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武田勇戦記  作者: 宇井崎定一
第二章 浅井長政の答え
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明智光秀の覚悟

「進め!」


 本願寺軍一万四千が、茨木城を目指して進み出した。

 だが、意外なほどに迫力がない。前進とか攻撃と言うよりただの行軍で、まだどこか別の戦場に向かいそうなほどに気合が感じられなかった。


「頼廉、やはり……」

「これが住職様の方針ですので」


 賀茂川の水。双六の賽。山法師。


 かつて絶大な権力を誇った白河天皇がこぼした天下三不如意にあるように、古来仏罰を中心とした宗教兵力は強大な力を持っていた。それこそ比叡山延暦寺の山法師の強訴はたびたび白河天皇を悩ませ、それから四百年以上経った今までずっと権威を保って来た。


 その「仏罰」を、今回封印せよと顕如は言ったのだ。


「御仏のみならず、耶蘇教でも無辜の民を虐殺するような真似は許されますまい。あくまでもそちらの道から行けと言うのが住職様のご指示なのです」

 史上最悪の仏敵である織田信長に対し、その切り札を使えない。

 その事を教如の心が締め付けていた。

「耶蘇教徒でも仏の徒でも別に構わぬという方針は、あるいは信長に似ているのかもしれぬと住職様は申しておりました。ですが一滴であろうと水が落ちてしまえばその一滴は空気となり、空へと広がって行くのです」


 織田信長も耶蘇教もまた、新たなる一滴であり、その登場により否応なく運命は変わる。そしてその一滴から広がった空気は変わり、これまでと同じように呼吸をしていてうまくいけるかどうかわからない。

 顕如の受け売りではあるが、それを咀嚼して口にできる程度には頼廉は真摯な家臣であり、その狙いを見極められるほどには優秀な人材だった。


 もっとも、そんな顕如の思いが伝わるほど教如や一般の僧兵は優秀でもなかった。


「オイオイオイオイ、どうにも攻撃が鈍いな……」


 茨木城に向けて正確な援護射撃をしていたつもりだった雑賀衆だったが、僧兵たちの動きが伴っていない。元々僧兵たちに攻城戦の手はずはないが、それでも一気呵成に押し込んで城門をこじ開け突入するぐらいの意気はあるはずだった。

 だが今日の僧兵の動きはどうも重く、銃弾の雨によりくぎ付けになっていたはずの茨木城の兵たちも慌てふためくでもなく銃弾が尽きるのを待っている感じだった。

「総大将様が立派な心掛けでも末端まで伝わるとは限らないんだよな……」


 重秀はため息を吐く。確かに顕如の言っていることは正しいが、僧兵たちはただでさえ二度の大量殺戮で気が立っているうえに耶蘇教と言う大敵が現れて何とかして排除せねばとなっていた。いやむしろ、その僧兵たちを送り出す支持者たちが熱心になっていた。

 だからこそ顕如も出兵した訳だが、そこで仏敵だと言う決まり文句なしで戦えと言う枷を付けられた所で気合が入るはずもなかった。


「耶蘇教ってのはそれこそ異教徒だからな……それをも使おうだなんてそれこそよほど必死か頭がおかしいかのどっちかとしか思われてねえんだろうな」

 言うまでもなく顕如の狙いは前者だったが、後者と思っていた僧兵がいてもおかしくはない。そんな人間がこの場において活発に攻撃をかける訳もなく、後ろでじっと構えているだけだった。


 もちろん、そんな気合の入っていない攻撃が有効打となるはずもない。援護射撃をいくら放った所で、援護射撃は援護射撃でしかない。

 援護射撃が止んだ所で岩やら弓矢やらが飛び交い、のそのそ近寄っていただけの僧兵が倒れて行く。城門に手をかけようとしても勢いがなく、戦慣れしている中川軍に殺される。

 僧兵と言うのは基本的に強くなく、専門家の兵たちにはかなわない。織田軍に本願寺が思わしくない戦績を続けているのは宗教的なためらいのない織田軍の専門家たちが本気を見せ続けているからであり、今回の敵は末端であっても紛れもない織田軍だった。


「ああもう頼廉!こっちがああでも向こうはわかっておらんぞ!」

「そのようですな」

「何がそのようですなだ!これが耶蘇教徒は非道であるという宣伝にでもなると思っているのか!」

 思っておりますがとは頼廉も言わない。頼廉はおろか顕如も、内心では耶蘇教をよく思っている訳ではない。信長を倒すことが最優先であり、それこそその次は耶蘇教と思っている。それは間違いないつもりだった。


「織田信長を討て!」

 半ば現実逃避のように叫び散らすが、それでも士気は上がらない。無駄な犠牲と銃弾が増え、流れが傾かない。

(ったく、所詮は盧舎那仏頼りの軍勢か……!)

