親でもあるナザリーだ。
ミュゼットの成長具合に親であるナザリーは目端に涙を浮かべて感慨深い表情をしている。これまでそういった出来事が無かったゆえか、自身の娘である彼女の周りに友達ができたことが嬉しくて仕方ないのだろう。
「・・でも、いいんですか? 突然上がり込んじゃっても……」
「勿論よ。簡単な料理しか出せないのが申し訳ないけれど、遠慮しないでもらって大丈夫よ」
「じゃあ……お願いします」
ミュゼットとナザリー、二人の好意を無下にするのも申し分ない。お言葉に従ってご馳走になろう。セーラも彼女の心意気を素直に受け取り、グレンベルクは少し遠慮気味な様子であったが、最終的には折れる結果に。
三者全員、ミュゼットとナザリーの好意を受け入れる形に収まり、ラルズたちはミュゼットの家へと足を運ぶことに。
人の家に上がり込むのに慣れていなかったラルズであったが、呼び込んだミュゼットの持ち前の気勢も相まって、徐々に緊張感は身体から消え去っていた。
それは、グレンベルクもセーラも同じだ。
一緒の食卓へ腰を落として料理を堪能。自身の娘の昔話をするナザリー。赤面しながら声を飛ばして発言を中断させようとするミュゼット。その様子を見て揶揄うグレンベルクとセーラ。更に声を飛ばして彼女が二人を律し、時間が巻き戻ったように同じ流れを前してラルズも笑いが弾ける。
楽し気な食卓の時間は、ラルズたちが家を後にする時間が訪れるまで続くのであった……