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武田勇戦記  作者: 宇井崎定一
第十一章 川越決戦
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風魔小太郎の侵入

「武田信廉、いや武藤昌幸は、二人の子どもを連れ込んでいます」




 武藤昌幸の二人の子ども。


「…それが?」


 氏規が気の抜けた返事をすると、憲秀が深くため息を吐いた。


「昌幸こと武藤喜兵衛の長男・源三郎はかなりの才人で、甲州街道の戦では指揮の真似事をしていたとも言う。弟の方は兄ほど知には長けていないが、勇では兄以上かもしれぬ。そう兄上はおっしゃられていた。だろう、松田」

「いかにも……」


 氏規はずっと西方担当だった割に、その手の情報に疎かった。

 もっともいかなる才気を見せようが所詮ひとケタの小僧であり、作り話か何かと考えてしまうのは自然な流れだった。


「その二人がまさか此度の策を」

「いえ、信勝です。武田の当主の信勝の股肱の臣にならんとしている二人です」



 武田信勝。武田の現当主だと言う八歳の小僧。


 だが小僧と言うにはあまりにも才気を発し続け、大道寺政繁を殺したも同然の憎い餓鬼。



 その信勝がもっとも当てにしているらしい二人。


「それがなぜこんな所に」

「風魔忍びから得た情報によれば、此度の戦にて信玄も信勝もいない中でやってみせよと修行に連れ出したと」

「修行?」

「ああこれは武藤喜兵衛とか言う信玄の小姓頭も込みのようですが」


 そして、武藤喜兵衛。


 おそらくは信玄が次代の幹部として当て込んでいるだろう男。


「その喜兵衛の息子がその二人だと」

「ええ、間違いございませぬ」



 三人の口がほころぶ。


 ここで二人の息子に万が一の事があれば武田の次代はあらゆる意味で傾く。


「そう言えば風魔、かつてその方は」

「忍びに感情も不要でしょうが、個人的にひどく屈辱を受けましてな」

「ああ……」


 風魔小太郎は眉をわずかにひそめながら、自分の過去を呟く。

 小声ながら甲州街道での無念を口から吐き出し、拳を叩き付け立てたそうに震わせている。


「その方がそんな顔になると言う事は相当なのだろう。いや、個人的にだけではなく、武田の膨張を止め、北条を守るにはその二人を殺さねばならぬか」

「ええ。兼山城東での戦ではその信勝が自ら軍を率い、前田利家や柴田勝家と渡り合い、さらに信長とも互角に口を利いたとも。確固たる証明はございませぬが」

「まさかとは思うが、その方がその悔しさを伝え上杉を動かしたと」


 氏照の言葉に、小太郎は深くうなずいた。


「無論、使者となるも上杉を口説けと命じたのもお館様でございます。されど四郎様の事を持ち出すだけでは上杉の全てを動かす事は叶わぬと思い、我が恥部をさらけ出しました」

「それで上杉の着到は」

「一両日中に上野へと入り、武田軍の後方を突くと」

 小太郎は書状を懐から取り出し、静かに差し出す。

 間違いなく上杉景勝の花押が入った書状。



 期日は、四月二十七日。


 つまり、明日。



「額面通りとは行くまいが、この日に計算が合えば……!」

「ええ、武田軍は壊滅でしょう」


 三人の顔が、完全に崩れた。



「風魔よ……」

「心得ております。もちろん信廉や昌信、喜兵衛を取れれば最高でしょうが、それ以上にあの兄弟を……」

「そうだな。そう言えば尾州、勝頼の側近はどうだった」

「跡部とか言う勝手に織田の城に乗り込んで幕府がどうとか抗議しようとして女と酒で抱き込まれ、その途上で山賊に襲われ落命しかかった所を織田に救われそのまま織田に寝返った男と、長坂とか言う味方諸共本多忠勝を殺そうとして逆に後ろから撃たれた男ですが」

 憲秀とて意味は分かっている。ここで喜兵衛らが失脚すればそんな連中がまた表に引きずり出されると言う事なのだろう。

 それならば武田はもううどの大木だろうし、信勝だって小僧に過ぎなくなる。

 あるいは北条が武田をまるっきり奪い取り、上杉まで従える事だってできるだろう。


「では、朔近き事に感謝しよう」


 旧暦二十六日と言えば朔、すなわち新月まであと数日と言う事である。

 その言葉と共に小太郎が消えた事を確認した三人は、明日の出撃に向けての打ち合わせを始めた。













 四月二十七日になったばかりの頃。


 武田信廉軍の本陣の北を、無言で動く影があった。


 言うまでもなく、風魔小太郎だ。




(信玄坊主めがまさか、あそこまでになってしまうとは……拙者も拙者でもっと強く物申すべきだったかもしれぬ……だが、信勝まで読めと言うのは無理筋にもほどがある……)