「織田信長の配下を斬れ!」

 頼廉は歯嚙みしながら信長の名前を連呼するが、やはり一歩も進まない、理想と現実の差に、頼廉をして嘆くしかなかった。


「これはやむを得んな」

「わかり申した……」

「そうか。仏敵たる織田信長の手先を討て!」



 結局、十五分もしない内に仏敵の二文字を出さねばならなくなった。ここぞとばかりにやる気になった僧兵たちの勢いが増し、さらに教如の血の気も滾る。楽しそうな顔をする若き主君に、さかしら気な家臣は何も言えなくなった。




 —————もっとも、この中途半端な所での総攻撃宣言が何をもたらしたか。







「敵が仕掛けて来ます!」

「よし行け!」


 いよいよ本気になった本願寺軍に呼応するように茨木城の軍勢の攻撃も激しくなる。矢玉が増え、屍を増やす。もちろん雑賀衆の一撃も来るが、それでも反撃は本格的になる。

「住職様のお許しが出たぞ!」

「仏敵の信長を討て!」

 正面衝突の構え、いよいよ開戦か。


 空気が張り詰め、教如はこれからの死者たちを先に弔うかのように手を合わせようとした。


 だが、そうやって手を合わせたまま教如の動きは止まってしまった。



「何……!」



 その手の上の目が捉えた物。




 北からやって来た、砂煙。


「何だ!」


 と言ったが最後、これまで必死になっていたのを、そしていざ攻撃をかけようとしていたのを見抜かれたかのような気分になり、世間知らずの小坊主と言う実像をいかんなく叩き付けられてしまった。


「ええい、城攻めは後回しだ!援軍を止めろ!」


 あわててそう叫べる程度には才能もあった教如だったが、それで勝利がつかめるわけでないこともわかってしまっている程度にも才能があったのは辛かった。

「頼廉……拙僧が父上、いや住職の言いつけを破った結果なのか?」

「仏罰だけで勝てる相手ではないと言うだけでしょう」

 賢い頼廉とて兵法の専門家ではない。ただでさえ勢いで勝って来たような僧兵たちを率いている以上、力押しのそれ以外の兵法はどうしても取りづらいのだ。

 それでも決定的な指導力と言うかカリスマがあれば何とでもなるが、教如と言う青二才と頼廉と言うただの坊官、そして傭兵の鈴木重秀では無理だった。


 せいぜい、その砂煙を受け止めるのが限界だったのである。







「落ち着きなさい、こっちが有利である事に変わりませんから!」

 その砂煙の中から飛んで来た冷たくはないが鋭く重みのある声と共に、第一の矢が放たれる。その攻撃で十数名の僧兵が極楽浄土へと旅立ち、さらに一斉に刀槍が迫ってくる。

「織田の配下か!ええい仏罰を与えよ!」

「仏罰を与えられるはあなた方です!」


 水色桔梗の旗を掲げたその軍勢の長・明智光秀の手により、次々と兵が迫ってくる。あわてて仏罰とか言った所で今更ひるむ軍勢でもなく、なおさら本職の素晴らしさを見せつけられるだけだった。

「比叡山で、私は見たのです!そして、覚悟したのです!」

 僧たちの坊主頭の光にも負けぬ怜悧な視線のまま、激しく攻め立てる。

 あくまでも茨木城救援のために来たと言うのに、戦力を削れば同じだとばかり激しく殴り付ける。


 当然茨木城の軍勢も元気になり、ますます攻撃が激しくなる。城門に取り付くなど論外で、迫っていた兵たちもあわてて明智軍攻撃とか言って持ち場を離れてしまう状態だった。


 実はこの時明智軍は、六千もいなかった。京の守りを任されていた光秀には一万の兵がいたが、足利義昭や朝倉・浅井の事も相まってこれが限界に近い数だった。その限界ギリギリの軍勢を注ぎ込んで一気に攻めかかり、一万四千の僧兵たちを斬りまくった。

