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武田勇戦記  作者: 宇井崎定一
第七章 美濃大激突
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武田勝頼の弱点

「若造が!」

「この前田又左衛門の名前を甲斐に持って帰れ!」


 山県昌景と前田利家、老練の将と新鋭に見えて実は十個しか違わない二人と、その兵たちがお互いの主将の右側でぶつかり合う。

 体格差は明らかだが昌景が年の差の分だけ巧みな技で慎重さを補い、利家の力を必死になっていなそうとする。もっとも利家も先に述べた通りそれほど若造でもないから人並外れた技術で昌景のそれに立ち向かい、命を奪いにかかる。



「又左もよくやっている!わしらも負けてはおれぬ!」


 柴田勝家も元気を取り戻し、信玄本隊に挑みかかる。信玄本隊はさすがに精鋭が多く、柴田軍をもってしても敗戦の記憶があるせいかなかなか破れない。援護射撃をしようにもこのままだと柴田軍の背中撃ちにしかならず、どうにもやりにくい。

 それでも信長は自ら一発天に向けて放ち存在を見せつける。


「やれやれ、柴田や前田が負けた後の事をもう考えておるのかね」

 軽口を叩く信玄は軍配を軽く振り、山県軍に援軍をあてがう。

「フッ……」

 すると今度は信長が笑った。

 山県軍三千が前田軍千五百に抑えられているのは確かに面白くないが、それでもわざわざ本隊を裂いてまで突破させて何がしたいのか。

「又左は、いや織田の将は逃げる事を恥とは思わせぬようにしつけている……三十六計逃げるに如かず……であろう?例えば筑前のようにな、あやつはそこも良い……」


 金ヶ崎の時の様に、悪いと思えば平気でさっと逃げられるのが信長だった。勝家や光秀など年かさの家臣に教えられないのが不満ではあったが、秀吉や利家など年下の家臣には逃げる事は恥ではない事を教え込んでいた。


「又左、力敵わずと思えば逃げよ。決して責めぬ」

「まだ戦えます!」

「そなたの尻は信長が拭いてやる……」


 愛想はないが愛嬌と信頼のある信長の口調。

 あるいは幼少時の関係を思い起こさせるような言葉に、利家の槍の鋭さは増していた。



 余談だが、信長と利家のような関係は全然珍しくない。

 信玄だって高坂昌信とそう言う事をしていたし、女性不犯だった上杉謙信も大量の稚児を抱えていた。家康とそういう関係だったらしい井伊万千代とか言う少年もまた、あと十年もあればひとかどの将になると信長は睨んでいた。信長がそういう所だけは受け継がなかったなと、秀吉について嘆いていたとか言う話もある。


「まったく、大した業師がいる者よな」

「それはお互い様よ」


 家臣自慢の間にも信長は信玄がそうしたように采配を振る。ただし信玄が振ったような軍配ではなく、先ほど打ったばかりの銃で。


「わしがどうすると思っている?」

「この信長の首を奪いたいと」

「お主は飯を食わぬのかね?」


 戯言を言い合いながらも、お互いの狙いはわかっている。


 右側、すなわち中央の戦場。


 今は武田勝頼と明智光秀、さらに柿崎景家と松田憲秀が暴れ回っているが、織田の滝川一益、武田の内藤昌豊や馬場信房が飛び込んで来る可能性は高い。さらに織田方の徳川信康が復活して突っ込んで来る事も十分考えられる。

 そんな明らかに主戦場と言うべき場所に、兵を送りたいのはどっちも同じはずだ。



「我が息子の奇妙は今尾張に居る。そなたが殺した三河殿の嫡孫と共にな」

「家臣自慢の次は息子自慢か」

「ここで向かい合って時間を潰している。それだけで信長は有利である。その事がわからんのか」

「わからんな」


 信長はもちろん、信玄の狙いはわかっている。その上で、揺さぶりにかかったつもりだった。

 しかしまったく動じる気配のない信玄に、信長は部下に装填させていた銃口を向けた。



 そしてその信長の後ろで、二発目の空砲が鳴り響き、織田軍本隊が一挙に動き出した。




※※※※※※※※※




「この調子ならいけるかもしれませんね」


 —————上杉軍と北条軍は、正直強くなかった。


 合わせて一万であったと言うのに、勝頼軍との挟撃に近かった明智軍六千を突破できず、むしろ押し返されそうになっていた。


 北条軍と言うか松田軍が押されているのはやる気がなかったからしょうがないとしても、柿崎軍が振るわないのは信玄はおろか景家にとってさえも誤算だった。


(「大将一人がいきり立っていても戦はできないのです……」)


