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武田勇戦記  作者: 宇井崎定一
第六章 幕府のその先に
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下間頼照の怠惰

メリークリスマス!……思いっきり仏教話ですが。

 三月五日。


 下間頼照は、武田勝頼からの書状を受け取っていた。



「室町幕府を滅ぼした大逆の魔王織田信長。かつて比叡山を焼き、伊勢長島を焼いた魔王すら恐れひるむ男。御仏の業を犯し、人の道まで犯した魔王。

 その上に俗権まで奪い取るその様はまさしく強欲の権化であり、その先には万人恐怖の世しかない。その魔王の軍団に立ち向かうには民百姓全ての力が必要であり、是非とも一向宗率いる民の力をこの武田大夫めに貸していただきたい」


 書状と共に、わずかばかりの金が入っていた。

 いわゆる碁石金ではあるが、正直純度は良くない。

 実際、武田が頼りとしていた碁石金はかなり枯渇しており、その事も信玄の遠江出兵を掻き立てた。

 そんな事情など知らない頼照は純度の低い碁石金に関心を示すことなく、勝頼の書状をたたんだ。

「柴田勝家、か……」


 加賀にとって目下の敵は越前の柴田勝家である。

 言うまでもなく魔王の軍団こと織田家の重臣であり、しかも家内一の武闘派だという評判である。


「旧朝倉家臣はどうだ」

「千人はおろか五百人も集まっておらず……」

「この調子では無理ではないか…………」

 対する自分たちは民衆の軍勢だけに数は多いが、勝家のような武将などいない。

 旧朝倉軍をかき集め先兵に仕立て上げると言うのは自然な発想だったが、正直集まりは悪い。何せ先の戦いで朝倉軍はほぼ全力を注ぎ込んでしまった上に義景以下主要な面子がほとんど死ぬか逃亡するか投降するかしたから余計な兵などおらず、一乗谷にいた兵は朝倉景鏡共々柴田軍に降伏。加賀との国境に居た兵は元より一向宗を好いていなかったから一向宗にはなつかず織田に走り、結局こちらに来たのは義景直属軍及び景健軍の残党で逃げる事も出来なかったような兵たちばかりであり、質も量もたかが知れていた。


「柴田勝家とやらはいつ頃この加賀に来ると見る」

「今来るかもしれないし三年後かもしれないと」

「真面目に物を言え」

「越前の国情と言う物もございます」


 もちろん頼照からすれば越前の一向宗を暴れさせて国情を不安定にさせた所を叩く気でいたが、たとえそうだとしても時期と言う物はどうしても存在する。

 当然越前の領主になったばかりの今と言うのは悪くないが、それでもまだ越前国内の不安をあおり切れていないのもまた事実だった。

(旧朝倉軍とてどこまで当てになるか……)

 頼照から見た所越前の朝倉家の統治はそれほど失敗していない。良くも悪くも牧歌的な、どこか時代から取り残されたような安穏とした国。義景も決して暴君ではない事からそこそこ慕われており、それなりに兵もなついていた。それが信長登場からの三年で変わってしまったとしても、長年染みついた気質と言うのはなかなか抜けない。

 そしてこれが一番の問題なのだが朝倉家自体が一向一揆以外大した敵を持たない家だったため、唯一無二の敵である一向一揆に今更なびくかどうか怪しい。味方にした残党軍も今の時点ではまだ義景を殺した柴田勝家と羽柴秀吉、その主織田信長に憎悪を向ける事で士気を保っているが、余裕が出たらまた自分たちに刃を向けるかもしれない。


