第一章2 悲しみと約束
一年前のあの日、父さんが死んでしまったあの日から、それまでの平和だった時間が嘘のように変わってしまった。
森で過ごしている俺たちが普段口にしている食べ物は基本的に野草や果物といった代物だ。他に自分たちと同じように生きている動物を狩って日々の食事を賄っている。
動物を仕留めるのは父の役目。危ない仕事だからと手伝ったりはできず、俺やシェーレとレルは野草を摘んだり木の実を採ったりといった役割に落ち着いていた。
仕留めた動物は処置を施し、保存もして長い期間食卓に並ぶ。森で生きていく分には同じ自然の中で生きている動植物を口にしないと生きてはいけない。
そんな森で生きている俺たちの中で、例外として両親は時折森の外へと出ていく日がある。
自分たちの衣服や家具、食器に寝具。森の中では手に入らない代物を両親は外に出て買いに向かう日もあった。
母さんと父さんが外に出ていくのは、町や都市といった人が多く住んでいる集団のところで先ほど挙げた品を買い揃える揃える為に出張っている。
外へ出る際、理由は分からないけど俺とシェーレとレルは付いていくことを禁止させられていた。
森の中でずっと生活をしていき、両親ばかり自分たちの知らない場所で行動しているというのは、正直羨ましいと思うと同時にずるいと感じていた。
・・だから一度だけ、両親にお願いをした。
俺たちも外の世界へ行きたいと。純粋にこの小さい世界だけでなく、もっと広い世界を見てみたいと願った。
だけど両親はそんな俺たちを前に謝るだけで、実際に連れて行ってくれることは無かった。
理由は言われない。ただ謝られるだけで、それ以上は何もない。
俺も言いたくないのか、言えない事情でもあるのか、追及することもなかった。
連れていけない代わりか外から本を持ち寄ったりもしてくれて、外で遊ばない日なんかは持ち寄られた本で時間を潰すことも多かった。
ただ持ち寄られた本の中に、外の世界について書かれた筆者の冒険譚のような一冊を目にしてからも、外に出たいといった欲望は内に秘め続けてしまっていた。
その想いも、大きくなるだけで叶えられることは無いのだが――
外界と遮断された小さな森の中で、多少の不自由こそあるが、それでも毎日家族と一緒で幸せだった。
――その日も、普段通りの日だった。
父さんと一緒に夕飯の準備の為野草や木の実を探しているときだ。時間も夜へと差し掛かり辺りが暗くなってきたこともあり、そろそろ引き上げることにした。
帰りの帰路へと向かい、残り半分近くの距離まで差し掛かり、異変が生じた。
自分の身体に違和感を覚えて立ち止まる。変だと感じたのは胸の部分……心臓だ。急に心臓が締め付けられるような感覚に陥り、俺は少しその場で立ち止まる。
鷲掴みにされたような鈍くて重い痛みが時間が経つにつれ段々痛みが増し、膝から俺の身体が崩れ落ちる。
隣で歩いていた父さんが俺の様子を心配して駆け寄るが、俺は自分の身体に意識が奪われていた。
全身から冷や汗が止まらず、呼吸もままならない。息が乱れ浅い呼吸を繰り返し、固い地面へと倒れ込む。
自分の身体なのに言う事を聞かず、手や足を動かすこともできない。
突然の身体の異常さに、脳裏を霞めるのは死という予感。
目の前が真っ暗になっていき、そのまま俺の意識も深い所へと、暗い底へと落ちていって――
・・次に目が覚めたのは家のベッドの上だった。
起き上がり身体を確認すると、異変が起こる前の健康な身体そのもの。心臓もあれだけ悲鳴を上げていたのに、手を置けばいつもと同じ小さい心音を鳴らしていた。
目が覚めた後に部屋へと母さんが入ってきて、俺が目を覚ましたのを見て一目散に近づくと抱き締めてくれた。
事情を伺うと、父さんが意識の失った俺を家まで運んでくれたこと、あの日から三日間ずっと寝たきりだったことを知った。
原因も不明で解決策も不明。だからこうして目が覚めたことに嬉しかったと母さんは言ってくれた。
俺も死ななくて本当に嬉しかった。原因が分からないことを除けば、無事で済んだと言えるだろう。
――父さんが死んでいなければ……
母さんが俺にそう言ったとき、何を言っているのか分からなかった。
目が覚めていきなり父さんが亡くなったなんて聞かれて、俺は真面に考えることもできなかった。
部屋を飛び出して父さんを呼びながら家を走り回った。なのに父さんはいない。
いつもの父さんの姿がなく、呼んでも呼んでも返事が返ってこない。
それでもまだ嘘だと思いたかった。母さんが俺を驚かせるための質の悪い冗談なんだと……
そんな俺の考えは、泣いている母さんの顔を見て真実なんだと、突き付けられた。
父さんがどうして死んだのか、母さんに聞いた。だけど母さんは答えてくれなかった。口を開いてはくれず、父さんに関することは何も……
一年前、父さんは死んだ。死因も何も教えてもらえず、優しかった父の姿は、もう家には無かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
俺が目を覚ましてから数日後、父さんを亡くした俺たち家族は、まるで追い打ちをかけられるように、不幸が連続して起こる。
――母さんが病に伏せた。
ベッドの上で寝たきりになり、満足に食事も取れない状態となってしまい、身体を起こすことも難しいぐらい、目に見えて母さんの身体は弱っていった。
薬など森では手に入れる手段など少なく、母さんたちが外から手に入れた薬を少しずつ使用して回復を図っていた。
だけど母さんの身体は良くなるどころかむしろ悪化するばかり。
そんな母さんを前に、俺は森の外に出ると伝えた。森の外でお医者さんを見つけて、母さんを診てもらおうと。原因が分かられ容体も良くなるはずだと、俺は母さんにそう伝えた。
・・だけど母さんは駄目なんだというと、そこからさらに少しずつ新しい事実を口にする。
母さんの身体はずっと昔、俺たちを産む前から不治の病にかかっていたこと。治し方もなくて、時間が過ぎるだけでゆっくりと少しずつ身体を蝕んでいくと。
言いたかったけど言えなかったと、母さんは俺たちに謝った。
シェーレとレルは治らないと聞いて泣いていた。俺だっていきなりこんなこと言われて、訳が分からなかった。
どうしてこんな、父さんに続いて母さんまで俺たちのもとから離れてしまうなんて……
それをいくら嘆いても、現実は変わらない。
母さんが寝たきりになってから約半年後、真夜中に母さんと二人で話をしていた。
一つの約束を交わして、俺は母さんの隣で眠りについた。
――次に目が覚めたときは、母さんは既にこの世を旅立っていた。
シェーレもレルも、死んだ母さんのベッドの横で泣いていた。
だけど俺は泣かなかった。
泣いてしまったら……シェーレとレルと一緒に泣いてしまったら、前へ進めないと思ったから。
母さんとの約束を守れないと思ったから……
最後に約束した言葉。シェーレとレルを守ってあげてね。
母さんとの約束を守るために、俺は命を賭してでもシェーレとレルを守ると決めた。
たとえ自分が死んでしまっても、どれだけ酷い目に遭っても、絶対に二人を守ると……