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武田勇戦記  作者: 宇井崎定一
第十一章 川越決戦
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風魔小太郎の逃走

 武藤喜兵衛の息子、武藤源三郎と武藤弁丸だと思っていたのは、影武者だった。


「貴様……!」

「風魔小太郎よ、わしが誰だか思い至らぬか?」

「甲斐忍び…………いや!」




 二人の童子の影武者を守っていたのは、真田忍びの唐沢玄播。



 昌幸の兄から遣わされた、真田忍びの首領。


「風魔小太郎ともあろう者が、童子二人に惑わされるとはな……」

「ええい、貴様の相手をしている場合ではない!」

 小太郎は松明を天幕に燃え移らせ兵たちをひるませにかかるが、玄播は全くひるむことなく突っ込む。風魔忍びの棟梁を相手にしても全くひるむ事のない姿が自分の存在を示している事にもおびえず、単純に殺しにかかる。


「こんな陣など…!」


 小太郎は燃やしてやると言えないまま、逃げるしかなかった。

 玄播に押されていたわけではない。

「チッ……逃げ足の速い事だ!」


 小太郎を討ち取るべく、燃える天幕の後方から数名の兵がやって来た事に気づいたからだ。



 言うまでもなく、彼らも真田忍びである。



「二人の御霊に祈りを……」


 玄播は軽く頭を下げながら、小太郎を追う。

 捕まえられるとは思っていないが、それでも手勢と共に小太郎を追う。

(赤子は親でなければ平易に見分けがつかぬ……二人の童子の親兄弟には相当に厚遇せねばなるまい……)

 小太郎をして農民の、と言うか流民の子と武藤の子の区別がつかないぐらいにはうまく行ったのも事実だった。その二人の親は真田家の家臣として抱え込み、とりあえず十石ほど与えていた。

「風魔小太郎だ!逃すな!」

 尊き二人の犠牲をとか言うほど玄播は殊勝でもなかったが、それでも人並みに武田の家臣らしく振る舞うだけの精神力はあった。


 わざとらしいぐらい風魔、風魔と大声で叫び、兵たちを覚醒させながらその存在を示しまくる。風魔に限らず忍びと言うのは存在しない事が半ば承知の存在であり、その顔を見られると言うか覚えられるのは非常にまずい。玄播だって本当ならば自分の顔を隠したいぐらいだが、それでも負けるよりはよっぽどいいと思っている。

「風魔!」

「そうだ、風魔小太郎自らやって来るほどに追い詰められているのだ!」

 ずいぶんと調子のいいことを玄播はわめいている。別に追い詰められてなどいない甲州街道の戦いで小太郎自らやって来て小山田信茂の暗殺をたくらんだ事など百も承知の上でこんな事を叫べるのもまた、ある種の才能だった。







 その頃、本物の風魔小太郎は逃げていた。


 松明を蹴飛ばし、かえって目立ってしまった暗闇の中へと飛び込んで行く。

(やはり、読まれていたのか……)

 途中からそう思わなかったわけではない。だがそれでもこの機を逃せばたとえ追い払ったとしてもいずれは同じ事になる危険性があったし、何より自ら上杉を戦いに巻き込んだのもあった。

 小太郎自身は上杉がどうなろうと知った事ではないが、武田に何の打撃も与えないまま上杉が消えるのは実に面白くない。今ここで無難に終われば武田はここにいる軍勢で北条軍を抑え込み、その間に上杉にとどめを刺しに行く可能性もある。と言うより専守防衛ならばまだ何とかなったかもしれないのをこちらが無理矢理引き出したのだから、ここで失敗すれば最悪の展開になる。

 焦燥に駆られたと言うのか。いや、自分だって氏政の何とかして上杉を動かせと言う命令を是と思い、雪山を越えてまで春日山城へ入り込み、その上杉を動かすためにあんな口舌を振るったのだから人並み以下とは言え責任感もあったし、このまま座して死を待つ事などできなかった。


 どこへ逃げるか。


 川越城か。

(敵も忍びなのは確実……!)

 だがそんな事をすれば最悪付け馬のように乱入されかねない。深夜とは言え自分を追って来る存在が明らかに忍びである以上、脱出経路と言う名の侵入経路を探られるのは必至。

 となれば。


「風魔は北だ、北を向いたぞ!」

「追え!」

 足音だけで北と認識できるほどの忍びを相手に逃げるのは難しいが、それでもまだ死ぬ気もなかった。とりあえず、川越城か小田原城にこの事を伝えるまでは死ねない。万が一源三郎と弁丸を仕留めたとか言われようものならそれこそ氏照たちが舞い上がり、武田の毒牙にかかるかもしれない。

「風魔の棟梁、風魔小太郎を逃すな!」

(それにしてもけたたましく叫び、そして走る……いったい何人だ?)