 風魔の秘薬をもって、信玄の寿命を強引に引き延ばすように命じたのは氏康だった。


 信玄を生きる盾として用い、織田の力を削っている間に北条は関東を制覇する。




 それが、氏康の計画であり、風魔の秘薬を渡した理由だった。




 その武田が織田や徳川のみならず上杉や北条まで荒らし、全てを飲み込もうとしている。

 これが氏康の責任なのか自分の責任なのか、そんな事はもうわからない。わかるのは、このまま武田を放置などできないと言う事。

 たとえ信玄がすぐ死んだとしても、信勝がその地位を受け継ぐは必定であり混乱は最小限でしかない。勝頼ならばやがて縮みいずれは破滅するかと思ったからこそ氏康も動いたのだろうが、信勝では駄目だ。国王丸に信勝の才覚があったとしても、昌幸や二人の息子がいない以上戦える保証はない。


(闇のない陣などない……)

 一万五千ともなれば当然寝ずの番ぐらいいてしかるべきだし、うかつに侵入などできない。狙いはあくまでも、武藤喜兵衛の二人の童子。

(しょせん童子は童子、この時に至れば親と共にあるか、さもなくとも誰か股肱の臣と共にあるはず……)

 もちろん彼らは重要人物だから、誰か護衛がいてしかるべきだろう。それも質・量ともに上位の存在が。

 松明の林をかいくぐり、必死に闇を求める。

 どんなに密集した林でも、少しは隙間がある。人とか以前に獣が道を作り、林もそれを許容する。自然ですらそうなのだから、人間が作った物など抜かりがあってしかるべきだ。


 小太郎は必死に隙間を求め、目を凝らす。ほどなくして新月になるような細い月光とそれに慣れた目を使い、闇を求めた。


(誘いの隙かもしれん……)


 やがて後方、陣の斜め後ろに松明の空白を見つけた。


 一か所だけ開けられた隙間。


単純に狭いし、不自然かもしれない。

 だがもし、真の隙だとしたら。

 小太郎は身を潜め、じっと武田陣を観察した。


 兵がやって来て、こちらを眺める。気づかれたかと思ったが、全く気にする様子もなくすぐに背を向けた。

 ほどなくしてまた別の兵が来た。そして彼もまたこちらを向いたが気付く事もなく、同じように向きを変えただけ。


 こんな事が、数分の間に四回も続いた。



(なるほど……)



 小太郎は、決断した。

 態勢を整え、さらに目を凝らす。


 そして十分後、兵が途切れたのを確認すると鼻呼吸を始め、音を消しながら走った。

 一日で作られたにわか作りの柵を飛び越え、足音を殺す。


 ちなみにその間に小太郎は真っ黒な忍び装束を脱ぎ捨て、武田の足軽に成り済ましていた。

 足軽と言う名の雑兵などいちいち顔を覚える物ではないし、その装備も陣笠や打刀などの安物だから調達はたやすい。一応合印などを袖や笠に付けてはいたがそれこそ戦場に出てしまえば見え見えである。


 今の小太郎は、見た目だけならばまったくただの武田の足軽だった。



 そして足軽らしく野暮ったく歩き、目つきも必死に緩める。

 その上で決して注意を怠らず、いざとなればと言う選択肢を消さずにおく。

 風魔小太郎の擬態は、まったく忍びの長にふさわしきそれだった。

「ったくよう、こんなんでうまく行くのかねー」

「行くだろ。お偉方が考えてるんだから」

「お前は純粋だな、勝ち戦だって人は死ぬし、っつーかもう死んでるのに」

「戦って本当に面倒くさいよなー」

 その上で突然話を振られても決して動じず、冷静に答える。

「しかしよー、なんでまた子ども二人連れて来るんだか」

「子どもって、武藤様の?」

「そうだよそうだよ、なんでまた何の役にも立たねえ子ども二人……若殿様、いやお殿様の側近だって言うけどさ、本当大変だよ。この前の甲州街道での戦で兄貴の方はずいぶんとヤンチャしてたけどさ、弟の方は威張ってるだけだったらしいじゃねえか。そんでこの陣を作る最中にも何が起こってるかも知らねえでのんきに資材運びとかさ、本当いいご身分だよ、まあ実際いいご身分なんだけど!」


