第二章18 魔導書
司書館で簡単なテーブルゲームをして時間を過ごそうとしていたラルズとミュゼット。二人に加え、見覚えのある少女、セーラと邂逅を果たし、時間を共にしないかと提案。断られるか心配だったが、無事に一緒に遊びに応じてくれることとなり、仲良く室内のテーブルに腰かけてから、気付けば早くも一時間近くが経過。
複雑でもない、誰でもできるトランプゲームを交えながら、互いが互いについて名前以上の情報を持ちえないので、ゲームの合間合間、交互に質問を繰り返して人物像を把握していく。
聞き手側と答える側が順番に交代していき、大分セーラについての姿も輪郭を帯び始めた。そしてそれはセーラも同じだ。
「――西の地方からってことは、結構遠い所から来たんだね、セーラは」
年齢はラルズとミュゼットと同じ十五歳。随分と前に成人を迎えたとのこと。
昨日出会ったばかりのミュゼット然りグレンベルク然り、ラルズが出会う人物は幸運にも年代が十五歳と奇妙に重なっている。ステラは例外に当たるが、この広い都市の中、同年代とこうも連続で顔を見合わせるのは珍しいことだ。
話を聞くとセーラはここ、エルギュラスより遠く離れた西地方の出身。ラルズと同じ離れ者であり、西の辺境、小さな村の生まれであると打ち明かした。
ラルズが屋敷を設けているミスウェルらから支援を受けて旅をしている身分に比べて、セーラは後ろ盾も無く、単純に単身で都市を渡り歩いているとのこと。
「色んな都市を周ったけれど、現時点ではエルギュラスが一番性に合うわね。周りに自然の特色が色濃く残されているからか、他と比べても空気は澄んでいるし、静かで落ち着きやすいわ」
エルギュラスに訪れたのは今回が初めてらしく、南の都市以外の各四大都市には足を運んだこともあるみたいで、現地で生活した経験の中でも特にこの場所を絶賛している。空気感と雰囲気はセーラの感性と肌に相性が良く、住み心地が良いと太鼓判を押している。
「村には一度も帰ってないの?」
「ええ。少し探し物……というよりも調べ物をしててね。変な話、折り合いがつくまでは帰らないって自分で決めてるの」
調べ物という言葉に対して連想されるのはグレンベルクについてだ。具合は違うが、彼も探しているという名目のもと、五年前から魔獣の姿を追い求めている。その根本にある思いや思想は本人から説明されていないこともあり、詳細については首を悩ませるが、只ならぬ強い意思は充分に感じられた。
セーラもその類だろうか。迂闊に聞き及ぼうとして、土足に他人の心に無理矢理侵入するのは考え物だ。詳細を明かさずに渋っていた様子のグレンベルクとは違って、話すことに躊躇の覚えがないことを鑑みると、彼とは違って無理に秘匿にしようとする意図は無いような印象だ。
しかしグレンベルクにしろセーラにしろ、己の人生に明確な目標を立てて生きている。それが良い方向と悪い方向、どちらに大きく傾いているのかは不明だが、慢性で目標がふわふわしているラルズとは別物だ。
「それにしても昨日は驚いたわ。こんな立派な場所にも関わらず、人の気配が全く感じられないのもそうだけど、本を読み進めていたら、誰かさんが大きな物音を立てて知らせるんだから」
「わ、わざとじゃないからあれは……」
二人が出会った切っ掛け。誰かさん……ラルズが本棚から本を引き抜こうとした際にバランスが崩れ、大きな音が司書館に響いたのが事の始まり。あれだけ静かな空気が充満している中で、あんな派手な音がすれば当然気になるのも無理のない話だろう。
「二人とも顔見知りみたいだったし、どういう経過だったのか知らなかったけど、何だか変な出会いだね」
「・・それ、ミュゼットには一番言われたくないよ」
「え、そう?」
ラルズとセーラの出会いを変な出会い認定しているが、ミュゼットとの出会いも大概だろう。激突して互いに知り合うという、印象としては嫌でも記憶に定着してしまう。彼女との出会いも奇妙なものであることには間違いない。
ただ、そんな強烈な出会い方をした中で、気付けば友達となっている現状。物事、何が起こるのか予想がつかないし、人との出会いも突然なもの。結果として、ミュゼットとこうして仲が深まっている事実もあるし、偶然とはいえあの瞬間には感謝を述べたい。
「――そう言えば、さっき私たちが声かける前に読んでいた本って何だったの?」
「あれ? 結構昔の歴史を連なった記録よ」
「昔の歴史に興味が?」
