第二章2 脈打つ想いと偽りの想い
「はいよ兄ちゃん! 落とさないように気を付けろよ!」
「ありがとうございます」
手渡された包みを落とさないようにしっかりと腕の中で抱き締める。茶色い包みの中身は今日の夕飯で必要な材料の数々だ。アーカードからお使いを頼まれたので、村へと足を運んで食料を購入。必要なものはメモに記されているので、適宜中身を確認して買い物を行っている最中だ。
本来買い物はアーカードの仕事の範囲ではあるが、今日は当主のミスウェルの方で仕事が溜まっているらしく、そちらの手助けに回っているとのこと。普段仕事を溜める人ではないので珍しい話だった。
なので代役としてラルズが食料を買い求めに来た次第だ。ただ一人だけでは量的に持ち運べないとのことなので、今日はもう一人買い物に同行してもらった。
「――ラルズ、こっちは終わったけど、そっちはー?」
「うん、俺の方も大丈夫!」
遠くから小走りで近寄ってくるのはもう一人の小さな同行者。抱きかかえているのはラルズと同じ商品の入った茶色い包み。中身は卵やチーズといった卵類と乳製品が主だ。
ちなみに一方が抱えている袋の中にはキャベツやじゃがいもといった野菜類の品々であり、中々に重たい。
「もう買うものはないわよね?」
「うん、これで全部だね」
お互い必要なものは購入し終えたので、あとは屋敷に向かってアーカードに渡すだけだ。目的も果たしたのでそのまま屋敷への道を戻っていく。
カイナ村と呼ばれるこの村には何度も訪れている。人口約二百人ぐらいの小さな村落だ。屋敷の次に用事で立ち寄る場所でもあるので、住人の人たちとは多少交友関係が広がっている。よく商品を買い求める店主の方には顔を覚えられてるのに加え、良くしてもらっている。渡したお金以上に商品をサービスしてくれたり、焼きあがった芋をいただいたりと嬉しい限りだ。
村の内情もある程度は熟知している。訪れた際には店主以外にも、村の住人の方々と雑談をする時間もあり、色々情報が勝手に向こうの方から流れてくる。
ラルズと同い年くらいの子供たちが仕事を求めて故郷を離れたり、旅先で訪れた行商人に夢を持ち、自分の店を構えたいと勉学に励んでいる者もいる。今村にいる子供の数は十人にも満たず、年配の人たちが多く暮らしている状態だ。
高配の方々が多いのと、腕に覚えのある人物がいないのも含めて、防犯意識が少し気になったところだが、ラルズが下手に予想するよりも、村人は対応策を敷いていた。
一つは近くに屋敷を構えているミスウェル。彼の直筆で書かれた看板には、『この村に危害を及ぼした人物には厳しい処罰を与える』と書き記されている看板が入り口二箇所に立てられている。考えて編み出された後ろ盾だ。
ミスウェルの名前は大陸全土に知れ渡っており、英雄として数え上げられている人物として、騎士を退いたとはいえ実力は相当なものだと認知されている。
仮に村を襲った輩がいたとしても、その後ろには彼がいるんだと立て札で存在をアピールし、騒ぎが起こるのを未然に防いでいるとのこと。恐れ知らずの危険人物でもない限り、報復が気がかりで村へ手を出すことはないだろう。
また村の周りは木造で造られた標高の高い柵が設けられている。森に誤って子供たちが入る危険を少なくしているのと、魔獣からの被害を防ぐ二重の意味がある。先端部分は刃で削って鋭くしており、何本もの木々を繋ぎ合わせているからか、見た目に反して頑丈さはかなりなもの。多少強い衝撃が加わっても平気だろう。
看板と柵、これである程度被害は抑えられ、極めつけが……
「――魔結石か。こんな便利なものもあるんだね……」
視線の先、丁度村を出たあたりでその存在が光っているのを目にする。
