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武田勇戦記  作者: 宇井崎定一
第七章 美濃大激突
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武田信玄の余裕と武田勝頼の憤怒

あけましておめでとうございます、いよいよ怒涛の第七章開幕です!

 五月二十七日。




 守りに二千の兵を残し、三万三千の軍勢が岩村城を出た。




 疾きこと風の如く、静かなること林の如く、侵略すること火の如く、不動なること山の如し————————————————————。




 風林火山の旗が風にたなびき、武田家の前途を祝福していた。



「織田信長はこの虎をどのようにしつけようとするかな」


 中央にて愛馬を乗りこなすこの軍勢の総大将・武田信玄は、これからの戦いを楽しみにしていた。

 馬込川では直接対峙する事もなかった信長との対決。気分的には勝利したつもりだったが、信長と言うのがそんな事で折れるようなタマでない事はわかっている。


「兼山城はどうなっている」

「丹羽五郎左とかいう男が五千の兵で立てこもっているようです」

「そうか。まあどうせ大きく動く事もあるまい。焼き米でも食べるか」



 狙いは兼山城。

 その進軍にも、ついでに軽口にも余念がなかった。


「木綿藤吉米五郎左、かかれ柴田に退き佐久間、か……この歌を流行らせたのは馬鹿か間抜けか大胆不敵な魔王かだな」


 今回は不在のようだが木綿のように見栄えはしないが何でもできる藤吉郎こと羽柴秀吉、攻めならばお任せの柴田勝家、逆に引き戦と言う攻めるよりずっと難しい戦いの名手佐久間信盛。

 そして、地味だが欠かせない存在であるとして米と呼ばれる丹羽長秀。


 名臣を称える歌など古今東西珍しくもないが、その歌を聞いてこんな感想を抱ける程度には信玄も大物だった。


「虎は弱い。虎だとわかっているから。虎には牙があり、爪がある。と言う事は、その爪牙によって攻撃してくるとわかってしまう」

「なるほど…………」


 わざわざこれが自分の長所だと言いふらすなど、自慢とか以前に隙を与えるのではないか。作戦が功を奏し多大な戦果を挙げられるのは、基本的に相手が自分の事を軽く見てくれている時である。相手の強みがわかっていてそれで負けた場合、「やっぱり強い」で終わってしまう。物理的にはともかく心理的にはあまり効かない。

「それにかかれ柴田とか言うが、逆に退却戦の柴田は弱いとも言えるし、また柴田にしてみれば侵略戦こそなんとかしなければと必要以上に燃えるしかなくなる。まあそんな弱腰ではないだろうが、それこそが面白いのだ」

「しかしあくまでも率いるのは信長です」

「信長はもっと簡単だ。あれは徹底した理論主義者だ。盤の上で駒を動かす事と駒を鍛え上げる事には凄まじい才能を持つ。だがその分理屈の外の事には弱い。その分の覚悟、その時の用意があるから一流でいられるのだろうがな」


 信玄の人物評は実に正確だった。ただ理論派と言うだけではなく、理論を遂行するためならば徹底的に自分以下全員を鍛え上げ、名人の様に将棋の駒を並べ、動かす。素人ならば攻めきれそう、受けきれそうだと思う所を凌ぎきったり攻めきったりし、その意外性で存在を膨らませる。


「なればわしだって意外性ある一手を打ってやるまでだ……」


 信玄は三万三千から予定通り三千を引きはがし、細久手を通過した。










「武田大夫殿」

「柿崎殿……謙信公は息災か」


 信玄が悠長に構えている中、勝頼は前を向いてしゃべる事ができなかった。

 常に横か下を向き、不満をぼやける相手を探し求めていた。

「あまりご機嫌よろしからぬ。やはり信長めの暴挙に日ごろ怒りを膨らませている状態で酒量も増えており」

「当然であろうな。かつて幾度も戦った身ではあるが今こうして手を取り合えている以上、その志は当然武田にもあるべきそれのはずだ」


 信玄も抱いてしかるべきはずの感情を全く表に出さなかったこと、いや元より存在してないかのように振る舞っている事を最初はもどかしく思い、後には焦りに思い、今では憎しみにまで至っていた。

(御祖父様はわしに、征夷大将軍様の素晴らしさを語ってくれた!だと言うのにいつまで経ってもまともに耳を貸す事もなく聞き流すばかり!まったく、自分の年も、ましてや御祖父様の年もまともに考えておらん!)

