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武田勇戦記  作者: 宇井崎定一
第七章 美濃大激突
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明智秀満の徒死

「時にただの人間だと言うのに魔王を名乗る男よ、その意味は何だ」

「御仏の徒を名乗りながら女犯に勤しむ男の言葉、聞こうではないか」


 お互いに先制攻撃を掛け合う。

 どうあがいても人間でしかない織田信長と、七男七女の父である武田信玄。

 どっちにとってもある種の痛点であり、恥部とでも言うべき場所だった。


「何、この場において御仏の徒は魔王の軍を撤退せしめている。それが全てじゃろう」

「信仰で軍が強くなるのであれば伊勢長島は何だ?説明ができるのか?」

「農民はしょせん田を耕す専門家に過ぎぬ。わしは武士として、魔王を名乗るただの武士、わしの同類項を倒しに来ただけよ」

「同類項と言う事は勝つ見込みは五分と五分と言う事……そこをあえて勝つと言うのか」

「そういう事よ」


 その恥部を突き合ってなおまったく変化のない二人。

 本来、総大将と言うのはこういう物なのだと言わんばかりの空気が漂い、血臭を抑え込むように戦の気が場を覆う。


「とりあえずそのような事を横に置かせてもらうとするが、それで余には貴様を討つ理由がある」

「何だと言うのだね」

「言うまでもあるまい、三河殿よ。三河殿は我が息女の義父、すなわち我が義兄弟。それを乱暴なやり方で死に追いやった罪、単純に重かろう。大久保の末弟も体が乾きそうなほどに泣いておったぞ」

「ずいぶんと武士らしいことを言う。なればわしは僧らしく、比叡山や伊勢長島で焼かれた者たちのために戦うとするか」


 そして全ての準備は整ったと言わんばかりに、両軍が共に動き出した。


「撃て……」



 先制攻撃と言うべき一発を放ったのは織田軍だった。


 火箭が飛び、数名の騎馬武者が地に倒れ伏し、その三倍ほどの武者が顔をしかめる。


「これは!」

「やれやれ、怒り狂って欲しいのかね」

「いかにも、その数でこれだけの死者が出れば打撃力は否応なく低下する……わからぬ訳でもあるまい」


 兵士たちが慌てふためく中、信玄はあくまでも冷静で余裕だった。

 信長も余裕の笑みを崩さぬまま、信玄に向けて中指を立てる。


「皆の者、あわてて突っ込めば次々にあの銃弾が飛ぼう。決して無理をする事はない」


 射程距離いっぱいだったゆえに、死者も負傷者もごくわずかで済んだ。

 そう、いっぱいだったから。



「この場において山の如くあらばこの地を墓場とする事となる……その覚悟もあるのか」

「そうかそうか。魔王を飲み込んだ上で京に上様を立て、そして甲州への帰途で客死するか……まあ悪くはないな」

 お互い一歩も引く気のない総大将たち。


 その間にも山県昌景軍と武田信勝軍が信玄の後ろに付き、大幅な後退を余儀なくされていた柴田勝家軍も態勢を整え直していた。丹羽長秀軍だって戻って来られるかもしれない。


「時に信玄、そなたはこの余を斬り殺して何を望む?また幕府を作り仁科・葛山・安田を管領とし、山県・馬場・内藤・高坂を重職に据えるか?」

「さあな、それをお前などに語る理由もない。あえて言えば、わしはもうそろそろ戦の世を止めたいだけなのじゃよ。そのためにそなたのやり方が正しいと見ればわしは遠慮なく匙を投げるがな」

