第一章1 始まりと終わり 二つの始まり
「──さんっ……!」
「──きっ……!」
――声が聞こえる……何回も聞いたことのある声が……
自分を呼ぶ声が身体を揺さぶり、眠っていた意識が夢から現実へと移行する。呼ばれる声に呼応するように身体に意識が入り込む。
開かれる両の瞳の先、真っ先に視界に映り込んできたのは、明かりもなく薄暗い景色と自分を起こすために声を掛けた二人の姿。二人は俺が目を覚ましたのに気付き、ほっと胸を撫で下ろした。
「良かったっ! 何度も起こしたのに反応がなかったから心配で心配で……!」
「本当だよっ! 何ともないんだよね……大丈夫だよねっ!?」
「・・うん、大丈夫。少し疲れてるだけだから。心配かけてごめんね」
自身の身を案じる二人の少女に対して小さく謝る。起きたばかりで目覚め切っていない頭の中を整理するために、俺は首を動かして辺りを確認する。
埃がかぶって積み上げられている木箱や空っぽの棚。窓ガラスが一つもなければ、光をもたらす照明や光源も見当たらない。部屋の中は少量の血の匂いが空気と混ざり合っており、大した手入れのされていない部屋と相まって、一層暗い雰囲気が部屋の中で漂っている。
顔を左に向けて扉を見る。この部屋の唯一の入り口。
その扉を念入りに調べる必要もなく、俺はその扉がこちらから開けることができないことは、起きたばかりで真面に働いていない頭でも既に理解している。
外側から木板を挟み込まれ、入り口は完全に塞がれてしまっている。
今俺達がいるこの部屋は外から開けて貰わなければ決して開けることが出来ない完全な密室状態となっている。
部屋の様子を確認するにつれ、自分たちの置かれている状況、ここがどこなのか、そんな情報のピースが遅いながらもゆっくりと形を作り上げる。
――そうだ、俺達はこの部屋でずっと……
俺はラルズと名付けられこの世界に産まれた。
黒髪に黒い瞳。これといった特徴もなければ特技も思い当たるものもない。身長や体型も親が言うにはどちらも標準的。少し鋭い目つきをしている点と、中性的な顔立ちをしていることぐらいが、俺を説明できる数少ない要素だ。
初めて産まれた時には女の子と間違えられたと、両親に聞かされたのは今でも覚えているが、俺は立派な男だ。
森の中のさらに奥……人など生活しているかどうかも怪しいこの場所で、俺達は生活している。
木造造りの小さなお家。周りは木々が取り囲み、森としてその姿を形にしている自然が生み出した天然の世界。
七年間もこの森の中で過ごしていると第二の家族と呼んでも差し違いはないだろう。
この森の中をすべて知っているわけではないけれど、知らない場所の方が少ないぐらいだ。周囲に存在する自分たち以外の命の大半は、自然界を俺達と同じように生きている動植物達だけだ。
この森で過ごしている中で、俺たち以外の人を見たことがない。大人はおろか、自分と近い歳の子供すらも、家族以外に見たことは一度としてない。
また危険な生物も多く巣食っており、両親からは何度も勝手に外へ出ては駄目だと注意を受けたことも、今となっては懐かしい思い出だ。
外界と繋がりが断たれたような深い森の中、不自由こそあったけど俺達はひっそりと平和に暮らしていた。
――ついこないだまでは……
「兄さん、本当に大丈夫ですか?」
「身体の傷、痛んだりしてるんじゃ……!」
「だ、大丈夫だって! 少しボーっとしてただけだからっ」
考え込んでいた俺を心配し声を掛けてくれる優しい妹の二人、シェーレとレル。
俺の実の妹で双子の女の子……二人とも年齢は俺の一つ下の六歳。
シェーレは綺麗な空色の髪の持ち主。
肌は色白く、綺麗な髪は首の襟近くまでの長さであり、幼い顔立ちの中に備えられた黄色い瞳は彼女をより女性らしさを助長させている。
美しく着飾り、優しく微笑を浮かべる甘い姿は人形やお姫様と呼んでも相違なく、守って上げたくなるような優しくて甘い雰囲気を華奢なその身に宿している。
レルは灰色の髪を翻し、炎を体現したような赤い瞳。
褐色の肌に身を置き、明るく元気で活発な性格。言葉に表すとするならば、太陽という言葉が一番レルにはピッタリだと思う。
一際笑えば見ているこっちまで笑顔になってしまう、周囲を照り付ける眩しいばかりの女の子。