 信玄に幕府を守る気などない事など勝頼は元から知っていたが、上杉と同道しているとその事に対する羞恥心が膨らみ、心を圧して行く。信虎は勝頼に京を始めとする各地での暮らしや旅の思い出などを語り、勝頼の心をつかみ取って行く。齢二十八にしてようやく得たという特異な経緯に駆られるように祖父との時間を惜しみ、ひたすらに話を求めた。


「わしはこの戦で、必ずや織田信長の首級をあげる!そして上様をお救いし、天下に安寧を取り戻すのだ!」

「いかにも、この戦いはそのための第一歩となりましょう」

「そうです!この国に再びの平穏を!」


 気炎を上げまくる勝頼を柿崎景家は湾曲的に諫めるが勝頼の言葉は止まる事を知らず、かえって激しく燃え上がっている。

 その燃え上がりぶりこそ、勝頼の孤独を物語っていた。

「大夫様、松田様がお越しです」

「そうか。柿崎殿、わしは楽しかったぞ。貴殿のようなよその家の存在に思いっきり思いをぶちまけられて。いつもこの長坂と、ここにはおらぬが跡部とばかり話していたからな。松田殿にもよろしく頼むとお伝えくだされ!」



 あまりにも裏表のない笑顔。心底からこの状況を楽しんでいると言わんばかりの真っ正直で、可愛らしい笑顔。



 武田信玄以下、誰も与えられなかった笑顔。



「ああ武田大夫様」

「おお松田殿!松田殿も此度の織田家の暴挙に怒りと憤りあればこそこうして立ち上がったのでございますな!」

「我が主は武田様の志に共感しておりますゆえ」

「これはこれは!北条家も素晴らしき家です!本願寺や雑賀衆、加賀一向宗や毛利等々、日ノ本の国中が我々の期待、いや正義に応え集まって参りましょう!さすれば信長以下簒奪者一味が地獄の住人となるは時間の問題!今からでも笑いが止まりませぬな!」


 北条家にしてみれば、まったくいい迷惑だった。


 北条氏政に、幕府再興とか言う志はない。大体元関東管領の上杉憲政を追い払って関東に勢力を広げた家である以上、どの口で幕府に従うのだの面の皮の厚い事が言えるのだろう。

 大体の問題として、北条と上杉の仲は良好ではない。一時期氏康の弟を謙信が養子としてもらい受け上杉景虎の名を与えられたことがあったとは言え現在では北条が上杉を捨てて武田と組んだ事もあり上野辺りでまた戦が始まっても驚けない状態のはずだ。そんな事を勝頼が気づかないはずもない。


「先ほど柿崎殿がおっしゃった通り、この戦いはあくまでも第一歩。その事をゆめゆめお忘れ召さらぬように」

「織田は速い事だけが取り柄、真正面から当たれば勝つのは簡単。この身がこの場で散るなど、天地がひっくり返らぬ限りござらぬゆえご安心を!」

「共に織田を討ちましょう」



 この戦いですべてが決まる訳じゃないんだぞと言う諫言を聞き流した勝頼は、ひたすらに前へと進む。不安を口にする者は全て敵だと言わんばかりに笑顔を振りまき、織田信長の首を弾き飛ばすべく手綱でなく得物を握りそうになっていた。


「長閑斎、敵は」

「織田信長に柴田・滝川・明智・池田、それに徳川信康」

「徳川信康か。あんな猪突猛進の男などどうと言う事もあるまい」


 徳川軍全体が信玄への復讐心に燃えている事は勝頼もよく知っている。少し風林火山の旗でも揺らしてやれば、あっという間に突っ込んで来るのではないかぐらいには思っていた。もちろんその際には自分が叩きのめし、遠江・三河の二州を完全に武田領にしてやる下地を整えてやる気だった。



「しかし丹羽軍が兼山城に五千おります」

「生意気な。どうせ城から出て来られないのだからいないのと同じだろう!」


 そんな勝頼でさえも、丹羽長秀と言う存在だけは不愉快だった。

 兼山城がどうとか、米五郎左がどうとか言う話ではない。



「どうせあんな男などに度胸はない、そうに決まっているからな!」

「秋山殿には諫言なさったのでしょう」

「一応な!だが直言できないようにされていたがな!まったく、当主だからと言ってやっていい事とまずい事がある物だろうに……!」



 三万三千の内、三千は予備軍及び兼山城への抑えとして割かれている。



 その三千を率いる大将こそ、岩村城の守将、秋山信友。



 勝頼は岩村城にて信友を必死に探し、決して出撃などしないように求めるつもりだった。

 だがその度に信玄や武藤喜兵衛、山県や馬場と言った古老たちに阻まれてしまった。


「織田信忠はこの場にいないと言うのに……!」


 信長の息子の信忠は尾張と言うか三河にて、信長及び信康の留守と遠江国境の警護に当たっている。

 実は信忠の弟の北畠信雄と神戸信孝は信長と共にいたが、そのような事など勝頼は知る由もないし、知ったとしても何も変わらない。







 ————————————————————ただ、乱暴な祖父により何の断りもなく自分の息子たちが戦場に駆り出されたと言うだけの話であり、それを誰も止めなかったと言うだけの話だ。


 勝頼は全てから逃げるように、ここ数日と同じように竹筒の水を飲んだ。

 竹と同じ色をした、水を。

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