「無いって言えば嘘になるわね。太古の昔、それこそ私たちが産まれる前から存在しているこの世界の実態。そこには今では考えられない、未知という名の魅力が詰まってる……ってのは建前だけど」
「え、騙された!?」
真剣に聞き及んでいたラルズとミュゼット、両者とも最後のセーラの発言に挫かれて目を瞬かせる。語る言葉に熱が生じていたと思っていた反面、最後の一言で完全に空気が逆転した。
「別に全部が嘘じゃないわよ。今言った理由のほとんどは体のいい回答。本当はさっきも言ったけど、調べ物をするのに一番適していると考えてるから閲覧してたの」
調べ物をするには本が一番打ってつけ。人伝に聞きまわって情報を仕入れるのも間違った方法ではないにしろ、時間がかかる上に少し非効率気味かもしれないと考えているセーラ。記録されている文献を漁るのが方法としては一番確立が高いだろうと、彼女は捉えているのだろう。
「昔の歴史と、セーラが追い求めている物が関係しているの?」
「無関係とは言えないわ。でもまぁ、ここ数年解読するには至ってないけどね……」
「解読?」
珍妙な響き。事情はどこかグレンベルクと通じるものがあると感じていたラルズだが、内容はどうにも彼とは大きく異なっている気配が感じられる。自ら口にして詳細を包み隠さず話す関係上、情報が次々に流れてくる。
「それって、聞いても大丈夫な話?」
「勿論。情報はどこに転がっているか分からないもの。もしかしたら二人に聞いてみることで、新しい道が開けるかもしれない」
セーラは椅子から腰を上げると、肌身離さないよう持ち運んでいる代物。身体とベルトを用いて自身の肉体に取り付けていることから、随分と大事な代物なのだろうと伺える。
ベルトを取り外して対象物を解放させる。それを全員から見えやすい様に、一点に集中する様にテーブルの中央に置かれた。
・・変に思考を働かせなくても予想がつく。どこからどう見ても本だろう。
これがセーラの話していた、探し物に関係したものなのだろう。素朴な茶色の背表紙で覆われており、随分と昔に出版されたのか、年季の入っている感が凄まじい。分厚い訳でもなく、見た目から高価そうな印象も見て取れない。
至ってどこにでもあるような普通の一冊だ。館内にある本棚と大量の蔵書たち。そこに万が一投じられてしまえば、その時点で本の在りかを見失ってしまうような、何の変哲もなく特徴も無い平凡な一冊。
ただ一点。他の本と明確に違う点が一つだけ存在する。それは……
「――ねぇセーラ。この本のタイトルは?」
「さぁ、知らないわ。というより、分からないって言った方がいいかしらね」
誰しもが感じる疑問。そんな疑問を口にするラルズだが、セーラは声の調子を変えずに返事をする。本であるだろうという認識は間違っていないみたいだが……
「時間が経ち過ぎて印字が剥がれたとかは?」
「無いわね」
可能性を発言に試みて確かめてみるも簡単に一蹴。本の中にはラルズが見てきた冒険録のように、読み進める中で綺麗だったものも色褪せていき、タイトルや表記部分が掠れて見づらくなる種も当然あるだろう。今セーラが取り出したこの本も、その類に近い一冊だと思ったのだが、直ぐに否定された。
表題が設けられているであろうおおよそのスペースに記されるものはなく、空白のみだ。他の部分に視線を向けるも、文字の類は一つとして確認できない。
「中身、開いてみてもいいわよ」
見出し部分も無く、何一つとして目の前の物体からは何の情報も得られない。不思議に思っているラルズとミュゼットに、持ち主であるセーラから中身を閲覧しても良いと許可を頂いた。
意向に従ってまずはラルズの方から。外側をいくら調べようとも新しい発見はされず埒が明かない。異質感満載の書籍に対し、本好きの性分としての好奇心が膨れ上がる中、最初の一ページ目を開く。そこに記されていたのは――
「・・・・?」
疑問。それが最初にラルズの頭を埋め尽くした。瞳を何度も開閉し、時折目を擦って自身の瞳が正常かどうかを、状態の回復を図る。目が疲れているのだろうと。
しかし相変わらずとして視界に映り込んでくるのは空白のみだ。
次のページを開く。また白紙。その次のページ、再び白紙。
「え? え?」
捲れど捲れど最初に一目見た本と一緒の感想。ページの端だのページの裏だの、文字は一つ足りとて存在しない。気付けば最後のページまで辿り着き、今まで読んできた本の中でも例外中の例外。読了時間一分にも満たないという、驚異的な記録を叩き出した。
