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武田勇戦記  作者: 宇井崎定一
第十一章 川越決戦
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佐竹義重の視点

第十一章開幕、今回は視点をずらしました。

 波乱に次ぐ波乱で終わった元亀四・天正元(1573)年は終わり、天正二(1574)年が到来した。


 正月はどんな場所でも平等にやって来る物であり、躑躅ヶ崎館でも清州城でも岐阜城でも、岡崎城でも春日山城でもそれは同じだった。




 そして、常陸でも。




「正月の 朝日眺める 双眸の ありし喜ぶ 赤き我が子ら」




 常陸国を治める当主、佐竹義重はずいぶんと正月らしからぬ短歌を詠んだ。




「殿……」

「何を言うか、去年をまともに過ごせた事を祝っていただけだろうに」



 朝日を眺める双眸、つまり両目がまだ体の中にある事を喜ぶと言う、旧年を無事乗り切ったと言うにしては相当に物騒な表現だ。また赤きと言うのも赤子と言うより血潮の赤であり、いちいち不安が多い。



「大木の 上に居座る 初日の出 葉も根も虫も 諸共に浴び」


 家臣がそんな穏やかな返歌を詠んでみせたが、義重は顔をほころばせない。


 いきなり投げ落とされた主からの爆弾に座はいまだざわめくが、義重は平然としていた。



 去年の佐竹家は義重が言うほどには物騒ではない。

 ここ数年そうしていたように、下野の佐野やら安房の里見やらと手を組んで北条と言う存在を適当に張り合っていた、と言うだけである。



「この一年、何が起きていたかわからぬ訳でもあるまい」

「それは、そうですが……」

「武田は雪がなければ、いや農兵が主力でなければもっと動いていた。北条すら飲み込んでいたほどにな」


 そんな主君の口から出た北条を飲み込むとか言う言葉にも、場はさほどざわつかなかった。急に口調が軽くなったのもあったが、この場にいた者とて去年何があったかなど理解していた。




 武田が織田と二度戦い、決定的でこそないものの勝利と言って差し支えない結果を残している。


 その後の川中島での戦ではあの軍神と言われた上杉謙信を討ち取り、上杉家をほぼ壊滅状態に追い込んだ。


 あげく北条の甲州侵攻も受け止めて大道寺政繁を討ち取る。




 そして何より、武田信玄が隠居し、後継に討ち死にしたとは言え勝頼ではなく孫の信勝を指名した。


 まだ八歳になったばかりのだ。




「武田の覚醒、と言うか暴れぶりは異常だ。この連戦に次ぐ連戦で今年は疲れているだろうが、だとしても動かないとは限らない」

「でも織田家は」

「織田信長と言うのは思ったより律儀だ。約定を破ればどうなるかわかっているのだろう。昨冬の北条との戦いは実にやりやすかっただろう?」


 甲州攻めの失敗により大道寺政繁を失ったと言うのがあったとしても、昨冬の北条はだらしなかった。

 攻める気配はまるでなく守り一辺倒で、こちらがいくら田畑を荒らしてもそれを守る以上に動こうとしない。元から収穫など済んでいたとしても十分面白くない状況のはずなのに、どこか消極的で保身的だった。



「これまで幾度戦っても我々が辛酸をなめ続けたのはなぜだと思う?」

「北条の兵が強いと」

「違う。北条の民が北条になついていたからだ。不識庵(謙信)が小田原城まで攻め入りながら退く羽目になったのは武相の民が上杉を歓迎せず、北条のために戦ったからだ。補給部隊がやられまくっていては攻撃などできないからな」

 自分こそは正義の味方だったつもりの謙信からしてみれば民の攻撃は痛点であり、そのせいで小田原城まで攻め寄せながら元の木阿弥状態になってしまったのである。


「確かに御家のため、強敵を排除するのは当然の行いだ。だがそれでも手順を踏み、その上で行うべきだった。氏政は恐怖に駆られ、まったく一方的な形で武田との関係をぶち壊してしまった。その挙句の結果があれだ」

「正直信じがたいのですが」

「武田太郎、ああ信玄の孫がかなりの英才でな、信豊や信茂よりずっと大将らしかったと言われておる。信玄が上杉の戦後処理でもたついている間に甲州を守ったのだから、信玄としては鼻が高かろう」

「それはその、北条にそんな問題があったとは」


 佐竹は織田と友好的ながら、対北条の関連で武田とは少なくとも不仲ではない。

 その武田の後継者の信勝がまだ幼いながら半端ならぬ存在である事も家内の人間はもちろん知っている。しかしだからと言って本当に彼の力で武田を追い払ったのかと言う事については、佐竹家内でも議論の対象となっていた。


