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武田勇戦記  作者: 宇井崎定一
第五章 農民と武士
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竹中半兵衛が見た物

 —————兵糧がない。


 古今東西将たちにとって最大級の問題であり、その問題の解決に失敗した軍勢が勝ったためしは一度もない。


 中国でのかつての項羽と劉邦の争いでも、名宰相蕭何の手により補給の絶えなかった劉邦の漢軍が明らかに強兵だったはずの楚軍を破り、天下を治めている。




「しかし、こんなにもうまく行くとはなー」


 仕掛け人は笑っていた。

 征夷大将軍の守る城を囲む仕掛け人こと羽柴秀吉は、感心したように細い腹を叩いていた。

 相変わらず膂力のなさそうな肉体相応の腹太鼓であるが、それでも聞く人間にとってはどんな兵器よりも恐ろしかった。

 

 六千で一万を囲むなどと言う無謀をやらかしておいて平気な程度には、この羽柴秀吉と言うのも常人ではない。

「確かに市価の数倍かもしれませぬ。しかし価値と言うのは常に相対的な物です」

 その秀吉の側で耳打ちする男の笑顔は、主人同様ににこやかであり、それ以上に恐ろしかった。

 蜂須賀小六や山内一豊などの秀吉の古参家臣さえも、その笑みをひそかに恐れていた。

 

「本来、このやり方にはかなりの時間が要ります。しかしこの場合、敵の質が低かったからうまく行ったのです。そう、敵の質がね」

「哀れなもんじゃな、上様も……」


 秀吉に嘆かれる程度には、足利軍の実態はひどい物だった。


 駆り武者とか言うのはそれこそ地元の領民を強引に駆り集めるような代物であり、素性怪しき者でも戦力となると見なされれば強引にでも入れられた。

 そう、その気になれば間者が入る事などあまりにも容易かった。

 義昭は挙兵に合わせ質など無視して数をそろえようとしたから身体検査などできるはずもなく、羽柴の息がかかった人間が簡単に入り込めた。


「しかしお主もおねも上様もずいぶんな真似をするな、このわしに徳川殿が死んだなどと」

「巧詐は拙誠に如かずと申しまして」

「わしゃ本当に風林火山の旗が三河に立ってると思ったんじゃぞ!」

「奥三河の一部は武田領らしく、そこには立っているかもしれませぬな」

「おい半兵衛…………」


 その上で半兵衛もおねもだんまりを決め込み、秀吉にもなかにも小六にも真相を決して教えなかった。おねも半兵衛の事は小六と同じぐらい信頼しており、そのためおねだけは秀吉より先に作戦を知っていた。

 そんな事などつゆ知らずおちょくりを続ける家臣になおも秀吉は食いつこうとするが、半兵衛が真顔過ぎたので口を閉じるしかなくなってしまった。

「やれやれ。何だかんだ申し上げまして、奥方様は殿を愛しておられるのですよ。それでもその点につきましては奥方様も自らお探しになるとの事で」

「わしはおねの傀儡か」

「否定はできませんぞ」

 遠慮なくそんなことを言える程度には、半兵衛も信頼されている。

 実際羽柴家の頂点は秀吉ではなくおねだとかいう人間もおり、何せ途方もない愛嬌と才覚を持った代わりに膂力も身長も節操もない秀吉に尊敬の念はあっても威厳はなく、その秀吉の手綱をしっかりと握っているおねの威厳が膨らんだのも無理からぬ話だった。なお秀吉の生母であるなかはあまり表舞台に出て来ないためかあまり威厳はない。



「商人には相当に手形を切ったからな、長浜の普請は一段と遅れそうだが」

 この策をおねが反対しなかったわけもないが、賛成しなかったわけでもない。



「それは小谷から持って来ればいいだけです、実際あの城はもうただの山でしょう。あんな山城は合わないって殿がおっしゃったのでしょう」

「これから浅井勢も来るのだろう、それについて何とも思わなかったのか」

「出仕が面倒くさいと申しておりましたが」

 秀吉の領土は旧浅井領とまったく等しく、磯野員昌や宮部継潤のように浅井から鞍替えした家臣もそれなりにいた。近江ではまったくの新人である秀吉は理屈では小谷の不便さと長浜の優位さはわかっていたが、実際に登城した事のある人間の言葉よりはどうしても軽くなってしまう。

