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武田勇戦記  作者: 宇井崎定一
第六章 幕府のその先に
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織田信長の回答

「明智光秀、参上仕りました」


 長秀が兼山城に入っていた頃、信長は入れ替わるように岐阜城に入っていた。

 城下には織田木瓜の紋を掲げた兵が並び、それだけで並の軍勢なら膝を折りそうなほどの威圧感があった。


 その木瓜紋の下に、今度は桔梗紋が加わる。


「うむ、元気そうで何よりだ。足利殿は」

「同じく元気です。しかし」

「筑前がすっかり気に入ってしまったようだからな、それは仕方があるまい」


 この戦には信長本隊や明智軍と共に柴田勝家・滝川一益・池田恒興と言う面子がいるが、羽柴秀吉の姿はない。

 秀吉はこの遠征の補給役と言うか裏方及び近江と越前の守備を任されており、その高い能力で兵たちを円滑に動かす手助けをしていた。



 そして他にも、三名。


 まず一人は、元征夷大将軍・足利義昭。


 一応京の隠居人として京を守る光秀の配下と言うか信長の直臣扱いであったが、本人は秀吉の配下であると幾度も自称していた。


「筑前には筑前の役目がある。その事は余が自ら聞かせておかねばなるまい」

「どうかお頼み申す」


 信長は渋面を崩しながら手を振り、残る二人を待たせている客間へと向かった。



「これはこれは織田様!」

「信康殿、ずいぶんと良き男になった物よ……」



 一人は、徳川信康。

 現在の徳川家の当主。まだ十五歳ながらその風貌にはいつの間にか貫禄が付き、若かりし日の家康にも見えて来ていた。


「あらかじめ申し述べておくが、この戦いにて信玄を討ち取れるとは限らぬ。その事をどうかとくと胸に刻んでいただきたい」

「わかっております。この戦いは、徳川の栄光のためのそれである、と」

「家次は」

「息災でございます」


 信康の言葉は、実に信長の気分を良くした。

 信長自身、家康をあんなやり方で殺した信玄に対し思う所はあった。だが徳川に必要なのは信玄の首ではなく遠江の奪還を始めとした領土であり、それさえあれば酒井忠次以下の名臣がいる徳川の復活は難しくないと思っている。

「しかしこの戦いになぜ兄上、いやご子息様を」

「今の信忠はあまりにも熱すぎる。その方以上に武田家への怒りを溜めており、暴発する危険性が高いからな。存じているであろう?」




 凪の日や 一本松に 雨は降り 平らな道を 閻魔の道へ




 これは去年、信忠が詠んだ歌である。

 一本松が立っている穏やかな風もない日なのに、いきなり雨は降り平坦で平穏な道を、いきなり閻魔への道すなわち死の道に変えてしまうという表面的な歌意もさる事ながら、

「凪」「一本松」「雨」「平ら」とこれでもかとばかりに「風林火山」を否定し、その挙句に「閻魔」と来ている。


「あれは本質的には真面目だが余の魔王の血を受け継いでいる……時として激するとこの信長よりも恐ろしいやもしれぬ……」

「そうですか…………」

「桶狭間の時にはまだ四つ、それから上がる事しか知らずに生きて来た。義兄弟かつ同盟相手の苦難を必要以上に背負い込むなと佐久間を通じて教え込ませねばな……」


 真面目な人間ほど恐ろしい事を信長は知っている。

 真面目ゆえに入れ込み、抜け出せなくなる。そして過ちを犯した時には取り返しのつかない所まで行ってしまい、よそ様に派手に尻拭いをさせる事になる。無能なればこその問題とも言えそうに見えるが、有能なら有能で成功してなおさら深みにはまって行くから性質が悪い。


「信康殿は長政を許せるか?」

「それは……」

「かもしれぬ。だが余は許した。許しを得るだけで泥のように眠れていたからな、命を失ってもいないのに」

「ふむ……」

「長政と言う男も実に真面目だった。父親の思いや先祖の友好を切り切れず、この信長との関係も切れずにいた。それゆえに潰れかかっていたのだろう。

 仇討と言うのは武士にとってもっとも甘美な勲章だ。だがその甘美な果実に魅かれて多くの者が命を落とす…………節制せよ」

「はっ、義父上……」

「次の戦場ではあくまでもこの信長の配下の一人の将だ。娘婿とか言う概念はなきと思われよ、ああ徳川家の当主としては扱うが」


 信康はわずかに呼吸を荒げながらうなずく。

 単に若気の至りとか言うだけの話なのかもしれないが、元から家康以下、徳川家には真面目な男が多い。ましてや信康は家督相続のいきさつもあってその方向一辺倒であり、一刻も早く信玄を討ちたがっていた。


「ではそなたは徳川の将兵を説き伏せよ、ゆめゆめ焦燥に駆られるなかれと。いざとなればこの信長が味方する故」


 信康はゆっくりと腰を上げた。

 信長が何を言いたいか、理性的には理解しているのだろう。だがどうしても自分や忠次以下家臣たちの気持ちとの折り合いのつけにくさが動作を緩慢にしていた。



 もちろんその感情は信長とて嫌と言うほど理解できたが、同時に古臭さも感じていた。



「戦は手段であって目的ではない…………」


 別に戦を忌避する気もないが、かと言って絶対視もしない。戦の目的はあくまでもお家のためであり、お家の益にならないと見れば容赦なく戦いをやめるぐらいの度量は持たねばならない。ただでさえ戦争は命と食糧を含む資源の浪費であり、それ以上の利益が望めねばやるべきではない。




