第二章22 無効試合
「――ほら、タオル」
「ありがとう」
グレンベルクからタオルを頂いて汗を拭き、動き回って乾いた身体に水分を流し込む。
ラルズとグレンベルクの手合わせ。衛兵たちも見守っていた勝負の行方は、最初こそ善戦したものの、後半……魔法を扱われた途端に成す術無く、彼の勝利で幕引きという悲しい形に。
蹴りが見事炸裂したところまでは完全に優勢だったが、その後は上からねじ伏せられてた次第。戦闘経験の違いから勝てる見込みは低かったが、それ以上にショックが大きかったのはサヴェジのとき同様、魔法を使われてからの試合の運び方だ。
接近戦を挑めず良いように魔法の上で弄ばれ、進展しない状況に焦りが生まれた。結果最後の行動として選択肢したのは自滅同然の突進。襲い掛かる正面からの火の魔法に注力しすぎて、死角外からの一撃に反応が遅れた。
最後の火球が決定打となり、気付けばグレンベルクに背後を取られ黎導を発動。重力の力のもと、ラルズは完全に動きを封じられ、攻撃も防御もできずに縛り付けられ、そのまま敗北を宣言。
単純な身体能力や近接技術に関してはそこそこ抗えた結果と見れるが、やはり魔法が絡んでくると一気に劣勢に追い込まれてしまう。分かり切っていた弱点であり、そこを突かれると脆いのは既に自覚している。
それでも策を講じて、全力で勝利を手にしようと奮闘した。勝つ為の手段を模索して、全身全霊でグレンベルクに挑んだ。その上での完全なる敗北であり、悔しい思いが胸中を満たしている。
練兵場では先程まで観戦していた衛兵たちが再び稽古に励んでおり、ボルザが十人近くを一度に纏めて相手しており、手には大きな斧を携えており、野太くて覇気のある笑い声が轟いている。
巨大な体躯と磨き上げられた肉体に加え、斧という獲物。失礼に当たるんだろうが、蛮族なんて言葉がピッタリな風貌と印象だ。
「ボルザさん、あんな数相手にしても対応してるなんて、ギルドマスターって凄いんだね……」
「仮にも都市の平和を守る団体の長だからな。それなりの実力も要求されるんだろう」
斧を振り回してギルド兵の攻撃を防ぎきっているボルザ。多勢に無勢という言葉があるが、彼にはそんな言葉お構いなしかのように平然と対処を繰り返しており、正に圧巻の一言。
「あの人相手じゃ俺も勝ちきれるとは言えない。実際何度か手合わせさせてもらっているが、あの見た目で意外と動けるし、多少不利な状況も膂力で無理矢理解決してくるからな」
あれ程の筋肉量、全力で攻撃したらどれ程の破壊力になり得るのか想像がつかない。斧のような一撃が重そうな武器を振りかぶったら最後、衝撃を受け止めきれずに地面が砕けてしまうではないだろうか。
攻撃の余波や衝撃だけで事が済みそうであり、真面に受け止めようと思い立った際には武器と骨、両方とも粉砕されてしまうだろう。想像するだけで少し身震いしてしまう。
「グレンの相手なんて、この都市の中じゃボルザさんくらいしか相手できないんじゃない?」
「そうとも言えないさ。今日姿は見えないが、実はもう一人ギルドを取り仕切る役割を担っている人がいる。規律や規則を重んじている厳格な人で、ボルザさんのお目付け役って言ってもいいかもな」
ボルザさんとは対照的な方がいらしているみたいで、その人物が自身と互角に競い合えるほどの実力も兼ね備えていると口にする。どんな人物か気になるが、残念ながら本日はタイミングが合わず、もしくは非番なのだろう。
「だけどその二人と比較しても、お前の動きが劣っているとは思わなかったよ。まさか先手を貰うとは思いもよらなかったし、力が込められたいい蹴りだった」
蹴られた後頭部とお腹部分を手で擦りながら、痛烈な一撃だったとラルズのことを称賛する。確かにあの二発は綺麗に決まっており、自分でも手応えありの一撃だったと思っている。素直に賛辞の言葉を並べられて内心嬉しく思う。
「――ただ、だからこそ少し勿体ないな」
と思えば、今度は少し辛口目の言い出し。そのままグレンベルクは先程の戦闘を振り返り始めた。彼の言いたいところは、ラルズの方である程度想像は付いている。