(「止まれば負けでしょう!」)

 自分らしくないと思いながらも勢い任せに攻め、切り裂き続ける。

 そう、あの時のように、



「ずいぶんとそなたも物好きよな……」

「はっきり申し上げます、気が紛れますので」

「そうか。戦の方が気が紛れるか。だがこの行い、功績としては加味せんぞ」



 あの比叡山焼き討ちの際に、光秀は戦闘員たる僧兵を必死に斬りまくっていた。無辜の民とは違うはっきりとした敵を相手にしたかったのもあるし信長に述べた通りの理由もあったが、単純に武士の仕事をしたかったのだ。

「いざ進みなさい、味方を守るのです!」

 もっともらしい事をわめいた所で、人殺しには変わりはない。その覚悟が伝わっていた明智軍は、本願寺軍の数分の一の犠牲で桁違いの戦果を挙げていた。



 もっとも、そんな快進撃を許すほど本願寺軍ももろくはなかった。

「やれやれ、二所を一挙に抑えるしかないね」

 鈴木重秀は自慢の鉄砲隊を半々に素早く分け、片方を相変わらず茨木城に向けさせ、もう一方を明智軍にやった。

 そしてその一撃で明智軍に損害を与え、本願寺軍に間を作らせた。


 だがそれをやった所で、時間稼ぎにしかならない事を重秀は一番よく知っていた。


「全軍後退!」


 そしてそれを感じ取ったかのように頼廉から後退の命が出され、本願寺軍は茨木城から撤兵した。

 決断が早かったのとそれまでの侵攻が中途半端だったために深入りしておらず、結果的に本願寺軍の打撃は決定的な物にはならなかった。



 だがそれでも鉄砲隊を盾として据えながらゆっくりと下がって行く本願寺軍の背中は、まさしく敗軍のそれだった。







「ああ……重秀」

「何ですかねえ?」

「拙僧は父上の事がわからぬ……この出兵もさして積極的に思えなんだ……」

 実務に回っている頼廉に代わって副将っぽくなっていた重秀に向かい、教如は愚痴をこぼす。

 本来なら本願寺の住職として真っ先に動くべきだったはずなのに、どこか冷めている。まるで、こうなる事がわかっているかのように淡白だった。


「天台座主様に対する信用のなさじゃないんですかね」

「天台座主と言うと、甲州の」

「ああ、住職様はまだ三十路。一方天台座主様は五十二。まあそれもありますがね」

「しかし天台座主様は織田の眷属の徳川家康を」

「それはおそらく本当でしょうね、しかしちっとばかし強引すぎたって評判でしてね」


 孫市はそこで教如に家康の死の真相を語って聞かせた。話が進むたびに教如の顔色が曇り、武田信玄と言う人間に対する信用が曇って行くのを感じた。

「確かに何が何でも家康を殺さねばならないってのはわからないとは言いませんがね、ぶっちゃけあまりにも焦りすぎなんですよ」

「するとやはり天台座主様は」

「お体よろしからぬと考えるべきでしょう、でないとしても正直危ない兵法です」

 重秀に言わせれば、五千の軍勢を潰すために五千の犠牲を出すなど馬鹿でしかない。それでとどめを刺せるならまだしも、家康を討つためだけとは。確かに家康の名はそれなりに上がっているし息子の信康はまた若年だが、そのために二の矢を撃つ力を失ってはそれこそ本末転倒だろう。


「しかしそれにしても明智とやらも見事なものだな」

「まああれはわかりやすい男です、良くも悪くも実直で真っ正直ですから。それより気を付けるべきは耶蘇教徒の侍です」

「要するに仏の徒と同じと」

「まあどっちも神様のためってのは同じって事です。まあつまんない一般論ですがね」

 孫市自身今回中川や荒木とか言う耶蘇教徒の武士とさほど強く当たった訳でもないが、それでも宗教の力を得た兵の強さがどれほどの物かはわかっているつもりだった。


「とりあえず、これでしばらく住職様は大々的な戦はなさらないでしょう」

「だろうな……礼を言うぞ鈴木殿」

「いえいえ……」


 若き僧は自分が学ぶがためだけに無為にした千以上の命に向かって経文を唱えながら、本願寺へ向けて駒を進めた。

本願寺教如「今回もまたこんな役かよ!」

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