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武田勇戦記  作者: 宇井崎定一
第十二章 十五年ぶりの
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滝川一益の三段撃ち

 さてこの頃、鎌倉往還でも戦が始まっていた。


「三介、敵軍に思いっきりぶつかってくれ」

「わかりました!」

 兄からそう指示を受けた織田信雄は、自らの手勢を含む三千を引き連れて鳴海城を出た。


 信雄の弟、信孝もこの戦場にいる。弟と言っても信雄よりも実は生まれが早いその信孝の事を、信雄は相当に煙たがっていた。

(父上がわしが次男で三七(信孝)が三男と決めたのだ!それだと言うのにいつまでもグチグチと……!)


 ここで手柄を立て、信孝との違いを示してやらねばならない。


「お前たち!兄上からの指示を聞き届けたであろう!行くぞ!」

 そんな主君に部下は内心ため息を吐いていたが、それでも任務とあればやらない訳に行かないし、中にはそれなりにその気になっていた兵もいた。


 とにかくそんな信雄率いる軍勢が、前進を開始した。

 当然ながら信雄ほど兵たちの動きは良くなく、進軍と言うより流民のような顔をしていた。

 

「おい、前を向け!」

 そう言われてなお後ろばかり向く兵の数は減らず、あからさまにため息を吐く兵までいた。およそ織田軍とは思えないほど弛緩しきった軍勢だったが、信忠でさえも何とも言わなかった時点で皆半ばあきらめていた。



 実は信雄軍の兵は新参と言うか摂津や伊賀、ひどい所になると紀州からかき集められた食い詰め者の集まりであり、まともな力自慢もほとんどいない。それらの上に北畠家や織田家から乗っかって来たごく少数の幹部が乗っかっているだけのいびつ極まる軍勢であり、忠誠心などあろうはずもなかった。


 さらに、士気が上がらない理由はもう二つあった。



「敵軍が来ました!内藤です!」


 まず、対峙する敵が内藤昌豊と言う事。

「おいついに来たぞ……」

 内藤昌豊と言う名前は近畿にも伝わっており、山県昌景、馬場信房と並ぶ武田きっての猛将である事も知られている。そんな軍勢の兵が弱いはずはない。

「っつーか武藤信幸って何をする気だ?麒麟児とかって言ってたけどマジじゃねえのか……」

 信雄はその内藤昌豊が武藤信幸とか言う小僧に使われているのだと言いふらして士気を上げようとしていたが、逆効果だった。北条との戦で二度にわたり軍を指揮し高い戦果を挙げている事を信玄が半ば確信犯的に宣伝していたせいで、信幸の名前も知れ渡っていた。どうあがいても世間知らずなおぼっちゃまで信孝と張り合う事しか頭になかった信雄にとっては、武藤信幸と言う十一歳の小童が軍師気取りになっていると言う情報しかなかった。自分だってまだ十八歳なのにだ。


 そんな人間と内藤昌豊が率いる軍勢が衝突した結果など、十秒もあれば説明は付く。



「どうした!これでも織田軍か!」



 昌豊のその一喝と共に簡単に崩れてしまい、後ろ走りどころか背を向けて逃げ出す兵で溢れかえりそうになる始末だった。


「留まれ!もう少しなんかあるだろうが!」

「ですが!」

「ですがも何もあるか!」

「中将様と滝川様に何とかしてもらいましょう!」



 そして更なる問題として、この場にはあと二人将がいた。



 片や天下人同然の織田信長の後継者と言うか新たなる織田の殿様である織田信忠、片や鉄砲の名手で秀吉や勝家と並ぶ織田の宿老滝川一益。どっちにしても織田信雄より遥かに優れた将であり、どっちかの下に配属されればと言う空気が信雄軍に蔓延していた。と言うか実際に配属された兵もおり、嫉妬も兵たちの中にあった。


「ふがいない!実にふがいない!ここから一気に鳴海城まで突き進むぞ!」


 昌豊の第一声ならぬ第二声で、兵たちは完全に崩壊寸前になった。崩壊でないのは、逃げる方角だけは一致していたからである。


 そんな逃げる事だけは一人前の軍勢の後を追うように、内藤軍は走る。

 ひたすらに走る。


 そして、信雄軍は分裂した。

「来た!このまま一気に!」

 内藤軍の先鋒が得たりとばかりに叫ぶ。もはや信雄軍に脅威なし、次の相手をもなぎ倒しこのまま一気にけりを付ける!


