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武田勇戦記  作者: 宇井崎定一
第三章 武田の信用
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風魔小太郎と酒井忠次の嘆息

第三章開幕です。

「徳川家康に続き、朝倉義景まで死んだか……」




 十一月半ば。


 小田原城近郊の雪がちらつかぬ山地にて、風魔小太郎は報告を受けていた。


「それで浅井親子は」

「久政は死亡、長政は信長に降伏、どうやら助命されたようです」

「下がってよい」

 小太郎は金を声の主へ向けて投げつけ、そのまま座禅を組み続けた。


(朝倉が家康の死を好機と捕らえ動いたのは全く自然……だがその顛末がこれではどうにもならぬ……)

 すでに伊勢長島一揆と本願寺教如の惨敗は風魔も知っている。

 それすなわち織田包囲網が家康の死と言う絶好機を突いたのに三か所とも惨敗したという意味であり、織田の武名を桁外れに高めただけだった。


 織田の次の目標はどこか。伊賀か、本願寺か、あるいは遠江か。


「北条はどこまで武田を捨て石にできるか……」


 小田原城に向かいながらも、織田の凄まじいまでの戦果の行く末を慮っていた。

 ほぼ同時に三方向から攻撃をかけられながら、簡単にしのぎ切ってしまった。


 本願寺は叩いただけだとしても、朝倉はほぼ壊滅。浅井も信長に服するか死ぬかしかない状態。

 戦勝が慢心を呼ぶことを期待するとか言う無茶を望む自分を少しだけ嫌悪し、そして実現できないか考えようとした。



「織田はそこまで連戦連勝しているのか」

「間違いございません。近江越前の二か国はほぼ間違いなく織田領となり、伊勢長島一揆もほぼ壊滅。石山本願寺も打撃を受けております」

「徳川が打撃を受けても織田は無関係と言う事か……」


 氏政がこぼした通り、信玄は徳川を弱らせただけであって織田には痛撃を食わせていない。岩村城と言う要害を落としはしたが、それでも織田が得た物と比べると明らかに少ない。


「織田はこの後どうすると見る」

「織田は徳川を切れぬと見ます。そして武田も今は上杉など捨て置いて徳川と織田を狙います」

「すると来年には織田と武田がぶつかると」

「武田が織田に喧嘩を売ると思われます、いやそうせねば武田は潰れます」


 これは小太郎なりの確信だった。武田は上杉でも潰さない限り三河一国しか増えないのに対し、織田は伊賀・摂津・河内・和泉・丹波・丹後・但馬などいくらでも取りようがある。このうち摂津の本願寺以外は確固たる勢力もおらず、その気になれば近江越前のように一気に織田領にできそうだった。もちろん、加賀と能登もである。

「そうか……北条は武田に与すべきか?」

「個人的にはすべきだと思っておりますが……」

「だろうな。武田が織田に潰されたら次は北条だろう。その時になって慌てふためいても遅いのも事実だ。それでどの程度の兵を出せると思う?」

 氏政と言う主君が自分へとどんどん言葉をぶつけてくる。たかが忍びに過ぎない自分に対して。

「そのような事はもっと他の方と相談すべきではないのですか」

「北条の人間は関東ばかり見て来た、どうしても世間は狭くなる。その方の情報網は実に心強いのだ」


 その事を割と直截的に指摘したはずなのに、氏政は全く気に掛ける素振りもない。あまりにもあっけらかんと自分を頼りにする宣言を行い、取りすがろうとさえしている。もう三十五だと言うのに、ずいぶんと幼さを覚えさせる仕草だった。


「では逆にお伺いしますが、お館様はどのようにお考えで」

「とりあえず少なくとも五千、できれば一万の兵を武田にやり、その間に残る兵力で関東を攻めたい」

 結局、従来通りの四文字で終わるそれでしかない。氏康だってその従来通りをずっとやって来たのだから大きなことも言えないが、いずれにしても旧態依然である。


「ではそれがしは失礼いたします」

「頼むぞ!」


 話を切り上げた小太郎は小田原城を去りながら、ひそかにため息を吐いた。


(これでは大殿様には及ばぬか……わかっていた事だが……)


 氏康ならばどうしたか。それを考えるほどに老け込んだわけでもないが、やはりどうしても氏康を求めてしまう。

 氏康ならば、関東を犠牲にしてでも徳川を本格的に殺しに行くかもしれない。あるいは、全力を注ぎこんで下総や上総ぐらいまで取ってしまうかもしれない。いずれにしても、何らかの派手な動きをしてしかるべきはずだ。この数年、北条は派手な戦もなく余力は十分にある。

(織田信長……未だ底の知れぬ男……)

 だが信長と違い、北条はかつての執権政治の中核の名前を借りた御家。初代の早雲が興したとは言えあくまでも関東の覇者となる事ありきの名前であり、とても全土を積極的に治める名前ではない。もっとも足利だってそんなつもりではなかったのだろうが、いずれにしても結局氏康は選択をしたのだ。