 そんな小太郎に気を許したのか、兵士は愚痴を思いっきりぶちまける。

 確かに、あの時も源三郎は指揮の真似事をしていたが弁丸は後ろで吠えているだけだった。年齢から考えればそれがいっぱいいっぱいとは言え、前線で戦っている兵士からすれば面白いはずがない。

「だがこの部隊の指揮官は武藤様なんだろ」

「そうだよ、武田様も武藤様を頼りにしてるって言うかもたれかかってるから指揮官は実質武藤様。高坂様も自分の部隊ばっかりで構ってくれなくてさ、陣がこうしてきれいにできただけに腹立たしいんだよ。

 っつーか武藤様も武藤様だよ、俺らが戦ってる間にさ、後ろで高坂様と一緒に子ども二人にべったりで陣を組むとか言って戦から逃げててよ、あーあ……!」


 だが、ここまではっきり言われると逆に怪しい。

 やはり、誘いの隙なのか。


「それで、その武藤様のお子様ってのは……」

「知らねえよ、知らせられねえんだよ……!」

 かまをかけてみたが、何とも言えない答えしか返って来ない。

「ああ悪かったな愚痴に付き合わせて、お前も頑張れよ」

「ああ、ありがとう……」


 結局、何とも言えないと言う答えしか出て来ない。

(どうにかせねば……)

 もっとも、ここまで来た以上何もせず逃げる理由もない。死ぬ理由もないが、それでも最低でも武藤兄弟のどちらかを殺さねばならない。


 それで結局、大きな天幕を探す事とした。

 迷った時は単純明快とばかりに大きな天幕を求めるが、当然の如く見張りと松明がくっついていて隙はない。師と言う大将旗の天幕の下には四人も兵がおり、目つきも生半な兵のそれではない。中には見張りも松明もない天幕もあるが、質も量も知れているだろう。もちろん小銭稼ぎも悪くないが、こんな所でそんな真似をする暇はない。


 やがて精神が擦り切れ始めて来た頃、一つの天幕を見つけた。それなりに大きく、さらに寝ずの番もいない。

 


 そして、小さな足が見える。それも、四本。



 陥穽か否か。

 猜疑心を抑え込みながら近づくと、いきなり兵が出て来た。

 両手に火を持ち、消えた松明に灯している。



 作為には、思えなかった。


(今しかない……!)


 すべてを賭ける時だと決意した小太郎は、背を向けた兵の横を通り過ぎるべく身をかがめ、持てる限りの速度で走った。


 もちろんその間に後ろを向けた兵の頸動脈に一撃を加える事も忘れない。




 そして。




(御免……!)


 腰をひねりながら、二枚の手裏剣を投げ付ける。




 手ごたえ、完璧。




「曲者!」




 ようやく曲者の二文字が飛ぶが気にする事もなく、堂々と忍びたる所を見せてやろうといつもの忍び刀より長い刀を振り回し火花を散らす。


「貴様、何たる真似を!」

「いかにも、武田の未来、もぎ取りに来た……」

「う、うう……」


 得物を鳴らしながらも、耳に入り込むうめき声を聞き届ける。

 間違いなく子どもの、男児のうめき声。


「自分が何をやったか、わかっているのか!」

「それが北条の人間の役目……」

 飛んで来た松明をよけながら、必死に斬りかかって来る兵から距離を取る。

 天幕が燃えて自分の姿があからさまになるのを承知しながら、天幕を斬り後ろへの道を作る。

「お前は死出の旅路を歩むのだ!」

「何とでも言え!武藤喜兵衛の息子たちは既に地獄へと旅立った!やがて武田も!」


 さらに飛んでくる松明。まるで火葬でもさせるかのようにやって来る攻撃を笑いながらいなす。

外の松明の光が入り込み、なおさら天幕は明るくなる。


「気でも触れたか、その顔は」

「小山田様と戦った時、その顔を覚えていたと思ったがな……」


 その光が、小太郎とやり合う男の顔を照らす。



 ずいぶんときれいな、笑顔。




 最初は頭がおかしくなったのかと思ったが、それにしてはやけに自信がありすぎる。







「よもや……!」

「顔を忘れるような馬鹿でもあるまい!」







 二人の童子。




 確かに手裏剣、それも毒を仕込んだそれを胸に受け、間違いなく絶命していた二人の童子。




 だがそれは、小太郎が甲州街道でひそかに見届けていた童子とは、顔が違っていた。




 あれから半年も経っていたしとか言う言い訳を並べるには、あまりにも、別人のように、顔が細かった。




 それに、足も、手も。

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