「面白い……なれば今からやって見せるか?」

「望む所よ」



 真に戦場を楽しめる人間と言うのはかような物であると言わんばかりに舌を動かす二人。

 その泰然自若ぶりは兵たちに自信を与えて行く。

 信玄軍も信長軍も、士気が高まって行っていた。


 だがその上で、どっちも兵を動かそうとしない。

 この場を盛り上げるべき役者の存在を、知っていたから。


「お館様!どうか汚名返上の好機を!」

「よかろう勝家、援護射撃に乗じて突っ込め」


 —————柴田勝家。

 つい先ほどその名を汚されたばかりの男。


「さて、山県の代わりにわし自ら相手をしてやろう。かかって来るが良い」

「ゆけ……」


 かくして、全くお互いの予想通りの戦いが、ここにようやく始まった。




「これまでの恥辱を晴らしてくれる!」

「恥の上塗りをする気か!」


 援護射撃を受けた所に突っ込んだ柴田軍を、信玄が丁寧に迎え撃つ。これまでの山県軍のような徹底抗戦ではなく、あくまでも真っ当な斬り合い。

 敗戦の打撃を感じさせないかのような柴田軍の攻撃と、信玄軍本隊による地に足のついた防備。


 そしてその両名を支える信長と昌景、あともう二人。


「うぬは結局真面目過ぎる男だ……それ以上に勢いがあった以上千五百で止める事ができぬと判断したのは許す」

「はい…………」

「だがもう少し欲の皮を張っていても罰は当たらぬ……大欲は無欲に似たりと言うが、無欲は大欲に似たりとはならぬぞ」




 秋山信友と、武田武王丸。


 つい先ほど丹羽軍を追い払った幼き総大将の存在にひるみ山県軍の先鋒に逃げた前田利家を、信長は責めようとしなかった。実際利家は山県昌景の軍勢を信玄軍到来まで突破させず、信玄軍到来に伴う勝家らの後退を手助けしたことを褒めていた。

「されど、この場においてためらいはもう要らぬ。相手が幼児であろうと我が子であろうと敵であれば討つだけ。捕らえれば良しとか言うのはぜいたくだ。信玄坊主が次の手を打って来たらそなたが食い止めよ」


 その次の手が昌景か武王丸かはわからないにせよ、とにかく今度こそ何とかしなければならない。かつて信長と一緒に傾奇者として鳴らした男は今改めて整然と隊伍を組み、敵の襲来を待つ忠犬と化していた。親父殿として尊敬していた直属の上司の戦いをもじっと見つめ、その無事を祈りながら。


「来たぞ」

「わかりました、参ります!」


 そして信玄が山県軍を出動させたのに応えるように、利家も信長の下から飛び出した。

 信玄と信長の忠臣が、まったく正しく戦い出した。




 同じ事をやっている存在がいるとは知らないままに。




※※※※※※※※※




「うう……」


 武田勝頼は唸っていた。唸りながら、殺人を繰り返していた。

 一歩馬を進めるたびに二度武器を振り、三歩進めるたびに二人の死体を作る。


 それが戦場と言えばそれまでとは言え、それでも武田勝頼の異常性は悪目立ちしていた、はずだった。


「織田信長に屈従するか……」

「魔王の手先よ、地獄へ落ちろ……」

「今すぐ武器を捨てて逃げろ、されば修羅道で済む……」


 だが勝頼軍の兵士たちは勝頼に追従するように、口から声を出す。

 ほんの少し前まで無言だった集団が吐き出す言葉は重く鈍く響き渡り、折り目正しき明智軍の心を責める。




「そんな言葉だけで敵が斬れるか!」


 明智軍はあくまでも、冷静に反撃する。

 落ち着いて受け止める事が大事。決して突破される事なくいれば滝川軍や信長本隊がやって来る。

 その認識が第一であり、その点は山県昌景と変わらなかった。


 それに明智光秀と言う人間自体、そういう将だった。


(「どんなに勇猛であろうとも猪突猛進を繰り返せば疲弊し、戦意を失い崩れて行く物。失わないとしても戦力をなくし地に倒れ伏します。無理くりに力を吐き出しているのですから、長持ちするはずがありません」)

 

 光秀が戦って来た本願寺軍と言うのは信仰心に根差した宗教軍と言うべきそれであり、それこそいくらでもひるまず立ち向かってくる軍勢である。本願寺顕如は決してその信仰心と言う名の切り札におぼれない人間だったが、それでも部下がその方向で集まっている以上、どうしてもそうなってしまっていた。その点も加味して光秀を京の守護に据えた信長の判断はまさしく絶好のそれであり、秀吉に心酔していた義昭との折り合いも良好になっていた。

