第二章14 司書館の魔女
善良な子供の金銭が盗まれたり、それを取り返す為に奔走し、偶然通りに居た凄腕の実力者、グレンベルクと知り合ったりと、司書館へ向かう道中、随分と色々な出来事に遭遇したラルズとミュゼット。彼はギルドの方向、二人とは反対方向へ。
二人はそのまま大広間よりも南の方角、ラルズが都市へ訪れた最初の入り口付近、よりも更に西方向へ続いている細い道を通っていき、奥へ進んでいく度に賑やかで騒がしい、猥雑とした表通りから離れていく。
どんどんと人気が少なくなっていき、前を歩いて先導しているミュゼットがいなければ、情けない話ここまでずかずかと入り込むのに躊躇ってしまっていただろう。
少しの不安を抱きながらミュゼットの後を付いていくと、やがて細い裏路地から光が差し込んでくる。光の加減に目を細めながら路地を抜けると、都市内の最南西の終着点、そこにひっそりと佇んでいる建造物が視界に映り込んだ。
「到着ー!」
どうやら後ろに鎮座している、物静かな存在感を放っている建物、これが目的地でもある司書館。
外観は青が主体の色塗り、大きさはそれなりであり、予想ではあるが窓の位置的に恐らく二階建て。ここらの建造物の中では上位に位置するだろう。館と名打ってある名前とは裏腹に、一見すれば小さな貴族が住んでいる別邸の様な印象を受ける。
ミスウェルの屋敷内で度々本を読んでいた書庫も充分すぎるぐらいの大きさだと感じていたが、書庫とは正に雲泥の差だ。
「先生のことだから、私がいつも来る時間帯に来ないから寂しがってるだろうし、早く入ろ!」
到着して早々、外観を眺めるのもそこそこに、入り口へと向かって司書館の扉を開けるミュゼット。
扉が開かれていざ中に入ると、ラルズを出迎えてくれたのは視界一杯に広がる大きな本棚たちと、その本棚にびっしりと並べられている沢山の蔵書たちだ。
外観から予想は付いていたがやはり二階建て。一階と二階でフロアが分かれており、フロアを行き来できる縦状の細い螺旋階段。手にした本を読む為の簡易的なスペース。高い場所に位置する本を手にする為の踏み台。天井に備えられて淡い光が館内を優しく照らしている。燦燦と輝く太陽の様な光よりも、少し光源を落とした質素な光。それがかえって室内の雰囲気を妖しく映し出して表現している。
表通りの喧騒が一切入り込まない、まるで別の空間に佇んでいる、寂しくて魅力的な館内。一度ここで本を手にしてしまったならば、時間も忘れて永遠と読み更けてしまうのではないだろうか。
閲覧できる蔵書の数も底が知れないし、毎日通ったと仮定しても、生きてる間に全ての本を目にすることは不可能に近いだろう。
だがそんな感慨とは裏腹に、内装に注目して周りに視線を向けるも、本を読んでいる人物は一人として見当たらない。二階の奥部分は立ち位置的に見えないが、一階に関しては利用している人が確認できないでいた。
「こんなに広いし静かな場所なのに、利用している人が少ないのは少し意外かな」
「私も結構遊びに来てるけど、利用する人なんて本当に一握りぐらいで、普段はいつもこんな感じ」
立地が問題なのか、それとも静かすぎる故に人を寄せ付けられていないのか。要因としては色々考えられそうだが、折角上から下まで本が敷き詰められているのだから、何だか本たちが勿体ない印象だ。
「じゃあラルズ、先生のところに案内するね」
まあ本への関心は後でゆっくり時間を取ることにして、先に別の用件を済ませることにしよう。
ミュゼットの後を再三ついていき、そのまま通路を歩いて両脇の本棚を通り抜ける。後ろを歩きながら首を上下に動かすと、所々に手書きで分類分けされている。こういった配慮は初めて訪れたラルズにとっても、興味のある本を探すのに時間が短縮されるから大変助かる。
「――着いた!」
本棚に視線を向けていると、意外と早く到着した。一階の一番奥、そこに扉で隔たれている一室が目に映る。どうやらこの先がミュゼットの会わせたい人物、先生と呼ばれる方がいるみたいだ。
扉の前に近付くと、ミュゼットが扉を数回ノックする。
「先生ー! 入っていいっ!?」
ミュゼットの元気で良く通る声が館内に響き渡るも、そのまま別の音が返ってくることは無かった。扉の先にいるであろう主からも一切の音沙汰が無く、ドアノブをガチャガチャと動かしても扉は開かない。鍵がかかっているのだろう。
「・・留守中だったりとか?」
「いや、多分寝てるんだと思う」
ミュゼットが考えを否定して別の考えを口にする。長年訪れているミュゼットの経験値か、はたまた彼女の勘だろうか。