シェーレとは雰囲気がまるで違うものの、魅力的な女の子ではあるのは間違いない。
シェーレは俺を兄さんと、レルは俺を兄貴と呼んで慕ってくれている。二人とも本当に可愛らしい、俺の最愛の妹達だ。
「じゃあ兄さん、これ」
シェーレが俺に差し出したのはお皿だ。そのお皿には見れば多くの肉が詰まれている。あの男からの今日の食事の分だろう。
「食べて下さい」
「いや、俺は……」
「駄目だよ兄貴! 昨日もあたし達に譲ってなにも食べてないんだから!」
「お願いです、食べて下さいっ」
「二人とも……」
シェーレとレルの言う通り、昨日はなにも食わず、飲んですらもない。口では食事を拒否しつつも、目の前にある食べ物を目にすれば身体はそれを求めるようにお腹が音を立てて反応する。
目の前の皿に乗せられているのは動物の干し肉だ。味付けもなにもされていないそのままの状態。血抜きは多少されているだろうけど、野生動物特有の匂いが鼻へと入り込む。何度も嗅いでいるからか、気になる程度でそこまでの不快感は襲ってこない。
「三人で食べよう。二人だってお腹空いているでしょ?」
「そ、そんなこと……!」
否定しようとするが、俺と同じようにレルの腹の音が鳴り、その音を聞いてシェーレも同じようにお腹の音が続いた。
恥ずかしそうに顔を赤らめるが、最終的に俺の提案通り一緒に食べることに。
積まれた肉を三人で囲んで手を合わせる。
「「「いただきます」」」
食事の挨拶を口にし、それぞれ目の前の肉に手を伸ばす。食べる為の道具などこの場にはないので自分の手で肉をつまんでそのまま口の中へ。
味わう訳でもなく何度も噛み続ける。美味いか不味いかと問われれば答えは当然後者。それでも生きる為には食べなければいけない。
「・・不味いね」
「仕方ないよ。調理したり、味も付いている訳じゃないからね」
干し肉でもいいほうだ。木の実だけの日もあれば、酷い日では何も持ち込まれない日だってある。今の状況では与えられるもので腹を誤魔化すしか手段がないのだ。
「あいつが居なければ……!」
「いつまで続くんですかね。こんな最悪な日々は……」
「・・・・・・」
満足に食事も取れず、外に出る事もなく気付けば半年近くが経過している。
どうしてこんな風になってしまったのか、思い返しても蘇ってくるのは辛い記憶ばかり。
一年前に父さんが死んで、その半年後に母さんも亡くなってしまった。父さんが死んでしまったあの日から不幸が連続して降りかかり、幼いながらに悲しみの淵へと俺達は追いやられていた。
両親を失い、失意のどん底に突き落とされた俺達に、追い打ちをかけるようにあの男が現れ、理不尽な毎日をこうして過ごしている。
シェーレの言う通り、この日々がいつまで続くのか……
時間も経たずに皿に盛られた干し肉は全て食べ尽くし、僅かながらも空腹が和らぐ。
「「「ごちそうさまでした」」」
食後の挨拶を交わして干し肉と一緒に渡された、飲み水を飲もうと手を伸ばす。
――しかし、部屋の外から聞こえる音が耳に入り、手がぴたりと止まる。
廊下を歩いてこちらへと近付いてくる音。木造の造りであるがゆえに、音が反射して隣のこの部屋まで音が伝播する。
一歩……また一歩と音が鳴る。部屋へと歩みを進めるその音が大きくなるにつれ、俺の意思とは無関係に、身体が勝手に小さく震えだす。
――また、あの時間がやってくる……っ
扉の前に設置されている木板が外れる音がした直後、扉が開かれ廊下の光が部屋へと流れ込む。久しぶりの光を目に焼き付けるよりも先に、扉を開けた人物が部屋へと入り込んでくる。
「ガキ、時間だ。」
「・・・・はい……」
呼ばれ、ゆっくりと立ち上がる。瞬間二人が服の裾を掴み、瞳に涙を浮かべて俺の瞳を覗き込んできた。
「兄さん……」
「兄貴……」
「・・大丈夫。ちゃんと帰ってくるから……」
優しく二人の手を解き今度こそ立ち上がる。目の前の人物……ラッセルのもとへと向かう。
「行くぞ。」
「・・はい……」
扉が閉められ、シェーレとレルと別れる。短い廊下を進んでいき、家の中を進んでいき、いつもの部屋へと連れていかれる。
・・今日も生きられますように……
それだけが、無力な自分にできる心からの願いだ……