「信長は太郎とも話した事があるらしい」

「しかしその信長をしてあそこまで言わしめるほどなのでしょうか、あくまでも信玄の」

「信玄は四十六も下の複製品を作ろうとしていると信長は述べていた。これを信玄以上の者はどうせできないと侮ったと見るか、信玄が実質上あと五十年生きると見たかは知った事ではないがなあ!」




 義重が高らかに笑うのにつられるように、家臣たちもどっと笑った。




 後頭部を掻きながら笑いつつ酒を飲む姿は、中年と言うのはまだ若い二十九のはずの義重を良い意味で老けさせていた。



「ああ、どうもいけないな。酒が入るとついつい口が軽くなる……」

「徳寿丸(義宣)様の前では」

「案外言ってしまうかもしれんな。どうしても彼らからは目を離す事ができん」

「それだけでも武田に負けていると言えますが」

「太郎は酒を呑めんがな」


 義重はまた笑った。つまらない冗談を口にして自分で笑い、正月の空気を温めた。



(まったくあの親子、いや祖父孫は我々の心胆をどれほどまで寒からしめれば気が済むのだ……)



 個人的にも、よその家の当主と言う立場からしても、この一年間の信玄は異常と言うかひどく活動的だった。

 それこそ自分の兵がいくらでもいるかのように、いくらでも湧いてくるかのように駆けずり回り、そのことごとくで多大な戦果を挙げた。


 生き急ぐとか言うにしては余裕があり、楽天的と言うにはせわしない。


 信玄が何を狙っているのか。読めるか読めないかと言えば読めない。

 領土を広げたいのか、敵を倒したいのか、天下を治めたいのか……。



「とにかく、上杉ももう余喘を保つのみ。上野もほどなくして武田領で固まるだろう」

「北条は上杉を助けないのですか」

「助けるだろうな。武田を切った以上北条と上杉はもはや弱者連合としてやって行くしかない。武田に立ち向かうには他に方法などないからな」


 弱者連合。それが紛れもない北条と上杉の立ち位置だった。


 今までずっと佐竹たち弱者連合を相手にして来たはずの北条が、武田の前では弱者連合だと言う事だ。


「では武田にどこまで寄りかかります」

「徹底的に行くしかないかもしれん。北条の見立てが思った通りならばこの佐竹は今の上杉とさほど差のない存在でしかない。あるいは武田は上杉と北条を飲み込み、その全てを織田にぶつける気かもしれん」

 だが、となれば佐竹など弱者連合どころの騒ぎではない。文字通りのまとめて食い荒らされる雑魚の群れの長に過ぎない。

「すると……」

「そんな事を考えるのは三が日が終わってからでも遅くはないぞー」


 完全に自分のせいとは言え、正月の酒宴とは思えぬほどの空気になってしまうのをどうにかすべくまた義重は酒を呑み干した。


「まあとにかくだ、今日は全てを忘れて楽しめ!正月早々くだらん愚痴に付き合ってくれた礼にどんどん呑め!」




 声を張り上げても、反応は鈍い。


 酒がもし人の舌を動かすと言うのであれば、これこそ義重がいかに日ごろから悩みをため込んでいたのかと言う証左であり、家臣たちにとっては全く面白くない。


「殿……後でよくお話はおうかがいいたします」

「感謝するぞ、いやいやわしは幸せだ!」

「殿は幸せ者でございますな!」



 それでも悩める主君のためにきちんと答える家臣を持つ程度には、義重は恵まれていた。







 とにかくこうして正月の座は盛り上がり、義重も家臣も、侍女たちも本格的に浮かれた。


 皆が美食を楽しみ、酒を呑み比べ、侍女たちも踊り、遊芸人たちもこここそ書き入れ時と言わんばかりに芸を見せる。

 城下町もこの時ばかりは戦を忘れ、民も家も華やいでいた。




(今頃、し、いや皆も楽しんでいるのだろう)




 それでもなお、義重の頭からは信玄の事が消えない。




 信玄と信勝、とんでもない祖父と孫。

 勝頼と言うある意味わかりやすかった展開の指標を失って、動揺するどころか逆に凄みを増した。




 ————————————————————信玄は、やはり遠からず死ぬかもしれない。


 だがその先、幼い孫が継いだその先に上杉と北条の滅びと、他に何があるのか。




 義重は、二頭の虎から逃れる事ができぬのを感じながら、酒を口に運んだ。

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