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導きの愚者  作者: ひじきの煮物
第二章 新たな世界と南の都市
23/69

第二章8 はじめての友達


「・・はぁ……」


 深いため息を吐きながら、ラルズは塗装された地面の上に座り込んでいる。現在この場所は表通りを外れた、人の気配が微かに遠くへと感じられる路地裏。行き止まりの奥地で一人腰を落としていた。


 前日、宿場とのコンタクトを取り終え、明日はいよいよ都市の中を散策しようと意気込んでいたラルズ。次の日となる今日、体調は万全で気勢も充分。意気揚々と宿場を後にして踏み出したのがつい数時間前の話。


 土地勘も分からず、取り敢えず手当たり次第に歩いて情報を集めようと試みていたラルズであったが、意外な要因によって出鼻を挫かれていた。


 それが通りに立ち並ぶ、露店を営んでいる店主たちだ。


 昨日門の直ぐ傍で営業をしており、店を並べていた人たちよりは数が少なく、人通りも少なくなり道にはかなりな空白ができあがっていた。そのおかげもあり周りから情報を得ようと歩きながら首は動かし続け、視線は右へと左へと動き出す。


 開けた視界と人酔いしない程よい人口密度。歩きながら見て周るには申し分ない環境が広がっていたのだが、大きな問題点が先程挙げた店員の方々。


 都市に店を構える人だけという話ではないが、店を開いている人たちが最も重視していると言っても過言ではない代物、それはお金だ。


 お金無くしては店を開くことも難しく、展開したあとも店を保つための維持費だったり、人目を引かせるための看板づくり、商品を仕入れる為には更に金銭を要求されるだろう。


 お店を立ち上げている以上オーナーたちが他の人よりも金に貪欲な姿勢なのは職業上むしろ当然。誰よりもお金を、どの店よりも利益を上げたいと望む者が大半を占めているのは必然。


 人が行き交う頻度が多い表通りでは、常に獲物の取り合い状態。一人でも多く興味と関心を奪い合い、長い間店の前で滞在させる。繁盛している店なんかでは、他の人たちも気になって覗いていこうとするケースなんかも多いだろう。

 それでいて商品が購入されてお金が手元に入ってくるのであれば恩の字。商売人たちからしたら至福の瞬間と言えるだろう。


 金の出入りが激しい職務。長々と何を語っているのかと不思議に思うかもしれない。それがラルズとどういった関係になるのかと。


 ラルズは離れ者だ。長い間屋敷の中で生活を続けて、外出先も基本的には村のみ。鍛錬をするにしても庭が一番多く、たまに森の中、自然に囲まれた環境で鍛えたりとした事例はあったとしても、所詮は小さな範囲内だ。


 そんな十数年間憧れを抱き続けていざ都市へ到着したラルズが、周りの全てのものに興味を抱いて目を輝かせてしまうのは仕方のないこと。


 都市に来たばかりで、視線が常人と比べて働いている青年。


 そんな人物は、店主の人たちからどういう風に見られているのかと言えば、答えは簡単。


 ――店に取り入れられる可能性の高い新規のお客。つまり絶好の餌として認知される。


 客足が一人でも多く入って欲しいと願う商人たちにとって、ラルズはきっと魅力的に映っていたのだろう。

 世間を知らない若い男性、都市に慣れておらず、村や集落で生活をしていたであろう立ち振る舞い。日々多くの人々と商談を繰り返す彼等にとって、ラルズの背景を想像することなど造作もない。


 交渉をし続けて、蓄積されていった目利きが発動して、懐に取り込もうと一早く声を掛ける。それはある意味しつこく、粘り強く、一度丁寧に断った程度では離れてくれない強情さと胆力を併せ持っていた。