魔結石は人間には無害な代物で、主な役割は魔獣に対してだ。手軽に対処を張れ、有効な防衛手段として人々に親しまれて活用されている小さな輝石。魔力を込めると光を放つこの石は、本来魔獣を近付けさせない役割もそうだが、夜など見通しの悪くなった道なんかでは光源としても働きを示す。
一度魔力を込めると向こう三カ月は効力を発揮するとのことで、かなりコスパもいい。魔法が使えないラルズの身としても、魔力を加えるだけで使用できるというのは、かなり魅力的でかつ実用性の高いものだ。
「便利なのは正しいけど、万能って訳でもないけどね」
「例外もあるの?」
「跳ね除けられるのは基本的に弱い魔獣だけ。この辺りの魔獣だったら十分な効力だけど、中には効果が薄い魔獣や個体だっている。確実に安心できるわけでもないわ」
あくまで魔結石は予防策であり、保険と考えておくべきもの。万が一にでも結石を超えて魔獣が姿を見せた際には、戦うことを覚悟するしかない。
「それに魔獣に対して有効に働くだけで、人には一切無害。悪人に対しては玩具同然ね。まあミスウェルの名前があるんだから、万が一にも襲う人なんていないだろうけど」
「悪人か……」
その単語を受けてラルズが頭の中で連想されるのはラッセルだ。ノエルの言葉通り、悪いことを嬉々として喜び、人の命を簡単に弄ぶ輩は一定数存在している。頭に浮かんだ彼もそのうちの一人だろう。
「あ、ごめん……そういうつもりで言ったんじゃないのっ」
「うん、分かってる。大丈夫だよ」
ノエルにはラルズたちの過去は当然話している。ノエルの過去もシェーレとレルも知っている。互いのことは包み隠さず、互いに事情を知っている間柄だ。
関係が深まり仲良くなったからこそ、彼女が口にしていた内容がラルズにとってセンチなものであることに気付いて謝罪をしてくれたのだろう。普段奔放的な様子を見せ周りを騒がしくするものの、その実心遣いができる優しい子だ。
ただ魔結石の存在を知った際に、ラルズの思考は死んでしまった両親の一人、魔獣に殺されて亡くなった父に対して少し疑問が浮かぶ。輝石は幅広い分野で取り扱われ、都市や国、行商人などの間で取り扱われている、流通の多い品だ。長い期間の間で取り換える必要もなく、防犯の為にも買い揃え在庫として抱えている人々も数多くいる。
森の外へ必要なものを買い揃えに出かける両親に対し、魔結石を入手することが出来なかったのかと不思議に感じる。買い物ができるようになり、価値や相場についての知識は自然と頭に入っているので、決して入手するのは難しくない話だ。
衣服や食器、農具といった日常で使う代物と同じ、手が届きやすい物品であるならば、魔獣が住んでいる可能性があり、襲われるリスクがある中で使用していなかったのは何故なのだろうか。
家の周りで魔結石が敷かれているのは見たことがなく、森の中も同意だ。だからこそ謎なのだ。
魔結石の件もそうだが、不可解な点は他にもある。ラルズたちが魔獣をこの目で実際に初めて見たのは、監禁されてから半年が経過し、ラッセルが殺されたあの日が初めてだ。それまでは一度として姿を目にしたことは無かった。
一切遭遇したこともなかった魔獣が、気を失ったラルズを抱えて家へと戻る途中で鉢合わせ。治療が追い付かないほどの深い傷を負って命を落としたという母さんの発言は、当時こそ疑う時間も余念もなかったが、青年となり魔結石の存在を知った今になって、その死因がどこかもやもやする。
直前の意識がない以上、何より埋葬した母が説明していた以上間違いないのだろうけど、違和感が胸に取り巻いて離れない。
魔結石と魔獣の件。意識が離れた間に、何かラルズの知らない重要なことが……
「――ラルズ、聞いてる?」
「・・あ、ごめん何?」
