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武田勇戦記  作者: 宇井崎定一
第十二章 十五年ぶりの
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本多忠勝の覚悟

「本多平八郎殿か!」




 —————本多平八郎忠勝。


 鹿角兜を被った武藤信繫の倍近くありそうな背丈の武者。



 彼が生まれた一年後、父親の本多忠高は討ち死にした。



 幸い叔父の忠真が父親の役目を果たしたとは言え、いずれにせよ過酷な運命であった事に変わりはない。と言うか忠真は家督を継いでおらず、忠高の後継は忠勝であった。二歳にして文字通りの氏長者に仕立て上げられた忠勝を決して忠真は甘やかすことなく、厳しく育てた。

 そして十一年後に十三歳にして忠勝は元服。「ただ勝つ」から忠勝になったと言う確かならぬ話があるが、とにかくその戦いにて酒井忠次と共に徳川方の戦力として初陣を飾り、そのまま徳川独立に至った。それからはもう忠次や大久保兄弟、石川数正などと共に家格と実践経験を武器に家老と言うべき地位にあり、彼らの誰よりも若い主君を必死に支えて来た。その度に屍を増やし、家康のために報いた。


 そんな彼の人生が暗転したのは、言うまでもなく武田信玄のせいである。


 あの秋葉街道の戦いにて、武田の内藤昌豊に襲われていた大久保忠世を救援しに向かった忠勝だったが、その隙に馬場信房によって石川数正を討たれてしまった。

 いや、数正だけでなく家康までも信玄によって浜松城ごと飲み込まれ、首だけになって岡崎城に帰って来た。

 そしてその間、忠勝たちは徹底した武田軍の防備によって何もできなかった。殺さない代わりに前進を許さず、決して手を出させようとしなかった。その結果、かえって忠勝たちは焼ける浜松城を目の当たりにせざるをえなくなってしまった。

 あまりにもむごい仕打ちであり、忠勝たちの復讐心をこの上なく掻き立てた。またこの時忠勝を育てた忠真も、武田軍によってその他大勢として葬られた。

 個人的に忠真についてどうこう言う気はないが、家康については山と言いたいことがあった。六歳上の主君の享年になるまで、あと三年。もちろんそんな早く逝く気はなく、なるべく老けてから会いに行く気だった。

 

(我が子らが大殿様の年になるまでは死ねんな……)


 忠勝にはまだ三歳の娘と、乳飲み子の息子しかいない。割と本気でその年までは生きて、徳川家に栄光を取り戻したかった。願わくは遠江・駿河、いや憎っくき武田の領国全てを。

 家康自身領土欲があったかは分からないが、それでも家康を踏みにじった武田の連中だけは許せなかった。




「そのためにまずは貴様からだ、山県昌景!」


 忠勝は山県陣の左から削りにかかった。

 もちろん山県軍も備えはあったが、それでも忠勝軍の勢いはすさまじかった。

「何と言う暴虎馮河……!」

 山県軍からの批評とも批判とも取れなくはない物言いにも忠勝は全くひるむことなく殺人を行う。

「大殿様の無念!思い知れ!」


 忠勝自ら愛槍の蜻蛉切を振り、甲陽菱の旗をなぎ倒すと言うか斬り落とす。

「旗を捨ててまで何を得ようと言うのか!」

 ならばとばかりに利家と同じように雑兵ばかり狙う武田軍に対し、吠えながら刃を食わせにかかる。風圧だけでよろめいた兵に対して返す一撃で首を叩き割り、返り血や脳髄を叩き付ける。


「今の内だ!」


 その間に柴田軍が柵を倒しにかかり、ついに倒壊を始める。

「チッ!」

 舌打ちひとつしか反応しない山県軍に感動を覚える事もなく、忠勝は蜻蛉切の錆を増やしにかかる。

「逃げるのか!」

「逃げる事は悪ではない!」

 もっとも羞恥心のない山県軍の兵士は平気で忠勝から逃げ、柴田軍へと突進する。もちろん守りを固める事に専念する兵もいたが、いずれにせよ忠勝とは真剣に向き合おうとしない。


「おのれぇ!」


 勝家も自分の方がくみしやすしと思われたのに激昂するが、忠勝から逃げただけで決して向かって来ようとしない山県軍を破り切れない。

 山県軍は忠勝と勝家と言う二本の刃から逃げ回りながら、兵士たちの攻撃をしっかりと受け止める。どこまでも堂に入ったおじゃま虫ぶりだ。

「山県はどこだ!」

 そのうっとおしい羽虫たちに絡まれている内に、忠勝もついその名前を出してしまった。この兵を率いるのはどう考えても山県昌景。それさえ取り除けば一気に潰れるだろうとなってしまうのはごく自然だった。

「ああ本多殿!いっしょにこの四尺野郎を討ち果たしましょう!」

 悪態を付きながら前田利家がその位置を知らせにかかるが、それに呼応するように山県軍が忠勝の左右を遠巻きにしながら削りにかかる。

「ああもう!これでは昌景にたどり着けんではないか!」

 本多忠勝軍は千しかおらず、全体では一万六千対七千でも山県軍から見れば圧倒的に少数である。そのため本多軍の打撃力は瞬時にして低下し、たちまち忠勝一人の軍勢と化してしまう。