 ラルズは感情の起伏が激しく無い部類だ。他人に対して本気で怒りを露わにしたことは、これまで十五年間で一度もないだろう。


 かつてラッセルに監禁され酷い目に遭っていたラルズだが、怒りが込み上げるだけ。それ以上の感情は曝け出せず、そこ止まりだ。

 恨みや殺意といった黒い衝動に支配されたことは無く、温厚な性格だとラルズは客観的に自分を評価している。


 なので、必要以上に過度に接触してくる店員たちに強く言い出せることもできず、結果としてその甘い断り方が更に行いを助長させてしまう要因にもなっている。


 はっきり言った話、絡んでくる店員たちが悪いわけではない。商売人として人を取り入れようとする行為自体は役職上致し方ないだろう。人の気を悪くするほど酷い絡み方は擁護できないが。どちらかと言えば悪いのはラルズの方にあるのかもしれない。


 強くはっきりとした口調で拒絶の意思を示すことができれば解決する問題だ。一言声を荒げれば、少なくとも周りの人たちも接触しずらい印象を受け取るのだが、如何せんラルズにはできない。


 十五年間生きてきたラルズだが、育ってきた心が、過ごしてきた日々が人格を作り上げて魂に付随している。仮に今直ぐそっくりそのまま反転してみるなんてこと、肉体は騙せても精神を欺くことはできない。


 人に対する気遣いや情の欠片が僅かでも魂に残っているのなら、ラッセルのような狂人は生まれない。環境や人との関りが個人を変革させることはあっても、それは元々の素質が膨らんだというだけ。


 ラルズはどこまでいっても甘く、お人好しな人間。それが、今こうして路地に身を小さくしている自分自身への見解だ。


「・・でも、それも少しずつ慣れていけばいいよね。こんなところでうじうじしてても意味ないし、俺が堂々としてれば大丈夫のはずだ」


 都市に慣れてくれば、内情を知っていく中で自然とラルズを取り巻く空気は都市が纏うものと同等な代物に溶け込んでいくだろう。

 時間は掛かるかもしれないが、それもしばしの辛抱だ。


「よし、行くぞ!」


 立ち上がり、軽くズボンについた砂埃を叩いて落とす。意を決し、路地裏から入ってきた通りの入り口まで近付いて、一度深呼吸。

 堂々としていれば大丈夫だと自分自身に暗示をかけて、いざ再び通りへと身を乗り出す。


 ラルズが現れたことを確認した店の人が近付いてくるが、そちらに視線を向けず、足早にその場を立ち去る。早歩きで道を進み、急いでますよ感を周囲の人間に悟らせる。


 捕まりにくいと判断したのか、声を掛けて来る様子は感じられない。小さな成功を前に左右の手に達成感という名の握り拳が作られる。


 ・・しかしそんな威勢のいい姿は直ぐに周りへの関心に支配され、飲み込まれる。気付けば速度は段々と落ち始め、無意識の中で視線が正面ではなく右を向く。


 ラルズは現在通りの端を歩いている。なので興味のある店を視界に映した際、右側部分を見詰めてしまう。

 前方への意識が僅かに薄くなり、目の端で認識している状態。


 ――だからこそ、突如として端に映り込んだ存在に対して、一歩反応が遅れる。


「「――え??」」


 疑問の声は、通りを歩いているラルズの者と、路地裏から走って飛び出してきた存在によるもの。声を発するも回避するには至らず、顔を戻したラルズの頭が相手と激突。


 女性の声だ。それだけを自覚してラルズは走ってきた勢いを捌き切ることができず倒れ込む。尻、背中、腕と順繰りに地面に接触。頭部だけは肉体の防衛本能が働いたこともあり、腕で咄嗟に受け身を取ることに成功。頭部に鈍い衝撃は加わらなかった。


「ご、ごめんね! 大丈夫!?」


 倒れているラルズを心配し案じている声が通りの喧騒を超えて耳に流れ込む。


 ラルズの方は速度が落ちていた為か、ぶつかった女性の方は倒れておらず、軽く後ろに飛ばされる程度で済んだらしい。目の前の彼女は右手を差し出して引っ張る姿勢を取っている。