「しかしのう、事実上の初任務がこれとは、葛藤のある兵もおるかもしれんがな」

 ほどなくして磯野や宮部、阿閉貞征の軍勢が来る。旧浅井軍の兵からすれば秀吉の下での実質上初の軍務であり、ある意味試金石である。

 浅井家は近江の家ではあるが小谷城と言う山城暮らしにふさわしく田舎侍で、その分だけ旧来の権威も生きていた。もちろん近江守護で四職であった京極家の権威などなくなっていたが、それでも天皇家や将軍家への敬意はまだまだ残っていたし、浅井久政も朝倉義景の影響を受けてそっちに傾いたのでまだ抵抗があるかもしれない。

「なればこそですぞ」

「わかっておる。一人一人丁重に挨拶に向かい、必要不可欠である事をとくと説いて見せるわ」

 結局それしかないのもまた事実だった。こういう草の根活動と言うべきやり方は、派手好みの信長とその信長の忠臣の秀吉をしても逃れがたき運命だっただろう。


「それにしても、なぜこんなやり方を思いついたのだ」

「徳川様が身まかられた時です。その際に将軍家様はほどなく動かれると思いました、織田様が盟友を失ったのですから。織田を倒すならば今しかないと考えても不思議ではございません」

「しかしなぜ今更将軍家は」

「信康殿が殺されたと言う報告が入ったからでしょう、徳川家から」


「徳川信康死亡」—————そう酒井忠次や織田信長などが「発行した」書を意図的に義昭や顕如の間者につかませ、「徳川信康死亡」に確信を持たせた。

 酒井忠次や織田信長とか言ったが、実際には二通ではなく五通以上あり、その数だけ信ぴょう性も高まり、義昭も教如も、顕如や明智光秀さえもその気になっていた。もちろん、羽柴秀吉もだ。

 いよいよ徳川家が完全に終わったと思わせられた結果、なのだろう。


 人間の忍耐力と言うのはどうしても限界がある。一刻も早く織田家をどうにかしたい人間からすれば徳川の不幸は実に喜ばしく甘美な果実であり、彼らをつないでいた鎖を切るには十分な鋸だった。

 だがその果実に飛びついた結果義昭はかつての孫悟空や耶蘇教における最初の男女のように楽園を追放されようとしているのだから目も当てられないお話である。


「そうかそうか、しかしよくもまあ財宝をあんな小城に置き去りにしたな」

 そして買い占めた米の代金の一部を小城に置き去りにしたのも半兵衛だった。言うまでもなく甘美な果実であり、後払いと言う言葉の責任を十二分に果たすほどの金銀財宝を。

「その点に関しては少々迷いもございまして」

「財宝に目がくらんだまま死ぬ人間の存在を期待したか?」

「臨機応変とか一挙両得とか、実際は中途半端かどっちつかずですよ」

「いやいや、策が外れた時を考えるとは大した男よ」


 言うまでもなく兵糧攻めは、口が多ければ多いほど早く効果が出る。できるならば死者をゼロにして槙島城に幽閉してやりたかったが、それでもこればっかりはどうにもならない。だからこそなるべく逃亡兵を出さないように左右を固め、追い込んだ。

 もちろん二千ほどの財宝回収班とでも言うべき存在もまたしかりだったが、同時にそれを殺すのもありだと半兵衛は思っていた。


「殿」

「なんじゃ」

「殿はこの策をどう思いますか?」


 この策を発案したのは半兵衛であり、許可を出したのは秀吉である。

 兵糧攻めは先に述べたようにかつてより続く兵法の基本であり、半兵衛からしてみればある種の王道だった。


「殿は農民。どうしてもこの穀物を兵に変えるような兵法は」

「わしとて兵法の一つや二つわかるわ、人を攻めるは下、心を攻めるは上じゃろ?」

「はい」


「わしはな、文字通りの貧民じゃった。

 おっ母や小一郎はおろか、わし一人さえもまともに喰えん生活が長く続いた。その時に出会ったお館様はわしにとって最大、いや絶対無二の人物じゃった。わしはそのお方のために今まで戦って来た。そのおかげでおねにもおっ母にも小一郎にもたんと飯を食わせてやることができるようになった。だから飯と言うのはわしにとって武器の一つでもあるのじゃ」