「この書状には上杉謙信公の他に、越中や能登にも救援を求めるとあるが」

「能登に越中ですと?」

「ああ、この加賀だけではどうにもならないのはもはや明白だろう。武田殿は当たり前だがどうしても織田信長めを殺したいのだ。もちろんそれは我々も同じである」

「だがこれでは」

「このままでは各個撃破されると言いたいのであろう。とにかく軽挙妄動は避けねばならぬ。畠山や神保にも使者を送れ。上杉謙信公を総大将とせよ……とな」


 上杉謙信が総大将となる事については、頼照たちも反論はない。謙信が仮に織田家を滅ぼしたとしても足利幕府を復興させて自分は元の関東管領かせいぜい三管四職のどれかに収まるだけで終わりそうで、宗教面には絶対に口を出さないし出しても復興だけで終わりそうだ。信玄はその点もう少し欲深そうだが、それでも本願寺をないがしろにはしないしできない。勝頼もまた、この調子だと問題はなさそうだ。

「しかし畠山や神保は」

「彼らは謙信公が動けば勝手に味方となる。案ずるな。

 まあいずれにせよ、田植えが終わるまでは動けんのだがな」


 そして農民の軍勢の常として、田起こし・苗代作り・田植えと言う農作業が終わるまでは出兵とか言っていられない。もう三月ではあるが雪国の加賀では尾張や遠江などよりはどうしても遅れがちで、それこそあとひと月からふた月はかかるかもしれない。


「それで我々は」

「しばらく待つより他ないな、その旨を民に伝えてくる、では解散と言う事で」


 こんな結論と言うにはあまりにも現状維持的な解散宣言と共に、頼照は腰を上げた。

 確かに言っている事は正しいと言うか間違いのない正論なのだが、それでもどこか悠長な、まるで朝倉義景が柴田勝家に変わっただけのような反応しかしない頼照に、幾人かの僧は不安を覚えていた。







「要するに、能登や越中の人らと一緒に越後の上杉様ってお方の下で戦えと」

「その通りである。だが謙信公が間に合う保証もない、その時は御仏を信じ悪逆非道なる織田家の手先と戦うのだ」

「はい……」


 早速ある僧は農民たちの前でそう訓示した。

 だが農民たちの反応は鈍く、皆一様にどこか他人事感のする目をしていた。


 「織田家の悪行」とやらは、いくらでも聞いている。

 比叡山を焼き討ちにし、信徒を老若男女問わず殺したと。伊勢長島でも同様に焼き討ちを行い、赤子でさえも臓腑を引き裂き消し炭にしたなど。

 だがその悪行の重さは、僧たちが思うほど民に浸透していなかった。



「でも、そこまでしてるのになんで未だに仏罰が当たらねえんですか?」



 あまりにも大きな暴虐行為なのに、それに相応するような仏罰と言うのが当たった話がいまだにない。そのせいで話の信ぴょう性が薄れてしまい、その分だけ加賀の民の信仰心も弱っていた。

「それはだな、今はまだと言うだけであり」

 とか言う言葉を飲み込みながら、必死に毛のない頭を回す。


「織田信長めは唯一無二の仲間であった徳川家康を昨年失った。そしてその徳川家の領国も我々の同士である武田信玄公により領国を失い衰退の一途をたどっている。徳川が滅べば織田はもはや孤立無援。ああそれから徳川も三河一向一揆を弾圧したからな」


 その上でこの成果をひり出して見せたが、どうにも反応は薄い。

 何せ徳川の災難であって、織田の災難ではない。同盟相手がーとか孤立無援にーとか言った所で、失ったのは遠江半国で手に入れたのが北近江・越前・伊勢南部・志摩・伊賀では説得力が湧かない。

 加賀百万石とか百二十万石とか言うが、それは能登や越中をひっくるめた上に前田利家・利長親子らの統治ありきの代物であり、加賀一国ではどうあがいても一万五千人、つまり六十万石程度しかない。もちろん農民を構わず突っ込めば話は別だが、それでも前述したように絶好調の織田軍に対峙するにはあまりにも足りない。


「さらにその武田信玄公もまたほどなくして愛息たる大夫殿と共に織田を飲み込みにかかろう。さすれば織田の崩壊は時間の問題である。ゆえにより一層信仰に励み、暴虐の徒たる織田信長とその手先に立ち向かえ。それでは他の村へも行かねばならぬので御免」