「こ、こちらこそごめんなさい」


 激突した理由はどちらも前方不注意ということになるだろう。お互いに非があり、それぞれぶつかったことに対して謝罪を口にする。


 彼女の差し出される右手に応じて同じ手を伸ばして掴む。地面についている左手と両足に力を加えて立ち上がる。

 起き上がった正面、目の前にいる彼女と目線が近しい位置へと戻り、正面から容姿を目の当たりにする。


 身長はおよそラルズの少し下で、百六十五前後だろうか。腰まで届く混じりっ気のない綺麗な白い髪を、左右とも高い位置でまとめているツインテール。情熱的で活発な印象を見る人に与える鮮やかな朱色の瞳。整えられた顔立ちに、謝りながら舌を見せる仕草はどこか人目を引く可愛らしさを備えている。


 華美な装飾もされていない白を基調とした服装と青色のホットパンツ。動きやすそうな見た目をしている感想とは一転、黒い腰マントを膝下まで提げている。髪色も含めて白と黒の二色で構成されているような身なりは、纏う空気と相性がぴったりだ。


「本当にごめんね。怪我とかしてない?」


「大丈夫。そっちも怪我とかしてないみたいで安心したよ」


 再三相手に謝罪を繰り返す。二人ともぶつかっただけで目立った外傷も見当たらない。両者とも無事な様子だ。引っ張り上げてくれた手を離すと、彼女の口が開かれた。


「私ミュゼット! よろしくね! えっと……」


「俺はラルズ。よろしくね、ミュゼット」


 激突して知り合うという、中々に強烈な出会い。だがお互い無事であることを確認できたし、その場を立ち去って都市の散策を続けようとしたラルズだったのだが、彼女、ミュゼットが距離を一歩詰め寄る。


「・・ラルズ、ラルズ。うーん……」


「・・どうかした?」


 ラルズの名前を繰り返し呟きながら、ミュゼットは思案顔。何かを思い出そうとしているような様子を前にして、対象である本人は困惑するだけだ。


「いや、何でもない! それよりさ、ラルズってもしかしてエルギュラスに来たのは最近?」


「そうだよ。昨日到着したばかりなんだ。よく分かったね」


 先の考え込んでいたミュゼットは様子が一転。何を考えていたのか少し気になるけども、それをわざわざ聞こうとは思うまい。

 会話は飛んでラルズについての質問。今の発言を聞いた身としては、昨日の串焼きの店主と同じで、ミュゼットも長いこと都市に住んでいるのではないかと推測。


「私、生まれも育ちもこの都市だからさ、在中している人たちの顏と名前はほとんど把握してるんだ。それでラルズを見たのが初めてだったから、そうなのかなって」


 ラルズの予想通り、ミュゼットはこの都市で時間を共にしてきたみたいだ。そして同時に彼女が尋ねた内容が正解だったのは、年月の間で培われていた人の顔を把握していた、ある種の観察眼があったからのようだ。


「都市にやってきたのはここが初めてで、離れ者ってやつ。こないだ成人を迎えたこともあって、こうして足を運びに来たんだ」


「え、そうなの! 私も今十五歳だから、同い年だね!」


 意図せず女性の年齢を知ってしまった。ミュゼットはどうやらラルズと同じ十五歳。同じく成人を迎えたもの同士ということになる。


「ねぇねぇ、都市に来たばかりってことは、土地勘が無くて困ってたりしない?」


 ミュゼットの何気ない言葉は正に確信を突いている。土地勘がないどころか、辺境から都市へやってきた新参者。店の方からは頻繁に声を掛けられ落ち着かず、先程まで裏手で腰を下ろしていた現状だ。