 柿崎景家は意欲満々であったが、配下の兵はそうでもなかった。


 景家の配下には長年戦って来た武田に反発する兵士も多く、どう頑張っても武田を太らせるだけの戦には前向きでない兵も多かった。実際にやる気があったのは景家と直属の部下千数百であり、後は上杉への忠義心厚き故に武田との共闘に積極的でなかったり、北条に含む所あったゆえに北条との共闘に戸惑っていたりした兵士だった。もちろん彼らとて織田打倒を願わなかったわけではないが、越後は良いとしても信濃ならまだともかく上野や下野、下手すると武蔵生まれの兵士まで混ざっていた。

 これは元々上杉謙信自体が信州や関東を侵略した武田や北条に破れた上杉憲政やら村上義清やらを取り込みまくって来た存在だと言ういきさつを持つゆえの宿痾であり、それに見合った報酬を用意できないのが謙信だった。元々数万石の小大名だった存在を数千石と言う「上杉家の家臣」相応の石高で無理矢理抱え込んでいた謙信だったが、そのくせ武田や北条に勝てないのはともかくその替地とでも言うべき場所を提供できない。信玄を始め戦国大名が領土拡張に務めるのは家臣たちを満足させるためであり、それのできないと言うかしていない謙信はしょっちゅう内乱を起こされていた。



「しかし……」


 そうなると脅威なのは武田勝頼だった。


 素の力があるのはわかるとしても、先ほどからの戦いぶりはあまりにも異常だった。

 秀満に対して敬意を払わないのはともかく、まるで何かに駆られているかのように凄まじく動いている。

 徳川を叩きのめしみっともなく敗走に追い込むその有様は、野獣と言うより地獄の警吏。味方や同僚には冷静で親しみやすいが、敵および悪とみなした存在には徹底した刑罰を加える。


「だがわかっていれば対処のしようはあります!」


 相手が命を惜しまないのであれば、こっちもそうするまで。

 元々魔王と呼ばれた人間に付き従って来た以上、地獄の警吏との対戦は予習ですらあるかもしれない。

 そのためには何が必要か。


 答えは見えていたつもりだった。




 いや、実際に見えていた。



(来てくれたのですね!)



 織田木瓜の旗を掲げた軍勢が、こちらへ向かって来る。


 しかも数は、見た所およそ一万。



 もう少し、もう少し耐えれば勝てる。


「もう一歩です!守りを固めなさい!」


 勝利を確認した光秀は、石橋を叩いて渡りに向かった。

 徹底的に守りを固め、勝頼軍に織田軍が向かって来るのをじっと待った。


 時間的には、あと五分程度。


 その程度耐え抜けばよしだと見た光秀だったが、あくまでも油断する気はなかった。


 勝利のために、主君のために。


 それが明智光秀だった。



「ふざ………………ける…………な…」



 そしてその明智光秀に、さっきから勝手に逆鱗を逆なでされまくっているのが武田勝頼だった。

 自分にさえも聞こえないほどの音量でつぶやき、勝利を確信していたおごり高ぶる輩に対する怒りを噴き出しながら、分厚い壁もどきに向かって突進する。


「もうすぐ来ます!」


 明智光秀は、どこまでも冷静だった。


 だが。



「キエエエエエ!」




 今の武田勝頼は、そんな存在を許せなかった。

 槍衾を構えたはずの舞台に奇声と共に突っ込み、部下たちの命と引き換えにその倍以上の命を奪う。そのまま血にまみれた腰兵糧を血まみれの手でかっ食らい吐き出しもせずに飲み込む。

