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武田勇戦記  作者: 宇井崎定一
第五章 農民と武士
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足利義昭の出陣

 勝頼が逡巡していた頃。




 山城の槇山城には、多くの兵が集まっていた。




「本当に本当なのですか」

「貞興。本願寺とはすでに話が付いておる。これを見よ」


 —————二月二十日、再び京に攻撃をかける。

 よって明智光秀は救援の猶予はなく、その間に将軍様の挙兵は成功すること必至。


「あまりにも虫が良すぎませぬか」

「同じ書状が四通も届いておるのだぞ。しかも全く違う所から」

「四人の僧がですか」

「俗人もいた。雑賀衆だ。彼らは耶蘇教を嫌っている」


 雑賀衆は本願寺と協力関係である前に仏教徒の集まりであり、耶蘇教徒を優遇している織田家とは相性が良くない。その点に関して文句を言うかもしれないと思っていた徳川家康はすでに亡く、浅井長政は生きているだけで力はない。

 織田信長の後援を受けている荒木村重や高山右近など耶蘇教徒の大名たちがこのまま勢力を伸張し続ければ、それこそ仏教徒には破滅しかない。


「彼らは皆この日に挙兵する旨はっきりと口で言い、はっきりと書状を渡して来た」

「逆に多すぎませんか、と言うかあまりにも唐突過ぎませんか」

「唐突過ぎる事もない。ましてや本願寺は昨年も出兵していた」

「しかし日向殿は」


 日向守こと明智光秀はさんざん義昭に自重を求めていた。

「織田家はあくまでも天下万民がどうすれば喜ぶかのために動いております。そのために泥水をすすり魔王の二つ名を受けようとも構うことなく戦っているのです。残念ながらきれいごとだけではこの世は治まりませぬ。誰かがそうせねばならぬ事をしているのが織田家でございます。どうか上様は清らかなままでいて下さいませ」

 だが最初は光秀を信用していた義昭もそんな事を何度も何度も送って来られるものだから、いいかげんうざったくなっていた。


 光秀と言う人間自身、美濃から越前に逃げ、そこから織田に半ば強引に仕官したような浪人上がりである。確かに品格と見識はあったが幕府の前に織田があるのではないのだと言う疑念がここ最近ふくらみ出しており、その分だけ光秀の言葉が遠くなっていた。


 何より

「日向は、前年本願寺を撃退した。わかりきった事だろう」

 その事実が重かった。

 また明智光秀は三年前の比叡山焼き討ちでも多くの犠牲者を出しており、本願寺の急進派からは信長と大差ない扱いをされている。顕如は比較的寛容だったが、それとて指導力のほどはわからない。


「日向は結局、幕府も征夷大将軍も傀儡に過ぎぬと認めろと言っているだけだ。織田家の思うままに、まるで鎌倉幕府の様になれと言っておるにすぎない」

「ですがここで負ければ幕府そのものが消し飛びますが!」

「くどい!」


 義昭はついに貞興を張り飛ばし、刀を抜いて貞興に突き付けた。


「だいたいがだ、北条と織田の何が違う!平氏と言うのはいつも更なる権力者を盾に真の実権を握ろうとする輩ばかりだ!まさかお前も」

「どうしてそうなるのですか!」


 平清盛、北条時政だけでなく、織田信長も平氏。さらに言えば、伊勢貞興の伊勢氏も元は平氏。ついでに言えば貞興の曾祖父の祖父の従兄弟が後北条氏の先祖である北条早雲である。

 もちろん暴論以外の何でもないが、追い詰められていた義昭にとって源氏の血は数少ない拠り所だった。その拠り所を鎌倉幕府と同じやり方でひっぺがされようとしている自分が実にみじめで、実に情けなく思えた。


「貞興。この戦いは幕府を取り戻す最後の好機だ。それをみすみす逃してどうする?」

「しかし方角は!京ですか!」

「違う、近江だ。南近江へと向かい、織田を分断するのだ」


 信長が本拠地の尾張・美濃から上洛するための道は基本的に南近江しかない。


 伊賀はまだ地侍の勢力が強く、大和は反復常なき松永久秀。

 一応北近江から丹波回りでと言うのもあるが、北近江は手に入ったばかりだし丹波の国情は不安定と来ている。

「そして断ち切った上で日向を服属させるか攻め滅ぼし、その上で本願寺らの力を得る。その上で京の都を取り戻して織田と対峙し、その上で正統なる幕府を守るのだ!」

 室町幕府の三管四職はすべて源氏の末裔であり、足利の一族も多い。ちなみに四職に匹敵する今川氏と土岐氏も源氏であり、唯一上杉氏だけが藤原氏であった。ついでに言えば上杉謙信こと長尾景虎の生まれた長尾氏は平氏だが、長年にわたって上杉と婚姻していたので藤原と言って差し支えない。