「じゃあ今日は一旦諦めて……」
「大丈夫、今開けるから」
「開ける?」
眠っている、休憩中という話ならタイミングが悪いという他ない。また別の日に機会を伺った方がいいと空き為の境地のラルズと違って、ミュゼットはポケットに手を突っ込むと鍵を取り出した。聞き出さなくてもそれがこの部屋を開ける鍵なのは直ぐに理解が及ぶんだけど……問題はそこじゃなくて、
「ね、眠ってるんだったら邪魔になるだろうし、失礼――」
「開いたー」
間延びした声がラルズの言葉を途中で遮り、ミュゼットはそのまま扉を開け放つ。困惑して固まっている様子も無視して、鍵を開けた張本人でもある彼女は入室の文句を口にしながらずかずかと部屋の中へと許可無く侵入する。まるで我が家のように土足で簡単に、容赦なく踏み入れていく強引さ。
幼少期の頃からの付き合いともあり、勝手がお互いに分かっていることを考慮しても、ミュゼットの先生に対する遠慮のなさは筋金入りだ。もはや他人のプライバシーや人権などに対して配慮の気遣いも感じられない。ある意味信頼しきっていると言えるだろう。
当人の先生が、このような一見して暴挙に見て取れるミュゼットのことをどう思っているのか知らないが……
「ほらラルズ、早く早く―!」
「う、うん……」
グレンベルクがミュゼットに対して対魔鏡を渡さなかったのは正しかったかもしれない。そんな感慨を抱きながらラルズは呼ばれる声に反応して恐る恐る部屋の中へと足を踏み入れることに。
いくら主人の知り合いとはいえ、勝手に女性の部屋の中へと異性であるラルズが入るのは不味いのではないかと躊躇したが、流石に見られて不味いものが置いてあればミュゼットが隠したりなんだりするだろう。彼女にその様子が見られないこともあって、悩んだ末に結局そのまま室内にお邪魔させてもらう。
「・・し、失礼しますっ」
反応の返ってこない挨拶を交わしていざ室内へ。最初に入った第一印象としては、女性の部屋とは思えない、雑然とした、悪く言えば汚い部屋が広がっていた。
司書館と呼ばれている館内の一室とは思えないぐらい、床には色々な種類の本が縦横無尽に散らばっており、足の踏み場がほとんど埋め尽くされている。床だけでなく、一度読んで以降片付けるのが億劫になったのか、積み上がっている本の山は少しの衝撃でも崩れそうなほど。大量の本の山を築いており、その数も十数個近く。
部屋の広さはそこそこであり、ラルズが屋敷で使用していた私室よりは小さいが、本来使用する分には何不自由することない、自由が利く大きさ。最も、部屋の内装を見ればそんな感想も意味を成さないのだが。
綺麗好きのシェーレがこの部屋を一度でも見てしまえば、時間の許す限り掃除をすることは間違いないだろう。
「・・っ……ぅ……」
――不意に聞こえてくるのは女性の声。一緒に行動していたミュゼットのものではなく、知らない人の声音だ。
「やっぱり寝てた。先生ったら、こんなところで寝てたら腰痛めるかもしれないのに」
微かな声のする方角に首を動かすしたラルズの視界に、シーツを上から掛けて隠れていた人物が静かに動き始めた。どうやらこの人がミュゼットの話していた先生らしい。
横になっていた彼女の下に目を向けると、積み上げられた本たちを寝台としており、綺麗に整頓させられた本の塊をベッド代わりにしている。
昼を大きく過ぎているにもかかわらず、正に今し方目を覚ましましたと言わんばかりの、完全に寝起きの状態。まだ意識が肉体に定着していないのか、ラルズの耳に入ってくる声は気怠げで寝ぼけ気味なふわふわとした声音。
様子を見守っている中で、シーツが身体から落下して、先生の姿がはっきり瞳に映り込んだ。
のっそりと起き上がった身体はフード付きの黒いローブで全身を包んでおり、暗闇から覗く綺麗で理知的な紫紺の瞳。フードの隙間から確認できる髪色は半分きっかりで色分けされ隔てられており、正面右側が綺麗な白髪、左側が黒髪となっている。
暗く充てられた空気感がより一層彼女の存在感を際立たせ、その風貌は身に纏っている雰囲気も相まって異質さを呼び起こしている。
「・・あら、見ない顏。夢かしら、夢、そうね夢ね。ここにあの子以外の人が来るなんて……」
目を覚ました直後、先生はとろんとした溶けている目をラルズに向けながら、うわ言のようにぶつぶつと夢であると繰り返し続ける。一種の現実逃避を続けてそのまま再び倒れる様にして積み上げられた本たち、寝台へと横になる。
「先生ー! 夢じゃないから起きて!」
