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武田勇戦記  作者: 宇井崎定一
第七章 美濃大激突
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浅井長政の隔靴搔痒

「くそ……!まったくうっとおしい!」


 後方の情勢も知らず、勝家は山県軍に取り付かれていた。

 盛政も長政も、傷こそ負わないにせよ雑兵に見える精鋭たちの前に時間を潰されて行く。

 まるで時間稼ぎこそ本懐であると言わんばかりにまとわりつき、叩き切ろうとすれば遠慮なく下がり、薙ぎ払おうとすれば連続防御で防がれる。結果一撃で討とうとするしかなくなり、ますます長引く。



「お前たち!こんな所で死ぬ理由もあるまい!」

「我々は武田家のために死ぬ!」

 盛政が必死に吠えるが、山県軍も吠えながら受け止める。最初から守りに徹しているせいか盛政の挑発にも動ずることなく、決して斬りかかろうとしない。たまに一撃飛んで来た所で、狙うのは腕ばかりで心臓や頭などは狙わない。

 戦闘不能にすればそれでよしとばかりに戦う事を徹底された兵士たち。

「いい加減逃げろ!」

「お前を殺したら逃げるわ!」

 全くその気のない言葉を叫びながら、山県軍は必死に抵抗する。倒れた所で次々と変わりが出て来て、こっちも数で押そうとしてもその鉄壁ぶりは変わる事がない。山県昌景が討ち死にでもすれば少しは流れも変わりそうだが、そんな話は一つも飛んで来ない。


(まったく、秋山で本陣を横から付く気か!こちらに攻撃を定めて来るとは信玄め油断も隙もない!桶狭間でも狙うのか!)


 すでに秋山勢が山県軍を盾にして進んでいる事は知っている。行先は兼山城か、それとも信長本隊か。いずれにせよ放置するのは面白くない。数は見た所三千程度だが、そんな数でも万一が起きないとは限らない事を、勝家は無論盛政も知っている。

 だが、阻止できる気がしない。秋山を食い止めるはずの前田利家軍千五百は対山県に回ってしまい、残る四千五百は特攻兵のような山県軍を食い破れない。もちろん伸び切った山県軍を横から突いて潰して行こうともしたが、それをやれば柴田軍の隊伍も崩れてしまう。ただでさえなかなか前面を破れないのにだ。


(それにしてもなぜだ、このままでは明智殿や滝川殿が動くぞ!そうなれば真っ先に死ぬのはどう考えても勝頼!信玄は勝頼すら殺すのか!?)

 武田軍の兵力は、およそ三万三千。

 勝頼軍はおよそ四千、山県軍も秋山軍も三千少々。

 北条と上杉から松田憲秀と柿崎景家が五千ずつ来ているが、それを差っ引けば残りは一万三千。徳川軍と柴田軍を除いても織田軍はまだ三万五千以上おり、そこで勝頼を救うべく兵を出そうものならそれこそもう後がない。まさか勝頼を救う役目を北条と上杉にやり、その上でずっと寄りかかって過ごさせる気なのか。このような状況を救われれば、どう考えても勝頼は両家にべったりになるのが目に見えている。

 そんな思考に至る程度には、盛政は優等生だった。




 そして、長政も別の意味で優等生だった。




「うおおおおおお!」


 一度誂えた武器が何百と敵を斬った上でなお使えるというのは物語の話であり、十数人も斬れば武器など血と人の脂で使い物にならなくなる。

 そのはずなのに、長政の得物は銀色と赤色の二色の光を放っていた。鎧も赤く染まり、顔も目も赤くなっている。


「ここで死ぬ気か!」

「当たり前だ!お館様の天下のためならば命など惜しくない!」


 勝家も盛政も自分も山県軍の分厚い防備を突破しきれない中、山県軍の狙いを見切った長政は、この膠着状態を脱すべく命を投げ出しにかかった。

 分厚い防備に向かって自ら飛び込み、数か所のかすり傷と引き換えに騎馬武者の命を奪い取る。そこの隙に一気に兵士たちが突っ込み、追従するように特攻をかける。悲しくもあるが命を惜しまない存在を突き破るにはこっちも命を惜しまない特攻が一番有効であり、山県軍が出血を始めた。

「浅井長政を止めろ!」

 初めてと言うべき反撃にあわてて山県軍が集まるが、それでも長政は突っ込んでは敵を倒し、防備を薄くしていく。ただでさえ少数の山県軍だから、ますます薄くなった。

 当然勝家や盛政の防備も薄くなり、状況が傾き出したのだ。



 長政自身、現世への執着は少ない。

 無論市や万福丸たちの事は気になるが、元とは言え謀叛人である自分がいない方が却って浅井と言うしがらみがなくなって良いとさえ最近は思っていた。

 織田信長に抗う全てを食い尽くし、信長に天下を取らせる。後は妹甥姪たちの今後を全うさせる約束をこの功績を盾になんとか取り付けさせ、そしてそのままこの世を去る。

 それが今の長政の夢だった。

 その夢の力が本物のそれとなり、山県軍を襲う。


 そしてそれが、山県軍にとってはかなり痛い打撃だったのだ。


 単純に特攻作戦が有効だったのも、長政個人の武勇があったのもさる事ながら、山県軍の徹底抗戦は作戦だった。

 相手の足を止めて気力を削ぎ、その間に本来の目的を達成させるというそれで、信玄は徳川家康を死に追いやった。また浜松城を焼いたのもほぼ同じ作戦であり、今回もまた同じ手を使ったという次第だった。ちなみに勝家も盛政も長政も、この武田軍のやり方を知らなかった。

