足利義昭の気持ち
「まったく、どうしてここはこう寒いのか……」
法師たちが信長の動向の予想に追われる中、俗人の頂点は熱い酒をすすってばかりいた。
京と言う盆地で冷える中、事もあろうに手酌で。
「これが、これが十四代にわたり栄耀栄華を築いて来た幕府の末路と言うのか……」
征夷大将軍・足利義昭は、今日も幕府の中で震えていた。
十四代にわたって栄耀栄華とか言うが、実際に将軍家が力を持っていたのはせいぜい八代目の義政か六代目の義教、最悪三代目の義満までで、あとはせいぜいが傀儡だった。
尊きは 満つる教えの 立つ板に 三つ子姫撃つ 弾の尽くかな
こんな落首が京に建てられたこともある。
世の中に満ち満ちるような教えの記された板により三つ子の姫、または三歳の少女を討つような弾は尽き果てる平和な世が来るとか言うおめでたいお話ではなく、「尊氏」「義満」「義教」の後はただの看板でしかなく、三つ子姫と言うのは「三女子」、すなわち「三好」、そして弾こと松永弾正秀久、さらに尽きると来ている。
三年ほど前、信長が上洛を果たしてからと言うもの、京の町を我が物顔で織田の人間が歩き出した。そのほとんどが当然ながら尾張出身であり、粗野な田舎侍ぐらいにしか思っていなかった町衆は当然のように彼らを警戒した。だが信長の行き届いた指導のせいで治安はむしろ良化し、織田の人気も上がっていた。
実際、義昭は将軍になってから何一つそれらしい事はしていない。当初から先代の足利義栄の対抗馬として強引に還俗した上で担ぎ出されたのだから実権などないのはわかっていたが、それでもそれなりの事は出来ると思っていた。
「まさしく、幕府の尾張、いや終わりかもしれんな……」
尽きる=終わり、そして尾張。
「上様、織田殿からの書状でございます」
「足利殿でいいぞ」
織田の息のかかっていない幕臣など、もうほとんどいない。たった今書状を届けに来た人間も信長によって士官できたような人間で、当然ながら信長を慕っている。織田殿とかそっけなく言っているが、実際この男の主人は足利義昭ではなく、織田信長である。より正確に言えば、明智秀満である。京を任された明智光秀の部下の、そのまた部下。正確に言えば、さらにもう一人間にいる。
その程度の存在だ。征夷大将軍への交渉をその程度の存在に任せる辺り、自分はそういう事なのだろうという確信が義昭の中で定着していた。
「そのようなお言葉!」
「戯れだ、許せ。明智日向は実に真面目な男だからな」
「それはそれは……ああ、上様、それがしはこれで……」
「そうか、主にじかに伝えてくれ。足利義昭は息災であったとな…………」
諱をあっさりと口にする程度には義昭も疲れていた。三代前の義晴が武田信玄こと晴信に名前の使用許可料として30両を払ったという例があるようにもう隠してもしょうがないのだが、それでもそんな事をする時点で威厳も何もない。
「…………」
人払いを行う対象もいないまま、手で封書を開ける。その封書に毒が付いていたらそれまでのような扱いの末に開かれた書の中身は、実に簡素で、実に残酷だった。
「朝倉一族は織田に降伏、浅井長政も織田に降伏。よって越前・近江両国の守護職を柴田勝家並びに羽柴秀吉に与える事を願う物なり」
—————朝倉の滅亡、浅井長政の服属。ついでに伊勢長島の壊滅。反織田勢力がわずかひと月足らずで三つも壊滅したという証であり、織田が全く健在という証だ。
寒い寒いはずなのに北近江はおろか越前まで出かけ、朝倉の本城の一乗谷を落とす。これこそ生中ならぬ力の証であり、それに抗う事の無謀さをいかんなく叩きこまされる。
「否も応もないのだろうな。それに両名が朝倉と浅井との戦で多大な戦果を挙げたことはもう知っている。織田信長は案外とまともだ」
いくら戦国乱世とか言った所で、領国を治めるには大義名分が要る。ましてや近江はともかく越前などは朝倉家が百年近く治めて来た地でありいきなりにわか者の征服者が統治者を名乗った所で納得するか難しい、ましてや朝倉は織田を格下と見下して来た家であり、どこぞの馬の骨の方が却って治めやすいかもしれない。
「羽柴秀吉か……」
その上にこの流れだと越前守はおそらく柴田勝家か、羽柴秀吉である。
柴田勝家と言うのは性格も顔も根っからの武士であり、義昭もある意味で安堵できた人物だった。
だが羽柴秀吉は違う。
光秀の前に京の奉行として任命されたその男は、勝家とは違って武士らしくなかった。
いつも人好きのするような笑みを抱え、たとえ引き締めていてもどこか迫力がない。それ以上に膂力がなく、いかにも細身で武士らしくない、
それで何となく血筋を問い詰めてみたら、農民の足軽上がりだと言う。当然そんな奴の言葉なんか聞けるかいと義昭の側近たちは反発したが、その反発を受け流したり切り返したり時には平然と頭を下げたりとされている内にいつの間にか丸め込まれ、気が付くとその座にはまり込んでしまった。
今は明智光秀と言う美濃育ちの教養人に交代したが、そちらもそちらでかなり怜悧で秀吉のような温かさはない。将軍家に対する敬意は間違いなくあるのだが、どこか機械的だった。