「じ、実は都市に慣れてなくてさ、どこに何があるのかもさっぱりで……」


「やっぱり。じゃあさじゃあさ、私が案内してあげる!」


「え、でもミュゼットに迷惑をかけるんじゃ……」


「全然大丈夫! 無理にとは言わないけど、どうかな?」


 ラルズにとっては魅力的な提案に他ならない。それゆえに申し訳なさが内から込み上げるが、折角のミュゼットの好意を無下にするのは気が引ける。


「・・じゃあ、お願いしてもいいかな?」


 勧められた話を了承し、ミュゼットに同行をお願いする。許可をもらった彼女は提言を受けたラルズよりも嬉しそうにしており、表情は嬉しそうに破顔している。


「じゃあ行こっ!」


「――え、ちょ……!?」


 転んだラルズに向けて差し出してくれたとき同様、ミュゼットはラルズの腕を掴むと、気勢よくそのまま通りを駆け出した。


 引っ張られる力に慌ててバランスを保ちながら付いていく。足取りがもたついて転びそうになるが、何とか体制を維持してミュゼットに合わせる。


 通りを二人が駆けてゆく。その様子はまるで、友達のように……


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「――で、ここが小さい広場。いつもなら小さい子供たちが集まって騒いでるんだけど、今日は生憎誰もいないみたい」


 ミュゼットの言葉に甘え、都市について詳しい彼女から説明を受け続けていた。


 一人でいたときと比べ、隣にミュゼットがいるからか、二人に営利目的で声を掛ける様子は分かり易いほどに無くなり、ラルズ本人からしたら非常に助かっている。

 またそれだけに留まらず、こうして傍で都市について教えてくれるのは感謝でしかなく、同行して一時間ほどだが、一人きりのときと比べて順調そのもの。


 今いる公共の場所までノンストップで進んでこれたこともあり、ある程度都市についての情報が形を帯びてきた。

 役場や施設、通りに立ち並ぶ露店の種類に、人の往来が激しくなる時間帯と、長いこと都市に在中していることもあって、ミュゼットの頭の中に入っている情報は相当なものだ。


 興味が沸いた施設の名称も何個か。都市の平和を心掛け、困った市民の力になってくれるギルドや、多くの本で溢れかえっている司書館と呼ばれる施設らに強い関心を示している。


 ギルドはあまり耳にしないが、都市を守る衛兵としてエルギュラスの人々は信頼を寄せている。人助けに雑務、厄介ごとの仲介、そして魔獣の討伐と、幅広い分野において尽力してくれているとのこと。人からは何でも屋としてのイメージが根強く張られている。


 司書館は名の通り沢山の本を抱えている、本好きのラルズにとっては是が是非でも行ってみたい感情が芽生える施設だ。書庫で拝読した蔵書以外にも、見たこと無い代物が数多く持ち込まれているだろうと想像すると、閲覧意欲が勝手に湧き上がる。


「初めてだと広くて混乱するよね。同じような道ばかりだし。・・ごめんね、私ばっかり話してて。」


「そんなことないよ! ほとんどミュゼットに頼り切りで、俺自身ずっと聞いててるだけで、かえって申し訳なかったよ」


 聞き手と話し手がはっきり隔てられていた二人。ミュゼットが案内するままに従って付いて歩き、説明も全部彼女によるものだ。

 途中で相槌や雑談を交えていたとはいえ、会話の始まりは決まってミュゼットからが多い。事情が事情で仕方がないとは、女の子の方にエスコートされ、全て任せっきりというのは、男子たるラルズにとっては申し訳ない気持ちが膨れ上がる。


 ミュゼットはそんなこと微塵も思ってなさそうだが。


「――折角だから、少し休憩しない?」


 指で指し示された先にあるのは簡素なベンチ。先も言った通りこの時間帯、周りには誰もいない。腰掛けられるベンチも数個設けられているが、休憩している人の姿は一つもない。


 断る理由もないので二人で隣り合わせに座り込む。大通りから離れているせいか、静かな時間が二人を迎え入れる。ここらは完全にラルズとミュゼット、二人だけの空間へと成り代わっていた。