 なればこそ予想外とも言うべき強引な猪突行為に裏をかかれてしまい、焦燥が軍の乱れを呼んだのである。

「お館様の敵をすべて討て!」

 信玄や昌景に誤算があるとすれば、長政が思った以上に信長を盲信していた事だっただろう。

 信玄は間者から、浅井久政と朝倉義景の頭蓋骨を杯に加工したというとんでもない話を聞いていた。自分だって相当な事をやって来たのを棚上げしながら恐れおののき、当然の如くそれを長政に知らせてやったが、長政はまるで動揺する事などなかった。

 良心の呵責に駆られて小谷城を飛び出したその時から、長政にとって義景も久政もどうでもいい過去になっていた。長政を親殺しと後ろ指を指した人間は次々と過去のそれになりつつあり、信玄が撒こうとした風評を真に受けるのは雑魚ばかりになっていた。もちろん雑魚の不信感を甘く見る事は出来ないが、それでも一番上がぐらつかないとどうにもならないのだ。



「食い破ったぞ!」



 そして、ついに突き破った。体に幾多の傷を負いながら甲陽菱の旗を地に倒し、山県軍に穴を開けた。

 さあここから一気に後方を突き勝家盛政を開放するか、それとも後ろから山県軍本隊を突くか。


「柴田様と佐久間殿を開放せよ!」


 ほんの一瞬の迷いを経て勝家と盛政の開放を選んだ長政の決断は、正解だとも言えたし、不正解だとも言えた。

 実はこの時、山県軍本隊と戦っていた前田利家は後方からも打撃を受けており、多くの手勢を失う状態に陥っていた。利家はやむなく北に軍をやって逃れようとしていたが、それでも丹羽軍や織田軍がやって来るまでの間にどれだけの時間がかかるかわからない、つまりこのままでは山県軍本隊も秋山軍も捕えきれないと言う事だ。

 だがもちろん硬直状態になっている勝家と盛政を解放せねば利家の救援もできない以上、それもまた大事だった。


 とにかく長政は自分の決断に従い、勝家を阻んでいた兵士たちに横撃をかけようとした。







 だが—————。




「前面から来ます!」

「えっ!?」




 その決断がある意味で正解だったことを示す存在が、東からやって来た。




 風林火山の、軍旗。




「ええい早く柴田様と佐久間殿を!」


 長政は横撃—————いや背後から山県軍を討ちにかかるが、山県軍の兵士たちは素早く向きを変えて勝家や盛政にしたように徹底抗戦にかかり、長政の特攻さえも槍を振り回していなそうとする。勝家と盛政も長政に負けじと突っ込もうとするが、ここで死ぬ気しかない山県軍の悪あがきによって長引かされる。

 槍を失えば脇差を抜き、脇差を失えば手で殴りにかかり、地に倒れ伏しても足を引っ張るか地に落ちている子石を投げるかして来る。

「ここで消えろー!」

 長政は必死に気合を込めて山県軍を殺すが、それでも数が減らない。まだ勝家や盛政に取り付いていた兵たちは生き残り、必死に主の到着を待っている。健気さもここまで来るとひたすらにうっとおしいだけであり、一刻も早く駆除したいと言うこっちのけなげな欲望は全くかなえられそうにない。

 長政が怒りと焦燥に任せて得物を振っても、その得物が数十人単位の山県軍を殺してなお力を失っていないという現実でさえもこの連中を振り払えない。

「柴田軍全軍、二人の将に取り付いている連中を駆除しろ!」

 前方からの援軍を求めるが、前田軍が北に追われた時点で残る兵はその前田軍の援護に回っていたり、元から勝家や盛政と同じように山県軍に食いつかれていたり、さらに信長に救援を求めるとか言って勝手に後退していたりで、残っている兵は千はおろか五百もいない。

 それでもその五百足らずの兵は一斉に山県軍を襲うが、それでも頑強な抵抗は止まない。死者こそほとんど出ないが精神的疲労は増幅され、勇猛果敢を売りにしていた柴田軍らしからぬ失態が自尊心を削り取る。もう時間がないという現実が柴田軍の刃を滑らせ、山県軍の抵抗を強める。







 ————————————————————そして。







「さてと、柴田勝家の首でももらおうかな」







 ついに、疾きこと風の如き軍勢が、美佐野に到着したのである。

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