「俺が魔法を使ってからの動きや対応は、お世辞にも良かったとは言えないし、むしろ酷かった。無理矢理敵の魔法を掻い潜って刃を届かせようとするのは、ある意味自殺行為だ。単身でわざわざ正面から向かわなくても、魔法を用いれば幾らでも勝機を作ることはできたはずだ」
「ぐ、ぐうの音も出ません……」
グレンベルクの言う通りだろう。相手が魔法を使用してきたのだから、同じくこちらも魔法を行使すれば、勝敗は別として粘れはしただろう。我武者羅に突っ込んで自滅するような結末には至らず、魔法を扱って別の手段を模索することだって可能であった。
だからこそ最後のラルズの行動は、グレンベルクからしたら無理解……工夫の施されていない雑な一手と値踏みする。そしてその考えは事実その通りである。
ただそれは、普通の人に対しての話。ことラルズに関しては、大きな問題となって自身を取り巻いている要因だ。
「――俺の鍛錬不足も勿論だけど、実は俺、他の人とは違う重大な欠点があるんだ」
「他人とは違う欠点?」
ミュゼットとステラ、セーラと話した相手には伝えているラルズの事情。もはや説明するのもこれで数回目であり、随分とここ数日で同じことを話すものだ。
とはいえグレンベルクが知らない話。事情を知らない彼からしたら、ラルズの内情など把握しておらず、口にしない限りはその真意すらも伺えないだろう。
「俺、魔法が使えないんだ」
ラルズの言葉を聞いたグレンベルク。耳にした彼は動揺とは無縁の落ち着きのある面持ちがぐらつき、目を見開いている。数瞬の間時間が停止したように固まり、後に彼の意識が肉体に活動を促す。
「・・どういうことだ? まさかとは思うが、もしかしてエルドラドの……っ?」
愕然としている様子のグレンベルク。そんな姿を珍しいと思いつつも、エルドラドという単語を耳にし、直近でステラが話していた都市襲撃事件の内容が浮かばれる。
しかし、その事実とラルズの魔法事情は無関係だ。
「グレンが言っているのは西の都市の襲撃の件だよね。俺も最近聞いたんだけど、それとは何も関係なくて、一度も魔法が使えないんだ」
「今まで一度も?」
思い当たる節と違う説明を受け、グレンベルクは混乱気味だ。彼の抱いている疑問を解消したいのだが、如何せんラルズ自身も原因については思い至らない。
単に魔法が使えないという現実であり、それ以上もそれ以下も無い。
「昔からなんだ。属性魔法を調べる水晶を初めて手に取って調べてみた幼少期。その時点から水晶に変化は現れなくてさ。以来成人となった今でさえ、魔法は一度も使ったことが無いんだ」
「・・原因は……分かっていたら解決してるか」
「残念ながらね。水魔法を扱えて腕に覚えのある方だったり、他のお医者さんとかにも診てもらったけど分からず仕舞いでさ。魔力は体内に流れてるのに、変な話だよね……」
そもここまで解明されずに続いていると、先日受けたセーラの眼の力同様、ある種の特異体質なのではないかと思い込んでしまう。この世に生を受けた時点で、ラルズが魔法を使えないことは確定していたのではないだろうかと、変な想像が及んでしまうほど。
「――さっきの手合わせ、何で俺に魔法の制限を設けなかったんだ?」
「な、何でって別に……」
ラルズの事情に配慮してもらい、力に制限を課すのも可笑しなことだろう。互いが持てる力を全力で発揮しようという意思のもと、グレンベルクに抑制を促すのは道理としても筋としても間違いだ。
あくまで魔法が使えないのはラルズの問題であり、彼を俺と同じ土俵に引きずり込むのは対等とは言えない。無理強いを働かせて相手の同情を誘うような、意地汚いやり方は好きじゃない。
「魔法を用いて戦うのとそうでない、どちらが明確に有利なのかなんてガキや子供でも判断が付く。魔法を際限なく使うことを了承した時点で先の一戦、俺の勝利は決まっていたようなものだ」
「そ、それはそうだけど……」
善戦したかに見えてその実、内容を見れば手も足も出なかったのだから、正論以外の何物でもなく、反論も何も出てこない。
「グレンが俺に言ってくれたように、俺だってグレンと全力で戦ってみたかった。だから実力を確かめたいって誘われたときは嬉しかったし、さっきだって本気で挑んだよっ」
「――ラルズが全力で挑んできたのは対峙していたんだから分かる。でもだからこそ、俺は悔しいんだ!」