考え事に更けていた脳裏に響く声。疑問や疑念が渦巻く頭の中身が霧散され、一緒に歩く少女の方へと意識を移らせる。一度考えだすと深く内容を吟味してしまうのは悪い癖だ。切り替えてノエルの話の内容に注力しよう。
「だから、ラルズも将来こうしたいとか、夢とかないのって話!」
・・先程まで固まっていた思考が再び停止する感覚。夢というワードを耳にして、現実に戻ってきた意識が再び無秩序な空間に取り残される。
夢……最後に考えていたのはいつだったか、もう覚えていない。外の世界への憧れ、知らない未知の世界の数々を、確かに恋焦がれていた時期もある。
幼少期のころに両親が外から持ち寄ってきた一冊の本。著者が記されていなかったが、自らの目で見てきた世界の姿を書き記した日記のようなもの。気付けば一日の間に何度も、就寝前の時間も手に取って文字の羅列を読み進めていた。それは青年となった今でも変わらない。
――でもそれは、あくまで過去の趣味に囚われた癖のような、一種の刺激物。今でこそ勿論手に取る機会も多いが、それは過去に繰り返してきた行為に包まれた行為の一環だ。
今はこうして村にも赴いたり、ミスウェルやアーカード、ノエルといった屋敷の面々とも親しくなり、賑やかな日々を送れている。
何よりシェーレとレルの元気な姿を一番傍で見ていられる。成長をこの目に焼き付けることができる。
――それだけで十分だ。それ以上に、望んでいるものなんてラルズにはないのだ。
「無い……かな。今の生活で俺は幸せだし、シェーレとレルが嬉しそうな顔を見れるならそれで……」
「・・それってシェーレとレルの為であって、一番大事なラルズの気持ちが入ってないと思うだけど? 自分が本当にやりたいこと、誤魔化しているように聞こえる」
「誤魔化すってそんな。俺は純粋に心からそう願ってるよ。やりたいこととかも具体的にある訳じゃないし、夢なんかも考えて無いよ」
何かを目指したり、将来こんな仕事に就きたいといった願望も、今のところラルズには芽生えていない。いずれはやりたいことを見つけて、その為の勉強を行って、無事に好んだ職に就くことができれば恩の字なんだろうが、まだその段階には至っていない。
考え出すとしても、シェーレとレルが自分のもとを離れて、一人立ちするような時期に陥ってからだろう。それまでのラルズは、両親に誓い、託された母の言葉を頼りに二人を護るだけだ。
ラルズの発言に目を細めて事実かどうかを疑うノエルの視線が突き刺さる。正直な気持ちを話しているだけだから、変に勘ぐられてもこちらが困ってしまう。
「・・今はいいわ。どうせちゃんとした答えは今度聞けるわけだし」
「え? それってどうゆう……」
「後になってのお楽しみよ」
その後も教えてと懇願するも、ノエルは口を開いてはくれない。何だか上手くはぐらかされた気分だ。
「今のところ俺はないけど、ノエルの方は夢とかあるの?」
投げられた質問を今度はノエルにぶつける。先程まで塞がれていた口元が僅かに紐解かれる。突っ張るような表情から一転、思案するような顔立ちに変化する。
「一応……ね。選択肢を結構広げてるから、方向性も微妙にずれててあれだけど」
「そうなんだ。どんな夢なの?」
「・・具体的には決まってないの。お医者さんだったり薬剤師だったり。やってみたいっていう面白い気持ちと、なりたいっていう真面目な気持ちがごっちゃごちゃになってる感じ」
道を複数用意しており、その一本を決められていない段階のようなものか。でもノエルが将来のことを真剣に考えているというのは、彼女の表情を見れば明らかだ。
「でも私はシェーレに比べて魔法の腕も大したことないだろうし、知識が豊富なわけじゃない。勉強も得意じゃないし、分不相応な夢かもしれないけどね……」
そんなことないよと、簡単に言えるものじゃないのは十分に分かっている。