 だが、その彼らの目に、曇り空の中でも存在感を放つ黒い物体が見えた。

「さ……」

 先鋒の男はその一文字を最後に、心の臓から血を噴き出しながら倒れた。

 そしてその彼に続くように、さらに十数人の武田軍がこの場で人生を終えた。







(三介様……残念ですが今回のあなたのお役目はこの程度です。無論、これより先私たちがあなたを育てるつもりではありますが……)


 滝川一益は自分なりに温かい顔をしていた。

 信忠についてはもう、当主としては十分にやって行ける。ただ将としては型破りに見せてよく見ると優等生の極みのような父親と違い、ただの優等生でしかない信忠により研ぎ澄まされた感性を与えるのが自分たちの仕事だと思っている。

 だが信雄については、正直教える事が多すぎる。自分のように信忠と言う当主に仕える一武将で居られればそれでいいが、既に政治的に大きな立場を背負っている身ではそう簡単ではない。実際信孝は良い意味で血の気が多いのでそちら方向に誘導しやすいが、信雄は信忠には忠実でも政治的な面の意欲もありそうだから厄介だった。


 もっとも今は、信忠が信雄がとか考えている場合ではない。


「内藤昌豊なら……秘策を披露するのに悪い相手ではない。さあ、武田に我々の秘策をお見せしてやれ!」


 一益の号令と共に、一斉射撃が始まった。

 雑賀衆にも匹敵する、一斉射撃の音が、桶狭間を覆う。


「あがっ!」

「てっ……!」

 たくさんの兵が倒れ込み、血の海に沈む。


「滝川か!ひるむな!どうせすぐに銃など撃てるわけがない!」


 二番手の兵長がさらに攻撃を行いに来る。


 その姿を確認した一益は、口元を大きく緩めた。


「行け」


 その無慈悲な二文字により、さらに犠牲者は増えた。

 火縄銃と言うのは一発発射してから次に撃つまで三十秒近くかかると言われ、その間に射程距離の中に潜り込まれてしまう。だから武田軍でも最初一発放ったら後退させ、その後は後方に構えて刀剣兵に任せるか隙間を埋めるかのように前進して突っ込んで来た兵を撃つかでしかなく、こんな風に連続で発射するなどと言う発想は全くなかった。



 —————だがもし、あらかじめ用意のできた兵を幾層かに分けて準備しておけば。



 信長はそんな単純と言えば単純だがひらめけば天才だと言いたくなるような発想で、鉄砲の連射を実現した。


 ついさっき銃弾を放った兵は最後方に戻って銃をきれいにしつつ弾込めを行い、その後ろにいた用意していた兵がゆっくりと前進して構えて撃つ。そして最後方にいた兵は銃を構える姿勢を取り、前方の兵が発射したらその隙間を埋めるように前進する。その繰り返し。

 たったそれだけの事で、武田軍が次々と死んで行く。

「しかしなぜまたこんな樽を」

「銃は熱いからな、ましてやこの時期だ。持てなくなったら水をかけてやればいいって事なのだろう」

 そして連射に耐えるため、信長は水樽を一益の陣に置いていた。旧暦五月末は新暦の七月初旬であり、世間的に言って夏である。そんな所で「火」縄銃を撃てば熱いのは当たり前であり、その点もまた配慮が行き届いていた。

「皆の者、この主君を守るために力を貸してくれ!」

 兵たちはますます意気上がる。鉄砲兵は無論騎馬兵も足軽も、一体となって武田軍と戦い、織田信長と信忠を守ろうとする。

 信長はこの点、単純に優秀な君主だった。




 だがそんな信長でも、敵だけは用意できなかった。




「敵先鋒部隊は尻尾を巻いて逃げ出しました。一気に進軍しますか」

「やめておけ。敵はこちらの事など見通しなのだろう。とりあえず馬鹿にして来い」


 一益が急に投げやり気味にこぼすと、銃を持った兵が引っ込んだ代わりに足軽たちが出て来た。


「てめーここまで何しに来た!」

「たった一回やられただけで震えてんじゃねえ!」

「悔しかったらここまで来いっつーんだよ!バーカバーカ!」


 次々に罵声を浴びせる。

 犠牲者皆無の織田軍が、数十名近く血の池に沈む武田軍を煽っていた。

「おのれ!」

「どうせ鉄砲がなきゃ何も出来ねえんだろ!」

「お前らこそ悔しかったらここまで来い!」

 そして帰って来た怒声に一瞬だけ期待するが、続いたのは足音ではなく罵声だった。

 罵声で人を殺すなどこんな所まで来ている人間にはとても無理であり、戦は急に不毛な展開になってしまった。







 実は武田軍の先鋒もまた、武田は武田でも越後や西武蔵から徴募した新参の兵であり、一番血も涙もない言い方をすれば弾除けだった。


 そんな事ができる程度には武田の将は冷酷であり、非道であり、冷静だった。

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