 忍びらしからぬ音を立て、時には歓声も上げ、さらに木を伐る音まで立てる。忍ぶ気がないのかと言われても言い返せない話だが、意味はある。

 風魔小太郎と言う名を並べ立てる事によりその存在を示し、さらに逃すなと叫ぶ事でそれが追われていることを示す。庶民でも風魔の名前ぐらいは知っているだろうからそれが追われていると言うのは単純に不興を買うだろうし、北条への信頼も薄れる。

 そして歓声を含む雑音のせいで足音が混ざって正確に聞こえず、何人が追って来ているのかわからない。もちろんその分だけ存在があからさまになるが、それでも普通の人間はこんな所に救援に来られない。一応薄い月明かりと松明のそれらしき明かりはあるが、たとえ視界が良いとしても今の小太郎は武田の雑兵の格好をしており、真田忍びもまたそう偽装していた。下手すれば集団の追いかけっこ、と言うか内輪揉めにしか見えない。




「アッハッハッハ……!」




 さらに轟く、笑い声。小太郎を笑うかのように、真っ暗な森に響き渡る。

 笑われるのは別にいいが、どこか甲高い。相当な数がいるのであればこれぐらい出る人間がいても仕方がないが、それにしてもあまりにも高い。

 くノ一かとも思ったが、女声とも思えない。それにおそらく追撃しているのは武田の兵士に偽装した真田忍びであり、女兵士など目立ちすぎて逆効果だ。


 もっとも、そんなくだらない思案を許さぬかのように忍びらしい攻撃も飛んでくる。

平たく言えば手裏剣であり、次々に木に刺さっては武蔵に爪痕を残す。

「当たれ!」

 もちろんわざとらしくけたたましい声を上げながらなのでかわすのは容易だが、それでも闇夜の中を飛び交う金属の塊は怖い。風魔小太郎をして背筋が寒くなり、逃げる方向を変える事を余儀なくされる。

「東か!東だ!」

 武田本陣からどこまで逃げたのかわからないが、そこから北に行き、さらに東となるとちょうど川越城の方角である。正直逃げたくもあり逃げたくもなしな方向で、常人なれば迷いが生じもする。

 小太郎はそれでも構わぬとばかり逃げたが、それでも歓声が止まない。どんな喉をしているのか、とんとわからないと嘆きたくもなる。


(何を恐れている……!)


 風魔小太郎は走りながらも聞き耳を立て、敵の実態を探った。


 気が付くと、歓声が妙に遠い。

 逃げ切ったのかと思ったが、それにしては方向が違う。


真後ろ、と言うか西側ではない。


 回り込まれたかと思ったが、声色が違う。

 いやこれだけやって来る以上声色が違っていても仕方がないかと割り切り、再び東へと駆ける。



 —————ガツッ。



 そんな小太郎に、非情な音が鳴り響く。


 手裏剣が木に当たった音。


 ほんの一瞬だけ歓声が止むと同時に投げ付けられた音はほんの一瞬のやすらかな沈黙を叩き壊し、小太郎に存在しえなかった恐怖と言う感情を植え付けにかかる。

「……知った事か!」


 初めて出してしまった声に自ら驚きながら、小太郎はまた走った。

 闇を求め、闇をすがり、静寂を求めた。




 結果、途中から気配も歓声も感じなくなった小太郎は速度を緩め、草原の薄い月明かりを頼りに場所を確かめた。


 —————果たして、川越城のほぼ真北。


(逃げ切った……と能天気に言うにはみっともないが……)


 幸い、武蔵と言う名の北条領には知識があるので方角はわかるが、このまま行くと後を付けられかねない。

 小太郎はわざと東へと大回りし、川越城の東門を目指した。


 敗戦と言うか失敗の無念を引きずる体は重く、武田の合印がなければそれこそ北条の敗残兵だった。

 小太郎は涙を流しながら合印を捨て、門に向かって歩く。

 忍びの痕跡を消しながらも、忍びであろうと速く走る。


 それが、小太郎の意地だった。




 やがて、風魔小太郎と言う名の敗残兵は川越城の門を越え、氏照の部屋へと入ろうと天井裏へと潜り込んだ。

 みじめな姿を、せめて他の兵には見せまいと。

「誰だ!」

 そして氏照の誰何の叫び声と共に小太郎は飛び降り、深く土下座した。


「おお小太郎!その姿は!」

「残念ながら」


 そうして失敗を氏照に報告しようとした所で、鎧を着て槍を持った兵が氏照の部屋に走り込んで来た。

「大変です!」

「案ずるな、彼は」

「違います!武田の夜襲です!」

「何!」


 氏照が小太郎の無実を証明するより先に、兵士はとんでもない言葉をぶつけて来た。


「夜襲だと!攻城戦で?」

 夜襲で攻城戦など、自爆以外の何でもない。実際動かない城を撃つぐらいのことはできるが、それだって効果は知れている。

「それが夜襲なのです!そして敵将が……!」

「誰でもいいだろう、そんな馬鹿な事をするのは誰だ!」

「信じがたいのですが」

「十分信じがたい事が起きているのだ、何を聞いても驚かんぞ!」

「武藤……信幸とか名乗っております!」




 武藤……いや、武藤信幸!




 その言葉を聞いた瞬間、全てを悟った氏照は小太郎を抱きかかえ、頭を撫でて

「そなたの仇はわしが討つ」

 と言い残し、鎧と刀を身にまとい小太郎を残して走り出した。

忍者らしくしてみたらこうなった。

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