「ですが」

「慎重だな貞興。余はとんでもない報告を受けておるのだ」

 それでもその気にならない貞興の頭にため息を吹きかけながら、義昭は刀を引っ込めながら座り込んで貞興の耳に口を当てた。

「とんでもないとは!」

「実はな……」


 義昭が舌を動かすたびに、貞興の目は白黒した。

その目を見た義昭は得たりとばかりにさらに舌を回すが、貞興の顔色は全然赤くならない。


「……で、情報源はどこですか?」


 そして貞興の口から出てきた言葉がそれだから、義昭はすっかり気分を害してしまった。


「うっ……………………!」


 貞興はその場に倒れ込み、義昭が呼びつけた従者二人に運ばれた。行先は座敷牢である。




「度重なる苦闘が自信を奪っておる……余自ら、十四代に渡り続いた征夷大将軍、そう武家の長たる所を見せねば……」

 貞興の腹に鞘をぶち込んだ下手人、足利義昭は自ら甲冑を身にまとい、二つ引量の旗を掲げた兵士たちと共に槙島城を飛び出した。


 その数、一万。


 征夷大将軍の権威を使ってかき集められた兵と、織田の勢力拡大を快く思わない存在と、朝倉や六角などの残党。

 それらの勢力を目いっぱいかき集めて生まれた兵たちが、近江へ向けて突き進む。




※※※※※※※※※




 そして。


「まだそんな余力があったのですか!」

「かなりの大軍で押し寄せております!あくまでも押し寄せているだけですが放置すれば危ないかと!」


 貞興の危惧をある意味踏みにじるかのように、明智光秀の顔は青くなっていた。


「大軍と簡単に言われましても、いったいどれだけの兵力で!」

「およそ一万五千、このままでは荒木様は!」

「なんと……!ええい、これでは槙島城に兵を割けないではないですか!」


 光秀自身、義昭が出兵しそうだと言う事は聞いていた。だがその上で何とかして義昭の暴走を食い止めるべく、自分なりに必死になって来たつもりだった。

「上様が万一の事をすればそれこそ取り返しのつかない事となります!将軍位を廃する正当な理由を与えてしまった事になるでありませんか!」

「そうおっしゃられましても!」

「……この京を捨てるわけには参りません!秀満!」


 光秀は従兄弟の秀満を呼び、四千の兵を京に配置させ自分は残る兵で飛び出した。


 この間、義昭の挙兵からわずか二刻足らずである。


(これが紛れもなき現実だと言うのに……)


 その気になればいつでも、光秀と言うか信長は槙島城を攻められた。もちろん近江にいる織田軍を動員する事もできる。

 その程度には義昭は籠の鳥であり、使えるうちは使われている看板だった。


 何が義昭を動かしたかは分からない。

 それでも一万五千と言う使者の報告が間違いであることを望みながら、光秀は高槻城へと迫った。



 だが、百聞は一見の通りだった。


「まだ城攻めこそされておりませんが数は莫大で降伏勧告をしておるようです」

「間一髪ですか……ですがここまで動きがないとなると完全に予想の範疇だったと言う事ですか……」

 前回は半ば不意討ちのような形だったからあっさりと引いてくれたが、本来なら一万五千も要らない高槻城にそれだけの人数を突っ込んだのは他の城以上に自分たちを気にしているのだろう。

「しばらくはにらみ合いになるのでしょうか。用意周到ですね、上様……」

 光秀は、ここに来るまでの間の情報を思い返してため息を吐いた。

 敵の総大将は、本願寺教如。前回自分たちの襲来と同時に撤退を余儀なくされた顕如の息子。


(今度こそはの思いが強いでしょうね…………)


 前回は派手に猪突してくれたから良かったが、今回はそうはしないだろう。しかも将軍と連動しているとあらば、なおさら派手に動く見込みは薄い。明智軍をここにとどめておくだけでも本願寺にとっては責任を果たした事になり、足利軍が近江方面で何らかの戦果を挙げた際にはそれこそ挟撃体制まで取ることができる。


「私たちもじっと構えるより他ありません……」


 光秀はにらみ合いになる事を覚悟するしかなかった。三千人の軍勢がいる高槻城を挟んで明智軍七千と本願寺軍一万五千がにらみ合いになる物だから、周辺住民の迷惑は言うまでもない。もちろんそれは本願寺にとって面白くないが、織田にとっても面白くない。


 光秀が切歯扼腕しながら陣を組んでいると、すかさず本願寺勢から声が飛んで来た。



「おーい、そこの桔梗紋の軍勢」

「何ですか!」

「お前たちここに留まっていていいのか」


 若くはない。

 雑賀衆かと思ったがあまり活発さがなく、どちらかというと内に籠るような声。僧侶だろう。

 だが教如はまだ十八歳であり、甲高さがあってしかるべきはずだった。


「まさか下間頼廉ですか」

「いかにも下間頼廉である。愚僧たちに取り俗人の王者は足利将軍家であり、決して織田信長ではない。聞けば日向殿は土岐家に連なる身、足利将軍家に仕えぬか」

「私は今の主君を選んだのです。奥方様の縁もあります。もちろん将軍家を疎んでいる訳ではありませぬが、いずれかを選ぶと言うのであれば織田に仕えます!」


 光秀に正体を言い当ててられたその男は信長を捨てるように光秀に迫り、光秀はそれを真顔で薙ぎ払う。

 戦気が否応なしに高まり出す。



「だがだとしても、信長は来ないぞ。何せ、徳川信康が死んだのだからな!」



 そんな所に飛んで来た、あまりにもあり得ない報告。

「はあ?」

 光秀が一気に気合をそがれ呆れ顔になっていると、頼廉が教如に耳打ちを始めた。




(まさか!)




 そして、本願寺軍が一気に動き出した。


 今度の本願寺軍は念仏を唱えるではなく信康は死んだと連呼しながら迫って来る。

 念仏だの天罰だのは覚悟していた光秀軍だったが、このありえない言葉に呑まれてしまった。


(まったく、でたらめと言うにしてもあまりにもよくできすぎている……)

 —————だから、信長はそっちを優先していてこっちには来られない。

 でたらめとか言うなら勝手に思えばいい。


 何せあの武田信玄だ。暗殺の一つや二つ平気でやってのけるだろう。

 あるいはまた風のごとく速く攻め込み、家康を殺したようにやるかもしれない。







 これは一体、誰の策なのか。


 光秀はその事を一旦頭から消しながら、本願寺軍への反撃を行った。

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