第二章10 魔獣殺し
歓談をしながら進んでいき、気付けば大広間。二人はそのまま司書館を目指して歩いていく。距離的にはあと十数分で目的の場所に着くらしい。
「先生、私が友達連れてくることなんて一度もないから、驚くんじゃないかな?」
「ん? 他の友達は?」
「いないわよ。ラルズ以外」
端的に、何の取り繕いもなく事実を口にする。ミュゼットの性格上、友達作りに頭を悩ませたりといった些細な問題は無いだろうし、都市に住んでいる子供は彼女だけではないだろう。
持ち前の明るさをもってすれば、ミュゼットのことだからラルズ以外に友達も沢山いるものだと……
伺うようなラルズの視線に勘づいて、ミュゼットはハッとする。その後、彼女はあわあわと取り乱しながら身振り手振りが激しくなりながらも事情を説明する。
「ち、違うからね! 昔から先生のところに頻繁に足を運んでいたから疎外されてたとか、魔法の練習に夢中で周りと一緒にいた時間が少ないとか、風について語りすぎて怪訝な目を向けられていたからとか、変な人扱いされてたわけじゃないから!」
「う、うん……」
口早に、捲し立てるように、目の前の少女は焦りを舌に乗せて弁明する。何も聞いていないし、特に詮索をしていた訳でもないのに、変に思考を働かせて結果、ミュゼットは自分の口からこれまでの経緯を大雑把に話し、見事に自爆していた。
一言で表せば、周りにいた人たちは、彼女の在り方と相性が悪い人たちが多かったということ。子供のころの感性と成長したときの感性が別物とはいえ、当時のミュゼットの周りにいた年の近い人々は、変な子扱い……いや、きっと近寄り難かったのだろう。
結果として、ミュゼットの明るい性格と魔法に対する真摯な熱情、先生と呼ばれる人を熱烈に語る彼女の姿勢が裏目に出て、徐々に周りから離れていったのだろう。
「た、確かに両親以外とは先生と一緒に過ごしていたのだが一番多いし、友達もラルズ以外にはいないけど、いないけど……」
段々と言葉に寂しい色が乗り移って言葉と口が閉じられていく。
ラルズとミュゼット。互いに十五歳、成人ということもあり精神や考え方、捉え方は子供のそれに比べて大きく成長をし、違う視点から物事を見れるようにはなっている。
だが当時、例えば出会ったのが幼少期のころ、七歳や八歳の頃とかに出会っていたら、こうやって本当の意味で友達になれていたのかは不確定だ。
変わらずそうだ、と今のラルズは口にできるが、当時のラルズからミュゼットをどう瞳に映し、何を彼女に感じて思うのか、それは不明。
こうして友達となっている現状を見るに、些細な問題だとは思うが。
事情はどうあれ、つまりミュゼットにとってラルズは、初めての本当の友達ということになるのだろうか。
それはラルズも同じことで、ミュゼットが一番最初の友達だ。奇妙な偶然が重なり、初めて同士の友達認定というのも可笑しな話だが、同時に嬉しいことでもある。
「俺は良かったよ、ミュゼットと友達になって。出会ったばかりでそんなに時間を一緒にしている訳じゃないけど楽しいもん」
「ラルズ……!」
言っていて少し羞恥心が芽生える。頬に僅かに赤みが宿っているのが肌で感じられる。ただ事実を言っただけなのに、瞳を輝かせて感動している様子のミュゼットと顔を合わせずらく、顔を背けて空気と場を誤魔化す。
「私も、ラルズと友達になれて――」
「返してっ!!」
顔の見えないミュゼットがラルズに対して嬉しい言葉を投げかけようとした瞬間、後ろから大きな声が響いて言葉は中断。
か細く、切羽詰まった様子を感じられる女性の声。それも声にしては幼く、子供のもの。ラルズとミュゼット以外にも、大広間に身を置く全ての人の耳に印象を残す、悲鳴に近い叫び。
声に反応して振り返ると、眼前に映り込んだのは女性ではなく男性。それも子供ではなくて大人の風貌をしており、細身の男が真正面から迫り込んできた。その情報だけを把握し、激突を避けようと試みるが叶わず。
「どけ、ガキども!!」
