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武田勇戦記  作者: 宇井崎定一
第二章 浅井長政の答え
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朝倉義景の崩壊

「羽柴勢が来ると言うのか」

「阿閉勢がしのいでおりますが、いつまで持つか……」


 援軍であったはずの久政軍でさえも話にならないどころか、むしろ逆に援軍を求められるような事態になっている。


「羽柴は、羽柴の大将は術を使うのです!」

「真面目に物を言え……!」

「そんな、そんな軍勢とは恐ろしくて戦えません!」


 ただの敗走ならまだともかく、兵士たちの精神状態も限界に近くなっている。


「しょうがない!一歩下がれ!」

 義景は久政たちを本陣に置かせ、自分は一歩だけ後退した。

「羽柴とやらは我々がしのぐ!柴田と言う人間を斬れ!」


 その程度の指示が出せる程度には、義景の目も覚めていた。


(柴田に羽柴、どちらも恐ろしい。織田は確かに勝ち続けて来た軍勢だ。しかしこの数を攻めきる事はできまい!いざとなったら一乗谷まで逃げ込んで雪にすがれば何とかなる……)


 もう突破など無理だ。


 だが一歩下がって受け止め、突破されないようにすればいい。それならば勝ちではないが負けでもない。長引けば尾張生まれ尾張育ちの兵たちは雪に耐えられず退くしかない。

「羽柴とやらはほどなく来るだろう!そちらに向けて構えておけ!」

「しかし!」

「大丈夫だ、この程度の数!受け止めてやる!」

 自分がついさっきまで受け止めきれなかったくせにずいぶんな物言いだが、それでも久政はまだ数を当てにしていた。

 柴田は七千、羽柴とやらは五千。浅井勢はとりあえず千、自分たちは一万二千。同数ならば押されるまではともかく突き破るまではないはずだ。


「落ち着け!柴田はただの人間だ!」


 そして義景に心酔していた久政は義景の思った通りに動き、数少ない兵を取りまとめて柴田軍にぶつかって行った。

「そうだ、柴田だって人間だ!」

「死ぬ気でかかれば勝てる!」

 そして真柄親子を失って意気消沈しかかっていた朝倉軍も気合を入れ直し、柴田軍に向けて攻撃を行う。


 こうなると、包囲されている上に数の少ない柴田軍は不利になる。

「何を!」

 勝家が必死に声を上げるが、それでもゆっくりと柴田包囲網は狭まって行く。景固と吉継もよく耐えており、このままならば耐えきれる。


「別に殺さなくてもいい、殺すと因縁が深まるからな」

「それは!」

「うっかり殺してしまったのならば申し訳ない。うっかりとな」

「確かにそうですな」



 そしてその主から出て来た良い意味でいやらしい言葉に、義景の人好しぶりを嘆いていた側近たちの気分も上がった。

 下手に殺すより敗北の記憶を刻み付けた方が打撃が大きい事もある。もちろん仇討と言う名の闘志を燃やしてくる可能性もあるが、それでも生き恥をさらさせてやるのも悪くない。


「よし!もう少しだ!もう少ししのげば相手は退くしかなくなる!その後は羽柴とやらをきっちり受け止めるまで!」

 めどが立ったと確信した義景の力強い言葉が響き渡る。

「さあ!柴田を押しつぶせ!」

 大丈夫だと言う自信がふくらみ、朝倉軍に広がって行く。

 朝倉義景、一世一代の名采配であり、戦況を変えその名を上げるにふさわしき行いだった。




 —————その膨らんでいた自信に向けて、あまりにもちょうどよく一本の針を飛ばした人間がいなければ、だが。







「お館様、あれは!?」

「そんな!たかが一本で」




 たかが一本ではない旗が義景の視界に入った瞬間、千両役者は大根役者に成り下がり、膨らんでいた自信は溶けた。







 織田木瓜の。







※※※※※※※※※







「進め……」


 織田信長自らの発した三文字と共に、信長直属軍は動き出した。

「権六はずいぶんとよくやっている……せいぜいまだまだ我が下でこき使ってやらねばな……」

 愛想はないが愛のある声と共に、温みかかっていた姉川が再び熱くなり出した。


「しかしこうしてこの地に再び来てみますと、一段と寒々しく見えますな」

「そうか。余はむしろ暑苦しく思えるな」

「それはやはり戦場の熱気でしょうか」

「勝家にとって戦場とは日常である。なればこそ普段と変わらぬ力でいられる。だが、そうでない者にとっては……であろう?」

 稲葉一鉄と言う歴戦の将をもってしても、戦場の空気と言うのは読み難い。

 柴田勝家と言う名の戦場の象徴ではなく、朝倉義景が暑苦しくしていると言う信長の主張を理解するのにはいささかの時間を有した。


「朝倉義景は今、自分の力を振り絞って戦と言う非日常に臨んでおる。目いっぱいの力を振り絞り、勝家に抗おうとしている。確かに勝家め、あれほどまで追い詰めながらも未だ崩し切れぬようだ」

