第二章15 喪失の魔法伝
「・・成る程。普通とはかけ離れた生体。魔力は満ちているのに、肝心の魔法からは見限られてしまっている。魔法が蔓延る世界に存在する異分子。確かに、是が是非でも原因を究明したと考えるのも、至極当然ね」
ラルズの事情をひとしきり聞き及び、ステラが思いの丈を口にする。
「妹が二人いるんですけど、どちらも魔法の才能に恵まれていて、問題なく魔法は扱えます。母親も魔法を使えますし、父親の方も同じです。家族内で俺だけが魔法に疎外されていて……」
母さんには傷の手当てをされたから水魔法。父さんの方は見たことが無かったが、母さんが話していたのは覚えていた。確か雷属性の魔法だったと口にしていたはずだ。
補足を付け加えて内容を補填する。実の妹であるシェーレとレル。二人はそれぞれ二つの属性魔法に対して適性を保持しており、反対にラルズは一つとして反応は見られない。初めて水晶に触れて診断したときから、何度か時間をおいて試したものの、結果を表す水晶は無色のまま。新たに色を芽生えさせる変化は映らなかった。
「家族間の血統は正常。その中で君だけが魔法に恵まれていない。そもそも自覚している通り、魔法が使えない人物がいる。これは極めて珍しい事例であって、過去に類を見ない重大な謎。世界の未知ある事象の中でも、君の抱えている問題はそれに匹敵するほどね」
過去にラルズの様な前例が発見されていないことを考えても、悪い意味で特別であるという判断は妥当である。魔法は誰にでも扱える力であるのが世界の常、それに該当しない人物など、正に異端者である証明だ。
「・・少し、試してみてもいいかしら?」
「――試す?」
ステラは立ち上がると「少し待っていて」と言伝を残して部屋を後にする。ラルズとミュゼット、互いに顔を見合わせて疑問顔をしながら、彼女が戻ってくるのを待ち続けていた。
お茶菓子を口に運んで、紅茶で喉を潤す。時折話をして空白の時間を紛らわす。数分後、
「待たせて申し訳ないわね」
扉が開かれ、ステラの手には様々な代物。中にはラルズの見覚えのある代物でもあり、苦い体験と悲しい現実を目の当たりにした実物、魔水晶も含まれていた。
その他には杖やら輝石やら本だったりと、手に抱えている荷物の種類は様々だ。
部屋へと戻ってきたステラの指示に従い、お茶菓子と紅茶を端の方へと避難。空いたスペースでもある中心地に運ばれた荷物を積み下ろすと、音を立てながら崩れてごちゃごちゃ状態に。
「折角だから色々試してもいいかと思ってね。にわかに信じがたい話でもあるし、この目で君の話していることが事実か確認したいし、もしかしたら手掛かりを掴めるかもしれない」
論よりもまずはこの目で直接確認する。それがステラのやり方のようだ。確かに現実問題、ラルズの事情は他に類を見ない特別なもの。本人がいくら事実を口にしようと、実際に確かめてみるまでは真実か怪しく瞳を光らせてしまうのも無理はない。
「結果によっては君に辛い思いをさせてしまうかもしれないから、無理に強要はしないけど……」
「――いえ、お願いします」
初めて水晶に触れた瞬間から、以来ラルズは魔法に対しての接点が絶たれてしまい、今に至るまで魔法を使えたことは一度としてない。
可能性としては限りなく低く、突然変異でもしていない限り、これから行う結果はこれまで同様、残酷な現実を知らしめることに変わりは無いだろう。
だけど、僅かでも可能性に賭けてみたい。原因を解き明かしてみたい。――魔法を使ってみたい。
好奇心が熱を生み出して、心のどこかでは諦めていた境地。折角機会を設けてくれたのだから、取っ掛かり一つでも掴めれば恩の字だ。
「じゃあまずは……魔力が備わっているかを調べましょうか」
手渡されたのは杖上の物体。先端の方は剥き出しで、取り付けられているのは小さな輝石。
「魔力を流してみて。正常に体内を駆け巡っているのならば、輝石が光を放つはずよ」
原理としてはカイナ村に敷かれていた魔結石と同じだろう。仕組みを瞬時に理解して、ラルズは杖を手にしている右手に意識を集中する。
身体を駆け巡っている魔力の感覚。それは幼いころの、魔法の説明を受けた段階では淡い認識でしか判断することのできなかった、不思議な奔流。