次の瞬間にはラルズとミュゼット、両者共々の間に無理矢理、強引に割り込みながら通り抜けた。
「――痛っ!?」
「――っ……!」
二人とも高圧的な男に押されて地面に尻もちをつく。ミュゼットは小さな悲鳴を、ラルズは寸前に地面に手を付けて衝撃を緩和。痛みに呻くよりも先に、視界を持ち上げて確認すると、大広間を駆け抜ける人物の後ろ姿を目にする。
「どけどけっ!」
二人を吹き飛ばしたときと同様に、乱暴な言葉遣いで都市にいる人々に道を開けろと忠告。そのまま男は動揺して様子を見守っている観客たちを無視して、大衆の視線を浴びながらも表通りを駆け出していく。誰も止められず、呆然とした空気が大広間を満たしていた。
「な、何よあいつ……! いきなりぶつかっといて謝りもしないなんて!」
ラルズと同じように転ばされたミュゼットが顔を上げて怒りを顔に宿す。目元は鋭く睨みつけられ、内に留められない怒りの感情を遠くなっていく男にぶつける。そんな言葉も、既に走り去る男の耳には届いていおらず、その姿はどんどんと小さくなっていく。
「泥棒――! ティナとリオンのお金、返してよ!!」
男に続いて、ラルズたちが耳にしたのは先程の振り返る直前に耳にした女性のもの。再度振り返ってみると、息を切らして走っている二人の幼い子供。
二人のうち、一方は茶髪を肩口に揃えた女の子。もう片方は同じ髪色を短く整えている男の子。年齢はおよそ七、八歳前後だろうか。お互いがお互いに愛嬌のある顔立ちをしており、笑えば周囲に元気さを分け与えてくれる、そんな印象。
無邪気ゆえの爛漫さが垣間見える姿だが、そんな愛くるしい様子は影を落としており、今にも瞳に溜まる涙が零れ落ちそうになっている。女児の方はまだしも、男児の方は既に涙が決壊しそうな様子をしており、可愛い顔が台無しになっている。
泥棒という単語、涙を流している少年と少女、通りを一目散に掛けて、逃げている様子の男性。
事情を詳しく伺わなくても、ラルズは容易に想像がついた。それはミュゼットも同じで、気付いたと同時、吹き飛ばされたことよりも、目の前の被害にあった子供たちに行った仕打ちに対して怒りが再燃する。
「あいつ、お金を奪ったんだわっ。こんな小さな子たちから!」
男の背中が小さくなっていく中、ギルドに属する衛兵の姿が周囲にいないこともあり悠然と遠くへ走っていく。このまま逃してしまえば、都市の中にしろ外へ出られたにしろ、広い敷地内で見失う可能性は、時間が進むたびに大きくなってしまう。
このままギルド兵が来るのを待っていたら、犯人はどこかへ姿を隠してしまう。
・・まだ後ろ姿は見えている、今ならまだ見失わない。
「――ミュゼット、子供たちお願いっ」
「え、ちょっとラルズ!?」
子供をミュゼットに任せ、ラルズは一目散に逃げている男の後を追いかける。彼女の声も無視して男を追いかけ、子供たちのお金を取り戻す。どんな道理があろうと、他人から、それも小さな幼子たちから金銭を奪う、そんな非人道的な行為を、許す気にはならない。
突発的に、衝動的にラルズの身体は子供たちの泣いている姿に突き動かされる。両足に力を込めて石造りの地面を思いきり蹴り出して男の後を追跡する。駆け出し、全力疾走で男を視界に捉え続け、風を全身で感じながら走り出す。
ラルズは七年間、ミスウェルのもとで剣術を教授してもらったが、その過程の中、扱っている剣に振り回されるような未熟な五体を脱却する為に、技や技術と一緒に身体も鍛えてきた。
走り込み、魔獣ごっこ、手合わせ、ありとあらゆる特訓の末に、肝心の剣の腕は予想よりもやや下ではあるものの、平均的に肉体、身体機能の方面は一般の人に比べれば鍛えられている部類に入る。
結果、全速力で逃げる男に対して、スタートこそ遅れたものの、徐々にその差は縮められていく。
「――なっ……! くそ、マジかよっ!?」
「お金を返してください!!」
走りながら後ろの様子を確認した男が、迫り来るラルズの姿を前にして驚きの声を挙げ、次に苛立ちを募らせて睨みつける。衛兵の姿がない今、この時点で彼を追いかけてくる、それどころか追い付こうとする人物は、予想外の一言に尽きるのだろう。
