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武田勇戦記  作者: 宇井崎定一
第七章 美濃大激突
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柴田勝家の狂奔

「犬千代は」

「その気になればいつでもとの事です」



 柴田勝家は義兄の子で後継者候補の佐久間盛政を側に置き、両目で戦場と盛政を交互に睨んでいる。

 血の気が多い事は自分でも先刻承知だったのが、この盛政が自分に輪をかけてその気質が強い事から必死に手綱をつかんでいた。ましてや五十二歳と二十歳では戦場の経験が違い過ぎる。


「我々はなぜ黙っているのです」

「お館様はほどなくして勝頼が尻尾をまくと見ている。そこを突くのが我々の役目だと」

 勝家は秀吉のような目から鼻に抜けるような才覚はないし、光秀のように理路整然とした考えができる訳でもない。あくまでも、信長のような存在に付いて行くのが本懐だと思っている。

「仮にすべてを突き抜けて兼山城に入ったとしてどうなる?岐阜城に入るにはまだ木曾川を渡らねばならぬし、すぐ南は尾張だ。尾張からなど、いくらでも兵はやって来る」


 武田軍はこの陣を突破することはできないし、できたとしても維持できない。

 仮に兼山城を奪われたとしても、それこそ袋叩きになるだけ。



「信玄は徳川勢を叩き、救援部隊を引き付けそれを崩すのが精一杯。むしろ真の目的はわしらである」



 勝家は最初からそう副将の利家以下全兵卒にそう言っていた。

 無論信長からの受け売りだが、それでも親父殿の言葉に柴田軍は引き締められ、じっと身構える態勢を作れていた。

「それでもし武田が先に動いて来たらその時は」

「そういう事だ」

 あくまでも後の先。先に手を出させなければいけない。

 もちろん徳川の危機とか言う問題がない訳ではないが、いざとなれば数に任せて信長自ら動くぐらいの事はすると言われていたから気にしていなかった。

 北側に来れば滝川、南側に来ればこの柴田、そして猪突してしまえば逃げ道を塞ぐように明智が抑える。

 完璧な防備体制のはずだ。


「しかしどうしても気になるのです」

「成政か」

「いえ、浅井です」


 そんな柴田軍六千だが、実際は柴田軍四千、前田利家軍千五百、浅井長政軍五百だった。越前の守備には佐々成政が残っている。


「あの武田が浅井に手を伸ばさないはずがないのですが」

「盛政、お主は知らぬのか。まあわしもお館様や左近(滝川一益)から聞いたのだが、長政は織田を裏切った事をひどく後悔していたらしい。

 最後の数日は全く眠れず、何でもお館様の胸に抱かれて眠ったとか」

「それは……」

「どんな男でも父は父だからな。だはそれよりもお館様と言うのは重たかったのだろう。ありがたいお話だと思わんか」

 勝家自身も裏切り者とまでは行かないがそれに近い立場であり、長政の気持ちはわからないでもなかった。お市が嫁いでからは年甲斐もなく横恋慕して憎悪も抱いたりしたが、上司権限で長政を呼びつけられるようになってからはむしろ何もなくなった。