 もっとも今は、義昭は未だにこの場に秀吉を連れて来なかった事を信長に愚痴ったりもしていたが。


 その秀吉のためにも、光秀は勝頼を討ち織田を勝たせるつもりでいる。


「上杉と北条が迫っておりますが」

「両家とも武田が倒れれば次は自分たちですからね。そちらは私が当たりますので秀満に勝頼を抑えてもらいなさい」


 光秀は丁寧に、先発の上杉軍を受け止める。


「覚悟しろ!」

 上杉謙信と言うくそ真面目な男の薫陶を受けた軍勢もまた謙信及び光秀と性質が似ており、その結果同じ性質の軍勢が衝突する事となった。


「そちらこそ越後へ去れ!さすれば追わぬ!」


 同じ性質なら数の勝る上杉軍が優位に思えるが、地の利と自信を持ち合わせた明智軍がしっかりと守りに付く。

 言うまでもなく長引けば織田方有利であり、かりに北条や武田の残留部隊の攻撃があったとしても滝川や信長本隊がいる。

 すぐさまその強さを認めた景家は、一挙の進行を諦め北条を待つ構えに変えた。




 その一方で、相変わらずむやみやたらに張り切っている勝頼。


「……!」


 無言のまま刃を振り、時々何かを感じたように声を上げ、その声と共に死体を増やす。


「フッフッフッフ……アッハッハッハッハッハッハッハ……!」


 と思いきやいきなり笑い出す。

「いざゆけ!魔王の手先明智光秀を殺せ!」

 そしてそれをいさめる人間は、一人もいない。

 よく言えば忠実、悪く言えば妄信的と言うか阿諛追従の達人たち。兵たちは勝頼に付き従うように無言になったり笑ったりしながら、明智軍を斬りまくる。

「覚悟しろ武田勝頼!」

 あくまでも、基本を崩さない。きちんと兵を並べ、きちんと迎撃する。それだけの事を繰り返しながら、明智軍は勝頼軍に立ち向かう。



「ふぅ……ふぅ……!」



 だがそんな整然とした軍隊に向かって、勝頼軍と言う名の愚連隊は鼻息荒いまま命さえも惜しむことなく突っ込んで来る。

 当然の如く犠牲者も出たが、その犠牲者が死者になる前に伸ばした拳で明智軍の膝を殴り、唾液の一滴さえも顔に吹きかけて目つぶしに使おうとしていた。


「まったくこれが戦への執念か、敵ながらあっぱれ…………!」


 地を這いつくばり血と泥にまみれてなお勝ちを求める姿に、明智秀満は素直に感心していた。


 光秀の従兄弟であるこの男は実に明智軍らしい男で、本願寺との戦いで勝利した後本願寺の僧兵や農民のために自ら香を上げるような真っ正直ぶりに光秀や同僚の斎藤利三さえも歓心と嘆息をもらっているほどだ。



 だからこそ、壮絶な死を遂げた敵兵にさえも習い性を剝き出しにしたそんな事が言えた。



「お前は誰だ」

「明智日向守が重臣、明智秀満!いざ参る!」



 そして、武田勝頼にも。




 怒り、悔しさ、憎しみ、悲しみ、様々な感情を爆発させるだけさせ、さらにその上に行ってしまった男のすべての感情を、逆撫でしているとは知らないまま。


「ぐっ、強い!」


 そんな勝頼から無言で放たれた渾身の一撃に、そんな真っ当な反応をしてしまった。







そのツケは、まったくあっけなく返って来た。







「えっ…」







 勝頼が切り上げた一の太刀で秀満は槍を弾き飛ばされ、二の太刀で秀満の体は真っ二つになった。


 都合、三発での勝頼の勝利。




「……老害め…………」




 勝頼はわずかにそう言ったきり、名乗りを上げる事もしなかった。




 返り血を浴びたこの肉体こそ勲章だと言わんばかりに、無言のまま得物を振り続けた。

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