少しずつ、だけど明確に距離が狭まる。いずれこのまま走り続ければ、体力問題に直面するよりも先に、ラルズが男に追い付くのが先だというのは、両者とも当然の解釈だ。
「――なろっ!」
男は首を動かし露天商の屋台、幌立ての屋根を見上げる。男は走る勢いそのままに跳躍し、重力に逆らって身軽に登っていく。通行人が声を挙げて驚いている中、彼は颯爽と壁を蹴り上げ更に高く身を上げる。十分な高さに位置し、最後に家の屋根に手を伸ばすと、あっという間に屋根の上へと逃げおおせる。盗人とはいえ、思わず称賛を贈りたくなるような動きだ。
「どうだガキっ! ここまで来れるもんなら来てみろってんだっ!」
一連の動きで体力を消耗したからか、はたまた余裕の表れか。汗をかいて息を乱している中、遥か頭上からラルズを見下ろし、先程まで慌てていた心には一時の冷静さが舞い戻っている。
そんな男からの勝利を確信じみた視線も気にせず、ラルズは男が登っていったルートを確認する。露天商の人には申し訳ないが、彼を捕まえる為に協力をしてもらう。
先の男もかなりな動きである。環境を利用してこれまでも別の場所で盗みを働いていたような、鮮やかで軽やかな身のこなし。決して盗みは今回が初めてではない、そう思わせるほどに滑らかな動きだ。金銭を他人から一瞬で奪い取る手捌きと、気付かれても捕まらないように磨き上げられた、ある種努力の方向性が曲がっている技術。
――だがラルズもまた、男に引けを取らない。
「――ま、じかっ!?」
男と全く同じ駆け上がり方。その速さは盗人とはいえ目を張るものではあるが、ラルズはその更に上を言った。騒動を眺めるだけの周りの人々は感嘆の声を、そして肝心の男の口からは驚愕を引き出す。
跳躍した勢いのままに男の上へと身を乗り出す。眼下の通りに注いでいた彼の視界は誘導されるように上を向き直し、ラルズを視界に収める。
「――ちっ!!」
距離のアドバンテージを大きく失った男は、尚も逃げ続ける姿勢を曲げず、屋根の上を颯爽と駆けていく。着地したラルズも再び追いかける。
「悪いですけど、お金を返してもらうまで、逃がすわけにはいきません!」
「ガキの金ふんだくった程度でしつけぇな!」
しつこいラルズに対して男は清々しいほど見事な逆切れ。あわや盗みを働いた自分よりも、少量の金ごときに面倒くさく付きまとってくる胆力が鼻に触るのか、悪びれる様子は一切ない。
「――リーフっ!」
男が掌をこちらに向けた瞬間、ラルズの警戒の色が増す。咄嗟の判断で腰に構えていた剣を引き抜く。二本常備してある内、木刀ではなく、本物の剣。初めて使用する感覚に戸惑いながらも、手の中で獲物を握って防御の姿勢。
先のミュゼットほどではないにしろ、掌の先で魔力が色を帯びて形を成す。簡易的に組み込まれた魔力の渦が、男の唱えた魔法と腕の振りによって発射。風の刃はラルズ目掛けて迫り来る。
「――っ!」
ただ真っすぐに飛んでくる一直線の軌道。相手を傷つける意思を宿した風という名の凶器。暴力的な風が迫る中、タイミングを合わせて縦に剣を振るって一刀両断。斬られた風の刃はそのまま形を保てず空中で霧散する。衝撃などは発生せず、周囲に被害も伝播していない。
だがそれ以降も男は風の魔法を行使し、ラルズとの距離を稼いでいく。魔法が使えないラルズにとっては単純であり、そしてより効果を発揮するシンプルな手段。
他者を圧倒的に上回る力量ならば、魔法を使う相手に対しても距離を狭めることは難しくないだろう。卓越された剣技と、それを可能にする肉体。ミスウェルのような人物であれば、男から放たれる魔法の数々を撫で切り、一瞬のうちに距離を詰めることも可能だろう。
だが、ラルズの場合は違う。他者を圧倒する剣術も、状況を好転させる魔法も使えない。いくら目の前の男よりも身体能力が秀でていても、かいくぐって一撃与えられるような達人の真似は無理な話だ。
(魔法は捌けるけど、肝心の相手に対して何もできない……!)