「……と言う事だ」




 やけに声の大きな独り言を聞かされていた中年男性はようやくその時が来たれりとばかりに顔を大きく上げ、目を輝かせていた。




「それにしても跡部とやら、その方の主人もえらく薄情よな」

「薄情とは!」

「薄情でなくば今まで書状の一通も出さぬ事はあるまい……」



 男の名は、跡部勝資。


 二月に岐阜城に乗り込んで幕府滅亡を糾弾せんとした男であり、その途上で武田忍びに襲われて命を落としかかった男である。


「私はあくまでも武田家の家臣。武田家の名の下に足利幕府を滅ぼしたことを糾弾するために美濃まで来た身」

「殊勝な心掛けだ。主には伝わっておらんがな」

「そのような事は断じてないと幾度も」

「その武田家とは誰だ?天台座主か?それともその息子か?」

「…息子だ」


 相当な失言だったはずなのに間は短く、どこか楽しんでいるようだった。


「うぬは、信玄を恨んでいるか?」

「いつまで当主気取りなのかと思っている」

「それで勝頼は次期当主と言うか実質的な今の当主として事を起こしたと言う事か。無残よな」

「そんな事は!」

 だと言うのに勝頼を馬鹿にすると急に熱くなり、その一報で信玄についてはやたらに平坦にずいぶんなことを言っていた。


「そうか悪かった、だがあくまでも次期当主は次期当主に過ぎん。それとも何か、うぬの独断であったとでも言うのか」

「私が無理強いしたのだ」

「なぜ無理強いした」

「単純に許せなかったからだ」

「そうか。なるほど見事な物だ」


 その勝資の頭を撫でながら、信長は相好も声色を崩した。

「嫌味か」

 信康に対してのそれと違う柔らかく優し気な声色に、中年男は精一杯声を荒げ目を三角にする。だがその声色は戦場のそれでは当たり前の程度でしかなく、三角にしたはずの目は四角にしかなっていない。四角い目で睨んだ所で奇妙とは思われても恐怖だと思われる事はなく、ただ戸惑いとおかしさばかりが広がる。

「足利殿は今この城にいる。余の力があれば会わせる事は簡単だ」

「なんだ、あの猿男に言い含められた、いやその存在の影武者でも出して絶望でもさせる気か」

「そんな事はせぬ。武田がなんのために戦っているか知りたいだけだ」

「ふざけるな、武田家は幕府を守るため!比叡山や伊勢を焼いたお前を許さないという正義のために!」

「なるほどな」

 その上にその男から出てきた言葉が信康のそれより青臭かった物だから、信長は口だけ平板なままで内心呵々大笑していた。


「されど、今の当主たる武田信玄にはその気はない。余が殺戮者であろうと簒奪者であろうと、自分にとって必要であれば生かしておく……そしてその気になれば手を取り合う可能性すら排除しない……それがどれほどまで耐え難かったのだ」

「うるさい」

「子と言うのは親の思う通りにはならぬ、いやむしろ逆に育つ。奇妙もずいぶんと真面目に育ってしまった物だ、あれは余とは全く違う。我が父は余に似ていると皆言うが、それこそ例外と言うべき物だろう」

「何が言いたいのだ」

「ほんの一般論だ。

 時にその方、大夫殿を救いたくはないか?」



 そしてまともな反論ができなくなったのを突くかのように、信長は勝頼の事を官位で呼んだ。


「どうやって、だ……」


 勝資は何も中身のある言葉を言い返せないまま、三角のなりぞこないの四角い目で信長を見上げ、三日間何も口にしていない人間の顔で信長に縋った。


「余の配下となれ。そして大夫殿を阻害する老害たちをこの手で討て」

「良いのか…………この身はあくまでも、あくまでも武田の家臣!武田の敵であるお前にいつでも!」

「やってみせよ」



 その死にかけの人間が安っぽい挑発に乗っかり、拳を振りかざそうとした。

 結果など、言うまでもない。


「その意気や良し……されどまだ力が足らぬ……余の寝首を掻きたければ力を得よ……そう、武田大夫殿率いる武田の家臣として、な…………返還交渉の使者も出したのに、梨の礫だった信玄を、な……」

 右腕一本で受け止められた勝資に対し、受け止めた信長はどこまでも寛容だった。


 「武田信虎」の返還交渉の使者を「武田信玄」宛に出したのに梨の礫だったと言う現実を秘匿しながら信長は笑い、勝資を見下ろす。




「……わかった。だが大夫様に甲信駿遠四か国は保証しろ」

「武田大夫殿も幸せ者よな、その方のような家臣を持って。フッフッフッフッフ……ハッハッハッハッハ……」




 岐阜城に鳴り響いた信長の高笑いが、岩村城まで届いたかどうかはわからない。




 だがこの時、武田勝頼がはっきりと一人の家臣を失った事だけは、間違いなかった。

織田信長「第六章終了、そして翌日の登場人物紹介……今年はこれまで、ぞ……」

武田信玄「来年はさっそく1月1日から更新だがね。ま、箱根駅伝とやらを楽しもうではないか」


よいお年を……!

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