「・・ねぇ、変なこと聞いてもいい?」


「変なこと?」


「その、少し手を借りてもいい?」


「手?」


 前置き通り、確かに変な質問だ。ちらりと自分の手を見てみるが、目立って変なところもないし、普通の手だと思うのだが。

 確かに内容的に変なことは間違いないが、別に手を見られる程度、どうってこともない。彼女のお願い通り、そのまま右手を差し向ける。


 ――すると、ミュゼットは同じく右手でラルズの手をぎゅっと握り始めた。


「え、ちょっ――!」


 眺めるだけだと考えていた予想は、雑に伸ばされたミュゼットの手によって裏切られる。素早く掴み取られ、突然のことに動揺し、ラルズの喉が凍る。


 男性のものと違い、指先に繊細さが宿るしなやかな手。ぎゅっと力強く握り込んだり、拳を開かせて掌を優しく弄ぶ。なぞられ、ふにふにと押され、ラルズの手がミュゼットの手の中で遊ばれる。触れられる感触が妙にこそばゆくて表情が崩れる。


 意図せず長い間女性の手に触れ続けている弊害が如実に身体に現れる。恥ずかしさが込み上げ、周りの気温とは関係なしに顔が熱くなる。熱は頬にまで伝播し、心臓は拍動して落ち着かない。隠しきれない感情の副産物として、手の方にも手汗が昇りそうになる。


 動揺しているラルズとは違い、じろじろと手を観察、確認しているミュゼットの様子は真剣そのもの。彼女が何を感じて、何を思いながら手の感触を確かめているのかは理解できないが、軽口を紡いで手を離す気にはなれなかった。


「――うん、ありがと!」


 ミュゼットの行動が終了するのと、羞恥心という名の限界が迎えるのが先か、結果は前者。彼女はパッと手を離し、ラルズの熱くなっていた手を解放する。


「な、何か分かった? というより何で急にあんな……」


「えっとね、最初に出会ったときもあれだったんだけど、何て言えばいいのかな」


 疑問に対して疑問を孕んだ言葉で返答される。行動理由を尋ねるも、ミュゼット自身も良く分かっていない。というより、言葉にどう変換すればいいのか思いつかず、頭の中で混乱しているようなものだろうか。


「違和感っていうのが一番正しいのかな。激突したのも、こうして手を握ったのも、頭の奥に妙に残るっていうか」


「今までそういう経験は?」


「いや、初めての感覚。だから確かめたくてもう一回手に触れてみたんだけど、結局分かんなかった」


 頭の奥に微かに残る、違和感という名のしこり。結局のところ、その答えが何なのか、ミュゼット自身見当がつかないらしい。


「ま、そんなに大きな問題でもないし、勘違いかもしれないからいいけどね。それより手、あんなに弄っちゃってごめんね?」


「だ、大丈夫だよ……本当にっ」


 実際のところあんなに女性と触れ合っていたラルズにとっては、心臓がまだ少し脈打っている。


 シェーレやレル、ノエルと、女性と長い間一緒の屋敷で生活しており、シェーレを除いて二人は距離感が近いからして、触れ合う機会は当然多いのだが、それとこれとは話が別だ。女性と共にしていた時間は長いが、免疫がついているのかと言われると微妙なラインである。


 あくまで女性が魅せる一面に反応は示すが、健全な男の子としての普通の反応だけ。無論、三人が女性として魅力が少ない訳ではなく、三人とも美人だとラルズは評価している。


 どこか勝手に線引きしているラルズからして、ふとした拍子でドキッとする場面は何度かあるが、それが劣情なのかと問われれば答えはノーだ。


 対してミュゼットは知り合ったばかりの女性だ。薄い関係性でもあり、出会ったのもつい先ほど。彼女自身のことは知っていることの方が少ない。

 それでも顔立ちは整っていて、十人に聞けば十人全員が答えを同じくして美少女と答えるであろう。そんな女性からいきなり手を握られて、あまつさえ長時間触れ合っていれば、男としては自然と反応を示してしまうのは当然のことだと思う。


「いきなりで驚いただけ。次からは、一声掛けてもらえると助かるかな」


 それが精一杯。下手したら許可を出しても、未だに存在を主張する心音のようにドキドキしっぱなしな気もするが。


「ごめんごめん。次からは気を付けるからさ。今回の件は、何か別のことで穴埋めするからさ。今回に限らず、何か困ったことだったり、お願いしたいことあったら、遠慮なく言ってみて」