長年の特訓の中で、ノエルやシェーレ、レルとも魔獣ごっこをしていた経験値が幸いしており、魔法に対して反応も対処も問題なく行える。
だが悲しいかな、所詮は底止まり。対処と言ってもそれは捌いているだけで、現状は何も変わらない。
「はっ! 身体能力は認めてやるが、魔法への対応が薄っぺれぇぞ!? おまけに魔法を打って反撃してこないあたり、魔法が下手くそなんだろうなっ!」
「――くそっ!」
状況が男の方に傾きつつある現状、有利に進む中で余裕が戻ってきた男の言い分は当たらずとも遠からず。ラルズは下手どころか、そもそも魔法が使えない。その事実を相手は使い慣れていないと判断するが、捉え方など些細な代物だ。
「おら! 吹っ飛びやがれ!!」
「――っぐ!」
先の乱発していた牽制の代物とは一線を画す、練り上げられた一撃。受け止めた剣が衝撃に押し込まれる。剣を握る手が魔力の余波でぶるぶると震え、踏み込みが微かに緩まる。弾こうと手に力を入れるが、瞬間に風が爆ぜた――
その場で圧縮された魔力が爆音と共に周囲へと飛び散り、身体を圧迫される感覚。胸に直接拳を叩き込まれたと錯覚するような攻撃。支えていた両足が屋根から離れ、屋根の上の舞台からラルズは剥がされた。
浮遊感、そして同時に身体は自らを支えてくれる存在が無くなり、重力に従って身体は下へと落下。完全に決着がついたと判断した男は悪辣な笑顔を表情に浮かべ、眼下で落ちていくラルズを見下ろす。
「くそ……っ」
ラルズは露天商の屋根へと落下し、柔らかい布がクッションとなり衝撃を緩和。そのまま転がるようにして通りへと降り立つ。屋根を壊してしまった店主への謝罪も後回しにして、悔しさと無力さを噛み締めながら屋根の上で笑っている男を睨み付ける。
「衛兵が駆け付ける前に、悪いがとんずらさせてもらうぜ!」
「そんなことさせない! 子供たちのお金、取り返すまでは絶対に!」
「はっ、威勢張るのは自由だが、口だけじゃ意味ねぇんだよ! じゃあなガキっ!」
衛兵が到着する頃には、男は路地裏を屋根伝いに遠くへと逃げてしまう。ここで見失ったら、子供たちのお金はそのまま懐に仕舞われてしまう。純粋な悪意を持って姿を消そうとする男を前にして、膝に力を入れて再び追い付こうと試みる。
――しかしラルズの足は動かなかった。
痛みや疲労とは違った別の要因。通りに落ちたラルズと通行人が見上げるからこそ、男には認識できない更に裏手。そこに二つの物体が浮かびながら大きくなっている。
「――炎っ!?」
立ち去ろうとした男が背後で形を形成した都合二つの火の玉に気付いた。膨張を続ける火の玉の大きさは成人男性の握り拳六個分ほど。男が行動を起こす前に、二つの炎が互いにぶつかり合う。
空の下で爆発、そして遅れて衝撃が男を襲う。弾けて周囲に熱波を送り込み、衝撃は先のラルズのように彼のバランスを崩して同じ舞台に引きずり降ろされる。
予想だにしなかった魔法での強襲。男は背中から思いきり大地と衝突。えずき、咳き込みながら何が起こったのか、首を振りながら状況を確認する。
そしてそれはラルズも同じこと。いきなり火の魔法が空中に現れ、男の逃走を防いだ。呆気にとられ、ラルズも状況が把握できていない中、
「――動くなよ。状況は大体察した。盗人を見かけた以上、見過ごすわけにもいかないな」
低い男性の声、それが最初。声の主はいつの間にかラルズの隣に並び立っていた。
フードを被り、姿は横からではあまり確認ができない。だがこうしてラルズ側に身を置いており、先の発言からして、味方だという認識で間違いない。
「ち、衛兵か……!」
男はフードの男を睨み付ける。衛兵、その言葉にどこか安心する。周りの通行人たちも、都市を守る組織の一人が駆けつけてくれたことに対して安堵の表情。
「衛兵……か。悪いが俺はそんな大それた組織に属していない。ただの一般人だ」
衛兵だと判断した勘違いも一転。男は自ら通りがかった只の通行人の一人だと存在を主張する。その名乗りを証明するために、フードの男はこの場にいる全員が注目の視線を浴びる中で、自らの顔を隠しているフードを上げる。
――目を張る色素の濃い橙色の髪の毛が、表通りにいる人の視線を釘付けにした。否、正確には一部の人間がだ。
そして数えるほどの通行人の反応と同じくして、正面から顔を伺う男が驚嘆の形相。周りの人も口々に言葉を紡ぎ出した。
わなわなと指を一本差し向ける犯人。周りの小さな喧騒を代表して、フードを外した男に対して声を荒げる。
「て、てめぇまさか……魔獣殺しっ!? 魔獣殺しのグレンベルクだな!」
「魔獣、殺し……?」
「・・下らないし興味もない通り名だが、名を名乗る必要は無いみたいだな」
フードの男、名をグレンベルク。
――通りの空気が、彼によって塗り替わる。