表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
武田勇戦記  作者: 宇井崎定一
第十章 近畿の絶望
114/159

織田信忠の資格

「一気に本願寺まで進むのですか」

「まさか。淀川までやって来る敵軍に見せ付けてやればいい」

「いや本願寺の防備は薄く僧たちも動揺しておりまして今ならばできるかもしれませんぞ」


 信忠は西と北の川を見ながら、隣の滝川一益ともども嘯いていた。


 まさか一万を超える大軍の存在を秘匿できるなどと最初から思っていなかったが、見た所相当にうまく行っていた。


「羽柴秀吉、なかなかにたいした役者だ……!」

「本当に、あそこまで織田直属軍を使いこなすとは……正直、未だに侮っておりました」

「侮られるのも悪い事だけではない。だが残念ながら、その財産はもう使い果たしただろうな。まあ私が強引に使わせたのもあるが」


 秀吉と言う人間は、もうなめてかかられる事はないだろう。それだけ名前が大きくなったとも言えるが、これからはもうその手段は使えない。

 此度の一件で先の征夷大将軍家を傘下に収めた事が満天下に知られた以上、どうしようもない宿命だった。一益をしてそれがまだ知られていないと言うか信じられていないのにため息も吐いたが、それでも将としては悪くはなかったはずだ。

「それにしても旗の数本で錯覚するとは思えませぬが」

「やらんよりはいいだろう」

 さらに言えば、秀吉が率いていた一万五千を三つに分けた部隊の内、蜂須賀小六が率いていたのは秀吉直属の六千だけであり、三千は浅井長政軍と言うか柴田勝家軍で、残る六千は織田信長直属軍だった。その直属軍を秀吉は率い、きちんと策を成し遂げている。


 で、信忠軍一万とか言うがその実は信忠軍四千と滝川軍六千であり、少なくとも羽柴軍ではなかった。


「筑前は犬上川でも相当やっていたようですからな」

「その点もまた今回は使えたと言える。種も仕掛けもあるのだがな。無理強いして聞いた価値があったと言うものよ」

「筑前は小男ですから。まあ小男が悪いなどと言うのも大時代的だと言う事なのでしょうな」

「背丈で勝敗が決まるならばそんな簡単な話はない。逆に小男が有利とは限らんからな」


 二人して適当な事を言い合いながら、笑っている。

 実に和気あいあいとした空気だった。



 ————————————————————もっとも、実を言えば信忠軍もそれなりに無理をしており、伊勢から伊賀・大和を経て強引に持って来るまでの強行軍で兵たちもやや疲れていた。

