一五七八年・西
東で信勝たちが新たな大地に夢見る中。
西でも、ひとつの結末が迎えられていた。
「これは……」
信長の死から三年。
ついに、完成していた。
「…………」
雄弁なはずの羽柴秀吉でさえも、最初の三文字以来言葉を失っていた。柴田勝家などはもう論外である。細川藤孝や一色義道などのむしろ名家に当たる存在に至っては、めまいを起こしたようになっていた、
「これが、上様の夢……」
丹羽長秀がわずかにそう言うのが目一杯な程度には、その城は偉大だった。
決して、昨日今日出来上がった城ではないのに。
「最後に見たのはいつだ」
「ひと月前です」
「わしは十日前でしたが……」
三年かけた城の十日前など、百里の道の内九十九里である。九十九里を半ばとすとか言う訳でもないが、残り一里分を足しただけでここまでになるのかと将たちは単純に感嘆していた。
「まもなく私は、やや不覚ながら征夷大将軍となる事は存じておろう」
征夷大将軍と言う名義は、織田としてはふさわしくない。
織田家は平氏の一族であり、その先例で行けば平清盛のように太政大臣になるのが流れだった。ちなみに藤原氏ならば摂関であり、征夷大将軍なのは源頼朝や足利尊氏のような源氏だった。実際、朝廷もその方向で話を進めるべくすでに左大臣にまでしていた。
だが信忠は、太政大臣ではなく征夷大将軍になる事を選んだ。
「ただ父上だったら平氏がどうとか言い出すわけがないからな」
そしてその選択に、さして深い理由はない。平氏だから太政大臣とか言う陳腐な思い込みをぶち壊してやろうと言う、実に子どもっぽい発想だ。
もっとも、その方向に至るのはそれなりにまともではない考えではあった。
信長の正室である濃姫には直子はいないが、後継者である長男の信忠からすれば実母に等しいとも言える。その信忠の土田御前と並ぶもう一人の祖母である小見の方が明智の一族であり、明智光秀のおばである。
明智家は源氏の家だから、義祖母が源氏の一族である信忠は源氏の一族である—————。
果てしない牽強付会であり、屁理屈の集合体だ。
信雄の義父である北畠具教や細川藤孝などの源氏の一族の系譜を借りる事もせず、あくまでも自分たちの身内から引っ張って来た「源氏」。
————————————————————それこそ、「源氏」の重みがその程度だと言う何よりの証左でしかない。
「私は既に義母上の養子となり、源氏の縁者となった。その程度で十分だろう」
「その程度……」
「私はどうにも、まだ浅はかな小僧でしかない。父上は別に、旧弊打破のために動いていた訳ではない事はわかっているつもりなのにな」
織田信長は確かに、数多の旧勢力を打倒して来た。だがそれは焼き討ちのような殲滅だけではなく、あくまでも原点回帰だった。
農民は田を耕し、坊主は経文を唱えていればいい。戦うのは自分たちだけでいい。その信念のために、魔王と呼ばれても全く気にせず、世の理を貫いていた。
「皆、この城の完成を父上に見て欲しかったと思っているであろう。私も気持ちは同じだ。だが父上の気持ちが同じだと誰がわかる?」
「………………」
「信雄も、信孝も、明智光秀も。この城を見たかったかもしれないし、見たくなかったかもしれない。
まあ名文句でも私のような人間が言えば陳腐なだけかもしれんがな」
この五年間で、織田が払った犠牲も決して少なくない。はた目には連戦連勝だったとしても、一将が功なるために万骨を枯らしたのもまた事実だった。
「なあ、越前(勝家)、筑前、伊勢(滝川一益)。私は徳川を救えたと思うか」
中でも最大の犠牲は、徳川家だった。
家康を信玄に殺されてから、三度その仇を討つべく戦った。
しかし遠江では火に阻まれ、兼山城東では信玄の孫と信長の子にあしらわれ、そして桶狭間では信玄の陥穽によりほぼ自滅の形で徳川は消え去ってしまった。
「弱き身を 弱きと言えぬ 弱さゆえ よわい重ねず 弱さ重なる」
享年十二歳、徳川家次の辞世の句。
そんな年にして徳川家の弱さを思い知らされ、その上で味方だったはずの織田も頼りにならないまま、実父も義父も家臣も武田に奪われた。
その原因は何か。
織田が弱いから、と言うのももちろんある。
だがそれ以上に弱かったのは、徳川だった。