再び夢の世界へ舞い戻ろうとする彼女をミュゼットが現実へと引き戻す。元気のいい声を浴びて眠りが中断され、今度こそ意識が覚醒する。
「・・ミュゼット?」
「おはよ先生! 今日は友達連れてきたんだよ!」
「ど、どうも……」
先程会話のない邂逅を果たしたラルズをもう一度瞳に捉える。何度か瞳を開閉させると、身体を真上に伸ばし、同時に首を回して身体の調子を確かめている。すると、
「・・あら、見ない顏。夢かしら、夢、そうね夢ね。ここにあの子以外の人が」
「さっき一度したからその流れ! もういい加減に起きてー!!」
先ほどと同じ言葉を繰り返す先生。埒が明かないと、鼓膜を震わせるほどのミュゼットの叫び声が私室に響き渡った……
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「いや、ごめんなさいね。折角のお客様なのに見苦しい姿を見せちゃって。本当に申し訳ないわ」
「元はと言えばこちらの落ち度なので……」
眠っているところに問答無用で入り込んだのはラルズとミュゼットの方なので、誰が悪いかと言われればこちら側になるだろう。
「先生、この本はー?」
「その本は後で読み直す予定だからその辺に置いておいて」
「そんなこと言って、その内埋もれるのが目に見えてるんだから、仕舞っておくね」
ちなみにミュゼットは主人の許可なしに勝手に部屋に入ってしまった罰として部屋の片付けを任命されている。ラルズも手伝いますと口にしたのだが、「悪いのは勝手に室内に通したミュゼットだから、あの子に任せていいのよ」と辛口で忠言。
文句を垂れつつもしっかり指示に従っており、ミュゼットは言われるままに散らばっている本たちや家具たちを元の場所へと戻している。
何とか足場が綺麗になったこともあり、端っこに倒れていたテーブルと椅子を並べるスペースを確保。先生が紅茶を注いでくれたので、お礼を伝えて一杯口へ運んだ。
「あ、美味しいっ……!」
「あら、お口に合ったなら幸いだわ」
茶葉を取り出していたのが大量の本の下、床同然の場所に転がっていたので、衛生面的な意味合いもあって少し不安だったが、いざ口にしてみればそんな悪い考えはお茶と一緒に喉を通り抜けた。屋敷でアーカードが淹れてくれていたお茶にも負けない味だ。
頬杖をしながらラルズを観察している様子の先生、改め名前はステラ。彼女は司書館の管理者として、随分と昔からこの都市で本に囲まれて生活をしているようで、ミュゼットと知り合ったのは幼少期の頃、今から七年前に当たる。
その後はミュゼットの話通り何度も顔を合わせる仲となり、今では合鍵を渡すほどの間柄。ただ、渡した結果として、今回の件以外にも何度も部屋へと入り込み、勝手に敷地を使われるは荒らされているなど、彼女にとっては勝手知ったる我が家状態。終いには頼み込まれて合鍵を渡してしまったこともあり、ステラはもはや注意することも面倒くさくなり、以来は好きにやらしている次第。
鍵を閉め切っている室内に、目が覚めたらミュゼットがいることに対してなんら疑問も持っていないあたり、もはや慣れ親しんだ景色であると同時に、彼女のことを信頼している証なのだろう。
事前の話もあり、勝手にお邪魔してしまったことに対して申し訳ない気持ちを抱えていたラルズだが、主であるステラは思いのほか楽観としており、快く受け入れてくれている。こうしてお茶を差し出してくれていることもあって、存外友好的に接してくれているので大変有難い。
――と思ったのだが、
「・・はあぁぁぁ……」
分かり易いぐらいに露骨に、あからさまに特大の溜息をつかれた。目線を人から床へと移すと、その顔はこれ以上ないくらいに沈んでおり、不機嫌さが容易に伝わった。
「あ、あの……」
もしかして注意は受けていないが、やっぱり勝手に他人の部屋へと、しかも女性のいる部屋に異性のラルズが入ってしまことに対しての謝罪がないことを、彼女は内心大きく怒りを感じているのかもしれない。
考えが一瞬で及んだラルズは立ち上がり、直ぐに頭を下げようと椅子を引いたのだが、
「まさかミュゼットがボーイフレンドを連れて来るなんて……三十近くで独り身な私を、孤独を貫いている私へのあてつけ? 随分と下に見られたものだわ」
「――へ?」
頭を下げようとしたラルズは行動に示すよりも先、ステラが口にした内容に気を取られてそのまま呆気にとられる。呆然と彼女を眺めながら、先程口にした中身を頭の中で繰り返す。
・・ボーイフレンド? ボーイフレンドってつまり……恋人!?