水魔法を扱える人に限らず、基本的にその力を活かした職に就くのが主だと聞く。ノエルが選択肢の中に上げた、医者や薬剤師といった、病や怪我から救い出す職らの人々は、日常生活の中でも引く手は多いことだろう。治療する人物がいるからこそ、生命を繋ぎ留めてくれる人のありがたさは、身をもって実感している。
ラルズは魔法が使えない。実際ノエルの魔法がどの程度優れているのかは、人の話の判断に流され、自己判断がかなり難しい。
王国から騎士にならないかと腕を見込まれて打診されたシェーレや、瀕死のラルズを助けてくれたグラムさんは、水魔法を扱う系統の中でも、相当上位の部類に入るのだろう。
ノエルの魔法は二人に比べては劣っているのかもしれない。でもそれはあくまで力量の問題。優劣こそあるものの、一概にそれだけでラルズは彼女を判断しない。
屋敷で生活する間、鍛錬の意味合いもかねて彼女とよく魔獣ごっこを行う際、転んで傷を作ったり、陽の光に当たりすぎて気分が悪くなったりした場面は何度かある。
ラッセルに受けた大きな傷たちと比較すれば可愛いものばかり。少し出血した程度のものや、転んで鈍い傷ができただったりと、具合としては安いものばかりだ。
レルなんかもかなりな頻度で身体に傷を作る。どれも小さい傷が多い中で、基本的にシェーレに魔法をかけてもらって治療を行う。大きな傷じゃないからに、治療をする方も、傷を作った本人も時間経過で治っていく簡単なものとして認識する。実際その通りではあるし、一日も経てば綺麗に傷模様は無くなり元通りになる。
――でもノエルは違う。傷ができた際も、それが完治した後も、本人の具合を確かめるんだ。どんなに小さな傷でも、治りかけの完治に近いか細い綻びでも、彼女は過剰に心配して声を掛けてくれる。
悪く言えば大袈裟と呼ばれるかもしれない。本人が大丈夫だと豪語し、それでもなお不安げに瞳を細めるノエルの態度は、過保護と思われるのが自然かもしれない。
「・・覚えてる? 屋敷に来て暫く経ったとき、今日みたいに村に買い物をしに来たときのこと」
「――あぁ、あたしがラルズに悪戯仕掛けたのが見つかって、罰として夕食の買い出しに向かわされたときのことよね」
アーカードのお手伝いをしたいと申し出て、買い物を頼まれたその日。本来ならラルズ一人のところ、悪戯の罰としてノエルも同行したことがあった。今の状況と似ているだろう。
その頃には貨幣の価値は十分に把握できていたし、ノエルもいたとのことで夕飯の材料は問題なく購入し終わり、屋敷に戻ろうとしたときだった。
小さな喧騒が耳に入り、後にしようとする村の外れ。気になって現場の方へ向かうと、五歳位の年代の男の子二人が喧嘩している状況だった。互いに互いの悪口を言い合い、口論は見る見るうちに激しくなり、ついには手が出るようになってしまった。
互いの身体を押しのけ、それでも収まらず、周りにいた友達にも身体がぶつかりったりと被害は周りを巻き込みつつも広がっていく。そして喧嘩する一人が勢い余って相手の頭を柵に思いきり叩きつけてしまい、鈍い音が辺りに伝播した。
頭に血が上っていた少年は音を聞いて手が止まる。いくら子供の力とはいえ本能的に不味いと判断し、やりすぎたと感じたのだろう。ぶつけられた少年は大声で泣き始めた。固い部分に当たったのもあるが、激突した場所もあり下手をしたら打撲しているかもしれない。
直ぐに様子を確認しようとしたラルズだったが、その足は踏み出した一歩目で立ち止まってしまった。
泣き出した子供を心配して駆け寄ろうとするラルズよりも先、ノエルだけが誰よりも先に子供たちの傍へと走っていったのだ。手にしていた荷物のことも忘れ地面に落とし、一目散に子供たちのもとへと駆け寄るノエルの後ろ姿を目にした。