「そんなの気にしなくていいのに」


「いいじゃない、友達なんだからさ!」


「――。・・と、もだち……」


 友達、それは今とミュゼットの関係のことを言うのだろうか。傍目には分からないが、今こうしてお互いについて話して、一緒に行動していて、親しい間柄だと周りからは認知されているのだろう。


 都市に来て、友達が欲しいと考えていた。障りのない、互いに上下の識別もなく、どこまでいっても対等な存在。


 森で生きてきたラルズは、友達と呼べる存在は一人としてできた試しがない。家族であるシェーレとレルは勿論、屋敷で一緒に生活しているミスウェルらも、友達というよりも家族としてが強く根強いている。


 出会ったばかりで、数時間程度の仲。でもミュゼットは、ラルズのことを友達として見てくれている。


 曇りのない笑顔で、晴れやかな笑顔でラルズの目を見て友達だと言ってくれる。そこに嘘や打算といった見えない意図が含まれていないのは、吸い込まれそうな朱色の瞳を見れば明らかだ。


「――ってごめん! いきなり友達なんて、馴れ馴れしいよね……」


「そんなことないよ。友達って言ってくれるのは、俺も嬉しいんだ」


 ミュゼットの想像とは違う変な反応をするラルズ。目を丸くして硬直している姿を見て変に思ったのか、彼女は眉を寄せている。


「今までそういった交友関係結んだことなくてさ、初めてなんだ。誰かに言われたの」


 大袈裟でも何でもなく、友達だと呼んでくれたのは、ミュゼットが初めてだ。森で生活して、家族以外に交流が無くて、狭い空間で生きてきたラルズにとって、比喩表現でも何でもなく、人生で初めてだ。


 ミュゼットは不思議に思っているのだろう。人生で初めてという表現。冗談だと信じようにも、ラルズの語る言葉の重さと、瞳に宿る感慨がそれを事実だと物語っている。


「――良かったらさ、ラルズのこと……教えてもらってもいい? 私たち、出会ったばかりで何も知らないからさ」


「そ、れは……」


 押し黙り、返答は口から紡がれずに一度思い止まる。


 ・・話すべきかどうか、ラルズは思案する。


 自分の過去は軽はずみに語っていいほど、聞こえのいいものではない。むしろ最悪を煮詰めたかのように凝縮されている。


 ミスウェルに救われ、平和な毎日が続いていたことを除いても、幼少のころに両親を失い、極悪人に監禁され、その身に刻まれたのは趣味という名の傷の数々。致命傷に近い損傷を魔獣からもらい、齢七歳にしてこの世を立ち去る目に遭ってきた。


 事情も知らない、当事者でもないミュゼットが聞いたとして、嫌な顔をさせてしまう可能性は充分に考えられる。冷静に内容を分析しても、伝えない方が吉だろう。


 悩んだ結果、聞いていても面白くないものだと自分で結論付ける。この話はここで区切りをつけて、別の話に舵を取る方針に切り替えようとする。


 ――なのだが、真剣な眼差しでラルズを見詰めるミュゼットの視線を受けて、


「・・実は、俺――」


 口から零れたのは、取り繕う言葉と反対のもの、過去の話の始まり。


 友達と言ってくれたミュゼットに対して、隠し事をしたくない。そんな小さな想いが、紡ぐ言葉の先の選択を変更した。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「――そう、だったんだ……」