「――っていきなり何言ってるの先生!?」
思考に費やしていると、片付けに興じていたミュゼットが言葉を聞きつけ、ラルズよりも先、ステラに対して声を荒げ、頬は凄く真っ赤になっている。かくいうラルズもボーイフレンドの意味を理解して、彼女ほどではないにしても微かに頬に赤身が宿っていた。
「あら、違ったの?」
「全然違う! ラルズはそんなんじゃなくて、只の友達!」
「ほんとに~? だってミュゼットが友達紹介するなんて今まで一度として無かったのよ。七年間私のもとに遊びに来るのはもはや恒例。しかも同性じゃなくて、まさか異性を連れて来るなんて。彼氏彼女の関係性かもって疑うのも仕方ないと思うんだけど~」
ミュゼットの言い分にラルズも首を縦に振って同意を示す。だが誤解しているステラはいじらしい笑顔を浮かべながら揶揄っている。一瞬垣間見えた不機嫌そうだった暗い顔は引っ込んでおり、楽しんでいるのは一目瞭然だ。
「あの、ミュゼットとは今日出会ったばかりなので、お互いについてまだほとんど知らないので、ステラさんが想像しているような交友関係では……」
「な~んだそうなの? てっきりお互いに結婚を前提に付き合っていたり、実はもうキスなんかも……」
「せーんーせいーー!!」
「冗談よ。そんなに真っ赤になっちゃって可愛いわね」
ステラの口が饒舌に回っていき、頬が真っ赤になっていたミュゼットは顔全体に熱が反映されて更に真っ赤に染まっていた。恥ずかしさと怒りが互いに混同してしまい、若干涙目になりながら先生に対して視線を鋭くしていた。
色恋交じりの関係ではなく、只の友達だと再三警告をし、憤慨を隠し切れない様子のまま再び片付け作業に身を置くミュゼット。そんな様子を後ろから微笑ましく眺めている様子のステラ。
その雰囲気はまるで、成長していく娘を眺めている親の様な印象。慈愛に満ち足りていて、手の掛かる娘に頭を悩ませながらも、そんな姿を愛おしく感じている。ラルズも亡くなった両親に代わり、親目線でシェーレとレルに似通った思いで接しているからか、どこか妙な感慨を抱いていた。
「――あら、お姉さんのこと見つめちゃって、もしかして惚れちゃった?」
「ち、違います……!」
「ミュゼットもそうだけど、彼女と同じで君も感情が大きく揺れ動いて、おまけに隠せない。ある意味純情、悪く言えば利用されやすい性格。そういう人、嫌いじゃないけどね」
隙あらばこちらの動揺を誘ってくるステラ。妙に言葉の端端に色気が含まれているというか、今まで出会ったタイプの女性ではないからか、身に纏っている独特な空気感に後押しされて、ラルズは少し委縮気味だ。
近い女性で言うとシェーレが真っ先に思い浮かばれるが、あどけなさや年相応の愛おしさが身体に付いて離れていない彼女と違って、ステラは妖艶的でどこか危なげな雰囲気。一挙一動でこちらの心を見透かされていくような、魔性の女性に他ならない。
「さっき君の口からも出たけど、今日出会ったばかりなの?」
「俺は元々離れ者で、そもそも都市に来たのが昨日初めてなんです。今日は都市を見て周っていたんですけど、そこで偶然ミュゼットと出会って案内してもらってたんです」
「成る程それで。仲が良いものだから、てっきりもっと昔からの知り合いかと思ったんだけど、どうやら違ったのね」
ミュゼットは他人との距離感が近い人物だからか、そう捉えられても不思議ではない。実際出会って一日と経過していない。
「やんちゃで我が強くて暴走気質、迷うより先に行動するようなあの子とは違って、君みたいな落ち着いていて礼儀を弁えている子がいてくれると、私も安心するわ」
「暴走ってそんな大袈裟な……こともありますね」
「否定してよ!」
ステラとラルズの会話を盗み聞きする中、自身に対する厳しい評価に肯定され、脚立に登って上の本棚に本を差し込んでいるミュゼットから大きな声で反論を浴びせられる。
最初はそんなことないと言おうとしたのだが、眠っていると予想を立てた上で、部屋の中へと問答無用で押し通っていく姿を前にして、ミュゼットに対しての擁護はできず、そのままステラの言葉に同意を示すほかなかった。