「もはや浅井長政はただの織田の忠実な家臣だ。そんな物を利用しようとするなど、虎ではなく眼前の餌にがっつく盛りの付いた猫ではないか」

「ハハハハ……」

 勝家らしくもない冗談に盛政も釣られて笑い、肩の力が抜けて行く。勝家自身どこでそんな事が言えるようになったのか自分でも驚いていた。



 そして。



「敵が来ました!」


 ちょうど最高の機会で届いた報に、叔父甥揃って顔を引き締め、鋭く北を向いた。

 さあ本番だ。


「誰か知らんが勝頼を救いに来たか!そんな事などさせるか!」

「目標は我々です!」

「……ああそうか!よし、構わず迎え撃て!」


 その目標が自分たちだったのにはほんの僅かだけ拍子抜けもしたが、それでひるむような兵など柴田軍には一人もいなかった。

「しかしこの方面だと先鋒は五百の浅井です」

「わし自ら行く!盛政は犬千代を本陣に呼び共に控えておれ!」

 おそらくは、馬場か内藤か山県。いずれにしても強敵。それらと渡り合えるのは自分だけだと言う確信と共に、勝家は本陣を飛び出した。




「まだ、始まってはいなかったか……」


 全速力で駆け出した勝家は敵が山県昌景である事を確認して一旦駒を止め、ちょうど横に付いた長政の顔を見た。

 あれほどの心労があったのに爽やかさが抜けず、それに渋さが混ざってなおさら好青年になっている。


 そしてなぜか手にはなぎなたでも槍でもなく鉄砲を持ち、すでに発射準備を整えていた。


「柴田様!」

「殿で良い。しかしこうして轡を並べて戦う事になるとはな……」


「浅井長政だな」



 勝家が奇妙な気分になっていると、敵の先頭からやけに重く響く声が飛んで来た。



「いかにも」


 長政がその声に真っ正直かつほどよい甲高さを含んだ声で答えると、部隊が割れて中央から小柄な男が出て来た。



「浅井長政。あえて問う。貴殿は何のために戦う」



 その体躯に見合わぬほどの威厳を持った声が飛ぶ。まるで、全てを試し、訴えかけるかのように。


 間違いなく、山県昌景だった。


「我が望みは織田家の天下のみ」


 その武田家きっての名将に対し、長政は正々堂々と答えた。




 そして、引き鉄を引いた。




 銃弾は乾いた音と共に昌景の二尺ほど右へ向かって飛び、昌景の九尺ほど手前に落ちた。



「それが答えか。なればこっちもする事は同じ……!」


 昌景は右手の長刀を大きく振った。それと共に騎馬隊が動き出す。

 目標は、柴田勝家と浅井長政の首!


「よし行け!」


 勝家もまた、迎撃の合図を出す。


 第二の開戦の合図だった。







「この武田騎馬隊に蹂躙されたいのか!」

「うるせえ田舎侍!」

「悔しかったら乗り越えてみよ!」


 金属音や出血音と共に、罵詈雑言が鳴り響く。

 中央でも南側でも、やる事が変わらない以上音声は変わらない。それが戦の音声だった。

 金属音や発砲音、鬨の声ばかり響くような、きれいな戦場などどこにもない。勝家も昌景も、そんな事はわかり切っていた。


「見た所三千ではないか!そんな数でこの柴田が抜けるか!」

「やりもせずに決めつけるのが、この烏合の衆どもめ!」


 だから、勝家も昌景も言葉を汚くする。いざ勝負とか言うような美辞麗句だけでは始める事は出来ても進めることはできない。始まりと終わりには礼儀があったとしてもその最中には礼儀も何もないのが戦であり、数百年培われてきた伝統だ。もちろん礼儀がないなりに作法みたいな物もあったが、今更そんな物を気にするほど余裕があるのは勝家や昌景ぐらいのものであり、兵士たちにとっては手柄と存命が一番大事だった。


「この野郎!死ね!」

「お前が死ね!」


 二人の兵士が命を懸けてやり合う。二人とも得物を激しく振り回し、殺すか殺されるかの命のやり取りに励んでいる。少しでも気を抜けばそれが命取りである事をよく知っている二人は、激しく武器を振り回す。

「殺すには惜しい!織田家に降れ!」

「世迷言を抜かすな!」

 力を絞り出すために叫び、得物を振る。一瞬だけやったかと思う程度にはいい当たりもあったが、その「いい当たり」で飛んだ血はほんの数滴であり致命傷にはほど遠いかすり傷でしかない。お互い一分足らずの間に、そんないい当たりがもう二度ずつある。


 少しでも気を抜けばやられる。そう感じていた柴田軍の兵士は、この時の山県軍の兵士の顔を見ていなかった。


「あ……」


 渾身の力で振り押されたはずの得物は急激に力を失い、美濃の地にゆっくりと舞い降りた。

 不幸な事に前に集中しすぎ、右からの槍を関知していなかった柴田軍の兵士は、体を赤く染めながら落馬した。

(バカめ……一騎打ち気分もいいものだがな……)

 山県軍の兵士は脇から自分の手柄を横取りした兵士に嫌悪感を示す事もなく、無言で笑顔を向けた。彼からしてみれば一騎打ちなどする気もなく、最初からこの計画だったのだ。


 もっともこんな光景は戦場のあっちこっちで起きており、この場の結果がこうだからと言って山県軍が優勢な訳ではない。




 正直言えば、互角だった。




 三千対四千五百で互角だから武田軍面白いとも言えるが、勢いで互角まで持って行っているとすれば正直よろしくない。織田は凌ぐだけで良いのであり、互角のままならば織田の勝ちだと言える。また柴田軍にはまだ前田利家がおり、いざとなればそれを駆り出す事もできる。