いや、織田家の家臣ならばそんなものだろう。あくまでも織田家が第一であり、こちらに敬意を配っているのだって信長のためなのだろう。
「できれば秀吉に近江を治めてもらいたいがな……」
通りっこのない要望を浮かべながら、義昭は墨と筆を持って来させた。
あるいは信長がそう考えているであろうことを祈りながら、両名に越前守及び近江守の名を与えるように取り計らう旨を記し、丁重に包む。
そしてその征夷大将軍様の書状を持って行った人間が消えた後また薄い酒を手酌で飲み、冷えた体を温める。
ようやく体に芯が入った気分になっていると、また別の男が来た。
今度の男は根っからの幕臣で、どこか貧相な男だ。
「申し上げます。共に酒をたしなみたいと」
「そうか。すぐ来いと伝えよ」
先ほどから女中すらおらず手酌ばかり繰り返していた義昭にも、決して酒飲み仲間がいない訳でもない。
だがその存在を見ていると、どうにもその手が止まりがちになってしまう。
「上様、これはこれは感謝しておりますぞ!」
そして、その男はほどなくしてやって来た。
年相応に皺が増えているというのに足取りは軽く、しかも細身のはずなのに力もある。何より声も大きい。
「そう言えば来年……」
「八十になり申す!」
七十九歳の老人はしっかりと座り込み、征夷大将軍様に向かって遠慮なく酒を注ぐ。敬意はあるが遠慮はなく、既に何杯も呑んでいる事などお構いなしである。
「ああちょっと!」
「おやおや、その調子ですともう何杯か召し上がられておりましたか!これは失敬!」
「武田殿もそのお年ですから」
「そのような!征夷大将軍様がそれがしなどにそのような!」
「貴殿は私から見ても人生の大先輩、それなりの敬意を払う必要はあるはずだ、武田信虎殿!」
信虎は形だけかしこまった様にしながら、酒を温め出した。火鉢の中の酒がゆっくりと熱くなり、京の盆地の空気に抗おうと部屋を白くしている。
「それにしても、元より多くは望んでおらぬとは言え、我が愚息がとんだ迷惑をかけてしまいましたなあ!」
「いえいえ、武田信玄殿は実に良くやっている。今日明日で解決できる問題ではないのだから」
「そうですかそうですか、いや将軍様も実にお優しいお方ですなあ!愚息が年甲斐もなく張り切っているのを思うと我ながら顔から火が出る心持でございます!」
そして酒が温まるまでの間、信虎の舌も温まっていた。
今から三十一年前。
甲斐武田家の当主であった信虎は、当時二十一歳だった晴信こと信玄と家臣たちにより駿河に放逐された。それから三十年が経ち、流れ流れて今は足利義昭の家臣としてひとりぼっちで上洛を果たしているというのは、実に奇異な運命である。
なおこの時すでに信玄の長男にして信虎の嫡孫である武田義信の義兄弟である今川氏真も京の町にいたが、どちらもお互いに存在は知らない。
「信虎殿は昨今の情勢をどうお考えで?」
「まったく、あの織田信長とやらは恐ろしき男でございますな!この身が一時身を寄せていた伊勢長島の民衆を焼き、その前に比叡山を焼き、さらに近江越前の朝倉をも殺戮するとは、まさしく神をも恐れぬ輩でございます!」
「その神をも恐れぬ相手を前にどうせよと言うのだ」
「毒を以て毒を制すしかないでしょう、そう我が愚息を」
信虎は元々あまり信玄を評価していなかったが、それでも三十年にわたり武田家を舵取りして来たのは認めていた。そしてその容赦のないやり口こそ織田信長と言う猛毒との戦いには欠かせないそれであり、唯一信長を止められると信虎も認めていた。
「あの徳川とか言う小僧をすり潰したと聞いた時には確信しました!あれほどまでに容赦のない真似ができねば、あの魔王は倒せませぬ!」
「だがそのためにおそらくかなりの国力を使ってしまっている。大規模に動けるのは一体何年後かわからぬ。その時まで幕府が持つだろうか」
だが義昭はそれを承知したうえで、幕府の現状を憂いていた。
もはや幕府も将軍もまともな価値などない事を、義昭が一番よくわかっていた。
仮に武田が間に合ったとして、足利将軍家を立てるだろうか?れっきとした源氏である武田は征夷大将軍になるには全く十分な家柄であり、こんな看板だけの政権をわざわざ受け継ぐ必要はない。それこそ武田幕府を作ればいいだけである。
もちろんすぐさま信長により引きずりおろされ、信長新政権が生まれてもまったく不思議ではない。ちなみに信長は平氏の出なので、なるとすれば太政大臣だろうか。
「それにだ、本願寺も当分は動けない。この前の敗戦もあるが何より味方が減りすぎたからな。とにかく信虎殿もおとなしくしてもらいたい、そうでもないと信虎殿も危ないぞ」
「今更命は惜しみませぬが、上様がそうであれば慎みましょう」
義昭自身、この辺でもういいかと言う気分になっていた。せめて政権の長として、納得した上で政権を渡したかった。
立場とは別にそれこそ最後の一兵まで戦いそうな信虎から逃げるように、義昭は酒を注ぎ、信虎を酔い潰そうとした。—————その酒が、ほとんど白湯同然のそれでなければ有効だっただろう。
結果的に信虎は義昭の全体で倍の量の酒を飲んでも潰れず、その前に二人して温度の上がった体を全く乱れない足で厠へと持って行く方が先だった。