 ————————————————————武田信玄を生かし、信長と戦わせると言う。


 その主の選択に今更逆らう気がない程度には風魔小太郎は北条の忠犬であり、氏康の股肱の臣だった。




※※※※※※※※※




「万福丸殿が?」


 風魔小太郎が氏政の出来に嘆息している頃、岡崎城の酒井忠次は珍客極まる存在の到来に目を白黒させていた。

「浅井長政が織田様に降伏し、その証としてこちらに来る事となったとか」


 長政が降伏、恭順を認められただけでも忠次にとっては驚天動地なのに、さらにその子が助命されるとは。

「本当にか」

 さすがに後継からは半ば外されるらしいが、それでも裏切り者を相手にしたとはとても思えないような信長の行いに、伝令役の榊原康政に二度も問うた。

「間違いございません」


 清州でも岐阜でもなく、岡崎。

 しかもその三択を選ばせた結果の三択。


「とにかく会いに行こう」


 忠次は足早に歩きながら珍客を迎えに行くが、先導役の康政について行けなくなりそうになる。

「おい康政速くないか」

「申し訳ございませぬ、しかしあまり待たせるのもどうかと」

 康政は二十五歳、忠次は四十八歳。その年の差もさることながら、康政の妙な速足に忠次は戸惑いながらも突き進んだ。


 そして、うやうやしく鎮座する客の下にたどり着き、康政を部屋の外に待たせた。


「浅井万福丸でございます」

「酒井左衛門と申す」




 お互いに名乗りあった所で、康政のそれ以上に大きな足音が鳴り響き出した。



「小平太!何のつもりじゃ!」

「何のつもりも何もないでしょう、酒井様は徳川の筆頭家老!」


 忠次の頭が鳴り響く。

 甲高い女性と、さわやかな青年の声が混じる。


 後者は紛れもなく康政だが、前者は紛れもなくあの女性だった。


「お前は主君の母を何だと思っておるのじゃ!」

「お控えくださいませ!」

「わらわは当主の母じゃぞ!」

 

 押し問答が激しくなってくる。当初の母なる女の方がふすまを破らんばかりにのしかかり、康政が必死に押している。

「……」

「まことに申し訳ない……とにかく殿とお会いいただき、そして織田様と共に」


 清州にいったん戻っていた織田信忠と、徳川の当主徳川信康、そして浅井万福丸。


 二つずつの差の次代の当主たちの友好を結び、改めて立ち上がる。



「何じゃと!」



 それが織田の狙いなのかと忠次が納得した所に、ふすまから一本の木が生えて来た。


「酒井!」

「築山殿!」

「引っ込んでおれ康政!」


 木ならぬ扇子の主こと築山殿のとがり切った目つきが障子越しでもわかってしまう。

 忠次が胃が痛むのを堪えながら万福丸に向けて幾度も頭を下げる中、万福丸はじっと無言で座っていた。

 堂々とした万福丸を見るにつけ、頭に血を登らせる築山殿の存在が情けなくなってくる。

「誰かおらぬか、御母堂様を静めよ…………」

「人を何だと思っておるのじゃ!家臣の分際で!」

「私は徳川の次期当主の実父だ!」


 やむなく出された切り札を前にして、築山殿は歯を食い縛りながら扇子で康政の頭を三度ほど打ち据えて去って行った。



「痛み入ります」

「まったく、お恥ずかしい所をお聞かせしてしまい申し訳ございませぬ……」


 十一月にもなって体中から冷や汗を噴き出させているのをまったく気にすることなく吠える女を思うにつけ、前の主君が懐かしくなってくる。

 いやあれは前の主君をもってしても、それどころか本物の主君をもってしても御しきれない女だった。



(「その方はもう徳川の女だ、今川などと言う名を振りかざすな、みっともないぞ」

「そちらこそみっともないと思わないのですか、かつての部下の家に間借りして!」

「私をみっともないと言うのならば、そなたもみっともない事になる!」

「わかりました!みっともなくて結構です!」)



 北条の下にいられなくなった今川氏真が浜松城に亡命した際、自らの手で築山殿を説得しようとした事もある。だが築山殿はあまりにもあっさりと開き直り、氏真に向かって足の裏を思いっきり見せながら後ろ手で大きな音を立てて襖を閉めただけだった。


 その氏真は今京におり、都の公卿たちと交友を深めているらしい。

 まさか氏真を信長が好いているせいでもないだろうがとか関係ない事を思いながら、忠次は信康の前に別の男に万福丸を会わせる事にした。




「父上」

「これこれ、父上ではないでしょう」

「ああ、酒井……」

 二の丸の片隅にて二名の侍女と共に座る一人の少年、徳川家次。

「若君様、こちらが浅井備前守の長子、浅井万福丸殿でございます」

「そうですか、私は徳川遠州が息子、徳川小五郎でございます」


 実子にさえもためらいなく頭を下げ敬語を使う。忠次とはその程度の事ができる程度には誠実で実直で、そして常識人だった。


「しばらくはお二人でお話を。用あらば私が迎えに参りますので」

「では父上、いや酒井よ、よろしく頼むぞ」



 しばらくは、自分がなんとかせねばならない。




 そのために実の子を当主の養子として押し込めさせ、そして主導権を握る。


 その策を見出す役目すら織田家頼りと言う現実が忠次の心をさいなみ、そして家次と万福丸のさわやかな笑顔にほんのわずかだけ癒された。

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