武田との秋葉街道の戦いで家康の短慮により家康を失い、遠江を失い、三度の戦いでも戦果を挙げられなかったどころか全てを失ってしまった。
「父上は浅井を救おうとして、無事救った。忠政も今は私の小姓として仕えている。長政、恒政共々まだまだこの世のためにその力を見せてくれるだろう」
「しかし……」
「だがそんな下手人の武田を私は許した。徳川の意志など無視し、自分たちの都合だけで存在を踏みにじった。私を非道だと思うか」
「思いませぬ」
そんな思い悩む主君に声を放ったのは、秀吉だった。
「わしは征夷大将軍様をご覧になったのです。ただの農民だったわしに声をかけ、頭を下げてくれたお方を」
「そうか、足利義昭殿は……」
「ええ。とても真面目で、決しておごらぬ方でした。うちのお袋や女房も良きお方だと申しておりました」
「世界が違い過ぎるだけだったのではないか」
「ああ、それでこれまでになかった感触を覚え、我が子の事もあって気が緩んでしまわれたのかもしれませぬ。それで……」
「原点に戻ってしまったのだな」
原点も何も、家次にはそれしかなかった。
そして残った所で無駄死にが目に見えてしまった以上、無駄な抵抗をして犠牲者を増やす事はないだろうと言う結論に至り、自害したのだろう。
義昭は秀吉の存在を認め、秀吉と言う存在に安住する事によりこれまでまったく務められなかった武士としての原点に戻ってしまい、武田軍と戦って死んだ。
足利義昭の子はすでに足利義信改め義秀とか言う名前を与えられることが内定しており、さらに実子のいない羽柴家の後継候補として信忠の弟の信勝と並び立つ立場になっているらしい。
「徳川は武士としての勲章に酔ってしまったと言うのか」
「わしだって出世栄達に酔います。ただしすぐ酔いを醒ます存在がいるだけですが」
結局のろけのようになってしまった秀吉の頭を勝家は軽く叩こうとするが、信忠は軽く笑った。
「越前……そなたももう五十七だが、そなたも相当に奇跡的な存在だぞ。五徳には悪いが、信康殿の手綱を引くような女性であれば、な……」
「手綱を引く力を持っているのは危険だと学んでしまったのやも知れませぬが……」
「義母上も叔母上も強い女性だったのにな……ああ、そなたの家臣の利家の妻もな」
信康の悲報と共に、五徳も後を追った。他の徳川の兵士たちを含む老若男女もまたこの義親子のお供を務め、岡崎城はほとんど空城の状態で武田に明け渡された。
「正直、もう引きずる時でもありますまい」
「越前……そうだな。
私自身、この城を作るまでは正直何もする気になれなかった。一応父の力を引き継ぐつもりで動き、幕府の立ち上げのために動いても来た。だがどこかで、もうこれ以上はと思ってしまっていた」
播磨も但馬も手に入れ、文字通り三分の一衆ともなった織田家。武田も含めればこの国の半分を制した英雄たち。
だが、所詮半分は半分でしかない。
「時に、聞く。安土城を作ったのは誰だ。人足たちか。いや違……わん。
名もなき人足たちが、ただたまたま平家の末裔の、尾張守護代の織田家に生まれただけの男の下に生まれただけの男の遺言によって指揮され、私が口を出した。それだけの城だ」
それだけの城。
そう、それだけの城なのだ。
「私はもうこれ以上、ここに留まる理由もない。居城ともせず、あくまでも父上の城とする」
「そのような!」
「無論守るだけの人員は入れる。だがあくまでも行政は京で行う。
そして、そなたらは毛利を頼むぞ」
三年間、冷戦と言うか放置状態だった毛利と言う次なる敵。
信長の志が、半ばで終わったのか半ばにも達していなかったのか、それとももう終わったのか。
そんな事はもう誰にもわからない。
「私は、唐国や朝鮮のみならず世界の国の全てを父上は求めていたと思っている。そのためにはどうしても港が要る。堺や敦賀のみならず……いや、これはもう、私の夢だ」
「わかり申した。この柴田勝家、どこまでも付き合います!」
「羽柴秀吉も共に!」
「私たちも!」
将たちと共に、信忠は高く手を挙げた。
信長のではない、自分の夢のために。
信忠もまた、新たな戦いに赴こうとしていた。
織田信長「明後日からはこれ→https://ncode.syosetu.com/n9558ia/を楽しもう、ぞ……」