「昔から言ってるでしょ? もっと節度を弁えなさいって。汚部屋を晒す程度私にとっては全然問題ないけど、もし下着なんかが部屋に錯乱してたらどうするのよ。寝ている最中に青少年の性癖を歪ませてしまっても責任取れないのよこっちは」
「それは先生が部屋の掃除しないからじゃん!」
下着だの性癖だの、大人の単語が少々流れている中で、ミュゼットは再び顔に朱色が浮かぶ。ラルズは聞いていたら不味いと判断し、耳を塞いで聞いていないふり。そんな身振りも意味が無いと分かっていつつ、聞いていないと自分自身に言い訳をする。
ちなみにラルズも男の子であるし、年齢も成人を迎えているので、当然そういう単語に対しての興味も一定数持ち合わせているので、言葉の意味や行為の知識は頭に入っている。一般的な男児であるがゆえに、男性がいる状況の中でそういった会話はできれば控えて欲しいと思っている。
・・思い返されるのは幼少期の頃。レルがラルズに子供ってどうやって生まれてくるのと聞かれたのが、新しい知識の扉が開かれた切っ掛けだ。純粋無垢であった子供時代、アーカードに突拍子もなく単純に疑問として口にした際には、彼が静かに動揺していたのが記憶に深く残っている。
まだ教えるのは早いとのことではぐらかされ、それがかえって幼いころのラルズたちの好奇心を刺激してしまい、もう一人で大人であるミスウェルにも飛び火する始末。アーカード同様に聞かれた直後は戸惑っており、結局彼らの口から直接語られることは無く、代わりに差し出されたのは一冊の本。
後はその本を閲覧して……これ以上は思い出さないでおこう。
「――ってことで、先生はもっと自分で掃除する癖を身に付けて!」
「はいはい分かったわよ」
ミュゼットとステラの話し合いは折り合いがついたようで、ラルズも両耳から耳栓代わりの両手を離す。男性もいるんだからそういう会話は慎んで欲しいと口に出したいが、出したら再び議題がぶり返しそうなのでそのままに。
「ふー、終わった終わった」
気付けば片付けも完了して、私室は見違えるほどに綺麗に。きちんと本棚の中に整頓された本たち。埃やゴミなどはちらほら確認できるが、元の状態とは段違い。奔放で自由なミュゼットであるが、どうやら掃除が得意なようだ。
「昔から先生の周りの掃除を頼まれるから、この部屋の掃除に関しては私の右に出る人はいないかな」
自慢げに胸を張るミュゼット。成程、長年してきたからこそ身に付いた掃除術といったところか。
「――ってそう言えばラルズ、先生に聞いてみたら?」
「何を?」
「ほら、魔法のこと」
席に座り出して紅茶に手を伸ばしている途中で、ミュゼットがラルズに対して言葉を紡ぐ。最初は何のことかと考えたが、魔法という単語を受けて思い出した。
時間ができたらステラに聞いてみたいと確かに口にしていた、ラルズが魔法を使えない事情について、何か詳しい話が聞けるかもしれないといった内容だ。
「魔法について、何か私に聞きたいのかしら?」
「時間ができたら少しお聞きしようかと思って……大丈夫ですか?」
「勿論。最も、内容にもよるけれどね。一体どんな内容なのしら?」
「実は――」
許可を頂いてラルズは話を切り出す。他人とは勝手が違う、幼少期の頃、そして十五歳となった今でも続いている魔法事情について語り出す。魔力は内に秘めており、知覚することも出来ている。その反面、属性魔法はこれまで一度も使えた試しがないこと。
この世界の魔法の常識から外れているラルズの異質さを、上手く言葉に組み込めてステラに話し出した。
一度話したミュゼットは興味半々といった様子であり、紅茶と一緒に用意された茶菓子をほうばっている。そんな彼女とは違って、頬杖をしていた机から手を離して、ステラは真剣に話に耳を傾けてくれている。
目の前にいる女ステラの双眸が妖しく細められ、纏う空気が一瞬黒く染まった気がした。さながらその姿は、先に見ていた彼女の様子とは異なる。
再三ぶり返した印象がラルズの脳を揺らして認識を上書きする。
幻影が剥がれ、今目にしているステラの姿が、本物の魔女であると……