一五七八年・東
天正六(1578)年。
武田信勝は、上野の厩橋城にいた。
「いよいよ、か……」
あの桶狭間から三年間。国情の安定に専念していた武田はいよいよ動き出す事となった。
「しかしあまりにも広すぎて、何がどうだかと言うのが本音で……」
「だが織田殿はそれをやっている。我々も負けてはおれぬ」
武藤昌幸はこれまで通り、深くため息を吐く。
「山県様」
「殿でいいだろう」
「あなたにも少し胃を痛めてもらわないと割に合いませぬ!」
昌幸は吠えるが、山県昌景以下誰も追従しようとしない。
「信玄公とて幼少の頃から我々の心を悩ませて来た。それと同じだ」
簡単に言ってくれるなと思ったが、実際そうなのだろう。いろいろと思いも寄らない事をいろいろ言って来ては、家臣たちを振り回して来た。育ての親や重臣の言う事をはいはいと聞くだけならば、それこそ赤子でも置いておけばいいのだ。
あの戦いから三年後、武田の国情はすっかり変わっていた。
織田家とは完全に和平が結ばれ、武田方の岩村城を含む美濃からの撤退・その代わりに三河を譲渡で領国問題は終着。
それから三年かけて武田は遠征に次ぐ遠征で弱った国力を立て直し、国情をすっかり整えた。
「関東の諸勢力ともいろいろ話を付けるのが大変だったのですぞ」
「なんだかんだ言って影響力は大きかったからな。関東の諸勢力全てが反北条と言う訳ではなかったしな」
四年前の川越城の戦の後武田が武蔵の西、他の諸侯が武蔵の東を抑えると言う形になっていたが、それでも北条は当然ながら幾度も武蔵奪還に向けて攻撃をかけていた。そのたびに一進一退の攻防を繰り返し、武田が桶狭間で打撃を受けた頃には西武蔵にまで北条の兵が侵入していた。だが内藤昌豊や馬場信房が援軍として武蔵に入ると状況は変わり、北条は結局武蔵を失い、孤立した下総と上総も佐竹らの攻撃により喪失。
そして昨年武田家の攻撃により小田原城をも失い、戦国大名として終焉を迎えた。
現在は幻庵と氏直、さらに後継者とされた氏規の子の乳飲み子だけが伊豆で一万石前後の石高をもらいながら細々と生活を送っているに過ぎなくなっている。
「北条を滅ぼさなかったのは英断だった」
「あの時は必死にお館様を説得しましたよ、地元の民は北条家になついているからあまり強引に事を進めるなと」
「それでも仕掛けて来たのだから仕方がないだろう。何人の武田の民が北条に殺されたと思っている」
「武田が殺した数の十分の一ですかね」
昌幸はふてくされたように言うように、戦いはかなり圧倒的だった。実際氏康が死に際に交わした約束を破ったのは氏政であり、氏政がいる限りは武田が北条を許さない理由はいくらでも作れた。それでそれを盾に戦いを仕掛け、この四年間武田は北条を叩きまくって来た。十分の一以下は大げさにしても松田憲秀と大道寺政繁を失っていた北条には親族以外で目ぼしい将がおらず、頼みの道感も一人しかいない状態で小田原にしょっちゅうちょっかいを出されて徐々に領国を侵食され、気が付くと滅んでいたのだ。
しかもこの遠征に、信勝たちはまったく関わっていなかった。
「相州にはまた迷惑をかけてしまうが」
「もう十二分にかけられております」
「でも同時にいつ内大臣殿の気が変わらぬとも限らぬとも思っているのだろう」
自分たちが苦労している間に夢に向けて好き放題に邁進していた上官の笑顔が、嫌になるぐらいまぶしい。
「もしその時、武田は何ヶ国で織田は何ヶ国だと言っていた?」
「それは……しかしもう少し……」
「そんな悠長な事ではないはずだろうに、なあ」
「楽しみですな、東北にはどんな人間が待っているのか!」
「我々の仲間になるかもしれませぬな!」
「雪深いだろうな、尾張は無論甲斐よりも信濃よりも」
「まあまあ、それほどあわてなさるな!」
それに続く子どもたちのうなずきぶりに、昌幸は改めてため息を吐くしかなかった。
ちょっと前まで二人だったのが四人になり、今では五人になっている。
いや、井伊直信についてはもう十九歳だから子供でもないが、それでも最近では自分より信勝たちになついて新参のくせに兄貴分気取りになっている。
「それにだ、陸奥の先にさらに大きな島があるらしいぞ」
「そう、確か蠣崎とか……」
そして彼らがこんなに乗り気なのは、判定勝ちとは言えこの中で間違いなく一番世間の広いらしい少年のせいだった。
柿崎ではなく蠣崎とか言う、聞いた事もない人間の名前。
「一体何年かかると思っているのか……!」
「三年かかるかもしれないし、三十年かかるかもしれない」
「……ああ……」
往生際の悪い昌幸がうめき声をあげると、昌景は笑顔のまま右手で昌幸の頭をはたいた。