「ノエルが怪我した子の容体を確認して、直ぐに治療してあげてさ。その後は互いに謝らせて事態を収拾して無事に解決してさ、凄かったよ」
「別に大したことないわよ。それにあの後結局荷物の中にあった卵やらミルクの入った瓶なんかも割れちゃって大惨事。ラルズが事情を話してくれて、アーカードからもとやかく言われなかったから良かったけどね」
「でも無我夢中だったんでしょ。一人ひとり傷部分を見て回って治療を続ける様子は未だに覚えているよ」
その場にノエルが居合わせたことと、治療も迅速的に行われたこともあり、結果的に大きな傷には繋がらず、子供たちには直ぐに笑顔が戻っていた。その後は本人たちからも大丈夫と言葉を頂き、彼女は子供たちからお礼を伝えられ、共々その場を解散した。
「褒められることはしたかもだけど、所詮それだけ。大したことではないわ」
「次の日、子供たちの様子を見に行ったのも、大したことじゃないの?」
「・・それは別に関係ない。心配が付いて回って、様子を見に行っただけだからっ」
素直じゃないノエルの発言は、優しさを隠し切れていない。次の日、ノエルは朝早くから屋敷を飛び出すと、前日と同じく村へと向かっていた。子供たちを見つけると、容体を確認していたとのこと。問題ないと分かると早足に屋敷に戻ってきた。
ラルズを含めて屋敷の全員がその事実に気付いたのはノエルが戻ってきた後。怪我をした男の子のご両親が屋敷にやってきてお礼を伝えてきたのだ。本人は褒められて嬉しがるものかと思ったら、恥ずかしい感情の方が強かったらしく、見事に顔が赤くなっていった様子は今でも覚えている。
「誰にでもできることじゃないよ。顔見知りでも何でもなくて、怪我した人を見て颯爽と動ける人は、そう多くはいないと思う。治療だけでもありがたいのに、その後も気に掛けてくれるなんてさ。」
「それと魔法の腕は関係ないし、腕が良い方が大抵の人は安心するわよ……」
腕の良し悪しは確かにある。素人に毛が生えた程度の人と実績がある人とでは、後者の方が信頼できる要素は持っているだろう。経験や腕前は事実に裏打ちされる確固たるものだ。
「それも勿論大事だろうけど、治療してもらうなら、ノエルのような親身になってくれる人の方が俺は嬉しいよ。どんな小さな傷でも真摯になってくれるのは、凄く安心する」
「ちょ、っと……っ」
「心配せずにはいられないノエルの心の内も、誰かを癒すことができる魔法も、両方俺は好きだよ」
「――っ……!」
態度が悪い人、愛想が悪い人、腕が良くても評判が良くない人がいる中で、ノエルのように誰彼構わず、大小関係なく同じ心配を向けてくれるのは、数ある彼女の長所の一つであり美徳だ。
奔放で自由の彼女の姿もだがそれ以上に、内面に優しさが付いて回る彼女自身の心の在り方が綺麗だと感じており、そんなノエルのことがラルズは大好きだ。
「・・って、夢とか計画も立てていない俺から言われても、説得力ないよね」
「――そ、んなこと、ないわっ。嬉しいわよ……っ」
「そう? なら良かった。ノエルの夢、少なくても俺は全力で応援するよ」
ノエルがどんな道を進むのかは分からない。もしかしたら反対されるような無謀な夢だったり、望みが薄くて見込みがないようなものであっても、ラルズは心の底から後押しするだろう。見切りをつけて別の道を探すのも一つの手段だが、ノエル自身が諦めない限りは、何度でも言葉を届けよう。
「・・あ、屋敷見えてきた」
会話が続いた結果、いつの間にか森で囲まれた道が終わりを告げて屋敷の姿が大きく映る。辺りもいつの間にか夕方近く。話に夢中だったためか、屋敷を目にしてから手に抱えている荷物が一層重く感じた。普段鍛えているとはいえ、これ以上持ち続けると腕が悲鳴を上げそうになるから、急いでアーカードに持っていこう。