一度自覚すれば、あとは呼吸するのと同じように、容易に魔力を察知して操ることができると説明を受けたこともあり、魔法は使えないラルズであったが、魔力という、目に見えない力に対しての捉え方は前よりも敏感になり、知覚することは造作もない。
「――光った!」
頭の中でイメージを先行させて、なぞるように杖という媒体に魔力を流し込む。加えた直後、杖の先端に光が生じ、魔力が無事に流れたことをこの場にいる全員に認知させる。
「・・問題なく杖が作用している。つまり魔力に関しては問題ない。欠陥とみられるような流れでもないし、器にも影響はさして見当たらない、正常な魔力」
事象を生み出したラルズの様子を確認しながら、ステラがテーブルに置いた紙面にメモを記していく。情報は今から随時書き足されていくのだろう。
「じゃあ次は、この水晶が一番判断しやすいわね」
杖を回収して、次にラルズの目の前に置かれたのは見覚えのある水晶体。無機質で透明な物体は、鏡のように対象者の姿を反射している。
「まずはミュゼット。貴方が触ってみて」
「何で私?」
「不良品じゃないことを確かめるのよ。倉庫の奥に仕舞っておいた奴だから、万が一の可能性もあるでしょ」
「分かった!」
先にミュゼットが魔力を流して、正常な反応を示すのかどうかを確認。埃を被っていた代物とはいえ、ヒビが入っている訳ではないから、心配も杞憂な気もするが、念の為。
「――むっ!」
両手で水晶を掴んで声を発する。彼女の発した声と魔力に呼応するように、水晶に変化が生まれる。シェーレとレルが試したときと同様、そして見覚えのある色が水晶の中を埋め尽くした。
緑色、つまり風属性の適性を表す色合いだ。火属性なら赤色、水属性なら青色、雷属性なら黄色と異なる反応を示す中、ミュゼットは自身の愛している風そのもの。彼女の愛する気持ちに応えるように、恩寵を授かっている証明だ。
「問題なく作動しているわね。じゃあ、試してみて」
「はいっ」
ミュゼットと出番を交代して、ラルズが水晶の真ん前に立つ。最後に試したのは数年前、その時点でも相変わらず無色透明の色合いを貫き、光明は指し示さなかった。
変な緊張が身体全体を取り巻いている。数度目ともなれば慣れると思ったが、改めて目の前に立ってみると、水晶体が異様な存在感を放ってラルズを出迎えている。
一度大きく深呼吸し、手順を頭の中で簡潔におさらいする。触れて、そのまま先程の杖を光らせた原理と同じように、水晶に魔力を通すだけ。なんてことない簡単な作業で、難しい要素なんて一つも無い。
「――よし!」
息を呑み込んで意を決し、いざ水晶に両手を伸ばす。冷たい感触がラルズの両の掌を襲うも無視を決め込む。雑念の一切を発さず、頭の中で描いていた通りに魔力を両手から水晶に向けて注いでいく。
感触は充分。魔力は問題なく水晶体に流れていき、普通ならば試している本人の色を示す四色の内のどれか、あるいは才能を祝福する二色が反映されるのだが、
「・・ラルズ……」
「――演技、なんて言葉にするのは配慮に欠けていたわね。御免なさい……」
傍観するミュゼットとステラ。一方はラルズを案じて心配の声音、もう一方は自身の発した言葉に対いて謝罪の意を込めた声音。
パフォーマンスでも何でもない。先程と同じように魔力を流している。だが現実は非常な結果をラルズに届ける。無機質な色合いがそのままであり、流される魔力に対して水晶体は無視を決め込んでおり、透明な色から鮮やかな四原色、あるいはそのうちの二つの色合い、そのいずれかも浮かび上がることは無かった。
「・・やっぱり、駄目か……」
ある程度の諦めは覚悟していた。期待は薄かったのは事実だが、その実全く僅かでも、微かでも希望を抱いていなかったと聞かれれば、それは嘘だ。
酷く達観していた自分自身とは裏腹に、心の奥底ではもしかしたら……と都合のいい現実を想像していた。水晶に今まで灯されなかった色が新たに芽生えて、その変化に一番目を驚かせて、喜んでいるラルズ自身の姿を……
だけど現実は現実。望もうと焦がれようと、結果は結果であって、過程も全て考慮されず、ただ一つの結果だけが目の前に表示される。
「・・ねぇ君、出身はどこ?」
「出身……? えっと、南地方の森です。オルテア森林って言えば伝わりますかね」
「オルテア森林……? どこかの村や町とかじゃなくて?」
「はい」