 秀吉の眉間に皺が寄り出した。


 竹中家は美濃の斎藤家の重臣であった稲葉・氏家・安藤の三家と婚姻を繰り返している家だから平均以上の武士であり、いわゆるブルジョアジーである。秀吉の様に明日の食事を求めて必死になる事もなかったし、単純に策をこねくり回すのを楽しめた。


「それで」

「そんな暮らしで征夷大将軍など目に入る事はなかった。思えばその時、わしの心の中に汚いもんがたまったのかもしれん、どうせ何もしてくれない権力者様へのな」


 秀吉が秀吉になる前何をやって来たかなど、おねですら正確には把握していない。人の一人や二人殺したかもしれないし、盗みだって働いたかもしれない。

 主が三十を過ぎてから仕えた半兵衛には、秀吉の抱える闇はわからない。

「わしはな、わし自身の手で征夷大将軍様と言う存在をねじ伏せてみたいと言う願望があったのかもしれぬ。それも、武士のそれではないやり方で」



 秀吉の言葉が、重く響く。


 農民と言う職の業。

 それこそある意味一番重要な食と言う存在を握っている事によるある種の特権階級意識。

 それゆえに武士と言う本来の支配階級にも言うべきことを言い、何よりも大事な大地が荒らされればそれこそ命がけで戦う。

 それこそ国一揆であり、農兵だった。その戦力をどう生かすか殺すか、それもまた戦国大名の問題の一つだった。


「鎌倉幕府を倒したのは新田義貞とか言う武士じゃろ?それでその前は源氏と平氏による武士の戦い、この国はずっと武士が武士を倒して来た訳じゃな」

「ええ……」

「この後はもちろんお館様と言う武士がこの国を治める事になるじゃろう、でもその前にわしは見せておきたいんじゃ、農民の力とやらを」


 言いたいことを言い切ったのか、秀吉は笑顔を取り戻した。


 ようやく本来の、快活な男に戻った。


 自分が田舎者だと言う自負はある。

 だがその上で京の奉行となり義昭や貴族様たちに会った時、彼らから透けて見えた空虚な特権意識とその視線の行く先に自分がないのに気づき内心では腸が煮えくり返っていた。

 信長しか見えていないのはまだ許せる。だが彼らの目線の先にあったのが、信長の持って来たカネとコメとヒトでしかない事に気づいた秀吉の心はひどく傷ついた。おだて上げて名より実を取ればよしの信長の部下とは言え、あそこまで見下される筋合いはないとまで思った。



「わしは醜いか?」

「醜くない人間などおりませぬ」

「一般論ではないか」

「醜い物は自分の醜さに気づかないか、気づいても埋めようとします。殿はその醜さに気づいているから醜くない、いや醜さが少ないのです」


 他人の醜さはすぐ見えても、自分の醜さは見えないか見ようとしない。それこそ生存本能であり、普通の人間がそれをやれば自己嫌悪に陥って鬱になるか精神が破綻するかのどっちかでしかない。結果的に半兵衛の言う通りになるのがわかっていたとしても、名誉欲だけでそこまではたどり着けない。

 信長や信玄は自分の行いの醜さを承知の上で行使し、己が醜さをむしろ誇っている。と言うか武士と言う人殺しの専門家は自分が作った血だまりの量を競うような醜さを争う生き物であり、それを教えるのが仕事だった。


 だが秀吉は農民であり、収穫を誇れても人殺しの成果は誇れなかった。何を生み出したかが重要であり、何を得たかが成果だった。


「わしは農民のまま将になれるか?」

「なれます。ならせます。そのために我々がいるのですから!」


 半兵衛の大声と共に、羽柴軍の兵士たちから歓声が上がった。


 なんだかんだ言って、みなこの主君が大好きなのだ。

 その主君のために、こうして戦おうとしている。




 足利軍には、ない空気だった。

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