 話を聞き終えたミュゼットは暗い顔をしている。それも仕方のないことだ。こんな話、もし逆の立場だとしても、多分彼女と同じ反応をしているに違いない。

 気分が沈むのは誰が聞いても明らかだ。こんな話を聞いて、嬉々とした様子をする方がどうかしている。


「ごめんね。やっぱいこんな話、するべきじゃなかったよね。本当にごめ――」


「ごめんなさい!」


 ラルズが謝るより先、ミュゼットが大きな声で謝った。


 その声に遮られて、言葉は途中で中断。頭を深々と下げて謝罪の意を示す彼女の姿を目の当たりにして、ラルズは目を白黒とさせていた。


「え、なんで……」


 どうしてミュゼットが謝るのだろうか。無理矢理に話をするよう誘導されたのではなくて、ラルズが自分で悩んで決めて、過去を打ち明けたんだ。


 顔を上げてみれば、ミュゼットの表情は沈んだまま。しかしそれは、ラルズの話を耳にして沈んでいるのではなくて、


「本当にごめんね。そんな辛い過去だなんて知らずに、興味本位で捲し立てて、ラルズの気持ちなんて、全然考えてなかった」


 迂闊な発言をしてしまったミュゼットが、自分を責め立てている顔だ。土足で他人の過去をつついてしまった、自分自身に対する後悔。


 ミュゼットは悔いていた。自分の行いの軽率さに、己の配慮不足に、嫌気がさしている。


「後先考えないで、昔から両親に言われてるんだ。もっと節度を保ってとか、自分本位で物事を考えるなって、何度も怒られた。今だって、またこうしてラルズのこと傷つけちゃって……」


 ミュゼットは他人との距離が近くて友好的な人柄だ。積極的で、相手と自然に距離を詰めることができるのは、彼女の美点だろう。短い時間の間だけど、ラルズはそう認識している。


 それが悪い方向に働いてしまったのが、今回の例だろう。そしてそれは以前からも注意を受けるぐらいに何度もあるみたいで、今こうしてミュゼットは自責の念に駆られている。


「・・過去のことは明るい話じゃないし、思い出しても辛いものは辛い。時間が経っても、忘れることのできない痛みだ。話してる中でも、心にくるものは確かにある。でも……」


 立ち上がり、ミュゼットの正面に立つ。顔を上げて、こちらを見上げる彼女の姿は相変わらず気落ちしており、持ち前の明るい姿が影を帯びている。


「俺が話したいって決めたのは、ミュゼットとなら友達になれるんじゃないかなって思ったからなんだ」


「えっ……?」


「ミュゼットともっと話したい。一緒に遊んだり、時間を共にしたい。そう思ったから、全部伝えておきたかったんだ。俺の過去を含めて、全てを」


 友達相手に、隠し事はしたくない。中には、どれだけ仲良くなっても、明かすことのできない秘密や事情というのは人もいるだろう。

 決めたのはラルズだ。唆されたわけでも、脅されたわけじゃない。ミュゼットと、友達ともっと仲良くなりたいって本気で考えたから、過去を包み隠さずに話したんだ。


「さっきも言ったけど、本当に嬉しかったんだ。友達になろうって言ってくれてさ。友達の作り方なんて分からないし、自分からもだけど、誰かから言われたのなんて、ミュゼットが初めてなんだ」


「ラルズ……」


「だからその、先に言われたから格好がつかないけどさ、改めて、俺と友達になって欲しいんだ」


 既に言われた友達になろうという誘い言葉。改めて、ラルズはミュゼットにそれを告げる。短い時間でも、浅い時間の中でも、彼女の人となりは把握している。

 出会った当初、つい先程の時間。ミュゼットがラルズの手を引いてくれたように、今度はラルズが彼女に手を伸ばす。


 ――彼女となら友達に、心の底から通じ合えると。親友になれる、そんな確信が芽生えていた。


「・・何だかプロポーズみたい」


「い、いや、そういう訳じゃ……っ」


「冗談。嘘よ嘘。それに、もう友達なんだから、改めて言う必要もないでしょ?」


 目線の高さが近まり、ミュゼットの顔立ちは先程までと見違えるほどに変化する。初対面で目にした、微笑を浮かべるだけで吸い込まれてしまう、可愛い姿が映っていた。


「よろしく!」


「こちらこそ!」


 手を取り合い、固い握手を交わす。


 友達となったラルズとミュゼット。二人の出会いは、数ある出会いの中でも大きな意味をもたらす。


 そしてそれは二人のみならず、この都市で出会う別の人たちもまた同じ。

 

 出会いはまだ、始まったばかりだ……

 



 


 


 


 


 

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