出身に対して森の名前を出すのも変な話だが、事実だから隠すも誤魔化すもない。森でラルズは産まれて、その後は七年間森の最奥地で暮らしてきた。事情を知らないステラからしたら、不審に思っても当然だろう。
人里から遠く離れており、閉鎖的な環境下で生活している家族など、世界中探せば他にもいる可能性はあるだろうが、数としては断然少ない部類に入るのだろうから。
「エルドラドに訪れたことは?」
「エルドラド? それって確か……」
名前の響きには覚えがある。確かいつぞやかに読んだ歴史の本でその名前を一度目撃した。機械都市国家として都市の名を広げており、エルギュラスと同じ、四大都市として数えられている都市の名だ。
機械都市という響きには、結構少年心をくすぐられていた記憶が刷り込まれていたからか、ステラからの言葉に直ぐ頭の中で連想される。だが、
「その、エルドラドに訪れたことは一度も無いです。いつか訪れてみたいとは思ってますけど、今までは一度も……」
都市と呼ばれる舞台へ訪れたのは今いる南の都市、エルギュラスが初めてだ。それまでラルズが足を踏み入れたことのある場所は限られており、オルテア森林、カイナ村、ミスウェルの屋敷と大きく分けて三箇所程度だ。
「先生、エルドラドとラルズ、何か関係でもあるの?」
「・・その話は後でするわ。他に試していない魔道具もあるし、話はそれからよ」
検査し終わって用済みとなった水晶体を片付け始め、新たに魔道具の準備に取り掛かるステラ。それ以上の詮索は後ですることにして、ラルズは尚も試し続けた……
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「・・あらゆる手段を用いてみたけれど、原因は依然として発見できないわね。魔力に問題があるわけでも、肉体に異常も感じられない。魔法には未知が付きものだけど、これは完全に想定外だわ」
水晶を試した後も様々な魔道具を試したり、質問を受けて答えたりと、答えの可能性を追求し続けた結果として、どれもが原因解明の手助けには至らず、文字通り八方塞がり。力になってくれたステラも完全にお手上げ状態。
「御免なさいね、力になれなくて……」
「そんなこと! ステラさんが悪い事なんて一つも無いですよ。元はと言えば俺が自分から頼み込んだので、気にしないで下さい」
提案されて、それを飲み込んだのは他でもないラルズだ。むしろ協力してくれたのだから、お礼を伝えるのはラルズの方に他ならない。
結果は確かに残念だったけれど、許容する以外に選択権など持ち合わせていない。魔法が使えないのは何も、今に始まったことではない事実だ。
――それよりも一つ気になる話が……
「ねぇ先生、さっき後で話すって言ってた西の都市の話なんだけど……」
ミュゼットが口に出した疑問、ラルズも同じことを考えていた。魔法事情を調べている中で、ステラが質問してきた内容は、西の機械都市国家、エルドラドについてのものが含まれていた。訪れたことがあるか、出身地、産まれた場所はどこかと。
実態が見えずにいたが、あの状況の中で話題に出したのだから、何か思い当たる節と言うか、気になる案件、情報がステラの中にはあるのだろう。だからこそラルズは内容の詳細について説明を求めたい。
「・・エルドラドを襲った事件について、聞き及んだことは?」
その質問を受けて、ラルズは記憶の限りを探ってみるが、思い当たる節は一つとして見つからない。それは一緒に聞いているミュゼットも同様だ。
二人とも身に覚えがないことを確認すると、そのまま続きを口にする。
「四大都市の一角として君臨しているエルドラド。俗称は知っての通り機械都市国家として名を馳せていて、都市の内情はエルギュラスや他の都市、そしてレティシア王国と事情が異なっていて、技術力が超進化を遂げており、都市全体を機械が構成、果てに浸食して顕現している、異質で存在感の強い都市。」
エルドラドについて知っているのはある程度の基本知識だけ。内情に関してだったり、機械と定められている代物については不明瞭な点ばかり。実物を目にしていない関係上、頭の中で作り上げらるのは想像上の産物だけだ。
「武力や技術が他と比べて集約しているのは当然として、王国の騎士団にも引けを取らないほど、相当な軍事力を保持している都市なのだけど、八年前になるかしら。ある事件に見舞われたの」