「悔しい?」
「ああ」
勝利したのに悔しいとは一体……。感情の源泉も把握し切れず、正体が見えないでいたのだが、先の言葉を受けて増々正体が不透明になり膨れ上がる。
「・・自分で言うのも痛々しいが、俺は同世代と比べれば強い部類に位置するだろう」
若くして長年戦場に身を置いている事実がそれを物語る。グレンベルクの強さの一端を、いざ立ち合ってみて実感しているラルズだからこそ、本人の口から語られる自己評価が高い見方は、見当違いとは到底思えない。
知り合った人物の中でも、彼の実力は上位に君臨している。ミスウェルを除けば、恐らくラルズの中で最上位に名を連ねるほどだ。
「そんな中今日ラルズと戦ってみた矢先、大きな衝撃を受けたよ。俺の見立て通り、それ以上に強くて驚いた」
唐突に褒められ、ラルズからしたら少し気まずい。寡黙な印象で且つ物静か。口にする内容はラルズを称賛するものが多く、むず痒くてたまらない。
初めて出会ってからも、今日の予定を擦り合わせる要因となったグレンベルクの目利き。それが勘違いの物ではないとラルズを大絶賛している。
「初めてだった。戦場に長くいるからこそ、傷を負ったりするし危ない場面にも遭遇してきた。そんな中でラルズ、お前から真面且つ、綺麗に攻撃を貰ったことが何よりも衝撃だったんだ」
瞬間の煌めき。ラルズが見事に自身の生み出した舞台の上に引っ張り上げ、見事と称せる二連撃を与えた。頭とお腹、決定打には程遠いが、その過程を多くのその場に居合わせたギルド兵も目にし、歓声が上がるほどのもの。
「当然ラルズ以外にも、ボルザさんや騎士団、各都市の衛兵だったりと、力及ばず経験を積ませてもらった相手も沢山いるさ」
いくら強いと言っても、最強と称せらえ謳われる人物など一握り。ラルズの中の世界では特別ミスウェルとグレンベルク、二人の存在が大きいが、他の都市や国にはそれ以上の人物が存在していても不思議ではない。
「じゃあ別に俺なんか気にするほどでも……」
これまで相手したきた面々と比較しても、ラルズは印象に残るほどかと訝しんでしまう。結局勝負自体はグレンベルクの勝利として片付いている。
「字面上の勝利とは別で敗北感を味わわされた。印象持ちが違うが、同年代で戦場に身を置いていない人物から、あれ程鮮烈に一撃を浴びたのは、本当に初めてだったんだ。それこそ、あいつ意外には……」
「・・あいつ?」
自分の言葉から漏れた失言をラルズに聞かれ、ハッとしてグレンベルクは口を閉じた。
「――……悪い、今のは忘れてくれ」
ぼそりと呟いた、ラルズには知る由もない別の誰かを指す言葉。咄嗟に口から漏れ出したことには言及しないでくれと伏せられ、それ以上の詮索はしないことにした。
「・・とにかくだっ。俺はお前に魔法の差でしか勝てていない、これが現実だ」
どうやらグレンベルクの中で、強さとは違うベクトルの衝撃が襲い掛かったのだろう。腕っぷしも貧相であり、魔法も空っきし。打ち込まれた一撃が傷以上に、彼の中で大きく響いたのだろうか、その真意をラルズが読み取ることはできない。
「先の勝負の結果は無効だ。次からは俺も魔法、もとい黎導の使用は禁止してお前と勝負する」
「そんなの気にしなくていいのに……」
「俺が気にするんだ。あのまま近接のみで続けていたら、俺も勝ち切れかは微妙なラインだ。次はお互い正真正銘、対等な条件下で戦えっ」
変なところでプライドが高いのか、先程の勝負の結果を白紙に戻すようにラルズに詰め寄る。対等な条件下、つまり魔法無しでラルズを打ち負かさなければ、彼の中で本当の勝利とは受け入れられないのだろう。
ラルズ然り、他の誰が提言したとしても、きっと聞く耳は持ってくれない。自ら鍛錬し続け、年齢を重ねるごとに育ってきた自尊心や自信が、意図せず自分有利の状況で握り締めた勝利を素直に喜べないんだ。
「グレンって変なところで几帳面と言うか、真面目過ぎるんだね」
「・・うるさい」
揶揄うラルズに短く、顔を逸らして反対側を向きながら叱咤する。そこだけ切り取ると、何らラルズたちと変わらない、一介の青年と違いなど大差が無いような。
言えばまた嗜まれるのは目に見えているので、ラルズはそれを表には出さず、心の奥に封印し続けることにした……