「アッハッハッハ……ワッハッハッハッハ……!」

 ちなみに、今日五回目の行動だ。


 その度にますます目は輝き、笑い声も響き渡る。

「うう、おお……!」

 その笑い声に時々うめき声が混ざり、次々と倒れ伏して行く。倒れ伏したまま最後まで抵抗しようとして、実ったり実らなかったりしながら死んで行く。


「覚悟なさい!」


 戦場らしい凄惨な絵面と音の中にありながら、光秀はつとめて冷静を装っていた。自らも得物を握りながら、迫って来た勝頼軍の兵を殺す。

 すでに四十七とは言え、決して後ろでふんぞり返っているだけではないと言う証明。

「我らも続け!」

 主の戦いぶりに部下も引きずられ、上杉にも北条にも激しく食らいつく。もちろん武田軍にも必死に冷静に挑みかかり、織田軍の到着を待つ。

 秀満を含む戦死者たちの供養を後回しにし、涙をこらえながら必死に戦う。その上で決して憎しみや怒りに走らず、じっと両軍を迎える。




「明智殿ぉ!」


 そしてついに、織田からの援軍が到着した。

 耳慣れない声だが、数は十二分。勝頼軍を飲み込むには問題ない。


「さあ行け!武田勝頼を討てば手柄は第一だぞ!」


 若い声で手柄をあおる将。信雄か信孝かと思ったが、その両名にしてはどこか荒けない。信孝ならわからなくもないが、それならもう少し威厳が乗っかっていると思っていた。

 どこか軽く、その上に声が近い。


 先手大将か。そして

「まさかも……」

「援軍か!やってやろうじゃねえか!」

「おうおう、勝頼の手先めが!」


 光秀が名前を思いついた途端、織田軍と勝頼軍が衝突した。


 織田軍が先手大将に引きずられるように好き勝手に暴れ出し、勝頼軍も同じように暴れ回る。

 斬り合いではなく、殴り合いが始まった。



 —————そして。


「ハア、ハア……!」

「どうしたどうした!戦う前からへばってるのか!」

「へばってねえよ、へばってねえっつってん、だろ……!」

「まあしゃあねえよな、ここまで必死こいて戦って来たんだからなあ!」


 流れが変わった。


 これまで徳川や明智と戦って来た軍勢が、崩れ出した。

 崩壊と言うより単に死亡しただけだが、それでもこれまでのような狂気ぶりを見せる事がなくなって来た。良くも悪くもまともな、単に疲弊した兵士たちがいるだけの軍隊になってしまった。

「この、野郎……!アハハ…」

 中には狂気をむき出しにしながら武器を振るう兵もいたが、徳川軍や明智軍に食わせたような打撃を与える事ができない。死なば諸共のはずが、自分たちだけ死んで行く。

 

(よし…!)




 明智光秀はこの時、自分たちの勝利を確信した。


「最後の最後まで気を抜いてはいけません!」


 勝頼軍の体力が、ついに切れた。

 そう判断した光秀は、油断を戒め最後の最後まで固く防備しようとした。


 これまでと同じように。


「おのれ……!」


 勝頼が、最後の力を振り絞ろうとしている。


 これさえしのげばいい。三列ほど後ろに下がり、じっと迎え撃つ。来ないなら来ないで上杉と北条に向ければ良し。


「ああ、ああ、あああああああ……!」


 勝頼の唸り声、いや喚き声が響き渡る。


 痛みとも違う何かに苦しめられている男の声。

 その声に付き従うかのように振るわれる刃が、次々と光秀の前の壁を崩す。

 壁が放った悲鳴よりも重たい悲鳴が響き、場を重く赤く染めて行く。

 悲鳴の主自身が赤く染まりながら、仲間たちと共に壁を突き破る。


 先ほど、織田本隊とぶつかっていた人間とは別人のように。


「お館様を討つのは無理と見たと言う事ですか!」


 信長はもう無理だ。

 ならば自分たちのすぐそばにいる大物、殺す価値のある人物を殺して死ぬか、あわよくば逃げ切ってやろうと言うのか。我ながら尊大ではあるがさほど間違っていないはずの言葉を口にしながら、光秀は勝頼を冷静に見つめる。

 戦場の狂気に取り憑かれた、ありふれた男として。


「ヌガアアアアアア!」


 勝頼の声と刃が、光秀に迫る。勇猛なる武士でも逃げ出しそうなほどの声を前にしても誰も怯まず、逃げる事さえもしないで敵を散るか散らせるかする。それが役目だと言わんばかりに、明智軍は冷静であり続ける。


「どやつもこやつも!