「確かにそなたのような考えの人間は必要だ。だがそれが過ぎるとお館様がおっしゃっているように時を逃す。いったいどれほど待てば気が済むのだ」
「正直占領した領土の民治と安寧のために、十年……」
「冗談はよせ」
「冗談に決まってるでしょうが!アハ、アハハ、アハハハハハ……!」
冗談のつもりもない冗談を口にして無理矢理に笑った昌幸は、ようやく胃の痛みが治まった気がした。
あの戦いを生き残った三人の重臣の内、馬場信房は既に六十を越えていた事もあり隠居。内藤昌豊は織田軍との戦いで負傷したとか言って一線を引き、養子に御家を任せている状態だった。信房の子の昌房は既に三十歳を越えていたが今年五十歳の昌景には貫禄負けしており、昌豊の養子の昌月も養子になったばかりで内藤家の権威を受け継いでいない。さらに高坂昌信もここ最近体の調子が思わしくなく、跡目の昌澄に任せている状態だった。
「まあな、ひとりぐらいこれぐらいの事が言えなければ御家など回らんからな」
そんな訳で事実上筆頭家老となった山県昌景の権力は、穴山信君や武田信豊、つい最近新たに親類になった木曽義昌や小山田信茂と言った辺りが遠慮している事もあり、相当に増大していた。
「まったく、躑躅ヶ崎館で相当に論を交わしたつもりだったのだが……」
「私は別に、その……」
「まあもういい。それでお館様」
「わかっている。まずは米沢だ。すでに叔父上が話を付けている」
信勝たちは静かに北を指す。
すでに越後には仁科盛信が入ってから三年が経ち、上杉の残滓はほぼなくなっている。
北条の滅亡に伴い上杉憲重も武蔵に入り、越後はもはや完全に武田領になっていた。
その越後の下越の東にあるのが、米沢城だった。
「既に城主の伊達輝宗様とは友好を進めております。そこからその北の最上との関係もありますが、まずはそこから出羽を突き抜けて行く所存でございます」
「南陸奥ではなくか」
「下野は佐野家の領国。伊達と佐野に挟まれた地をとってもあまりうま味がございませぬ。最上は輝宗様の奥方の家なのでそう簡単ではないでしょうが、西には海しかないのですから」
「はぁ……!」
昌幸は素直に感心した。
さっき対北条に信勝たちは関わっていなかったが、実は東北攻略に昌幸はぜんぜん関わっていなかった。
「こら昌幸!」
そして今度は、先ほどよりかなり強く昌景の手が昌幸の頭を捉えた。
「申し訳ございません……!」
「そなたが思っているよりずっとお館様たちは立派に育っている!そなたもまだ三十三だろう、そんなに老け込むな!」
「はい……」
「わしだってせっかく生きているのだ、楽しまねばもったいないだろう!」
せっかく生きている。
何という言葉だろうか。
だが、その通りだった。
(あの時……)
ずっと労咳に苦しんでいた信玄が、いきなり送りつけられて来た風魔の秘薬なるそれをためらいもなく飲んでから五年間。
信玄はさらに鋭さを増し、武田家を甲斐・信濃・駿河の三ヵ国からわずか五年で十ヶ国の主にまでした。
あの時、小姓頭として止める事も出来たはずだった。
だが信玄はまったく爽やかな顔をして口を付け、それから死ぬまで労咳の事を忘れたように動いた。
「やれやれ……若い時の苦労は買ってもせよと言いますが、いつの間にか苦労をしたくて苦労しているようになってしまったようですな」
「そうだな。苦労のための苦労には価値などないぞ」
昌幸は、また笑った。
今度は、心底から笑った。
「ようやく昌幸も落ち着いたようだし、これより米沢城へと向かおう」
「準備は万端なようですな」
「ああ、それだが昌幸。
輝宗様の子の梵天丸、いや伊達政宗……面白いらしいぞ」
そこにまた飛び込む、新たなる少年の報告。
まだ十三歳だと言う存在。
何でも疱瘡を患って片目の視力を失ったとか、さらに男児を生んだ母から遠ざけられているとか、その母親が築山殿並の烈女だとか、いろいろな情報を持ち込んで来る。
「お前か」
「ええ、さすがは忍びたちです」
信勝の隣で息子たちが情報を並べて来るのを見るや昌幸はもう息子たちは大丈夫だと確信し、そしてまた別の子どもの面倒を見る事になるのかとさわやかに苦笑いした。
「さっそく会いに参りましょう」
「不安ならいくら申してくれても構いませんのに」
「勝長様も共に参りますか」
「無論だ」
それでも若者たちと触れ合える限り、自分に老いは来るまい。
昌幸は、自分より若いかもしれない昌景の顔を見ながら、少年たちと共に城を出た。
出羽へ、陸奥へ、いやその先の島へ……。
武田信玄「今度の新作はhttps://ncode.syosetu.com/n9558ia/だ」