 流れの悪さを感じた坊主はそう言って話を切り上げ、逃げるように走り去って行った。




「上杉様……」

「お話によればものすごく強いお方様らしいけどなあ」


 坊主がいなくなった後、残された農民たちはボーっと空を見ながら上杉謙信なる人物の事を考えていた。

 毘沙門天の化身を名乗り、幕府に忠実で勇猛果敢—————。


 彼らは、それしか知らない。


「って言うか武田信玄様ってどんなお方だ?」

「武田ってお家の一番偉い人らしいけどな、お前知ってるか?」

「知らねえ……って言うかこれから田植えだ、どうせ動くのはその後だろ…………」



 そして武田信玄に至ってはこの有様だった。

 加賀と信濃は一応一カ国しか挟んではいないが信濃と北の越中は没交渉であり、南の飛騨は完全な山地の上に南が織田の本拠地の美濃であり下手に手を出せば織田の干渉を受ける事になる。そして今や飛騨の西の越前は織田領であり、そこから攻められる恐れもある飛騨に信玄が手を出す道理などなかった。だからか信玄は川中島の戦いの後上野はともかく駿河や遠江など南の方ばかり向いており、越中も加賀も全く気に留めていなかった。


 そんな知られる気のない存在が、日々の暮らしと越前を含む敵との戦いに明け暮れていた農民たちに浸透する事はなかったのはまったく自然だった。



 と言うか、そもそも坊主たちに書を送ったのは「武田信玄」ではなく、「武田大夫」と言う人物だ。正確には「武田勝頼」だが、その勝頼は信玄以上に無名だった。加賀の農民はおろか、下間頼照以下の坊主たちさえも信玄の息子としかわかっていなかった。


(しかし、なぜだ。なぜ魔王はあんな真似をした人間を生かしておく……)


 僧たちにとって重要なのは織田信長であり、柴田勝家であり、そして浅井長政だった。


 義兄である信長を裏切ったにもかかわらず、今でも越前に領国を与えられて生き延びている。確かにそのために朝倉義景のみならず自分の父まで死に追いやったとは言え、やけに寛容に思えた。今更長政が自分たちの側に回る可能性などほぼ皆無だろう。


 それから足利義昭もだ。


 あそこまで派手に自分に反抗しておきながら、どうしてああもすんなり降伏を受け止めたのか。口では派手に虐待されているように言ってのけたが、実際問題それほど冷遇されていない事を頼照以下の僧たちは知っていた。


「独断、なのかもな…………」

 武田勝頼が、信玄の指示なく勝手にやったのではないか。

 義昭が勝手にひどい目に遭っていると思い込み、義憤と言うか蛮勇で動いたのではないか。


 義昭の重臣であった伊勢貞興が邪険にされたという話もないし、それ以上に重要なはずの人物がほどなくして故郷に帰されるという話もある。



 武田、信虎。


 義昭にとって最後の家臣であり最後まで徹底抗戦を主張していたような男。いくら追放したとは言え勝頼の祖父、信勝の曾祖父をないがしろにすれば信玄の名前は傷つく。そんな手駒にもなりそうな存在をあっさり返す時点で信長がやっているのがなめきっているだけなのか寛容を装っているのか全然わからない。


 そしてそれ以上にわからないのが、なんとかと言う武田の家臣がその信虎を先導する役を任されているとか言う噂である。


 信玄の統治がすっかり根を張った武田家に今更居場所などないはずの存在を放り込みかき乱す気かとか考えていると、急に空が曇り出し、泣き出した。そんな邪な発想を抱いてはいかんのだなとか殊勝な思考を抱いた僧の禿頭に笠が乗っかり、背中には蓑が覆いかぶさった。



 この時、尾張も、美濃も、伊勢も、近江も、山城も、越前も、晴天だったのに。

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