 この姿ばかり飾った馬子め!

 自分を抑え!

 襤褸を身にまとう事を美徳とするような!」


 まったく前後の見境のない言葉を喚きながら、死者を増やす男。すでに三桁を軽く超えた返り血を今日一日で浴びたにもかかわらずまったく足りないもっと血を寄越せと言わんばかりに駆けずり回り、すでに血と脂で鈍り切っていたはずの薙刀で首を飛ばす。



「あけちぃ、みつひでぇぇぇ!」



 そしてついに、勝頼は光秀の下までたどり着いた。

 たとえどんな厚い仮面をまとっていたとしてもその下の面相がたやすく連想できそうだった勝頼を前にして、光秀はなおもひるむ事はしなかった。


「武田の後継者、武田大膳大夫ですか!いざ!」


 これまで勝頼と呼び捨てにしたが、それでもいざとなれば相手に敬意を払う。

 勝頼の正式な官位を名乗り、武士としての礼節を示す。もちろん時間稼ぎと言う意味もあったが、三百年以上続く名家の主への礼儀だった。


「ふざけおってぇぇぇぇぇぇええ!」


 その光秀に対し、勝頼は叫びながら薙刀を突き出す。光秀が冷静に刃を受け流すと、勝頼は光秀に血を飛ばしながら二発目を放った。


「その澄ました顔が気に入らぬ!」

「あくまでも泰然自若!怒りで我を失っては!」







 もしここで明智光秀と言う人間から「秀満の仇!」とか「死ね!」とか言う言葉が出ていたら、運命は変わっていたかもしれない。

 だが光秀にとって秀満の事ですら今は二の次であり、とにかく織田家の戦勝と勝頼軍の殲滅だけが大事だった。せいぜい、「覚悟しなさい!」ぐらいだっただろう。




「黙れええええええええ!!」




 十六歳の森長可の物真似をするには年を取り過ぎていた光秀。


 その胸に向かって、勝頼の第三の刃が突き進んだ。


 これまでの四十七年の生涯で、一度も見た事がないような速度で。




「がはぁ!」

「痛いだろう、苦しいだろう、辛いだろう……うめけ、あがけ、わめけ……!」


 光秀はかろうじて刃を受け止め突き抜けるのを防げたゆえにまだ心の臓が動いている事を感じ、さらに力を振り絞った。


「こうなれば、あなたを倒し、お館様にご安堵して……!」

「その舌を動かすなぁ!」



 だが、光秀の槍が勝頼の胸を突く前に、勝頼の薙刀が光秀の腹を突き抜けていた。




「無念……織田の、天下、見ず、に……!」




 明智光秀は最後の最後まで織田への忠義を叫びながら、自らの血で作った海に沈んだ。







「理屈はあの世でこねよ……この死にぞこないが!」


 勝頼はそんな存在に対しひとかけらの権威も示さず、逆に憎悪をむき出しにした。


 明智光秀とか言う理屈ばかりこねるええかっこしいのご立派な侍気取りめが。


 それが勝頼の光秀に対する正直な感想だった。


 どんなに挑みかかっても人間らしく怒ろうともせず、笑うか、すまし顔のままとうとうと理屈を述べるだけ————————————————————。


 そんな存在に酷似した彼らを、自分はこの場で皆殺しにせねばならない。




「わしは……わしは伝統を持った正統なる武田家の後継者、武田勝頼なのだ!!」




 勝頼は血まみれの肉体を馬上に抱え込みながら、武田の名を叫んだ。


 伝統ある武門、武田家の名を。

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