 さらに言えば信忠が率いていたのはいわゆる二軍であり、一軍は秀吉にくれてやっていた。


「さて、もういい加減私自身いい格好をしてもいいのではないかな」

「淀川をお渡りになられるのですか」

「ああ。敗残兵を片付けるだけだがそれでも手柄は手柄だろう。少しばかり父上の歓心でも拾って来るか」

「鉛玉にお気を付け下され」

「その方もな」


 信忠はさわやかな顔をしながら、淀川へと向かった。その間に一益は西へと向かい、本願寺へと銃口を向けさせて行く。










「さて……」


 淀川を何の障壁もなく越えた信忠は、先ほど一益に向けていたそれとは別人になっていた。


「若君様」

「ゆけ。破戒僧たちを斬るのだ」


 かつて今川義元を斬った馬廻の筆頭、織田譜代の古参・毛利新助はわずかに震えていた。

「私が父上に見えたか?」

「いえその、それは……」

「これ以上ためらっている暇もあるまい、もたついていると筑前に食い尽くされるぞ」


 洒落でもないが、奇妙なほどにさわやかな笑顔。

 これから大手柄を立てられるのだと言う人間の喜びと、あまたの獲物を食い尽くしてやれると言う獣の喜び。


 そんな信忠がさっと手を振ると、兵たちが動き出す。


 いわゆる二軍とは言えそれでもそれなりには鍛えられている兵たちは羽柴軍や池田軍に負けじと走り出す。



「木瓜紋!織田だぁ!」

「何を言う!織田の中核を倒せば織田は一気にぐらつくぞ!」

「本当に織田の中核がいるんですか!ついさっきまで羽柴だとか言ってたのに!」



 僧兵たちはさらなる「羽柴軍」の到来に勝手に狂乱し、織田と知って勝手に希望を抱き、勝手に勘ぐってまた絶望している。

 坊主のくせに秀吉が何人もいるとか言っておびえていたような敗残兵など、織田にとっては二軍どころか三軍でも相手になった。

 さらに言えば、土橋守重の裏切りまである。文字通りの据え物切り同然であり、突っ込めば突っ込むだけ死体が増えて行く。


「一人たりとも逃がすな!雑兵も荷駄もことごとく潰せ!淀川を赤く染めろ!」


 信忠の一言と共に、また亡骸が増えて行く。


 徹底的にやれ。信長ばりの皆殺し命令。

 一人たりとも逃すな。


 何なれば火を点けてもいいのだと言わんばかりの敵を前にして、本願寺軍はもはやどうにもならない。

「この罰当たりめが!」

 そんな風に叫べたのは一流であり、普通以下の兵たちは言葉にならない悲鳴を上げるか何も言えないまま閻魔大王に会いに行くかがせいぜいであり、違いと言えば羽柴軍に殺されるか池田軍に殺されるか織田軍に殺されるか、さもなくば羽柴軍に見せかけた織田軍に殺されるかでしかない。



 もちろん雑賀衆もまた同じように殺されて行く。


 自慢の鉄砲隊も本願寺軍の混乱に巻き込まれて全く統制を失い、散発的な射撃では蝿の一匹も殺せない。


「ちょっと待て!我々は降参」

「知るか!」


 秀吉の恐ろしさを知ったつもりだった土橋守重もまた、有象無象の一人として迫られる。

 裏切り者と言うよりただの卑怯者に過ぎない存在を進んで抱えるほど、織田家は器が大きくはない。

 だいたい守重の裏切り自体、織田家にとっては予想の範囲外もいい所であり、むしろ最後の最後まで抵抗すると思っていた。そんな存在が今更何を抜かすのかと言う訳であり、すぐさま刀剣が迫って来る。