「朝倉義景侮りがたし……」

「確かにそうだろう。だが義景はしょせん一揆衆としか戦って来なかった男、そして兵法書を読み頭に入れる事は出来ている、がそれまでの男……」

 朝倉義景は教養人であっても、実践経験のない人だった。そんな人間にとって戦場と言う非常事態で突発的に起こるあれこれほど重大な難題はなく、また数を必要以上に重んじがちである、机上の空論と言う訳でもないがあくまでも兵士の能力を一定としか考えず、特別な強兵や豪傑の存在を頭に入れていない。


「頭の中での戦場と今ここにある戦場は全然違う……自分なりに予想と外れた時の対策は取っているのだろうが、それとて一度や二度ならともかくな……」

「では朝倉義景はもう」

「ああ、敵は浅井久政よ。久政は筑前と戦っているとの事だ、一応安藤を援軍にやったがまあ問題はなかろう。一鉄、共に卜全の仇討ちにでも参ろうか……」




 伊勢長島一揆を焼き尽くした後伊勢を滝川一益に任せ、自身は近江へと強行軍で渡り、その上に美濃から稲葉一鉄と安藤守就の手勢を集めさせて組織した「織田軍」、

 先遣隊だけで六千の軍勢が、今犬上川へと本格的に叩きこまれた。




※※※※※※※※※




「信長がこんな所に!」

 大見栄を切った所に現れた敵大軍を前にして、義景は完全に自信を失った。

 数が同じだと見ていたからこその防衛策であり、こうなってしまってはもうどうにもならない。


「総大将様!」

「に、逃げる以外の選択肢があるか!」

「それでは!」

「うるさい、自分の身は自分で守れと言っておけ!」

 他に何の手もない以上しょうがないとばかりに、義景は逃げた。拙いながらも必死に馬を動かし、みっともなくも正しい行いをして見せた。

「信長め、雪に願いを託し、いずれは……!」

 力なくそう口にしながら、ひたすらに尻を向ける。見栄も外聞も知った事かと言わんばかりに逃げるその姿は、まだかろうじて武士の威厳を保つそれだった。




「信長本隊だと!」

「や、やは、やはり……!」

「伊勢にて一揆にてこずっているはずではないのか!」


「おいあっコラ!」

 だがその義景に依存していたはずの浅井久政はと言うと、急激にひとりぼっちになっていた。元々精神的打撃が重篤だった浅井勢はかろうじて自分たちを守っていた義景の逃走と信長の到来により、ここに来るまでに四分五裂していた兵たちに従うように自分たちも逃げ出してしまったのだ。しかもひどい兵になると万歳突撃かと思いきや柴田軍に投降を申し込むような有様で、もう完全に軍勢としての体裁は失われていた。


「これではもうどうにも!」

「やかましい!左衛門督様が逃げ切るまでは動かん!」

「じゃあ一人でやってください!」

 本陣から動こうとしない久政を置き去りにして、また一人兵がいなくなる。

「おい逃げるな!ここで逃げたら左衛門督様に!」

「ですから一人でやってくださっ!」

 久政は一気に立ち上がると、背中を向けていた兵を後ろから斬り倒した。

「さあ死ぬまで戦え!左衛門督様を落ち延びさせるのだ!」


 無駄死にした兵の血が付いた剣を高く掲げながら徹底抗戦を宣言した久政であったが、その期待に応える兵は一人もいない。


 五千の所から千で逃げたのにいつの間にか五百になり、百になり、気が付くと三人になっていた。


「お前たち!お前たちだけでも!」

 そして調子のいい事を言っていた久政の後ろに立ったその三人のうち二人のこぶしにより久政は殴り倒され、もう一人の手によって強引に馬上の人にされ、退却させられた。




「お前ら、何を!」

「これしかないのです」


 ようやく久政が目を覚ました時には姉川は既に遠くにあり、とても柴田らを止める事などで来そうにない。

 わめく久政だったが、固く縛られていて身動きなど取れない。

「バカ者、お前ら!」

「これは今は亡き赤尾様の命令なのです、大殿様だけでも生きてくれと」

「あ奴め、年を取って刃まで鈍ったか!」

 赤尾清綱は元から久政派で、姉川でも長政に次いで激しく戦い戦果を挙げていた。磯野や宮部が織田に走った中戦い続け、今日この日までその命を使い続けて来た忠臣だった。

 その忠臣であり実は自分たちの直接の上司である清綱を言いくさされて腹が立った兵たちはこの時、久政を蹴落とす事も出来た。


 だが、それをするには彼らの気力が微妙に足りず、忠義心が多すぎ、そして何より織田への怒りと侮りが多すぎた。



「今はとにかく小谷へ!小谷へ籠り敵を迎え撃つのです!」



 そんな実に浅井勢として立派な言葉を飛ばすのが、彼らにとっての精一杯だった。

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