 さらに言えば、浅井長政だ。

「はあああああ!」

 柴田勝家にも負けず劣らずの槍さばきで、次々と武田軍の兵に襲い掛かる。すでに銃は家臣に手渡し、ただの騎馬武者かのように激しく戦う。勝家のみならず佐久間盛政も負けじと暴れ、押し気味だった山県軍を追い返しにかかる。


「ええいあの三人を討て!」


 当然昌景は三名を狙わせるが、そうなれば当然打撃力は分散される。

 勝家、盛政、長政の三人が兵を引き受けている間に数の減った山県軍を柴田軍は数に任せてあしらいにかかる。

「この数に勝てるか!」

 先ほどの二人の兵士も柴田軍の兵により、三途の川へと送り込まれてしまった。

 二つ雁金の旗が山県軍を押しつぶし、飲み込みにかかる。

 互角だった戦いが山県軍劣勢になり、下がりそうになる。


「この!」


 その激流を押しとどめるように、将には将とばかり一人の男が動き出す。


「来たか!あいつを取れば大手柄だぞ!」

 山県昌景と言う小さな総大将の登場は、かえって柴田軍に勇気を与えた。もちろん大手柄とか言う発想もあったが、それ以上に昌景の頼りなさが目に付いた。

 見るからに大柄な勝家や長政、二人ほどではないが力強い盛政と比べあまりに小兵であり、迫力がなかった。確かに最初の声は野太かったが、今になってみると急に無理をしているように聞こえて来る。

 先ほどの三人を抑え込もうとする昌景の声が将の威を落とし、柴田軍の兵士を油断させていた。


 そして山県昌景は、それを逃すような男ではない。

「おりゃあ!」

 昌景の刃が振られると共に柴田軍の命が散って行く。

 付き従った兵士たちも総大将に付き従うかのように攻撃を続け、次々と攻撃をかけて行く。



「な……!」



 その一文字が、柴田軍のすべてだった。

 一瞬の油断が命取りだと言わんばかりに虚を付かれた柴田軍の兵たちが一気に後退し、あるいは三将に縋りつき出す。

 この結果真っ正面からぶつかり合っていたはずの軍勢が、北は柴田軍南が山県軍と言う変な形状になり、あるいはお互いを食い合う蛇のようにも見えなくはない形状になっていた。



 だがその蛇の内雁金の蛇は目的を見失かったかのように戸惑い出し、もう一頭の蛇はやる事を見極めたとばかりにまっすぐに伸びた。


 そしてその蛇の体に守られるように、美沙野のさらに南、浅間山の方から西進する軍があった。

 掲げる旗は、言うまでもなく武田菱。



「兼山城を狙う軍勢だと!」



 勝家はその軍勢の存在を確認し、あわてて利家に急使を飛ばす。本来なら山県軍を抑えるために使いたかったが、こうなってはしょうがない。たとえ数が少なくとも兼山城を攻められたり、あるいは信長本隊の横っ腹を突かれたりすると万一がない訳ではない。

 その万一を防ぐために飛ばした使者は、なぜか役に立たなかった。


「駄目です!前田軍は山県軍を全軍で食い止めにかかっております!」

「ああそうか……まあやむを得まい!わしが先頭に立ち、その間に敵の尻尾を食らい尽くす!」


 利家にしてみれば当然の判断だった以上、これ以上責める事もあるまい。

 それよりこうなれば自分を盾にゆっくりと陣を立て直させ、長政か盛政を敵の後方にぶつけて山県軍を食い尽くしてやろうとした。







 だがこの時の勝家には、利家を叱り飛ばす資格があった。




 利家が山県軍を抑えにかかったのは、決して山県軍の進撃を止めたかったからではない。



 —————逃げたかったからだけだった。



 そのさらなる大将の名前を、勝家は知らず、利家は知ってしまっていた。


 本来なら、知った上で討ちに行くべきだった。

 山県軍を止める事は非ではないが、それでもなお信長の家臣ならば、そうすべきだった。


 たとえ敵部隊の総大将が、誰であろうとも。







 そう、秋山信友、いや、織田御坊丸であろうとも。

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