「話が違うじゃないか!」

「そんな事など知るか!」


 逃げ出す守重を誰も追う事はなく、他の連中を次々と殺して行く。


 守重のように降参を申し出た人間もいたが、構わずに斬られた。やけくそになって弾を撃つ人間もいたが、織田軍の死者は一人も増えない。

「孫市殿は…!」

「うるせえよ、最初にその孫市殿とやらを捨てたのはどこの誰だ!」


 守重軍は徹底的に、それこそ火縄銃以外の全てを剝ぎ取られるように、何回も何回も刺された。

 死体を文字通り徹底的にもてあそび、死体になってなお首を斬り、手足をも斬った。

「何だよお前震えてるのか」

「いや小便でもひっかけてやろうってさ」

「そりゃいいな」

 足利義信の事など知らないまま、そこまで言い出す兵もいた。


 そんな存在を信忠以下誰も止めないのが、この戦場だった。


「あと一歩だ、あと一歩は勝利ではない」

 信忠はそんなごもっともな事を言いながら、兵たちを督戦する。

 自ら得物を構え、自分の鎧をも返り血に染めんと欲するその様子は、ある意味信長以上に恐ろしかった。



 ————————いや。



「すまない。少し熱くなってしまったようだ。私は少し下がろう」


 そんな言葉が、サッと出る事。そして、サッと最後方に回れる事。



 それこそが、新助にとってはもっとも恐ろしかった。


 なぜか舌打ちの音が淀川へと飛び込み、溶けて消えて行く。

 舌打ちの主が、迫って来る。


「これが此度の最後の戦いだ。ここさえしのげば全てが終わる」


 急に頭が冷えたかのようになった信忠の目の前には、南無阿弥陀仏の旗が固まっていた。


「それが一番正しい手だろう。だが、そうはさせない」

「本願寺教如……」

「だろうな。でないとしてもしっかりせねばならぬ」


 この状況で全てを覆すには何が必要か。


 それをわかった上で動く頭の回転を持つ男。それが、織田信忠だった。




 ——————果たして。




「あれは織田信忠だ!あれさえ殺せばこっちの勝ちだ!」


 甲高い声が、坊主頭の集団の中央から飛んでくる。

 皆すでに袈裟は斬られ、下手な雑兵よりも派手に傷つき、その上で武器も一人一本持っているかどうか怪しい。

 それでも拳と死ぬ気だけはある以上、放置する事は出来ない。

「これ以上の抵抗など許さん!」

 織田軍は冷静に並び、滝川軍及び雑賀衆の数分の一ながら鉄砲を丁重に放って先陣と言うか弾除けたちを弾き飛ばし、突っ込んで来た後続の兵たちを将棋倒しにする。

 さらに弓矢も続き、同様の犠牲者を増やす。もちろん勢いに乗っている軍勢を止める事は出来ないが、それでも数を減らす事は出来た。


「ふざけるな織田信忠!愚僧の正義の刃を受けよ!」

「ああはいはい誰か相手して来い」


 自ら存在を示した教如に対し信忠は実にすげなく答え、部下たちを差し向ける。

 見た所、数は八百、いや五百程度。

 その五百をきちんと囲み、数対一の環境を作り上げて正確に叩く。


 食い破ろうにも厚みが違うし、元々の力量も疲弊度も違う。

 こうなるともう、気合と根性と信仰だけではどうにもならない。


「一人でいい、一人でいいから魔王の息子を!」

「死ぬなよ」


 教如の声にも無感情な調子で消極的な指示を出すだけで絡もうとせず、上から目線を崩そうとしない。そうやって相手を煽った所でもう何も残っていないのを知っていたからだ。

「ぐぎぎぎぎ……!」

 歯を食いしばってこちらを叩きに行こうとしているのだろうが、壁の前に何もできない。むしろ歯ぎしりで余計に体力を消耗しているせいか勢いは弱まり、余計に犠牲者が増えて行く。

「もうだめだ、どうか住職様の下へ」

「うるさい!」

 投降を申し込む人間さえも斬り捨てさせる。

 もはや死体の上に死体が積み重なる状態であるが、坊主たちに怒りを沸き立たせる気力など残っていない。惰性のように前に進んでは殺されるか、地から尽き果てて座り込んで殺されるか、全然違う方向に逃げ出して助かるかのどれかしかなかった。


「うああ、ああ、あああ……!」



 教如は死体を踏み越え、一歳年上の織田の御曹司に突っ込む。



 これまでの人生の全てを、賭けて。




 だが二線級とは言え信忠より年下の兵士などほとんどいない軍勢に、十六歳の僧の刃など届くはずもなかった。




 教如の薙刀の刃が信忠を守る壁の先端に届いた時には、八本の刃が教如の体に穴を開けていた。




「おの、れ……仏敵、め……!」

「………………」

「阿鼻地獄が、お前を、待っている、ぞ……!」

「一人残らず逃がすな」


 目の前でその命を散らした本願寺住職の長男にまともな言葉をかける事もなく、信忠は指示を飛ばす。



「この戦いは徹底した勝利が必要だ」



 その一言で全てを言い終えたとばかりに、信忠は徹底的な虐殺を継続させた。


「淀川を渡れぬ限り、一人たりとも生かしては帰さぬ」



 信忠は、信長の息子たることをはっきりと見せつけていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