「ああくそ……!」


 そして本多軍が後退したのを感じた山県軍は、もう済んだとばかりに柴田軍を追い返しに向かう。


「おのれ!」

「小僧などに構っていられるか!」

 吠える忠勝に対し、昌景の言葉はやはり汚い。忠勝はまだ二十八だが、その戦歴は生中な三十路よりずっと濃い。まだ世間的に若造で通る年齢とは言え、むかつく言い草である事に変わりはない。

「小僧に老人は道を譲る物だ!ここからどけ!」

「柴田勝家の方が老人だろうが!」

「口の減らん爺だ!」

 忠勝がいよいよ本格的に昌景に対する戦意を高めるが、その間にも本多軍が削られて行く。

 当然山県軍の死傷者も多いはずだが、一向に戦意が下がらない。

「情けなや!四人も将がいてこの山県源四郎一人討てぬとは!」

 昌景が威張ると同時に山県軍はなおそら勢いづき、織田軍は屈辱に体を震わせて迫るも局面は進まない。

 この時浅井長政も利家に続けと攻めかかろうとしたが、なかなか昌景までたどり着けない。元々柴田軍としては一番強くない所を当てはめられていた長政軍は戦力としては低く、長政自身にも当たり前だが親衛隊などいない。佐久間盛政や柴田勝政と言った柴田一族は当然ながら勝家と共にあり、能登の長連竜は村井長頼と共に利家と共に戦っている。だがそれら猛将がいくらかかっても討てないほどには、山県軍は頑強だった。


「なぜだ!なぜ貴様らはそこまで!」

「全ては主を思う心あってだ!利得にのみ走る軍勢に負けはせぬ!」




 —————実を言えば、山県軍は昌景から雑兵まで皆装甲を厚くしていた。


 どうせ強引に相手の陣まで突っ込む気がないのだから機動性を犠牲にし、装甲を強化していたのだ。無論柴田軍とて気付かなかった訳ではないが、その手に対する対処がとっさに思いつくわけでもない。

「卑怯な…」

 誰かがそう呟くのが目一杯であり、今更そんな言葉で動揺するような兵はどこにもいない。もちろん厚い装甲を身にまとえば体力の疲弊も早いが、その代わりのように兵たちは強くなっていた。今の山県軍には、重たい装甲に愚痴をこぼすような兵はほとんどいない。




 そして。




「山県軍に援軍!」




 さらに山県軍を元気づける要素の到来。




「風林火山だと!」




 桶狭間山から東海道を通ってやって来た武田の援軍。


 掲げる旗は、風林火山!




「おのれぇ!信玄めぇ!」


 その旗を確認した瞬間、忠勝軍の向きが急転換した。


「どこへ行く!」

「防備が薄くなった今こそ好機!毛利殿のように信玄坊主を討つ!」

 忠勝が桶狭間の毛利新助のようになるべく、ほぼ単独で桶狭間山へと突っ込んで行く。

 勝家の叫び声など聞く暇もなく、葵紋の旗が動き出す。ちょうど東海道と大高道の中間を強引に突っ切るかのように、あっという間に消えた。


「どうする!」

「とりあえずは山県を何とかせねば!」

 勝家は気持ちを切り替えて山県軍への攻撃を再開したが、それでも忠勝がえぐり損ねた穴を広げる事ができない。このまま武田本隊からの援軍が来てしまうのではないかとばかりによけいに慌てるが、柵を倒してなお山県軍の抵抗は頑強であった。

「ええいもう間に合わん!敵援軍を迎え撃て!」

 やむなく敵援軍を迎撃させようとするが、その分余計に打撃力は減る。利家は利家で昌景と一騎討ちどころか兵たちに干渉されまくって数歩下がってしまっているし、長政も利家を守るのがいっぱいいっぱいで攻めきれない。


 とりあえずは援軍を叩きのめし、山県軍に心理的打撃を与えてやらねばならない。そしてそのまま全てを飲み込むつもりで戦うまで。


 勝家はまた大きく目を見開き、得物を振り回して愛馬に柵を踏み付けさせた。







 だが、来ない。武田の援軍が一定の場所から前進して来ない。


 勝家だって歴戦の将だから、こんな曇り空でも旗が見えてから到着するまでの距離ぐらいわかっていたつもりだった。

 だと言うのにおかしい。




 いやむしろ、後退している。


「まさか!」


 勝家がまさかと思った途端、百人ほどの兵が援軍から分割されていきなり前進して来た。

「まさか何なのです?」

「いや、狙いはおそらく本多平八郎……!」

「なればあんな心ばかりの連中を殺してすぐさま救援に参りましょう!」




 盛政が沸き立つ中、残る風林火山の旗の部隊は一斉に踵を返して行く。




 それと共に、空が一挙に重くなって行く。




 まるで、勝家の心境を示すかのように。

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