小走り気味で屋敷の玄関へと入ろうとしたラルズは、ふと先程まで隣を歩いていたノエルの姿が瞳から外れて振り返る。
見れば少し離れた場所、ノエルが顔を俯かせてその場で停止している。材料が入っている茶色の紙袋を力強く抱き寄せているのは遠めでも分かるが、表情は角度的に判断つかない。
「――ラルズ!」
様子を窺おうとして踏み出した一歩目がノエルの声に反応して立ち止まる。驚いていると、つかつかとこちらに早足で歩きだし、俯いた姿勢のまま再び口を開いた。距離が近くなった分、横顔から覗く彼女の頬にはどこか赤みが強く映り、夕暮れ時でも一層目立っている。
「・・も、もう一つ実は……夢とは少しずれててるし、職業とかとは違うんだけどさ、なりたいものがあるのっ」
「え、どんなの?」
「そ、れは……っ」
数秒押し黙り、ノエルが話す先を黙って見守っていると、突然ノエルが「あー!」と大きな叫び声を上げて顔を左右に振り始める。動作と相まって夕焼けの陽ざしに照らされる綺麗な髪の毛も激しく動いている。
「い、今はまだ言えない。時期が来たら教えてあげるっ。そうね、あたしが十五歳になったら教えてあげるわ!」
時期とノエルの年齢、何か関係があるのだろうか。十五歳は大人の仲間入りな訳だが、あまりラルズの中では点と点がくっ付かず、詳細を聞こうにも無理みたいだ。ノエルが今十二歳だから、知ることができるのは二年と少しか。忘れずに覚えておくことにしよう。
「じゃあ楽しみにしてるね」
そう答え、ラルズとノエルは屋敷の玄関口を踏みしめていき、僅かにノエルが先を進む形となる。
・・ラルズの頭の中には、ノエルから言われた夢という一文字がどうにも離れない。ちりちりと黒煙を上げる微弱な火のように、今にも霧散してしまうような小ささ。
前を走るノエルの後ろ姿をついていきながら、肉体とは別に意識は忘れ去られた話題について思考を働かせる。彼女に聞かれたときもだが、夢なんて呼べる代物は、今のラルズには持ち合わせていない。屋敷で生活する中で価値観が変化し、日々の中で形が失われて興味が薄れただけだ。屋敷にいる間も、都市に行ってみないかとミスウェルに誘われた日はあったが全て断っている。
あのころ夢見ていた熱がまだ自身の中にあるのなら、行きたいと返事をしているに違いない。燃え滾っていた情熱が、未知が広がる世界への探求心が、ラルズの中で抑えきれていなかった火種が沈下しただけなんだ。
夢なんて、自分が持つのはおこがましい。多くは望まず、ただこの身をシェーレとレルの為だけに捧げると、あの日に決意したんだ。二人が無事に元気に過ごしてくれるなら、他には何も願わない。
シェーレとレルの二人は、大人になってそれぞれ自分の進みたい道を踏みしめていくのだろう。
シェーレは魔法に優れているし、作法もしっかりしているし、貴族なんかになるのかもしれない。
レルは少々大雑把だけど、力や体力は大人の人に引けを取らないから、上手く自分に合った仕事を見つけるかもしれない。
今度、二人のなりたいものを聞いてみようかな。ノエルみたいに、具体的な計画が既に完成しているのかもしれないし、兄として気になる一面だ。
大丈夫……これは正直な気持ちだ。どこにも、虚勢を張っている訳でも、無理をしている訳でもない。
その筈なのに……どうして……
答えは直ぐ目の前にある。ラルズはそれを認めずに自分に嘘をつき続けていた。嘘という名の仮面を自分に被らせ、自分を偽って無理矢理押し殺している。シェーレとレルを護る為と、免罪符代わりの理由を掲げて彼は誤魔化している。
揺れ動く意思とは別に、ラルズはノエルの後をついていく。手に持った荷物は、手にしている重量以上に、やけに重く圧し掛かってきた……