「――って何これ!?」
魔獣のイラストだの落書きも一つとして見られない。文字という概念自体がこの本から完全に消失してしまっており、最初から最後まで疑問が霧散されることはなく、むしろ肥大化している現状。尚も頭の中が疑問で満ち溢れていた。
「ラルズ、何が書いてあったの?」
「・・えっと……」
先に目を通したラルズの反応が意外なものであり、ミュゼットも当然興味津々だ。しかし彼女からの問いに答えようにも答えようがない。聞くより直接自分の目で見るのが一番手っ取り早いと判断し、本を閉じて次の読み手の彼女に手渡す。
「――ん?」
開いたミュゼットは先のラルズと同じ反応を示すが、それも当然だ。何せ文字が無いんだから。疑問が加速し続ける彼女の様子を前に見覚えを覚えながらも、尚もページに変化を求めて読み進めていく。
時折本を逆さにしたり、首と本を同じ方向に傾けたりと、少し面白い読み方をしており、セーラが微かに笑っていたのが目に入る。
――が、結末はラルズと同じ。最終ページにまで辿り着いた彼女だが、その表情は疑問の感情を色濃く反映されており、本を閉じると……
「・・何これ? メモ帳か何か?」
「歴とした本よ」
空白地帯のみが中身を形成している中、完成品と称されている異質な本。ミュゼットの口にした感想は中々に辛辣なものだが、そんな評価を下してしまうのも致し方ない気がする。これから文字が組み込まれる試作品の類、未完成品だと言われた方が納得する。
内外閲覧した結果として、この本から得られた情報は何一つとして無いと言える。今し方読者と成り得たラルズとミュゼット、両者共々呆気に囚われてしまっている。
本において中身は重要の要素の一つだ。だが中身と同じくらい、タイトルには大きな役割を担っていると考えている。
例えば人が本を手にする際、参考にするものは個人によって異なるだろうが、一見して最初に興味を抱く材料として、見出しが一番起因しているのではと思っている。
外題からでも充分に中身は推察できるし、ジャンルが近しいものであれば読まずとも、ある程度の想像の中で内容を付随、肉薄することが可能だ。実際に読んでみたら思ってたのと違ったり、意外と捉え方が違ったりというのも一興、読み進める間の醍醐味とも言える。
作品を作品として完成させるのは内容以外に存在しないが、作品名は作品を昇華させる。二つが合わさって初めて、中身と同等に価値が膨れ上がり、魅力を倍増させている。
しかし、肝心のセーラが取り出したこの本からは、その一切の欠片が見受けられない。この本の正体には近付けず、不気味さとは違って、理解のできない異質感がたっぷり書物から放たれていた。
「――まぁ当然の反応ね。じゃあ変化を加えてあげる」
「変化?」
どういう意味だろう……。目を丸くしているラルズの前、ミュゼットから本を回収したセーラが、再び本をテーブルの中央に戻した。書籍に右手を添えて、彼女の瞳が閉じられる。
「――……」
祈りを捧げるように、セーラの周りの様子が、雰囲気が先程までと変わるのが肌で感じられる。声を掛けて注意を乱したり、邪魔をしたりしてはいけない神聖な気配。
ただ傍観していた彼女の姿だが、変化が生じたのは件の書籍の方だ。
「――わっ……!?」
蔵書が光り輝き、存在感をより強める。発せられる光の波動が強まる中で、反射的に目が細められ、目という万物を認識する機能が著しく低下した視界の先、放たれ続ける眩いばかりの閃光が尚もラルズを襲う。
「・・よし、終わりよ」
セーラの手が本から離れ、強まっていた光の燐光が収まっていく。微かな空間を煌めいて彩っていた輝きが勢いを無くし、室内はいつもの空気へ、元通りの姿へと変わる。
「な、何が起こったの!?」
まだ目の奥に少し違和感を覚えるが、今は後回し。先程の光の謎についてセーラに言及すると、彼女は手入れのされた細くて綺麗な指でトントンと、光を放った物体、件の一冊に視線を誘導させる。
――視線を人から物体に映した先、先刻のものと比べて明確に差別点が生まれていた。
「・・あれ! 本が!?」
「ほんとだ!?」
立ち上がり、食い入るように目にする書籍。驚愕する二人の視線の先、そこには見知らぬ文字が浮かび上がっていた。
「太古の時代から存在する古の叡智。人や魔獣と一緒で魔力が備わっており、魔力を流すことで本当の姿が露わになる、全能であり全智なる書。【魔導書】と呼ばれる代物よ」