「事件?」
「ええ。内容は都市内だけで内密にと考えていたのだろうけれど、都市から流れた人々によって噂はどんどんと広まっていき、今では多くの人の耳に記録されている内容よ」
人が数多く往来する都市や国と言った場所に属しておらず、屋敷の方で暮らしていたこともあってか、その手の話はさっぱりだ。対して、都市に十五年間住み続けているミュゼットも反応としてはラルズと一緒。
「まあ見聞が広まっている件は気にしなくていいわ。問題なのは都市を襲った襲撃者による攻撃。人物云々よりも攻撃の方面、これが人々に大きな衝撃を与えたのよ」
襲撃だけでも充分話題性に長けているものだと思うが、ステラが強調したのは襲撃者本人ではなくて、その人物が放った攻撃の方に焦点を充てる。
「最初に君の事情を聞いたときもこの線が大きいと思ったわ。でも、話を聞いている中で、私が知っている事情と異なっている様子だったし、試しにエルドラドについて尋ねてみたら、滞在したことは一度としてないって言うから、選択肢からは早々に除外したのだけれどね」
「・・ステラさんの知っている都市を襲った事件と、魔法が使えないことを話した俺の境遇が似ているってことですか?」
途中で議題に上がったエルドラドの件。その内容とラルズの魔法が使えない状況が類似しているということはつまり、信じられないような話だけど……
「――都市を襲った襲撃者によって被害を受けた人々は、魔法が使えなくなった?」
「大正解よ」
恐る恐る、自身の中で組み合わせた仮説に対してステラが肯定する。自分で言っておいて何だが、そんな嘘のような話が正解だとは、微塵も思っていなかった。
「じゃあラルズみたいに魔法が使えない人が、西の都市には沢山いるの!?」
「正確な数は私も知らないところだけど、被害を受けた人々は今も、回復の兆しが見えていないらしいわ。それに類似しているって言っただけで、元々何の気兼ねも無しに魔法を使えた人々が、被害を被った瞬間、口を揃えて魔法が使えないと、同じ症状を口にしている。君とは少し事情が異なっているでしょ?」
確かに元を辿ればそうだろう。ラルズと西の都市の人々では僅かに内容が異なる。
ラルズは魔法に対しては全てにおいて無の人間だ。肉体という名の器に魔法の適性が見当たらず、産まれてこの方一度も魔法を使用したことはない。反対に被害を受けた人々はそれ以前で言えば、当たり前のように魔法が使えており、それが一気にラルズと同じ扱いの無に沈み込んでいる。
深刻さで言えばラルズも負けてはいないかもしれないが、それまで当たり前に使用できており、頼れる力として宿主を支える一端となっていた魔法が消失してしまった喪失感は、元から使えず達観していたラルズとは雲泥の差だ。
魔法が使えなくなった人々は、どれほどの絶望を抱えているのか想像できない。
「どんな攻撃かは私たちの知る由もないけど、属性魔法の類ではなく、黎導による被害であることは間違いないだろうし、疑いの余地はないわね。人智を超えた魔法の仕業、黎導において他にないでしょうから」
つい先程知り合った青年、グレンベルクの黎導を直に味わったからか、ステラの言葉が過剰な誇張ではなくて、確かな説得力が含まれているのは重々納得する。彼の黎導も、常識を逸脱している力の一つだ。縛られて身動きを完全に封じられたラルズからしても、黎導が他者に及ぼす影響は甚大ではない。
だが、人から魔法を奪う魔法など考えたことも無かった。魔法という枠組みは一緒であっても、性質はまるで違う。たった一人の黎導によって、根幹を成している世界の常世を歪めてしまう。
「その襲撃者って捕まってないの?」
「そうよ」
「何が、目的だったんですかね……」
「悪戯に力を振りかざしたい人もいれば、明確に恨みがあって他人を襲う人もいる。目的なんて、推測することなんてできない。知りたいのなら、本人に直接聞く、これ以外に方法は無いわ」
都市を襲う程なのだから、ステラが言う様に恨みでも宿していたのだろうか。それこそ、他人から魔法という文明を奪ってしまう程に。
ラルズの魔法は相変わらず兆しは見えない。だけど新たに聞かされた西の都市の事件。境遇が近いエルドラドの人々に対して、どこか他人事とは思えない心境に陥る。
外は気付けば夕日が照らされており、都市全体を茜色に染め上げていた……